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4日目

 詐欺師は下着姿で椅子に腰掛けていた。


「ええ、そうです。開耶さんの危惧していた事が起きていますが、まあ大丈夫だと思います」


 その声は坂上円花のそれであり通話の相手は開耶勇気である。携帯電話は机の上に置かれその耳にはブルートゥースの受信機が装着されていた。

 そして視線は常にパソコンのディスプレイに注がれている。


「実際の所その事を取り上げなくても小三塚一郎の取材は成立する様です。期限付きの契約の様ですので、記事が仕上がれば問題無いでしょう。……ええ、そうです。敢えて取材を受けて貰います」


 開耶勇気相手の交渉はそれ程手間では無かったが、これと言った弱みが無い相手である事を詐欺師は面倒と感じていた。

 岬大五郎と比較するならば厄介と言っても差し支えない。


「既に岬先生には引き合わせてあります。岬先生は手紙の件を知りませんので、小三塚一郎にこちらの意図する印象を与える事は容易でした。嬉しい誤算でしたが、昔の事故に関して気持ちの整理が出来ていなかった様で……」


 発する声とは異なりその顔は男性の物である。それは詐欺師が平泉城後と名乗る時の顔であった。

 顔の造り替えは直ぐに出来るが、急拵えでは僅かな腫れが残ってしまう為可能であれば事前に造り変えておく様にしていた。


「岬先生には申し訳ないですが、囮になって頂きましょう。記事内容は過去の事故死に焦点を当てつつその人間性を中心に、と言う方向で既に誘導しています。……ええ、そうです。開耶さんは手紙の件以外は真実を語って頂ければ大丈夫です。ね、簡単でしょう?」


 詐欺師は電話と並行しながらキーボードを叩いていた。

 順調に作成される文章こそ今電話で小三塚を誘導して書かせると話している記事その物であった。


「え? ああ、それは心配しなくても大丈夫ですよ。確かな証拠では無いからこそ、こうして取材に出向いているのです。その事は平泉さんを通して確認して頂いております。ええ、その謝礼に関しましては……」


 あっさりと儲けを積み重ねながら、詐欺師は心の中でほくそ笑んだ。

 手間は掛かるし厄介ではあるがそれでも開耶勇気は良い鴨でしかないのだ。

 詐欺師が考える一番食えない相手は報酬を払えない人間であり、今回の件においては小三塚こそがその筆頭である。

 故に小三塚には大した報酬を期待していないし、元よりそこから報酬を得ようとはしていない。

 今回の狩場は小三塚を取り巻く環境なのだ。

 小三塚に関わる事に楽しみを見出している詐欺師であるが、同時にその周囲に儲け話の輪郭を見たからこその協力である。


「ええ、それでは今晩二人がお伺い致しますので。……いえ、私に対する報酬に関しては全て片付いてからで結構ですよ。ただ平泉さんに関する報酬は先払いでお願い致します」


 そうやって通話が終わる頃には記事は八割方書き上がっていた。

 詐欺師は軽く文章を見直してから、数カ所表現を修正してファイルを保存する。


「下拵えは完了って所かな」


 満足気にそう呟いてから、んんっと艶やかな声を漏らして身体を伸ばした。

 僅かに女性的な胸部のラインが絶妙に強調される。

 なんだか最近女性っぽさが強くなって来ているなと思いながら、顔は男のまま詐欺師は立ち上がる。


 冷蔵庫からパンと牛乳を取り出して胃に落とすと、ベッドの上に転がった。

 その瞳がとろんと溶けたかと思うと詐欺師は深い眠りに堕ちて行った。


 夢の中で詐欺師は小さな子供だった。


 力の無い子供だった。

 詐欺師は部屋の片隅で泣きながら縮こまっていた。


 部屋には鬼が二匹いた。

 赤鬼と青鬼だ。


 父親は家に居る時には常に飲んだくれていて赤く、母親は薬物濫用によって年中青白かった。


 鬼達は寄って集って詐欺師を蹴った。

 詐欺師は堅い殻で身を守り堪えていた。


 しばらく耐えていると、青い鬼が泡を吹いて倒れた。

 母親はある日突然死んだ。薬物中毒者のありきたりな末路だった。

 どうと床に倒れた青鬼の横で、赤鬼が首をへし折られて絶命していた。

 父親は殺されたらしい。詐欺師はその程度しか知らないが、恐らく仕事で下手を打ったのだろう。

 父親を殺したそれは黒い影だった。


 詐欺師の中でイメージの定まらない殺人者は、夢の中では決まってその様に表現された。

 詐欺師は感情の消えた顔でその影を見上げた。

 影は首の折れた死体を床に落とすと詐欺師に正対した。


 いつもであればその影は世界に広がって詐欺師は目を覚ますが、その時は違った。

 影の胸部に一つの顔が浮かび上がって来た。


「小三塚、一郎」


 子供の詐欺師は無感動にそう言った。

 小三塚の顔は何等感情を持っていなかった。

 冷たい瞳が詐欺師を見据えていた。

 詐欺師はその視線に強い殺意を幻視して、笑った。

 大人の詐欺師が笑う時の様な妖艶で上品な印象はそこには無い。

 それは無邪気な子供の笑い顔であった。


 影の両手が詐欺師の首へと伸び、詐欺師はそこに自らの喉を差し出した。


 そこで詐欺師は目を覚ました。


 時計を見て丁度いい時間だなと思う詐欺師は夢の内容を覚えてはいない。

 ただいつもより寝起きが爽快だなとか、その程度にはいつもとの違いを感じてはいたが。

 寝汗を掻いてもいなければ喉も渇いてはいない。いつもと変わらないのは夢を見た記憶が無い事。


 起き上がった詐欺師は顔を洗うと服を着る。

 平泉城後の服を着る。

 鏡を見ながら服や顔の微調整をして、詐欺師は小型のノートパソコンを立ち上げた。

 立ち上がりまでの時間を利用して身に着ける小物を選定する。

 全体的に野暮ったい色の無難な品を選ぶ。

 今日の主役は小三塚でありながら開耶勇気でもあるが、詐欺師は多少の調整をする以外は何の役割も無いのだ。


 そうこうしている間に立ち上がったノートパソコンを操作して、詐欺師は不満気に眉根を寄せた。

 画面は小三塚の現在地を示している。

 携帯電話に仕込んだプログラムが、内蔵されているGPSを利用して得たその情報を詐欺師へと送っている。


 場所は郊外の墓地。


 詐欺師の記憶が正しければそこは魚岩敬吾の墓地がある場所である。

 詐欺師の脳内で幾つかの情報が結びついて、幾つかの名前と一緒に岬美咲と言う名前が浮かび上がった。


「……しまった、名刺か」


 詐欺師は電池式の盗聴器を探しながら小三塚へと電話を掛ける。

 数コールで小三塚は電話に出た。

 開口一番現在地を問うと墓場だと即答された。


「へえ……」


 誰と居るのかを問い質したい衝動を、結局曖昧な感嘆詞を漏らすに留める。

 取り敢えず開耶勇気と会う約束を取り付けた事を伝えると、小三塚は素直に賞賛の言葉を述べた。

 その答えに詐欺師は若干得意げな声音で自画自賛した。


「それで一郎を迎えに残酷荘まで来たのだけれども」


 そして真っ赤な嘘を繋げる。

 不在をそれとなく非難したが、曖昧な言い回しでは小三塚に本意は伝わらず、言葉だけの謝罪が返って来た。

 思わず浅く溜息が漏れる。


「それで、墓場ってどこの墓場?」


 諦観の念で詐欺師がそう言うと、小三塚は郊外の墓場とだけ告げた。


「……」


 場所も把握していないのか。

 無言に乗せてそんな文句を伝えてみるものの、受話器の向こうからは暢気な空気が漏れ出て来るだけだった。


 しばらく無言を流しながら盗聴器を探していた詐欺師は、目当ての物を見付けて沈黙を破る事にした。

 取り敢えずその場で待機する事を命じると小三塚は了承の意を単音で伝えた。

 電話を切った詐欺師はばたばたと身支度を整えるが、それを邪魔する様に電話が鳴った。

 小三塚からだった。

 電話に出るなり要件を尋ねると、部屋からスーツを持って来るように要求された。

 実は残酷荘の前には居ない等と言えない詐欺師は、自身でも分かる程冷たい声で分かったとだけ答えた。


 小三塚は気にもしないであろうが、そんな寄り道をすれば移動に伴う時間が明らかに不自然になるからだ。

 場当たり的な嘘を吐くものではないと、詐欺師は少しだけ己の失態を省みた。


 大慌てで拠点を飛び出した詐欺師は法定速度を超過した速度で残酷荘へ辿り着くと、ばたばたと詐欺師の部屋に飛び込み盗聴器を仕掛けてから壁に掛けてあったスーツを引っ手繰る。

 スーツを抱えて車へと戻った詐欺師は再び法定速度を無視しながら郊外の墓地へと乗り付け、ぼけっと待っていた小三塚を後部座席に乗せると荒々しく発進した。


 ごそごそと着替える小三塚を時折ミラーで確認しつつ、詐欺師は平泉城後に関して小三塚に説明をする。

 小三塚は若干疲れた様な顔で生返事をし続けた。


 車は一時間程で開耶勇気の自宅前へと到着する。

 そこは閑静な住宅街に建つ小奇麗な家だ。

 のそのそと車を降りた小三塚のネクタイを直して、小言めいた最後の打ち合わせを済ませた詐欺師は呼び鈴を鳴らした。


 その後の展開は詐欺師にとって面白みの無い物であった。


 強いて挙げれば山田警十の転落死に僅かな金の匂いを嗅ぎ取った程度であって、詐欺師は小三塚が色々と尋ねる横顔を眺めているだけだった。

 一時間程度の取材が終了して、詐欺師ははっきりと疲れた表情の小三塚に代わって開耶勇気に礼を述べると、さり気無く小三塚を先に外へ出した。


「……これが例の」


 開耶勇気が小声で囁いて白い封筒を差し出した。

 詐欺師は無言で軽く頭を下げると、中身を簡単に改めて懐へと納めた。


 家の外に出ると小三塚は微塵も疑念の含まれていない視線を詐欺師へと向ける。


「良い鴨だったろ?」


 車に乗り込んだ所で詐欺師は裏と表でそれぞれ違う意味を込めてそう言った。

 ぐったりとシートにもたれ掛る小三塚は、視線だけを詐欺師へと向けた。


「気持ち悪い位良い鴨だった」


 小三塚のその言葉に詐欺師は笑顔を返して車を発進させた。

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