3日目
早朝、詐欺師は岬大五郎に今日の約束に関する確認のメールを送信してから昨日とは違った車に乗り込んだ。
それは優れた居住空間と高い馬力を備えた高級車である。
車内に持ち込んだのは小さな鞄が一つ。
中身は今日の仕事道具である。
それは名刺やボイスレコーダーと言った小三塚の為に用意した物が大半であった。
詐欺師の顔は坂下円花のそれに成形されており、化粧とウィッグによって美女風に仕上がっている。
香水は甘い香りが艶やかな印象を醸し出す物を選んだが、服装は非常にスマートで色気の薄い落ち着き方を選択した。
それは坂下円花として岬大五郎に見せて来た印象からずれない様に配慮しつつも、小三塚には余り見せた事の無い女性仕様を強調する目的があった。
小三塚と初めて出会った時はどちらかと言えば男寄りの恰好を好んでいたのだが、ここ数年は女寄りか完全に女の装いを選択する機会が多かった。
それは詐欺師の嗜好では無く、ただ単にその方が色々と謀り易いと言った理由であった。
特に岬大五郎に関しては残念と表現するより他無い仕上がりの娘と比較する形で、坂下円花と言う名の若く有能な女性に対しては親の様な目線で好感を持つので尚更である。
詐欺師も岬美咲に関する岬大五郎の苦悩は同情の余地があるとは思っていたが、最終的には付け入る隙でしかない。
そんな細かな事情も余す所無く利用はするが、一番の付け入る隙は外聞を非常に気にすると言う所であった。
岬大五郎には隙が多い。
今回小三塚の要望を叶えるに当たってはそれらの隙を余す所無く利用した。
好き放題書かれるよりは坂下円花と言う法律の専門家と一緒に取材を受けた方がダメージは少ないと持ち掛けると、岬大五郎は取材を受ける事を受け入れざるを得なかったのだ。
その上で更に詐欺師は畳み掛けた。
「魚岩さんの無実を証明出来るかも知れない」
岬大五郎は保身に走る男であると同時に、魚岩省吾を信じる愚直な面を持ち合わせていた。
そう言った方向性の定まらない所が、岬大五郎を開耶勇気に比べて遥かに容易い人物と評価する由縁でもあった。
馬鹿であっても芯の強い開耶勇気の方が遥かに扱い難いのだから。
何にせよ岬大五郎には一切警戒する必要性を感じない。
詐欺師からすれば小三塚の事だけを考えていればいいのだからこれ程楽な事は無い。
残酷荘へと静かに乗り付けた詐欺師は非常に場違いな印象を振り撒いていた。
敷金礼金保証人不要の訳有専用ボロアパートに高級車に乗った若い女が踏み入る光景は非現実的でありながらも残念な事に現実であった。
詐欺師が小三塚の部屋に踏み込むと、小三塚はまだ眠っていた。
詐欺師は慌てず騒がず手荒に小三塚を叩き起こすと、半覚醒状態の小三塚を着せ替え人形の如く扱って昨日買ったばかりのスーツを着せた。
その際にさり気無く名刺入れをスーツの内ポケットに滑り込ませる。
最後は小三塚のネクタイを整えて、詐欺師は一人満足気に頷いた。
「寝足りない分は車内で寝て行けばいいさ」
その為に良い車で迎えに来たのだからねと、それらの詐欺師の言葉は小三塚の脳に到達しなかった。
詐欺師は手際良く半覚醒の小三塚を車中に誘うと、その車を静かに走り出させた。
小三塚が完全に覚醒したのはその三十分後である。
それまで虚ろな目で窓の外を眺めていた小三塚が、不意に口を開いた。
「そう言えば、岬大五郎とお前は、坂下円花ってのはどんな関係なんだ?」
詐欺師はその質問に相変わらず語彙選択が微妙だと思って眉根を僅かに寄せてからその意図する所を的確に答える。
そのまま話の流れで第一印象の偉大さを説いていた詐欺師は、ふと思い出して名刺の存在を小三塚に告げた。
小三塚が内ポケットの中身を検めて嘆息と共に感想を述べると、詐欺師は得意げな言葉を返した。
そんな風に他愛も無い会話をしながら車を走らせる事一時間。二人は目的地に到着した。
「ホテル?」
車から降りた小三塚は間抜けな声を漏らした。
そこは頭に高級と付くホテルだった。
ベルスタッフに車のキーを手渡した詐欺師は、小三塚の真横に立ってその腕を取り、歩きながら車中の会話の続きを楽しむ。
そんな他愛も無い遣り取りは岬大五郎が待つ部屋のあるフロアに到着した時点で終了する。
詐欺師は小三塚の横からついと離れると、その思考は仕事仕様へと切り替わった。
「最初に私から小三塚さんを紹介致しますので、お話はその後でお願いしますね」
事務的にそう言って小三塚に背を向ける。
頼まれた手前手抜きをする気は無い。
詐欺師は小三塚に気取られない様に深呼吸をしてから、扉を数度ノックして岬大五郎に声を掛けた。
室内から堅い声で返事が返って来る。
小三塚を従えて室内へと入った詐欺師は、岬大五郎に一旦営業スマイルを見せてから神妙な面持ちへと切り替える。
社交辞令の遣り取りを手短に済ませてから小三塚を紹介し、詐欺師は数歩後ろに下がった。
そこから先は小三塚の領分である。
ぎこちなく名刺を差し出す様子に内心ハラハラした詐欺師であったが、それも小三塚が喋り始めれば消え去った。
「昨日お話した通り、小三塚さんは魚岩さんが無実である事を証明出来る、かも知れません」
普段あれだけ語彙選択が微妙な小三塚だが、それが取材になると慎重に言葉を選び始める。
「小三塚さんの持っている情報の全てを明かす事はできません。情報源に対する守秘義務があるからです」
詐欺師は要所要所でフォローを入れながら、小三塚の言葉に耳を傾ける。
「自分があの事件の真犯人だと、そう言っている人物がいます」
詐欺師の予想が正しければ、小三塚こそ魚岩省吾の犯行とされた一連の殺人事件の真犯人である筈だ。
「しかし、証拠はありません。現状では裏付けが取れていないのです」
詐欺師は小三塚の言葉と表情からその裏付けを取ろうとしていた。
「非常に残念ながら、事件は終わってしまっているのです。魚岩さんの有罪は確定してしまっているのです」
そう言った小三塚は、言葉を詰まらせて顔に悔しさが浮かべた。
額面通りに言葉を受け取るならば魚岩省吾の無実を信じている様にも聞こえるが、詐欺師はそこに違った側面を垣間見る。
「小三塚さんが行っている取材も、本来なら事件を回想する取材なのです」
小三塚の沈黙が不自然にならない様に言葉を挟む。
「自称真犯人の情報もそれだけで三流記事にはなるでしょう。けれども、曖昧なままの情報を記事にしても魚岩さんの無実は証明されませんし、小三塚さんはその様な半端な仕事を望んではいません」
詐欺師はそう言いながら岬大五郎が視線を泳がせた隙にちらりと小三塚を盗み見る。
小三塚は何故だか呆れた様な顔をしていた。
その表情の意味が理解出来ずに内心首を傾げる詐欺師の前で岬大五郎が感情的に言葉を吐き出す。
岬大五郎の発言に小三塚が露骨に困った表情で詐欺師を見た。
詐欺師は自分で何とかしろと言う思いを込めて視線を送ると、小三塚はそれを理解したのかしなかったのか、言葉を発し始めた。
それを見た詐欺師は、分かり易く本心を吐露している表情だなと思った。
「僕は、魚岩少年が、殺人を騙った理由を、知りたい」
そして詐欺師はその言葉で、小三塚の真意を察した。
そして納得した。
小三塚は犯罪を成し遂げた事を誇りに思うタイプの人間だと、納得した。
それは詐欺師には無い感覚である。
熱の籠った言葉を交わす小三塚と岬大五郎を、自分が別の部屋から見ている様な錯覚が詐欺師を襲った。
それでもそろそろ頃合いだと判断して、詐欺師はボイスレコーダーを取り出すと二人の間に差し置いた。
小三塚が頼もしい人物を見る目で詐欺師を見たので、詐欺師は誇らしげに片眉を上げて応えた。
そうやって始まった取材は途中詐欺師が何度か的確なタイミングで適切な言葉を挟んだ甲斐もあって順調に終わった。
「どう思った?」
帰りの車中で、矢鱈達成感を放出する小三塚に詐欺師は言葉を投げた。
このまま放っておいたらそれだけで満足してまた隠遁生活に戻ってしまいそうだと、詐欺師はそんな事を危惧たしたのだ。
「死んだ部員ってどんな奴だったんだ?」
小三塚から返って来た言葉は詐欺師の期待した物とは少しずれていた。
取材中あれだけ開耶勇気の存在を強調しておいたのに何故そこに食い付くのかと言う不満はおくびにも出さず、知っている事を答える。
とは言え知っている事はそう多くも無い。
死んだ部員についてはいずれ調べる予定でもあった。
「取り敢えず、他のメンバーにも会いたい」
小三塚は最後にそう言って眠そうな顔をした。
開耶勇気へ小三塚をどう紹介するかを考えながら、詐欺師は残酷荘に向けて車を走らせた。




