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星詠みと流星  作者: 黒崎メグ
三章 オーロラの都と声無き者の使者
16/31

【2】

 耳が良いのはお互い様だ。

 リツェ自身もここまで耳が良い人間に出会ったのは初めてだった。他人の耳にはあの音はどんなふうに聞こえているのだろうか。興味をひかれ、リツェは女将さんに尋ねた。

「この国の人には、昨夜の音はどんな風に聞こえていたんですか?」

「さぁてねぇ、えらく断片的だったもんでなんとも言えないねぇ」

 やはり音は断片的だったようで、リツェは肩を落とした。

 リツェは以前にも耳が良いと言われたことがある。

 それを口にしたのは、リツェをここに寄越した張本人だ。

 金色の瞳と独特の声を持つ彼女に、リツェは人魚の伝承の残る港町で出会った。

 西の大国ドレナの北の端に位置するその港町は、大昔は軍港であったらしい。半島状にせりだした岬の先端には今は灯台として使われている小さな砦があり、奥まった湾内には湾の大きさに反して小さな木造の船が数舶停泊していた。

 昔はもっと大きな船があったそうだが、ロザン川の河口に軍港を移してからは、漁港として使われている。

 昼間は空にかもめが飛び、猫が昼寝をするような穏やかな港町だ。だが夜になると、半身に魚の鱗を持った人魚と呼ばれる怪物が人を海に誘うのだという。

 大昔におこった戦争でこの港から多くの兵士が送り出されたそうだが、誰一人帰ってこなかった。そのことから、生き残った者も海の怪物である人魚に食べられてしまったのだと人々には言い伝えられている。

 リツェは灯台からの夕陽を見たくて砦に足を伸ばした。町の者たちは暗くなった帰り道のことを心配していたが、リツェはそんなこと気にも止めていなかった。

 夜の音が伸びる感覚がリツェは好きだった。遠くまで澄んで響く波の音に耳を傾け、リツェは町の灯りを導にゆっくりと歩を進める。

 穏やかで静かな夜だった。思わず鼻歌を口ずさめば、波の音がリツェの歌に重なった。伸びやかにどこまでもその音は伸びていく。そんな錯覚さえ起こしそうになった時、音の波はそれよりも強い空気の震えに絶ち切られた。

 それは声なき歌だった。

 鳥肌がたち、音にならない空気の震えがリツェの心を震わせた。寄せては返す波のように、リツェの心に寄り添ったかと思うとすっとその身を翻す。

 それを歌と認識できたのは、きっとリツェの他にはいなかっただろう。伝承を恐れた人々は未だに夜の海には近づこうとはしない。ただ歌を耳にしたリツェだけは、誘われるまま夜の漁港に足を踏み入れた。

 この声の主が人魚であるのかもしれない。恐怖よりも先にリツェの心は期待が先行していた。

 夜を纏う薄暗がりの中、湾外を望むそこに彼女は町を背にして立っていた。月光が波に反射して彼女の長い黒髪が闇の中に浮かびあがり、身に纏う淡色の長衣の袖が彼女の呼吸にあわせて波打っている。

 リツェは彼女の歌を止めるのが忍びなくて、そっとその旋律に竪琴の音を重ねた。すると彼女の歌はぴたりと止んだ。

 竪琴の音が合わなかったのだろうか。リツェも手を止め、弦から顔をあげる。すると振り返った彼女の金の瞳に縫い止められた。

「見つけた、私の声」

 リツェの心に直接響いたそれは、やはり声なき言葉だった。


 そうしてリツェは今、彼女の声を届けるためにこの国にいる。

 彼女はそもそもこの国の人々の耳のことを知っていてこの遣いを任せたのだろう。

 もしかしたら、女将さんがあの時人魚の歌を止めたのは、他の理由があったのかもしれない。そんな疑惑すら浮かぶ。

「で、今日はどうするんだい。あまり眠れていないなら、掃除の時間さえ外してもらえりぁ休んでいてもいいんだよ」

「いいえ、今日は城へ行くつもりです」

「城へかい?」

「はい、申請がようやく通ったようなので」

 この国についてすぐにリツェが行ったのは、大公への謁見申請だった。国民の声を聞くために、大公は民に身分問わず謁見の機会を与えている。それがアルクトゥールスの団結の一助にもなっていることは、申請の窓口での兵の親切な対応からも明らかだった。

 けれども国民でもない一介の旅人がお目通りを願える人物でないことは明白である。それでも謁見が叶ったのは、リツェが遣いに出るときに彼女から借り受けた(にんぎょのなみだ)が、身分証の役割を果たしたからなのだろう。

 謁見許可の知らせをもった遣いがやってきたのは、昨日の夕刻のことである。

「そうかい、そうかい。あんたは声がきれいだ。きっと大公様もあんたの(こえ)を気に入ってくださるだろうよ」

 まるで自分のことのように喜ぶ女将さんとは対象的に、リツェはこれからのことを思うと気が重かった。


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