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六日目

 殺人鬼は朝早くから起きていた。

 正確には朝早くから叩き起こされた。

 事実を忠実に描写するのであれば蹴り起こされた。


 起こしたのは岬美咲である。

 殺人鬼は岬美咲に合鍵を渡した覚えは無かった。

 どうやって部屋に入って来たのかが気になったが、朝起きたら詐欺師が平然と部屋にいる光景を幻視してそうそう変な状況では無いのかも知れないと思った。

 何かの基準にするには詐欺師が二十分に異質な人間である事はさて置かれた。


「要約すると」


 感情的になっている岬美咲を両手で制して、ろくすっぽ頭に入っていない話の内容を要約しようと頭を捻る。


「お母様まじ最悪?」


 若干所では無い程古い言い回しに、岬美咲は激しく同意した。


「しかし、よくそこまで聞き出せたな」


 岬美咲が魚岩省吾の母親を調べると決めたのは一昨日の事である。

 その調査の結果はもう出ているのだから、岬美咲には記者の才能があるのかも知れないと殺人鬼は僅かばかり感心した。


「十時間くらい粘着すれば大体の人間は精神的に疲弊するものよ。ド田舎だったから国家権力を警戒する必要性もあんまり無かったし」


 本当に記者の才能があった様だと殺人鬼は重ねて感心した。


「閉鎖的な村だったから今まで情報が出て来なかったみたいね。どうやら村の恥と見做されていたみたいだから」


 岬美咲は忌々しそうな表情でそう言った。


「子供の省吾にとって味方はお父様だけだった様ね。あの村じゃ移住した人の孫ですら部外者扱いだから」


 時代遅れなのよと言う岬美咲は明らかな怒気を放っている。

 殺人鬼はそんな閉鎖社会の中で跳梁跋扈する岬美咲を想像して、何の違和感無くその光景を受け入れて受け流した。


「つまり、部外者を躾けられずに、逆に殺されてしまった魚岩真実は、村の恥である、と」


 殺人鬼の中で深山未夏と魚岩省吾が酷く似ている様に思えた。

 その二人を結びつけたからこそ、一つの安易な推論が湧いて出た。


「案外、母親を殺したのは魚岩省吾」


 案外母親を殺したのは魚岩省吾だったりしてと言い掛けて、殺人鬼は失言だったと口を噤んだ。

 目の前には魚岩省吾教の信者みたいな女が居るのだ。

 迂闊にも程がある発言である。

 岬美咲は不快感を表情に乗せて不快だわと非難した。

 その上でその可能性も否定出来ないけれどもと付け加えた。


「でも悪いのは全てあの女よ!」


 そう言う岬美咲の目は酷く濁っている様に見えて、村での魚岩父子は余程酷い扱いだったのだろうと想像した。


「それで、何と無く分かった気がした」


 その後も延々と愚痴を吐き出し続けていた岬美咲が、不意に毒気の抜けた表情を作ってそう言った。


「分かった、とは?」


 何もわかっていない殺人鬼が聞き返すと、岬美咲は数秒目を閉じて沈黙した。

 その頭の中で感覚で理解した内容が明文化される。


「嘘の罪を進んで被った、理由」


 目を閉じたまま囁かれたその言葉は殺人鬼が心底欲する事でもある。

 殺人鬼が息を呑む。

 静かに双眸を見開いた岬美咲は殺人鬼の顔を真っ直ぐに捉えながら、それでいてここではないどこかを見て推論を語り始めた。


「どちらも有り得る。省吾があの女を殺してお父様が罪を被ったケースも、省吾を助ける為にお父様があの女を殺したケースも、どちらも」


 そこで一息間を置いた岬美咲は、ゆっくりと息を吸い込む。

 昂る自身を抑える様に、混乱を落ち着ける様に。


「ちょっとそれ見せて貰ってもいい?」


 そう言って岬美咲が指差したのは、昨夜殺人鬼が書き加えた資料だ。

 岬美咲は殺人鬼の部屋に入った時に書き加えた頁を広げたまま無造作に置いてあった資料を見ていた。

 一応は名賀が勤める出版社の部外秘資料であるそれを、殺人鬼は何の躊躇も無く岬美咲に渡した。

 岬美咲は足りない部分があるねと言うと、殺人鬼に許可も取らずに資料に文字を書き加えた。


★00年 4月・お父様死去。

●00年 8月・登山部の事故

● 同年 9月・高校を中退

○00年10月・一人目の被害者水木羊子

●01年 1月・新聞配達のアルバイト

● 同年 同月・拠点縮小に伴う事務所閉鎖の為失職

○01年 2月・二人目の被害者佐藤花緒

● 同年 3月・塗装会社に準社員として採用

● 同年 7月・会社の倒産に伴い失職

○ 同年 9月・三人目の被害者金尾良子

● 同年10月・コンビニのアルバイト

● 同年11月・閉店に伴い失職

● 同年12月・郵便局のアルバイト

○02年12月・四人目の被害者御堂美智

●02年 1月・郵便局のアルバイトを辞職

○ 同年 6月・五人目の被害者夜野マリア

○ 同年 8月・魚岩省吾自首


 お父様死去。

 その文字を見た殺人鬼は最初その重要性を理解出来なかった。


「省吾が、最後の肉親を失った日」


 殺人鬼の顔からそれを察した岬美咲はそう補足した。


「私ではお父様の代わりには成れなかったって事よね……」


 岬美咲が寂しそうにそう言った後で、やっと殺人鬼はその意味を悟った。

 肉親を失った痛みは全く理解出来なかったが、それを自身が咎を奪われた時の喪失感と置き換えて、つい数日前に完全に咎を失った時の落失感と置き換えて、初めて殺人鬼は魚岩省吾の気持ちを理解出来そうな気がした。

 大切な物が永遠に失われれば苦しい。


「何だ、俺と同じ普通の人間じゃないか」


 普通の人間。

 殺人鬼の本性を知る人が聞けば違和感で苦しむその発言は、岬美咲には真っ当な意味で解釈された。

 そうねと一言呟いて岬美咲は一筋の涙を流した。

 それが悲しみから来る涙なのか、悔しさから来る涙なのか、怒りから来る涙なのか。

 岬美咲にも分からなかった。


「省吾の自首は、絶望から来る自殺と同じなのかも知れないわね。恋人を守る為に同窓生を過失で殺してしまって、その苦しみを恋人に相談出来ず、相談出来る筈のお父様はもう居なかった」


 恋人だと思っていたのはお前だけだと思うと言いたいのを必死に堪える殺人鬼に、岬美咲は悲しげな微笑みで知ってるかしらと問い掛けた。


「省吾が最後の仕事を、郵便局のアルバイトを首になった理由」


 昨日気になった事柄を持ち出された殺人鬼の顔に興味の色が滲んだ。

 その色を見て取った岬美咲は、意地の悪い笑みを浮かべてストーキングによって得た情報を語る。


「上司が毎日無茶な仕事量を押し付けてね、省吾は追い詰められて配達しきれない手紙を隠したのよ」


 余りに普通な理由に殺人鬼は拍子抜けした。

 確か法律で罰則が定められている行為だと思い至り、そして別の疑問が浮かんだ。


「普通、報道されるのでは?」


 そんな分かり易い前科があれば名賀の寄越した資料にも書かれている筈である。

 殺人鬼は全ての資料の隅から隅までじっくりと眼を通した訳では無いが、それでもその情報は初耳だった。


「省吾の同僚でそれより重い犯罪をやらかし馬鹿がいたのよ。で、そこの局長が些事でしかない省吾は首切って隠蔽したの」


 昨日来た配達員が魚岩省吾の名前を聞いて堅くなったのはそのせいかと殺人鬼は納得した。


「山田の件に関してもパパが隠蔽したのが不満だったみたいだし、あの女を殺したのも仮に省吾だったと、いいえ、そうでなくても、優しくて真面目な省吾ならどう思うのか、それが私には分かる」


 殺人鬼にはその理屈ではさっぱり分からなかった。

 分からなかったので岬美咲の言葉に耳を傾けた。


「裁かれたかったのよ。出来心で郵便を隠した罪を、過失で山田を殺した罪を、あの女を殺した、或いはお父様に人を殺させてしまった罪を、裁かれたかったのよ」


 晴れ晴れとした顔で語られる岬美咲の理屈を、殺人鬼は苦心しつつも何とか呑み込めた。

 魚岩省吾によって苦しんだ体験で何とか理解する事が出来た。


「分からなくも……ない、かも、知れない」


 殺人鬼が魂から絞り出す様に漏らしたその言葉に、省吾は優しいからと岬美咲は誇らしげな顔をしてそう言った。


 しかし殺人鬼は、どちらかと言えばそれらとは異なる要素が大きな役割を果たしていたのではないかと考えていた。


 天涯孤独の身で高校を中退。その後安定的に職を得る事が出来ずに経過した二年。

 魚岩省吾の経済状態に関しては資料には詳しく書かれていなかったが、間違っても余裕は無かったと想像出来た。


 図らずとも殺人鬼もまたそれを体験している。


 期間は僅かな間ではあったが、魚岩省吾が処刑されてからの日々は絶望の中に先行きの見通せない不安が影を落としていた。

 きっとその絶望が薄れた時に不安に押し潰されて生きて行くのを諦めるのだろうと、殺人鬼は実体験からそんな確信を得ていた。

 無言になった二人はその後もしばらく書き加えられた資料をじっと見詰めていた。


「記事にしてもいいわよ」


 先に言葉を発したのは岬美咲だった。

 その台詞は本来の傲慢さを取り戻していて、先程まで囚われていた悲しみの中から早くも立ち直っていた。


「きっと省吾は満足して死んでいったのよ。省吾が幸せなら私は幸せだし、死ぬ瞬間に幸せだったのなら不幸になる事は未来永劫有り得ない訳だからね」


 一方的にそう言い放った岬美咲は、どこまでもさっぱりとした顔で殺人鬼の部屋から去って行った。

 もう会う事も無いだろうと、殺人鬼は理由も無く確信していた。


 そして心底ほっとしていた。

 あの騒がしく姦しい女から解放されるのだと、心底ほっとしていた。

 両手を広げて背中を畳に投げた殺人鬼は、心底ほっとしながらも一つの疑問に囚われていた。


「何で、俺だったんだ?」


 恐らく殺人鬼に殺された者達が抱く疑問と一緒であろうそれは、悪足掻きの様な物だ。

 あっさりと吹っ切れてしまった岬美咲とは違い、殺人鬼は咎を永遠に失った喪失感を吹っ切れた訳では無いのだ。

 だからこそ取り返しのつかない喪失に対して何か理由があって欲しいのだ。

 更に言うのならその理由が納得の行く物であって欲しいのだ。


 それなら仕方ないねと、そう言える理由が欲しいのだ。


 岬美咲は魚岩省吾が幸せに死んでいったと納得して、それなら仕方ないねと吹っ切った。

 殺人鬼にはそんな事は出来ない。

 魚岩省吾が罪を求めて殺人罪を騙ったのだとして、それには到底納得行かない。

 だからこそ、選ばれた理由を欲するのだ。選ばれてしまった理由を欲するのだ。

 そんな理由で選ばれたのなら仕方ないねと、そう納得する理由が欲しいのだ。


 殺人鬼は苦しんで悩んで、気が付けば夕方になっていた。


 殺人鬼の腹が鳴った。

 朝から何も食べていない事を思い出した殺人鬼は何か食べに行こうと起き上がる。

 その視線が無造作に捨てられていた封書の所で止まった。

 それは名賀からの速達。


「手紙だ」


 その瞬間殺人鬼は昨日思い出す事の出来なかった記憶を思い出していた。

 速達を受け取った後思い出しそうだったその記憶。

 皮肉にも昨日は封書を見る事で霧散してしまった記憶が、今日は封筒を見る事で凝集した。


「そうだ、手紙だ」


 重要な事を思い出した殺人鬼は二度それを言葉にしたが、残念ながら今日と言う日は終わりつつあった。


「明日だな」


 そう言って殺人鬼は食べ物を求めて外に出た。

 手紙の行方、殺人鬼が四年前に投函した手紙の行方の捜索は翌日へと持ち越された。

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