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プロローグ

 それは魚岩省吾の死刑が執行されてから三日後、殺人鬼がバス停前のベンチに腰掛けて呆けていた頃の事である。


 詐欺師は開耶勇気に呼び出されていた。

 渡された手紙を一読してから、詐欺師はこの手紙を元にどう利益を得るかを考えながら開耶勇気を見据えた。

 詐欺師は開耶勇気を馬鹿真面目なカモだと信じて疑わないが、実際の所まさかそこまで馬鹿真面目だとは思っていなかった。


「どうして今までこれを隠していたのでしょうか?」


 そう問い掛ける詐欺師は坂下円花である。

 知的な顔に僅かな怒りを演出させて、その内側では状況を楽しんでいた。


「この手紙の存在は公表しないと、約束していましたので」


 開耶勇気の返答は詐欺師の予測を裏切らなかった。

 どこまで馬鹿真面目な馬鹿なのだろうかと詐欺師は心底呆れた。

 それと同時に納得もした。

 開耶勇気は馬鹿真面目なのだ。


 例えば岬美咲の様に魚岩省吾を盲信している訳では無い。

 例えば岬大五郎の様に世間体を基準に保身をしない。

 基本的には骨の髄までお人好しであり馬鹿真面目であり単純である。


 その開耶勇気が魚岩省吾の無実を、本人が否定する無実を強固に信じる理由が詐欺師には理解出来ずにいた。

 その疑問は魚岩省吾から預かったと言う手紙によって解消した。

 開耶勇気の行動に複雑な理由は無かったのだ。

 ただただ友人として魚岩省吾の願いを受け入れただけなのだ。

 殺人犯として裁かれる事によって母親殺しの罪を灌いで死にたいと言う、破滅的な友人の願いを受け入れただけなのだ。


「それでこの手紙を公開するのですか?」


 頭のノートに今後の脚本を書き連ねながら詐欺師がそう言うと、開耶勇気は少しだけ表情に苦悩を滲ませて公表しないと断言した。


「約束ですから」


 付け加えられたその言葉に詐欺師は大凡完成していた今後の脚本を一旦白紙に戻した。


「裁かれた記録は消してはいけないと思うのです」


 どこまで馬鹿真面目なのだろうかと詐欺師はより一層呆れた。

 それと同時に何かの約束を交わす場合これ以上に適切な人選は無い物だと、魚岩省吾の慧眼に感服すらした。


 実際の所魚岩省吾がそこまで予測して手紙を託したのかは分からない。

 魚岩省吾はもう遺骨になっているのだろうから。

 詐欺師は手元の手紙に視線を落とす。

 紛うことなき真犯人からの犯行声明は、魚岩省吾が殺人犯として証言した内容のほぼ全てが記されていた。


 否、それは逆だ。


 魚岩省吾が殺人犯として証言出来た内容は、この犯行声明に記された内容だけだったのだ。

 魚岩省吾が記した文字は現時点で確保出来ていないが、恐らく岬美咲が持っているだろうと詐欺師は予測していた。


 あのストーカーならばまず間違いなくそれを保有しているだろう。


 そして詐欺師は本当の殺人犯に対しても少しばかり呆れた。

 間抜けな事に本当の殺人犯は自筆で犯行声明をしたためているのだ。


「僕の生きている間は、真実は露見して欲しくないんです」


 詐欺師が開耶勇気の方を見るとそこには深々と頭を垂れる馬鹿がいた。

 そこまでしてお願いする内容だろうかとかそんな疑問はさて置き、詐欺師は何故それを自分に頼むのかと問い掛けた。

 それに対して開耶勇気は、死刑執行直後の今を乗り切るのが大事だと思った事を不明確な理屈と共に伝えて、その後に一言付け加えた。


「坂下先生は信頼出来ると思いましたので」


 生粋の詐欺師を信頼すると言う台詞に詐欺師は努めて感情を隠した。

 ある意味でその信頼は間違っていないのかも知れない。

 要するに何かしら真実が露見しそうな事があれば詐欺師が阻止すればいいと言う事だが、十分な報酬が用意されるのなら詐欺師はそれを遣り遂げるからだ。


「分かりました」


 そう返答すると開耶勇気は少しだけはにかんだ。

 何が分かったのかは詐欺師にもよく分からなかったが、そう返事するのが一番利益を誘導出来ると判断した。


 その頭の中では先日詐欺師が橋場悟と言う名前で仕上げた仕事を思い出していた。

 それは坂下円花として得た情報とある出版社へと横流しするだけの非常に楽な仕事だった。

 その非常に楽な仕事を終えた詐欺師は、当然ながら開耶勇気が守る約束を脅かす存在の一つを知っているのだ。

 そしてそれらが絡むであろうこの先の仕事もまた、楽な仕事だと詐欺師は思った。


「何かありましたら連絡を下さい。私の方でもアンテナを立てておきますね」


 詐欺師の仕事は大体がこのパターンなのだ。

 無数の名前と顔を使って相対する勢力のどちら側にも潜り込み、事態を丸く収める。

 だから詐欺師の詐欺はその全てが露見しない。


「お願いします」


 頭を上げた開耶勇気が安心した顔でそう言った。

 詐欺師は微笑みながら手紙を返そうとして、少し考えてからそれを止めた。


「この手紙は預かっておいてもよろしいでしょうか?」


 その提案の理由の大半は、人の目に触れた時点で詐欺師の利益を損なう手紙をこんな間抜けの手元に放置する事に対する不安からだった。


 しかし、比率にしたらほとんど存在しない程度だが別の理由もあった。

 確信も無ければ断定も出来ないのだが、手紙の字に見覚えがあった気がしたのだ。

 そんな詐欺師の思惑は悟られる事も無く、お人好しな馬鹿は手紙の所有権を放棄した。


 この時点で詐欺師は開耶勇気から報酬を毟り取れると確信していた。

 詐欺師に支払われる報酬は今回も正当な対価として認識されるだろう。

 実体は酷いマッチポンプなのだが。

 差し当たって橋場悟の提供した情報がどう使われるかが今後の脚本に影響しそうだと、詐欺師はそこから取り掛かる事にした。

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