森の隠者と治癒の魔女
大樹の裾の深い森。
ここは太古の昔から魔女の森と呼ばれる地。
その入口に黒いローブを纏った母娘が抱き合っていた。
「気を付けてね」
「大丈夫よお母さん。町の話は聞いたもの」
別れを惜しむ母に娘は困り顔を浮かべた。
そんな二人の周りを囲む黒いローブの者たちが、
「良いかい、生水は飲むんじゃないよ」
「良いかい、金を無心するヤツは相手にすんじゃないよ」
「良いかい、心のキレイな男を選びな」
「王子はダメだ、貴族もね。あれらは弱っちくて役たたずで手練手管で絡め取られる」
「気を付けな」
「気を付けな」
やんややんやと口々に声を上げ、みな一様に『気を付けな』と声をかけるのだった。
「みんな、もうそのくらいにおし。さあさあ、出発の時間だよ。ロッテ、気を付けてお行き」
後ろから少し低い声がして、囲んでいた者の間に道が出来て、母娘の横にその女が並ぶと娘に、にこやかに微笑みかけた。
「はい。お母さん、みなさん、お達者で」
ロッテと呼ばれた娘はみなの顔を回し見てから小さく頭を下げて旅立ちの言葉と、ヒュンと言う風切り音を残して姿を消したのだった。
それから数年後、ある国の辺境の町の治療院でロッテは治癒士として働いていた。
辺境と言う土地柄、隣国との小競り合いに出ていく兵士や傭兵など怪我を負う者も多くいて、治療院はいつも目の回るほどの忙しさ。
ロッテは薬草の調剤が上手く、特に彼女の痛み止めと湿布薬の効き目は抜群で、それを求めて辺境騎士団の騎士まで通うほど有名になっていた。
薬目当てな者たちだけでなく働き者で明るく活発なロッテは、町の人たちにも愛されていて、愛嬌のある顔立ちで年頃の彼女には、周りから求婚の申し入れが次々に舞い込んでいた。
(でも、魔女の夫は『木こり』か『猟師』か『鍛冶屋』って昔から決まっているって、おばちゃん達に口が酸っぱくなるほど言われているもの。
兵士や傭兵、行商人って言うのは向かないのかしらね、そこら辺も聞いておけば良かったわ)
森を出る時に言われた先人の言葉を胸に秘めたロッテは、数多の求婚を華麗に躱して治療院での仕事に邁進する毎日を送っていたのだった。
(やっばー、不味いわ。奥まで来すぎてしまったみたい)
その日、仕事が休みだったロッテは森に薬草摘みにやって来ていた。
治療院での薬草は、多くは行商人から仕入れるのだが、町の人が採取した物でも状態が良ければ直接仕入れていて、それは治癒士たちでも同じであった。
臨時収入になる薬草摘みにロッテも休みの度に森に来ていたのだが、この日に限っていつもと違う方角へと分け行ってみれば、そこには『ヴァルトレーネ』と稀少な薬草が群生していて、しかも丁度薬効が高い状態の、白い花が咲いている所であった。
この薬草は、痛み止めに使える成分が多く含まれているので、飲み薬にも湿布薬にも使えるのだ。
ロッテにとってはお宝の宝庫で、夢中になって奥へ奥へと摘み進んだのだった、が。
頭上に濃い影がかかったのに気がついて顔を上げれば、ロッテのすぐ周りを、汚い身なりの男たちが取り囲んでいたのだった。
男たちは五人、目の前の目に傷のある男が手を伸ばして、ロッテを抱えようとしながら下品な笑みを浮かべていた。
(もうしょうがないわ、転移しちゃおうか)
基本、森を出た魔女は、魔女と言うことを隠して町で暮らしている。
だから魔法は使わないのが不文律ではあるのだが、でもだからといって、汚ったなーい男たちの慰み者になるくらいなら森の入口まで転移しちゃっても別に誰彼に叱られることもない、ので。
ハアとため息を溢して転移しようと思った瞬間、
「お前たち、何をしている!」
大きな声が後ろから聞こえて、パカラパカラと蹄の音もした。
ロッテを囲む男たちが声の方を向くと、猛烈なスピードで走り寄る馬上からシュッシュと矢が放たれ、それが男たちの腕や足に突き刺さった。
「あ、あれは森の熊、お前たちズラかるぞ!」
ロッテに一番近くにいた傷の男が叫ぶと、男たちが転がるように走り去ったのだった。
ロッテの近くまでやって来た男は、皮の鎧を身に纏い白いキレイな馬から飛び降りて、
「こんな奥まで女性が踏み込むものではない!」
これでもか、と言うほど眉間にシワを寄せ大きな声で怒鳴った。
「す、すみません。貴重な薬草を見つけて夢中で摘んでいたら奥に入ってしまって。助けて下さいましてありがとうございました」
男性に怒鳴られた経験の無いロッテは心臓が口から飛び出すほど驚いて、知らぬ間に目も涙で潤みブルブルと震えてしまった。
「あ、いや、すまない。君が無事で良かった、ああ、あのっその、大丈夫か、いや俺のせいだな。すまん、すまない、怖がらないでくれ、俺は君に乱暴を働かないから、ああ」
ロッテの怯えた様子に、破落戸の男たちに襲われそうになったばかりの女性を怒鳴り怯えさせてしまった自分の失態を恥じ、あたふたと慌てて謝った。
男は、皮の鎧の腰に括ってある袋からハンカチを取り出して、それをロッテに手渡すと、胸に手を当てて
「俺は、この森の番人をしているブルーノだ。あのような者を森に置いていた俺の失態だ、申し訳ない」
そう言って、頭を下げた。
ロッテは受け取ったハンカチで涙を拭うと
「いいえ謝罪など必要有りません。お気になさらず。助けていただいてありがとうございました。私は町の治療院で働く治癒士のロッテです」
と自己紹介をしてブルーノを見た。
見上げるほど大きな身体、上半身を皮の鎧に身を包んだ男は、焦げ茶色の髪に若草のような緑の瞳、スッと鼻梁が通っているが、その顔の多くを髪と同じ色の髭に覆われていて、年もロッテには予想が出来なかった。
だが緑の目は、涙を拭いたロッテを心配しているようで、気の優しい人柄が見て取れた。
「では森の入口まで送ろう」
そう言うと、馬の前にロッテを乗せて後ろから抱えるように手綱を握った。
馬に乗ったのも、人生で一番男の近くに寄ったのも初めてで、ロッテは声を上げずに心の中で悲鳴を上げたのだった。
(これが、おばちゃん達の言っていた運命の出会い、なのかしら!キャーキャー)
そんな出会いから、ロッテは借りたハンカチを返しにブルーノを探して森に行ったり、ブルーノが薬草摘みのロッテとばったりあったりと、何度も何度も会うようになって、その邂逅が偶然か意図的かはさておき、次第に約束を交わして会ったり昼を一緒に食べたりしながら、お互いの身の上話をするような、そんな気の置けない間柄となっていった。
ロッテは故郷は遠く一人で町で暮らし、ブルーノは母親が幼い時に亡くなると森の番人へと預けられ、成人してからは番人を継いで一人で鬱蒼とした森で暮らしていた。
そんな二人が仲を深めていって、そして、知り合って一年を越した頃、奥手なブルーノが息をするのも忘れるほど緊張しながらの求婚をして、ロッテは満面の笑みで受けいれて、森の奥の湖にある女神像の前で二人愛を誓って、夫婦となったのだった。
治療院を辞めてブルーノの森の家に引っ越したロッテは、その家が思っていた以上に大きく立派なレンガ造りの家であることに驚いた。
「ああ、ここは代々森の番人が住む家だ。だが気にすることはない、ここは俺が一人で住んでいるだけだから」
ブルーノの言葉に疑いようが無く、立派な造りながらブルーノが寝起きしている部屋以外は厚く埃が溜まっていた。
「まあまあ、これはやりがいがあるわね」
ロッテがチラリと非難めいた声を上げれば、ブルーノは身を縮ませて
「面目ない。俺も掃除をするから指示をしてくれ」
と言ったが、ロッテは首を振って
「大丈夫よ、あなたは自分の仕事をしてきて頂戴な。今晩のメインになるような美味しい獲物を狩ってきてね」
そう言って、家から追い出した。
それなら任せてくれ!と、ロッテの喜ぶ獲物を獲るぞと意気込んで、ブルーノが馬を駆け森の奥に行ったのを見送って、ロッテは屋敷の中に入ると、小さく手を振って一瞬で、魔法を使って、屋敷中の掃除を終えたのだった。
ロッテは森で薬草を摘み、調薬して薬を治療院へ卸すことにしたので、その為の部屋も確保し、夫婦の寝室、寛ぐリビング、日当たりの良いサンルーム、大きな台所と二人には広すぎる食堂、それと以前からブルーノが使っていた部屋は彼の私室、日常的に使用するのはこれらの部屋だけにして、それ以外の客間は布をかけて施錠した。
それでも町でロッテが借りていた部屋よりは部屋数も多く、広くて立派であった。
夕方近くになって、ブルーノが鴨と兎を二羽ずつ獲って帰ってきて上手に捌いてくれたので、ロッテがローストして上等な夕飯となった。
生活に必要な物は、ロッテが町に納品に行く時ブルーノと一緒に馬で行って、必要な物は市場でまとめ買いをして保管していたし、庭を耕して菜園にしたので採れたての野菜があったし、肉はブルーノが獲ってくるしで、不自由することはなかった。
(森の番人って猟師のことなのね)
ロッテはそう思って、新婚生活を楽しんでいた。
もうすぐ結婚記念日を迎えようとする頃、ロッテが妊娠したことがわかって、ブルーノは破顔して喜んだ。
ロッテもブルーノとの結婚生活を心の底から幸せだと感じていたのだった。
ところが、ある朝、森の屋敷を辺境騎士団が二重、三重に取り囲み、そこに大きな黒塗りの馬車が付けられた。
朝食の用意をしようとしていたロッテは、窓の外の異様な光景に息を飲んだ。
「な、なんなの?ブルーノ、なんかあったのかしら?」
ロッテの声に駆けよったブルーノも窓の外の状況を目にして、驚いて息を飲み、続いて眉間にシワを寄せて苦しげな顔をした。
そこに、ノッカーが響いて、
「辺境伯夫人がお越しです」
と声がかかった。
「辺境伯?辺境伯夫人って、領主様の奥さまってことでしょ?どうして?」
不思議そうな声を上げたロッテを背中に庇って、
「ロッテ、奥の客室に行っていて。すぐに」
ブルーノが厳しい声でそう言った時に、家の扉がガシャガシャと音がして開けられそうになっていて、それに恐怖を感じたロッテは、ブルーノに言われた通りに最奥の部屋に走って飛び込むと、鍵を閉めて扉を棚やテーブルでバリケードを作って閉じ籠り、風魔法を操作して、玄関での領主夫人とブルーノとのやり取りを聞いていた。
「人の家に何をする!」
ブルーノが厳しい声で非難するが、ガシャンと扉を蹴破って入ってきた騎士たちと執事に庇われた貴族の女は気にもせずに彼の前に進み出た。
「人の家だと?ここは領主の持ち物だ、つまり私の家の物。扉一枚蹴破った所で何の問題も有るまい」
女が嘲るような視線をブルーノに向けながら話し出した。
「だからといって朝から人の家に押し入って、まるで破落戸だ!なんのつもりだ」
ブルーノが精一杯声を張り上げて言い返した。
「ふん。忌々しい畜生風情が何をぞ抜かすか。お前、お前のような、出自の賤しい者を生かしておいてやったのはこう言う時に利用するために決まっているだろう。お前、生かしてやった恩を今こそ我らに返してもらおうか」
明らかにバカにした声で命令を言い放った夫人に、悲鳴のような怒声を上げてブルーノが
「何を、何を言うのだ!幼い俺の目の前で母を刺し殺し、殴りつけた後に俺をこんな森へと連れ去り幽閉しておいて、誰がお前たちに恩なぞ感じるものか!帰れ、帰ってくれ、帰れ、かえっ」
言い終える前に、騎士が左右からブルーノを捕まえその顔を、夫人が鉄扇を振り上げて力一杯バシンバシンと打ち据えた。
「お前のような者が私に話しかけるなぞもっての他じゃ!躾もなってない獣が!下賤な輩が!」
口汚く罵りながらバシンバシンと何度も打ち、ブルーノの額が裂けて血が飛び散った。
「奥さま、そのくらいになさいませ。大事な人質でございます」
暫くして横から侍従が声をかけ、騎士が夫人の前に入って壁となったので、チッと舌打ちをして打つのを止めた。
「っく。お前良く聞け、お前は下賤だ、下賤だが我が家門の血を引くことは間違いない。
だから名誉なことに、お前を隣国の辺境伯家に、我が辺境伯家の代表者として婿入りを命ず。お前に拒否権なぞないからな。だが、生意気にも、もし嫌だなどとつまらぬことを抜かすのならば、ここにお前が囲っている下賤の娘もその腹の子も、当然、どうなるか、わかっているな!」
夫人は苦々しくそう言い終えると、踵を返してさっさと馬車に乗り込み走り去った。
ブルーノは騎士に囲まれて連行されて、残された小さな馬車に押し込まれようとしたその時に、左右の騎士に身体を当てて体当たりをし、拘束が緩んだ隙にブーツの横に隠した短剣で騎士の腕を刺して、距離を取った。
「な!」
「この野郎!」
一瞬呆気に取られたが、直ぐ様気を取り直した騎士達が怒声を上げて、ブルーノに殴りかかってきた。
やたらめったらと殴られて、押さえつけられ、足で背中を踏みつけられたブルーノは最後の力を震い出し、
「ロッテ!ロッテ、逃げて逃げてくれ!ロッテ!」
そう屋敷に向かって叫んだが、ガツンと足で頭を酷く蹴り上げられて、とうとう気を失って静かになった。
気絶したボロボロで血だらけのブルーノを馬車に押し込んで、領主邸に向かう一方、残った騎士達は屋敷の部屋を捜索してロッテを探した。
しかし、全ての部屋を探しても、屋根裏も地下室もどこにもロッテを見つけることは出来ずに、スゴスゴと引き返したのだった。
始めやり取りを盗み聞きしていたロッテは、その話に怒りで打ち震え、部屋から玄関へと認識阻害の魔法をかけて転移し、ブルーノが殴られ蹴られる様子を見ていた。
そして、やり取りからブルーノが領主の庶子であり、その母親は先程の夫人に殺されて連れ去られてこの地で幽閉されていた囚われの身だと知った。
(ああ、ブルーノ。貴方の無念を晴らしましょう)
ロッテはブルーノに付き添って、魔法で身を隠したままで一緒の馬車に乗って領主の館へと赴いた。
粗末な部屋に怪我の治療もされぬまま捨て置かれたブルーノに、ロッテは治癒と眠りの魔法をかけると最後のキスを彼に贈り部屋を出た。
そして、館の中をふらふらとさ迷い歩けば、おおよそのことは理解できた。
つまり、隣国との小競り合いに負けたのだ、領主は打ち殺されて次期領主の嫡男も捕まって切羽詰まった状態である、と。
そこで憎い庶子のブルーノを人質交換として相手に渡して、嫡男を取り返す、そう言う算段をしているようだ、が。
(態々嫡男と庶子を取り替えるような交渉が上手く行く訳が無いのに、領主夫人だけが言い張っているだけなのね。王国に救済の申し出をしているのに、王国の兵が出されることも無いようだしこの地は王国から捨てられて隣国に飲み込まれるのは時間の問題なのね。それじゃあ、もう、殺っちまうか!)
ロッテは領主夫人と騎士団長、先程の侍従がいる部屋に入って姿を表した。
「な!何よ、お前。どうしてここに」
目が溢れ落ちそうなほど見開いた夫人が悲鳴じみた声を上げ、
「な、お前は」
「どうやってここまで」
と言う男たちが物を言い終える前に衝撃波を食らわすと、壁に吹っ飛んでドンと大きな音を立ててぶつかり、あっという間に気絶させた。
それを見ていた夫人が顔を青くして震え出しながら、
「え?え?な、何を」
と言葉を発する間に同じ衝撃波を下から食らって、天井まで吹っ飛んで重力でダンっとすごい音を響かせて落ちた。
その音に驚いた騎士達が部屋に入って来る前に、館のどこそこから火の玉が飛んできて、あっという間に燃え広がって、それに恐れを感じた使用人と騎士達が入り乱れて、外へと逃げ出た。
ごうごうと火の手が上がって館が燃え落ちる所で、庭の大木に晴れた空から雷がゴロゴロと大きな音を響かせて落ちて、その衝撃で誰も彼も気絶して、そんな騒動があったので領主の庶子のことなど、気にする者は一人も居なかった。
大樹の裾の深い森。
その入口に降り立ってロッテは深くため息をついた。
ロッテの髪は赤く、目は金色に変わっていて、それは森を出たあの日以来の本来の色。
森の中からは数多の金色が二つずつ彼女を見ていた、優しさを湛えた金色の瞳。
ここは太古の昔から魔女の森と呼ばれる地。
魔女はここで魔女から生まれ、成人すると子種を探しに人間界へと旅立って、多くの魔女は人間との恋を終えてこの森へと帰って来ると、ここで一人子を産むのだった。
「可哀想にロッテ。貴女は悪くないわ」
目の前に現れた母が娘を抱きしめて涙を溢した。
「お母さん、」
ロッテも抱きついて嗚咽を溢して大泣きに泣いた。
「さあ、ニムル様のところに行きましょう」
暫くして母がロッテの顔を覗き込んでそう言うと、ロッテも小さく頷いて母に手を引かれて森の奥深くへと歩き出した。
二人の後を、同じ色味の女達がぞろぞろとついて行った。
大樹の根元の調度良い具合の空洞に赤髪金目の女が足をブラブラさせて座っていて、ロッテを見つけるとニヤリと笑いかけた。
「お帰りロッテ。今回は随分大暴れだったねえ」
大魔女ニムルがロッテに向かってため息混じりに声をかけた。
「すみません、ニムル様。どうしてもどうしても、あの女が許せなくて。私のブルーノをあんなに痛め付けて。その上、隣国に人質に出すとか、私の夫なのに、私の愛する夫なのに婿に出すとか言いやがって!許せるものじゃない、許せない!って思ったら歯止めが利きませんでした。申し訳ないです」
話ながらも思い出して怒りが再現したロッテだったが、ニムルの何とも言えないような表情を見て、語尾が小さくなり、謝罪をしたのだった。
「わからないでもないよ、魔女が愛する夫を取り上げられて正気でいられる訳は無し。でもまあ、その結果はわかっているね」
ニムルの言葉に、ロッテは背中を丸めて小さくハイと返事をして俯いた。
「だから貴族も止めとけと言っただろう」
「だから魔女の夫で上手く行くのは『木こり』か『猟師』か『鍛冶屋』って相場は決まってんだと言っただろう」
ある魔女が笑いながら声を上げれば、そうだそうだと合いの手がかけられた。
「最近じゃ『作家』『作曲家』なんてのも良いみたいだけどね」
「兎に角『貴族』はダメだ。貴族の男っつー生き物は弱っちくて縛られている枷が多くて、愛だけじゃやって行けない」
別の魔女が次々に話し出して、そうだそうだとまた合いの手が上がった。
「だって、私はブルーノが、森の番人って呼ばれている猟師だと思ってたんだもの」
ロッテが金色の目から止めどなく涙を流しながらそう言った。
「いや、そう勘違いしているだろうねって私たちも思ってたんだけどね。
そのまま上手く行けば良いかと願ってたんだけどね、ブルーノは良い男だし。森の番人と言うのは隠者、ハーミットのことさ。
表に出せない貴族や王族の子を生かしておく為の措置なのさ。ブルーノみたいに、戦争の時に捕虜として出したり、血が絶えそうな時に種馬として使ったり。難儀な存在さ。
わたしらも教えてやらなかった、悪かったよ。随分ロッテは伴侶を選んで居たのにね」
ニムルが悲しそうな顔をロッテに向けてそう言った。
「ええ、でも私、ブルーノと愛し合えたことに後悔は無いし、ブルーノがあのまま敵地で無体を働かされる位なら、殺っちまったことに後悔は無いです」
ロッテがまだ怒りでピリピリしながら、顔をキュッと引き締めてニムルに告げた。
「そうかい、ロッテ。あんたは明るく活発で良い子だよ。でも掟は掟だ。人間の前であれだけ魔法を使ったんだ、あの町の全員からあんたの記憶を奪うよ。残念だけどブルーノからもロッテの記憶は消える、良いね」
「はい。ロッテなんて治癒士はあの町には居なかった、それで良いです」
ロッテの返事を聞いて、ニムルは大きく両手を掲げて魔法をかけた。
大樹の天辺から眩い光があの町へと瞬いて、そして町の人々からロッテが消えた。
「さて、じゃあロッテ。あんたの恋の顛末をみんなにお裾分けしておくれ」
「はい、ニムル様。お願いします」
大魔女ニムルが樹の空洞に立って、手を軽く振って、今度はロッテに魔法をかけた。
ロッテの身が七色に光輝いて、その光が天に昇って暫くすると、綺麗な小さな飴となって魔女たちの周りに、一粒一粒、赤青黄色、オレンジ、水色、紫、白にピンクに黄緑と色とりどりの飴がゆっくりと落ちてきて、魔女たちはそれぞれ好きな色を手に取ると味わうのだった。
最後の一粒は、若草色の飴で、それをニムルが摘まんで口へと放り込んだ。
「ああ、これは薄荷味だね。甘くて爽やかで、スーっと通り過ぎて行った恋の味だ」
ブルーノは目覚めると、いつもとは違う部屋で一人寝ていた。
毎日寝起きしている部屋は、お世辞にも綺麗とは言えない雑多な部屋で、家具は一人寝用のベッドと木の机と椅子が置かれているだけ。
それなのに今寝て起きたベッドは広く大きくまるで夫婦で使うような物で、部屋は片付いていて窓際には白いヴァルトレーネの花が飾られていた。
部屋を出て、邸を見て回れば、魔法でも使ったのかブルーノが片付けた記憶は無いのに、何処もかしこも綺麗に掃除されていて、キッチンにはピクルスのような保存食が何個も棚に並べられていた。
「どうしたと言うのだ」
首を捻って思い出そうとするも、ブルーノにはこの美しく整えられた邸にまつわる記憶の一切合切が無く、不思議に思うだけであった。
そんな時に、ノッカーが叩かれ扉を開くと、そこには見慣れな家紋をつけた馬車から立派な体躯の男が降りて来てブルーノに向かいあった、彼の後ろには数人の騎士が居た。
「貴殿はこの地の領主、辺境伯の息子であるブルンハルトで間違いないか」
久しく聞くことの無かった正式な名前に、一度戸惑いを覚えて「え?」と声を上げてしまったが、
「はい。そのような名前だったと記憶していますが、普段はブルーノと呼ばれています。所詮、平民の母から生まれた庶子ですから」
気を取り直して、そう答えたのだった。
「なるほど、貴殿はここで何をしている」
「幼い時に母を亡くしてここへと連れてこられて以降、森の番人として生活をしています」
「一人でか」
目の前の男はどう見ても貴族で、なぜ自分にそんなことを問うのか不思議であった。
「はい、この森で会うのは獣か破落戸位しか居ませんから」
「ふーん」
目の前の男は、邸の中をジロジロと見回しながら、
「貴殿は随分綺麗好きだと見える。庭もきれいにしてあるし。なるほど、貴殿のことは信用しよう。話があるので入れてもらっても」
そう言うので、庭に面したサンルームへと案内した。
(案内したが、サンルームなんて整備していたか?俺が?)
戸惑いながらサンルームのソファに向かい合って座ると、庭一面に咲き乱れている白い花が目に入った。
「これは、素晴らしい眺めだな」
「ヴァルトレーネと言う薬草ですが、この白い花が咲く頃に摘むと薬効が一番高いのです」
そう言いながら、どうしてそんな知識があるのかとブルーノ自身が不思議に思った。
その男は、隣国の辺境伯本人で、長年の戦が終わり、この森を含んだ領地は隣国に接収されたとのことだった。
領主も嫡男も亡くなり、領主の館は火災と落雷で焼失してしまい、領主夫人も騎士団も行方不明だと言う。
領主の血を引くものは、自分一人となったが、平民となりこのまま森の番人として暮らすのなら不問とすると言われた。
「そうですか。平民となってこの地で猟師でもして暮らします。何ならここも広すぎますから、出ていきますよ」
ブルーノはそう辺境伯へと告げたが、貴重な薬草の保護やならず者の討伐、野生の獣の間引きなどの働きは有益だと言うことで、そのまま森に住み、
「男が一人で暮らしていて、こんなに綺麗にしているのだ。ここは君の物だ」
邸の中を全て見て歩いた辺境伯が驚きと共にそう言いながら、ブルーノの存在を許し邸の所有を認めた。
誰も居なくなった邸のサンルームで、白い小花が絨毯のように一面に広がる様子をただただ、静かに眺めて、何も思いは無いはずなのに、なぜか涙が後から後から止めども無く流れ落ちていった。
ヴァルトレーネ、森の涙。
ブルーノが知らないはずな知っている花。
その花の向こうの、記憶に無い何かを思って涙が溢れるのだった。
その日からブルーノは森の番人の仕事以外に、邸を掃除し、薬草を摘み、庭の菜園で野菜を育てて穏やかに暮らした。
大樹の裾の深い森。
そこは魔女が暮らす魔女の国。
ロッテはその腕に、生まれたばかりの小さな娘を抱いて顔を覗き込んでいた。
魔女が生むのは必ず娘。
髪は赤毛で瞳は金目。
ふくふくとしたその頬をそっと指で撫でると、視線をさ迷わせながら赤子が金色の目を開けた。
「あなたは愛し、愛される素敵な人を選ぶのよ」
ロッテは優しく微笑んで、頬にそっと口づけを贈る。
魔女たちはみな同じ願いを願い、子を生み育てる。
どうかこの子が愛する伴侶をえられますように。
その相手から愛されますように。
愛が枯れることの無いように、永遠に叶えられますように。




