七日目或いは名探偵の登場
殺人鬼は現金と便箋を眺めながら釈然としない面持ちで座っていた。
それらは現金書留として送付され、送り主は名賀だった。
金額は十万円。
便箋に書かれた内容から分かる事はそれらが殺人鬼へ宛てた報酬だと言う事と、殺人鬼が送付した原稿は大変役に立ったと言うお礼だった。
釈然としないのは原稿を送付した覚えが無い事もそうだが、最たるはそもそも名賀の依頼を引き受けた覚えが無い事である。
留守番電話に録音されたメッセージと一方的に送られた資料が名賀との間にあった今回の取材に関連する遣り取りの全てであり、それらは漏れなく名賀から殺人鬼へ向けた一方通行の遣り取りである。
殺人鬼は色々と考えてから、面倒になって名賀へと電話を掛ける事にした。
契約してから碌に使っていなかった携帯電話を手に取り、現金書留の封筒に記載された送り主の電話番号に電話をする。
数コールで電話は取られ、受話器の向この女から繋がった先が雑誌の編集室である旨が伝えられた。
殺人鬼が自分の名前を伝えて名賀への取り次ぎを要求すると、電話に出た女は名賀が他府県へ出張中で不在である旨を伝えた後事前に預かっていたと言う伝言を殺人鬼へと述べた。
それは原稿の出来を絶賛する物であったと言う事だったが、その原稿の内容を殺人鬼は知らない。
聞きたい事は山程あったが何から聞けば良いのかが分からない。
殺人鬼が曖昧な相槌をしつつ考えを巡らせようとしていると、受話器の向こうで女がこんな事を言った。
「それにしてもあの助手さん優秀な方ですね」
助手。
殺人鬼はその単語の意味する事を探して逡巡し、その単語をオウム返しした。
「助手」
殺人鬼のその言葉に対して受話器の向こうで女は勝手に意味を見出して会話を続ける。
「ええ、四宮さん何か仕事出来ますってオーラ凄いですよね。そう言えば四宮さんの名前あれ何て読むんですか? ヒカリさんです? ヒカルさんです?」
殺人鬼はその質問に対する答えを持ち合わせていないし、四宮さんなる人物に全く心当たりは無い。
「そもそも四宮さんって女なんですか? 男なんですか?」
性別不肖の謎の人物。
殺人鬼の中で四宮さんなる人物の心当たりが突然発生した。
しかし結局その質問に対する正解は存在しないので、受話器のむこうの女に対する回答は存在しなかった。
「詐欺師だ……」
唸る様な呟きに電話口の向こうから怪訝な声が返って来たが、その時点で殺人鬼は電話口の向こうの事等知った事では無かった。
取り敢えず殺人鬼は詐欺師に電話を掛ける為に無意味な通話を強制終了させた。
間髪入れずに電話帳に唯一登録されている詐欺師の電話番号へと電話を掛けると、こちらもまた数コールで電話は繋がった。
「四宮の下の名前は何て読むんだ?」
開口一番、よりによってその質問である。
「ヒカルだが?」
詐欺師は動じる事も無くそう答えた。
「何だ、報酬はもう届いたのか?」
そう言って詐欺師はころころと笑った。
「原稿の内容はどんなだったんだ?」
その問い掛けに対して詐欺師は今から話に行くと言って、そこで通話は途切れた。
殺人鬼は携帯電話を折り畳み、状況をを整理しようとした。
「……詐欺師に聞けばいいか」
理路整然と投げ出された情報を元に、考えるだけ面倒だとそんな結論に達する。
携帯電話を適当に放り投げ万年床に背中を放り投げた殺人鬼は、天井の染みを眺めながら、昨晩の事を唐突に思い出した。
「ああ、手紙」
そう、手紙である。
殺人鬼が、殺人鬼として投函した手紙である。
それは俗に言う犯行声明の類であり、昨日の夜までその存在を忘れていた手紙である。
確かあれは手の届く範囲にあった筈だと殺人鬼は寝転がったまま部屋を見回して、目当ての資料を探す。
それは左手の届く範囲に放置されていた。
手元に手繰り寄せ、俯せになってそれを読み漁る。
その資料は殺人鬼がと岬美咲が書き加えをした事件発生から逮捕までの流れが記された書類である。
流し読みしつつも五分程で全体に目を通した殺人鬼は、やっぱりそうだと呟いた。
五日目に目を通した時にその資料には殺人鬼の記憶との相違点は見当たらなかったし、それは今読み返しても変わらなかった。
しかしながら、欠落が存在していた。
もしそれが欠落した理由が記載漏れで無ければ、それは世間一般にそれが存在しなかったと言う事だ。
欠落していたのは一通の手紙に関連した情報。
残酷荘から程近い場所に本社がある大手テレビ局に宛てた、殺人鬼として書いた手紙。
それは五人目を殺害した後に書いた犯行声明とも言える手紙である。
その内容は夜野マリアの殺害方法と死体を遺棄した場所。
資料に犯行声明に関する記述が一切ない事を確認した殺人鬼は一つの憶測に行き着いた。
それは推理或いは推論の類では無い。
状況証拠としては不十分で半ばこじ付けに近く憶測と言うより他無い考えであったが、殺人鬼はこれが事実であると意味の無い確信を持った。
それに至る材料は少ないが、それを補強する為に殺人鬼は藍色の紙袋を目で探す。
それは万年床からは手の届かない場所にあったので、殺人鬼は匍匐前進で距離を詰めてから手を伸ばす。
紙袋の中には公判の内容と刑の確定後が書かれた三冊目の資料が入っていた。
一日目に移動中にでも目を通そうと紙袋に仕舞い込み、そのまま日の目を見る事の無かった資料である。
その資料の中で殺人鬼が必要としているのは公判の内容だけであり、更に言うならその中でもたった一つの事柄に関する記述だった。
その一文が記されているのは初公判の部分、初日に検察側が述べた魚岩省吾が殺人鬼だと断定した理由。
それは俗に秘密の暴露と称されるモノ。
取調べの際に被疑者自白した真犯人でしか知るはずのない事柄について検察が述べる部分。
資料に記されていた秘密の暴露の内容は二点。
夜野マリア正確な殺害方法と、死体を遺棄した正確な場所。
これらの二点を魚岩省吾が正確に自供した事により検察は起訴へ踏み切ったのだ。
殺人鬼はそこで三冊目の資料を読む事を止めたが、その先を読み進めれば最終的に魚岩省吾が殺人鬼だと断定された理由が秘密の暴露のみに起因している事、更には弁護側が最後まで一件目から四件目の犯行に関する供述が不完全である点を指摘し続けた事を知ったであろう。
魚岩省吾が正確な供述をした部分は夜野マリア殺害に関する僅かな部分だけであった。
だが殺人鬼にとってそれらはもう重要な事柄には成り得ない。
殺人鬼頭の中は犯行声明を書いた事に対する後悔で埋め尽くされていた。
あの手紙を書かなければ咎を失う事は無かったであろう。そんな後悔だ。
手紙が届かなかった。それは間違いない。
殺人鬼の中では、手紙がテレビ局に届けられず魚岩省吾の手に渡ったのは明白であった。
その手紙の内容を見て、殺人鬼の咎を奪い自首した。
手紙が魚岩省吾の手に渡った経緯もまた憶測でしかない。
その憶測を支えるのは魚岩省吾が配り切れなかった郵便を隠したと言う情報のみ。
魚岩省吾が郵便をどこに隠したのかは分からない。
もしかしたらそれは自宅等のゆっくりとその手紙を確認する事の出来る場所だったのかも知れない。
もしかしたら殺人鬼の手紙は他の手紙に紛れて魚岩省吾の手に渡ったのかも知れない。
郵便が間違った場所に届く可能性も零では無い。
だからこそ書留等のオプションサービスが存在するのだ。
殺人鬼は、殺人鬼である。
推理小説における名探偵には成り得ない。
殺人鬼が推理をしたとしても、それが真実である必要も真実であると証明がする必要は無い。
殺人鬼は理不尽で不条理で一方的な存在であり、そこに理性が存在する必要は小指の甘皮程も存在しないのだ。
事実を証明するのは名探偵が請負う仕事である。
殺人鬼は名探偵には成れない。
名探偵は他に居るのだ。
深く後悔する殺人鬼は、部屋の扉がノックされる音を聞いた。
殺人鬼は立ち上がる。
後悔は深いが致命的では無い。
その顔は妙にさっぱりしていた。
もし殺人鬼がその時鏡を見たとしたらその目に見覚えがあった筈だ。
その表情は昨日この部屋で魚岩省吾は裁かれたかったのだと語った岬美咲に良く似ていた。
岬美咲が昨日この部屋で魚岩省吾が自首した動機に納得した様に、殺人鬼もまた今この瞬間に納得したのだ。
殺人鬼は魚岩省吾が自首した動機をそうする事が出来たからだと納得したのだ。
同時に思い出したのだ。
それは殺人鬼が人を殺す理由と同じであったと。
動機に深い意味は必要無い。
人を殺す事に確固たる理由を求めてしまったからこそ、殺人鬼は人を殺せなくなっていたのだ。
殺人鬼は自らが殺人を犯す動機もまた知りたかった。
しかし殺人衝動に動機は無かった。
だったら魚岩省吾にだって動機は無いのだと、殺人鬼は納得した。
それはそう出来る状況があったからそうなっただけであり、そう出来る状況を作り上げたのは他ならぬ殺人鬼自身だったのだと、納得した。
ならば魚岩省吾に対する感情は逆恨みでしかないと殺人鬼は考えた。
それは例えるなら殺人鬼に殺された者が殺人鬼を恨む様な荒唐無稽な感情だと殺人鬼は思った。
そうやって吹っ切れた殺人鬼は迷いの無い足取りで玄関へと歩き、力を込めて歪んだ扉を上げた。
「待たせたかな?」
そこには、詐欺師が居た。
今日の詐欺師は男の姿をしていた。
「今は、四宮光か?」
殺人鬼は知っている詐欺師の名前の中で、つい先程知ったそれを呼んだ。
対して詐欺師は小さく頭を振ってそれを否定した。
「いいや、今日は橋場悟、橋場探偵社の橋場悟だよ」
シニカルな笑みを浮かべる名探偵が、そこに居た。




