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武装喫茶マガツミヤ

作者: 鱈井 元衡
掲載日:2026/08/08

 荒野の中を二つの武装した集団が対峙していた。槍や銃をしごいてその時を待ち構えていた。

『修験道』と『神農薬局』。悪名高い二つの製薬企業。

 二つの軍団は、果実を求めて争っていた。それは、人間にこの世の労苦を忘れさせるほど美味であるという。そしてその美味を追い求めて、これまであらゆる闘争が勃発し、多数の人間がその争奪に脱落していった。

 長い闘いの末に、この荒野に屹立するこの両者だけが今やその果実――『堅州豆かたすまめ』を手にする権利を持っていた。冥界の名前を冠しているのは、まさにそれが人間の口にしてはならない領域の甘美さだからである。

 そしてついに戦端が切って開かれようとしたまさにその瞬間。

「遅れちゃうぅー!」

 たった一人の無邪気な叫びで、二つの集団はまさに衝突しようとするその間を切り裂かれたのである。

 誰もがあっけにとられていた。声が終わった時、その主はもう地平の向こうまで去っていた。

 それは、小柄で人畜無害そうな少女の声だった。修験道と神農薬局の、先ほどまで存在した殺伐とした雰囲気をぶち壊したことには何ら疑問をいだくことなく。

「よしっ!」

 少女は、肩にかけたかばんの中身を見て安心しながらトレーラーへと歩いて行った。


 喫茶店マガツミヤは今日も平常営業である。

 禍宮紛はいつものようにトレーラー『飛竜』を駆り、見晴らしのいい丘の上に止め、椅子や机をきれいに整えたコンテナの中で客が来るのを待っていた。

 喫茶店マガツミヤは特定の場所にとらわれない。紛が望めば戦場のど真ん中だろうが海の底だろうが入っていく。そして、必ず素晴らしい一杯を提供する。

 故にマガツミヤは、知る人ぞ知る店となっていた。


 紛は、飛竜の中で静かに目を覚まし、床の掃除を始めていた。

「何してんの、日向。さっさと開店の準備を始めるわよ」

「あいあいさー」

 マットを引いて床にねそべっていたのは

 向井日向という青年だ。前よりもかなり顔だちが整ったような気がする。

 最初はくいっぱぐれた末のやむにやまれぬ仕事だったようだがすっかりこの仕事が手に着いたらしく、今では頼れる仲間となっていた。

「ったく、最初は早起きだったのに」

「うるせえな。俺だってここ数日の移動で疲れがたまってんだよ」


 日向は、この少女の顔にも今は見慣れたが、初めて会った時はその強烈な印象に驚いたっものである。

 日向は、もともと罪人だった。無実の罪で疑いをかけられ、捕まえに来た獄吏を殴って逃走した。そして、もうほとんど何も食わず、数日間逃げ回った後で偶然にもあの竜の文様を描いたトレーラーに出くわした。

 ちょうどコンテナを開き、その中で椅子の上にあぐらをかきながら紅茶を飲んでいる所だった。

「何見てんのよ。さっさと上がりなよ」

 日焼けした赤褐色の肌で、目力は強く、口紅を塗っている。お世辞にも女の子らしいとはいえない風貌だ。

 そして何もかもががさつだった。

 腕から血を流していたが、全く痛がる様子はなく、

 日向は思わず、

「怪我してんだろ。大丈夫か」

 だが平気で腕を上げ、

「私さ、これくらいの怪我はいくらでもしてるから大丈夫さ」

「だ、大丈夫なわけねえだろ! なんで負傷したんだよ」

「いやっ……うちの飛竜に追い払ってたら怪我しちゃってさ」

「それどころじゃねえだろ!」

 日向は、ガーゼを巻いて、止血してやった。

「ん。ありがとー」 たいしたことでもないように、紛は言った。日向は、彼が一体何を考えているのか、さっぱりわからなかった。

 紛は、女の姿ではあるが、男のように粗にして野だった。

 日向が故郷で見てきた、女らしい女とは一線を画していた。

 彼はたいして痛がる様子もなく、すぐにコーヒーを淹れてくれた。

「のどかわいてるだろ。飲む?」

「……飲む」

 その一杯だ。日向が思わず心を奪われたのは。

 目の前の主人が命にすら頓着のない、はなはだ雑な人間だというのに、彼が淹れたコーヒーというのがこれほど美味であるとは。

 だが、紛はそんな恍惚とした感情をそのままにはしておかなかった。

「金は?」

「持ってるわけないだろ。逃げてきたんだから」

 最初は、何か怒られ、報復されるかと思った。だが意外にも紛は平気な顔、

「じゃあ、いいさ。喉をかわいてる人には飲ませてあげるのが基本なんだから」

「でも、それじゃ稼ぎが……」

 だが紛はむしろきっとなって、

「あんたを見殺しにしたら、それはどんな赤字よりも損失なんだからね!」

 それから日向は、あれこれ紛の世話をしてやったが、ともに暮らすうちに逆に紛から色々と頼みごとをされ、今に至っている。

 日向にとっては別に嫌な気はしない。元から人に頼られるのは好きな方だし、むしろこうやって誰かの役に立っているというのは精神を安定させてくれた。


 紛は、そんな日向にふと尋ねた。

「虚葉は?」

 日向は頭をかきながら、

「あいつ、自分が起きたい時に起きるから俺でもいついるか分かんないんだよ」

「でも、さっき起きたときは――」

「栗饅頭、買ってきたよ!」

 その声に、すぐ紛と日向は反応。

「ああ。いたんだ……って、えっ?」

 トレーラーの入り口に、一人の華奢な少女が立っていた。

 紛は非常に心配した顔で、帰ってきた彼の両肩を叩き、

「虚葉! だめだよ、一人で行ってきちゃ! 道中で誰かに襲われなかった!?」

「ごめんごめん、だってここから遠い所だからさ。あまり他の道を通るわけにはいかなかったの」

「だからって……」

 二人のやりとりを聞く日向。

 基本的に、紛は自分の心配よりもまず虚葉の心配をする。虚葉の体を自分自身であるかのようにいたわっている。

 日向は言った。

「その脚の汚れ方からするとまた、面倒なことになりやがったな?」

「ああ、これ? 別に、ちょっと急いでただけだよ」

 日向は、彼が普通の人間ではないことをしっている。本人はあまり語りたがらないが、実は虚葉はある組織が作り出した改造人間なのだ。

 身体能力は人間が本来持てるものをはるかに超えている。そして虚葉自身がそれを嫌悪している。


 彼らはしばし雑談に興じていた。

「このあたりもきな臭くなってきたってことだよ」

「ああ……例のブツが見つかったらしいからな。それで何回もこのあたりを調査しているらしいぜ」

「食天マートね!」

「なんでも佐官クラスの人間を派遣してるみたいだし、よっぽどだね……」

 紛は、彼らの社内体制についてやや知っているが、正直全くの噴飯ものだと感じている。

 軍隊をまねた階級を採用している。上意下達の組織構造だ。

 そんな彼らが血眼になって追い求める食材がある――堅州豆かたすまめ。数十年に一度しかみのらない植物から取れる、極上の果実。

 紛は、その豆のありかを知っている。ゆえに、食品の連中にはできるだけ目をつけられたくない。だから、適当にあしらっていたのだが――だんだん、そうもいかなくなってきた。

「堅州豆。どこにあるかすらわからないのが、」

「おいおい、俺たちがそんなもの持ってるわけないだろ。あるとすりゃ、せいぜい粗悪品。人を酔わせるが、すぐに疲れさせて弱める代物さ」

「そんなものすら満足に手に入らないのが、このご時世だけどね」 物悲しい顔、ものうく唇をすぼめて頬杖をつく虚葉。

「大体、虚葉が『呪力』を使えばあんな奴らなんともないだろ?」

 だが、虚葉は悲しげに眉をひそめる。

「嫌なんだ、あの力を使うの。組織の兵器に逆戻りしそうで」

 虚葉の悲しみは、日向にとっても理解のできるものだ。

「守るために使えるじゃんか。どんな力だって」

 しかしそれでも、と虚葉。

「そういう体になってるっていうのが嫌なの。私、普通の人間として生きたかったのに」

 あの時、閉鎖的な空間に押し込められ、人や物を模した目標に対して、

 ――「破壊しろ」「正確に切り裂け」――

 ぞっとするような冷酷な言葉の数々。

 その力を制御するために、多くの苦労をしなければならなかった。


 飛竜が止まっている近くに、一台のピックアップトラック。車体の横にロゴがいかついフォントで書かれている。

「あれか、禍宮紛のトレーラーは」

 二人の男が、狭い運転室の中で話し合っている。

「ええ。きっと奴らが堅州豆を持っているに違いありません」

 眼鏡をかけた男であり、もう一方は若いがやけに居丈高。

「ならばすぐに襲うべきではないか?」

「奴には能力者がいますからな。うかつに襲えば返り討ちに遭うでしょう」

(ちっ。なぜ俺がこんな奴に敬語で話さねばならんのだ!)

 その責任が自分自身にあると自覚しつつも、しかし相手の傲慢さにも我慢ならなかった。

 隅田久馬はもともとはこの男より偉かった。にも拘わらず、責を問われ、中佐から少佐に降格されたのだ。

(小野寺武士男……!)

 かつてはつつましい性格だったこの男は、今や上司だった。それが久馬にとっては耐え難かった。

 久馬はにらんで言った。

「待っていろよ。俺は常にだれよりも先を行っているからな」

(ふん、不手際でもか) しかしこれ以上は言わなかった。


 営業は午前十時から始まる。急に大声をあげる若者たちの一団が入ってきた。

 一目見たところで、従業員たちは彼らがわきまえていない連中だと察した。

 しかし、いきなり無礼で無礼を返すわけにはいかない。一応まずは礼節で迎える。だが、彼らの非礼はやむことを知らない。

「おい、このお茶、毛が生えてるじゃねえか」

 虚葉は言った。

「申し訳ありません、すぐに交換します」

 だが、すぐに彼らは別の言いがかりをつけた。

 そしてそれがいよいよ店員たちの忍耐では手に負えなくなった時、日向は散弾銃を彼らに向けて構えていた。

「申し訳ないが、てめえらは疫病神らしい」

 別にそう怒っているわけでもなく、いつも通りの軽口をたたいている感じの表情が余計に彼らを戦慄させた。

 虚葉も入り口をふさいでいる。

 満面の笑みを浮かべ、慇懃に告げる紛。

「最後までお飲みください。苦労してこの味を会得したのですから、みなさんにぜひとも味わっていただきたいのです」


 命が助かったことに感謝し、客たちはぜえぜえ言いながら退出して行った。

 彼らを背後から冷ややかに眺めつつ、

「全く、生かすなんてな。しめようかと思ってたぜ」

 虚葉はびくびくする。

「そんなんだから追われるんだよ、日向……」

「俺は誰かに支配されるのが一番嫌だからな」

 散弾銃の筒を指先でなでながら、冷えた声で。

 だが間もなく、別の客が訪ねてきた。

「あのお……」

 もう少し年をとった、落ち着いた男の声がする。

 一瞬で機嫌を良くし、大声で叫ぶ。

「いらっしゃいませ!」 銃をすぐ壁に立てかけて。

「こ、こんにちは」

 紳士。どこか落ち着かない。

「注文は何にいたしますか?」

 男は、銃が旧式であることに気づいた。

「コーヒーで」

 虚葉は尋ねた。

「どうしてここに来られたんです?」

「散歩していたらここを見つけたんです。最近どうもうまくいかなくて。それで気分転換に歩いてたらこちらにたどり着いてたんです」

「でもここ、結構人里離れた所ですよ。私たちがここに立ち寄るのを知ってるのは常連の方々ですし」

 紛は言った。

「もしかしてお客さん、きっと思い詰めていることがあるんじゃないですか。一期一会ですし、吐き出さないわけにはいかないですよ」

 紛の強烈な風貌に、紳士は少し圧倒された。主人の顔と言葉には、色々な苦難を飄々と乗り切ってきたのだろうという強さがあった。

 紳士は、紛にそれを

「この時代、ちゃんとした人ってだけで十分ですよ――」

 なごやかな会話を続けることはできなかった。

 外から爆音が聞こえてきたからだ。

 店員の反応は早かった。

「逃げるぞ!」

「うん。分かった!」

 虚葉が急に何かを唱え始め、外の光景に目をやる。

 紛は普賢の腕をにぎりしめ、

「申し訳ありません、しばらく奥に隠れてください」

 きょとんとしている普賢を物置の方へ押し込んだ。

「え……え?」

「マガツミヤ、臨時休業です」 虚葉が人差し指を立てて。

 その直後、日向は飛竜の運転席へと飛び移り、すぐにエンジンをかけた。紛はいくつもの節がついた棍棒を支柱から取り外し、コンテナについた梯子を速やかに上った。

 

 日向はハンドルを左右に振るう。

 本来なら轢くことに容赦はないが、彼らの運転技術もまた巧みなものだ。

「おい待てやオラァ!!」「マメよこせやゴルアァ!」

 怖いもの知らずのバイクの波が、容赦なくトレーラーに衝突した。

 彼らの恐ろしさをみな知っている。食天マートのバイク軍団は、決して獲物を逃がさない。争いの心得など全くない紳士の恐怖といったらなかった。

 虚葉は一番後ろの窓から敵を見やりつつ、能力を解除するために呪文を唱えなければならなかった。意識していないときに、うっかり力を解放しないために。

 そうして解除しても、守るためにしか使いたくないのだ。

 光の線が伸びる。それにつられ、バイクたちの軌道が狂う。

 そして、紛は棍棒の先端を敵に向け、節の一つについた撃鉄を弾く。

 棍棒の先端から飛び散る光弾。何人かがそれを車輪や機体の全面に食らい、転倒。

 中には高くバイクを飛ばし、飛竜のコンテナを越えてくる奴もいたが、紛は臆さず棍棒を円環状に連結させた。そしてフラフープのように腹で回し押し寄せるバイクにぶつけ、弾き飛ばした。

 なぜ、こんな不毛なことを……。しかしそのような虚葉の苦しみなど、紛も、食天マートも知る由はない。

 日向にとってはこうやって追いかけられることは何よりも不快だった。自分自身がまさに同じように追いかけられたから。だが、紛は一切動じることはなかった。

 紛の目の前に、バイクが四台以上まとまって追尾してくるのが見える。

 いよいよ紛は、憤りに任せて叫んだ。

「じゃあこれでも食らいなって!」

 信管を抜き、ポケットから手榴弾を投げ出した。たちまち、爆発が起きて何台か粉々になった。虚葉は、目をつむった。

 普賢は、奥でうずくまっていたので音しか聞こえなかったが、それでも何が起きているかは大体わかった。だからこそなおさら生きた心地はしなかった。

 普賢にとっては、人が死ぬ光景など見慣れたものだったが、本当に人殺しに慣れた人間と一緒にいるとなると話が違った。

「これでなんとかけた……?」

「いや、まだ来る!」

 ピックアップトラックが横に。荷台の上から軍服のような黒い制服を着た男がメガホンをとって叫ぶ。

「禍宮紛! さっさと堅州豆をよこせ!」

 紛は叫ぶ。

「悪いけど、そんなもん持っちゃいないよ!」

 紛は、持っていた棒を節に分け、ぬんちゃくのように降る。棒の間には細いが決してちぎれることのない頑丈な紐が伸びており、繊細な操作で何メートルも離れた相手を正確に打ち据えることができる。

 久馬は牙をむき荒々しい笑顔を浮かべ、

「ならば小生が開発したこの送風機の威力を受けてみよ!」

 背中に背負った巨大なファンが回転し、紛は、トレーラーから放り出された。

(仕方がない……こうなったら直接、戦うしかない)

 だが紛は、笑っていた。戦うことが、彼に生の実感を与えてくれたから。


「紛!」 運転席から降りる日向。

 虚葉につれられ外を出た普賢は何が起きたかさっぱりわからず、ただ草野の上をはいずりまわることしかできなかった。

 久馬は普賢を見て、静かに。

「その方は一般客のようだな?」

「そうだ」

 日向が答える。

 久馬はやや申し訳なさそうな顔になった。

「客には手を出さない。それが小生の指針だ」

 出世や利潤を求める商売人とはいえ、やはり最低限の良識は備えている。だからこそこの世界で生き残れたのだろう。

 日向はたたえるように、

「いいだろう。それでこそ俺たちも十分に戦えるってもんだ」


 普賢は、一同の殺気立った気配に気おされるしかなかった。この中でもっとも若そうな虚葉ですら闘志に満ちた、憤りのこもった瞳で久馬を見ていた。

 武士男は、社内からカメラを通して連中の対峙する様子を眺めていた。

(くだらん。久馬の奴、もう三分の二は人間の体じゃなくなっているんだぞ)

 だが、同僚を助けないわけにはいかない。忸怩とした感情を抱えながら、ピックアップトラックを走らせる。

 しかしそれよりも早くトレーラーが突然走り始め、そのまま久馬をひこうとした。

「そんな小手先が通用するか!」

 久馬は背中に背負っていた空に浮遊した。

 嵐が吹き付け、紛たちは地面に押し付けられた。

 飛竜は非常時に日向のイヤリングを通して自動操縦できるようになっている。懇意にしている技術者に作ってもらった機能だ。

 だが久馬も焦った。体内に埋め込まれた装置を全力で稼働させたせいで、体内に熱気がこもっていた。このままではうまく戦えない。

 久馬は言った。

「援護を頼みます、中佐どの!」

 武士男がピックアップトラックから飛び出した。

 武士男は竹馬のように跳躍しながら、四肢を槍のように伸ばし、この戦闘へと乱入していく。

 紛は、二人を目の前に棍棒を振り回す。

 飛竜が久馬の前に立ちふさがるが、ふたたび久馬は上昇し、指先からレーザーを発射。虚葉は、手を突き出した。その直後、透明な盾が上下に広がり、レーザーを霧散させた。

 虚葉にとっては、それがかろうじて発動できる『能力』だった。本来の力を発動すれば、この程度の敵は簡単に倒せる。しかし、そんなことをすれば今度こそもはや人間ではなくなってしまう。それが嫌で。虚葉は決してこの術を襲うためには使いたくない。


 普賢は、何もできずに見守るばかり。

 ずっと平凡に生きてきた。時折人を襲ったり脅したりすること以外なら、大した悪事を起こさずに済んだ。

 だがもはや見て見ぬふりをすることはできない。

(こんな所で、男を見せずにいられるものか。俺はこれ以上逃げるわけにはいかないんだ)

 走り出し、紛の背後でささやく。

「熱だ……! もっとあいつに装置を稼働させるんだ。そうすれば奴は……」

 久馬はいらだり、

「お立合い! もしこの戦いに介入するならば、命を失うぞ!」

 恐怖におののき、普賢は棒立ちになってしまった。

(それくらい分かっている……)

 さすがにここまでくると普賢に対して日向たちもむかつき始めた。

「あの、もういいです。これ以上お客さんをまきこむわけにはいきませんから」

 虚葉はため息をついた。そうしながら再び術を起動し、敵との間に分子を捜査して空間の歪みを作っていく。

 普賢は、すごすごと遠くから彼らの戦いを眺めることしかできなかった。


 久馬は、外套をひるがえした。

 その裏から次々とミサイルが飛び散り、虚葉の肌をかすめた。武士男の両腕が日向と紛を薙ぎ払おうとした。

 あちこちに爆発が起きた。

 その動きが硬いこともあり、虚葉はかろうじてその軌道を狂わせる程度のことしかできなかった。

 だが、別に人間だけが戦う相手ではない。飛竜その物が強力な戦力。

 このトレーラーは、親しい人から譲り受けたものだ。

 紛が相続する以前から、この車両はあらゆる料理人が跋扈するこの地獄変を疾駆し、銃弾を行き交う中を走り抜けあらゆる飢えた人間に日々の飯を提供した。

 無論、単なる車両などではない。このトレーラー自体にあらゆる兵器が格納されている。

 日向はイヤリングを操作し、荷台の部分からガトリング砲がせり出して武士男に向け銃弾の雨を降らせた。

 だが武士男にとってそのような攻撃はものの数ではなかった。武士男の手のひらが盾のように広がり、銃弾をことごとくはじき返した。


 さらにイヤリングを操作して、飛竜を直接武士男に向け走らせた。

(このトレーラーごと握りつぶしてくれる!) 両手を縦から一気に巨大なかぎ爪に変化させ、コンテナにつかみかかろうとする武士男。

 だが、実際にはそうではなかった。

 飛竜は横に車輪を大きく傾け、武士男のかぎ爪をうまくはじく。そして武士男を通りかかり、その背後のピックアップトラックを狙った。

 イヤリングに似せた装置を操作すると、飛竜はそのままピックアップトラックに突っ込み、破壊した。

「よっしゃあ!」

 だが、さほど武士男はうろたえていない。腕をひっこめた。

「おらっ!」

 日向は急いで飛竜の陰に隠れ、武士男の伸びる腕から逃れようとする。

 だが心配するまでもなかった。武士男の腕は虚葉の能力が生じた空間のひずみによって横にそれた。

 だがその代わり、武士男の腕は虚葉を襲い、地面へとたたきつけた。

 何メートルにも伸びきった腕はそのまま虚葉の頭上にあり、彼の生殺与奪をにぎっていた。

 たちまち静まり返る紛たち。


 久馬は、この時を待っていた。彼は武士男を軽蔑していた。そして、何とかして彼の先を越したいと思った。いつであれ彼は他人より先を行かなければならないのだ。

「小生の任務は貴様らを襲うことではござらん。例の豆を奪うことにあるのでございますからなあ」

 それから武士男に向き直り、

「中佐どの! あなたの手錠をお貸しください! 奴らから堅州豆の調理方法を聞き出す必要があるのです!」

「ふん、いいだろう」

 そして武士男が手錠を用意しようとしたその直後。

「ぐっ!?」

 武士男の腹にふかぶかと刃が突き刺さる。親指と爪の間から刃がせり出したのだ。

「私は誰でも先を進んでいるのですからな!」

 武士男はその場に倒れこんだ。

 紛は、思わず久馬にとびかかりそうになった。だが、相手は男だ。

 冷静に、相手をしかりつけようとする。

「久馬……あなたはそういうことをする人じゃなかった」

「お嬢。小生は、今すぐにでも弊社に戻るべきかと思います」

 突然久馬がうやうやしい態度になったので、普賢はそれまでの考えや悩みが飛んでしまった。

(えっ……どういうことだ……?)

「そういうのが嫌だから、私はあそこから出て行ったの」

 普賢は聞きたくて仕方なかったが、虚葉も日向も紛の言葉にくぎ付けになっており、普賢にもはや関心など向けていなかった。

「私は、自分で自分の生き方を選ぶって……そう決めたんだ。決してもとには戻れない。たとえパパに言われたって、絶対従うもんか」

 久馬の表情がこわばり、瞳に冷酷な光がともり始めた。

「仕方ありませぬな。ならば、無理矢理にでも連れ去るしかありますまい」

 虚葉は、呪文を唱え結界を作り出した。

 いよいよ切羽詰まった紛は、棒をいくつかの節に分割して振り回し、久馬に向けて突進していった。久馬の顔がさらにいかつくゆがみ、

「これ以上手向かいするならば、お嬢でも容赦しませぬぞ!」

 久馬の口から超音波が発射され、紛は、意識がもうろうとした。

 護身や戦闘目的で身体を改造する人間は珍しくないが、久馬ほど徹底的な改造は、やはりそれなりの大企業の社員ではないと不可能だ。きっと、人間と同じ食事を取るのも不可能だろう。


 この時代では、食うことにすら事欠くのは当然なことだ。

 ゆえに、食を提供する人間は強大な権力を持つ。食を受け取る者は、生きようとすれば彼らに対して服従せねばならない。

 食を制する者がこの世を制するのだ。

 今、この地上には、そういう食で誰かを支配しようとする勢力が跋扈している。

 神農薬局にしても、食天マートにしてもだ。

 だが、そんな連中に付き従うのが嫌で、紛はそのどれにも従うことなく一人で生きていくことを決めたのだ。


 紛は、そのまま倒れた。久馬は一瞬複雑そうな面持ちを浮かべたが、すぐに自信を取り戻し、

「どうだ。これでお嬢も虚葉も戦えなくなったぞ」

 普賢はしりもちをついたまま、がたがた震えることしかできない。

「お前たちが堅州豆を差し出すか、あるいは我々が堅州豆を奪うか、決めてもらおうか」

「考えさせてくれ」 日向は小さく、感情を押し殺し。


 紛とは、少女の本来の名前ではない。そんな不名誉な名前を付ける親がいるだろうか。

 食天マート社長――自称元帥――の末っ子として生まれた彼は、何かと家族と意見が合わなかった。

 父にとって娘は『紛い物』だった。この世界で長い物に巻かれようとせず、自分と同じような意思を引き継がない娘に対する不名誉な称号だった。紛の姉も、兄も、みな無我井永良の意思をある程度は汲み取って育った人間だったから、末っ子の彼にとってはなおさらこのあだ名で呼ばれるのはつらかった。

 今にして思えば、父は娘を危険な渡世から遠ざけようとしていたのかもしれない。だが全ては紛の想像でしかない。父は一貫して商人だった。この世界の残酷なルールに適応するのが正解であり、それを選ばない人間は間違っている。それが永良や彼の商売敵の鉄則。

 紛は、鶏口となっても牛後にはなりたくなかった。ただ、それだけだった。

 父は、決して意見を変えない娘に言った。

「だからはお前は紛い物なんだ。どうせこの先生きていけやしない」

 娘は言った。

「なら、それで構わないよ。私は内側まで汚れたくない」

「勝手にしろ」

 父にとってそれは本心であったに違いない。娘はそう信じたかった。


「お願い、しっかりして、紛……!」 もうろうとした視界の向こうに、虚葉の声が聞こえる。

 虚葉は。久馬の目の前ではもはや何もできなかった。


 コンテナの奥、器材が置かれているごく狭い空間で二人は対峙した。

「おっさん、あんたはこの戦いに関わる運命なんかじゃない。俺は、誰かを不本意に何かに巻き込ませることはしたくないんだ」

 日向は言った。

「すぐに逃げてくれ。俺と虚葉と紛が全部の責任を負う」

 だが、普賢は首を縦に振らなかった。振りたくなかった。

「いや……ここまで来たからには、私も君たちと運命を共有する身になってしまった」

 日向の口から、思わず息が漏れた。

「長い付き合いだからね。そう簡単には見捨てていられないのさ。たった、わずかな時間しか話してはいないが……君たちと、そう簡単に別れたくないんだ」

 客の望みを軽視するわけにはいかない。

 日向は、少しためらってから言った。

「奇遇だな。俺もおっさんみたいに肝の据わった客には会ったことがない」

「そうか? 私はずっと昔っからびびりだったよ」

 日向は、だが決して笑うことなく、

「俺たちにとっちゃ誰とだって一期一会だからな。せっかくだから名前、教えてくれないか?」

 普賢にとって、ここまで親しくしてくれる相手に出会ったのは久々だった。

「臼村普賢だ。君は?」

「向井日向。どんな相手であれ、尊重してくれる人間には相応の礼儀で振舞うのがマナーだからな。じゃあ、今から俺の言うことを聞いてくれ」――


 しばらくして、二人が出てきた。日向は方形の木箱を抱えていた。

「これがお前らの求めているもんだな?」

 日向は静かに尋ねた。

「ああ、これが堅州豆だ」

 久馬はふたを開けた。

 その中には、小さな豆が二粒あるだけだった。だがまさに、その二粒が何よりかけがえのないものであり、ありとあらゆる争奪戦を人間に繰り広げさせてきたのだ。

「小生が毒見しよう」

 久馬は言った。そして、豆を一粒かじった。

 久馬はまず、それを咀嚼した。

 甘味が広がる。感嘆。

「お……おお……」

 感情、そして――

「みなぎるッ!!」

 絶頂した。この時だけは、自分が降格された屈辱も、小野寺武士男に復讐する欲望も完全に霧散していた。

 だが、その直後に強烈な激痛が襲い、その場に倒れこんだ。

「小生に……何を食わせた……!?」

「神津豆だよ。知らないのか?」

 彼は知らずに言った。

「堅州豆の模倣品だ……。同じ味だが、強力な反動がある。人に食わせるのは初めてだが」

「模造品……? 何を言う! 貴様、許さんぞ!!」

 久馬は激怒していた。堅州豆は逸品だが、その偽物は数多い。その偽物を食わされるなど、美食を追及する彼にとっては甚だしい侮辱だった。

 明らかに、先ほどよりも息が荒くなっている。

 神津豆は、相手の身体のホルモンやドーパミンを一気に分泌させ、快感を向上させる代わりに体力を消耗させるのだ。

(へっ、引っかかったな!)

 ようやく希望が見えて、わずかに日向の顔がほころんだ。

 虚葉は、まだ、緊張を解かない。久馬はすぐに正気に戻ったからだ。

「この程度、半分以上機械となった私にとってはさしたる損傷ではないっ!」

 と言いつつも、久馬の動きは前よりも鈍く、精彩を欠いている。


 すかさず久馬も普賢をひっつかみ浮遊して、飛び移る。

 外套の裏のミサイルの駆動音を鳴らしながら、すぐ頸動脈まで指先で抑える。

「小生の裏をたやすくかけるとは思わないでもらいたい。この額にあらゆる戦闘経験を記憶し解析するメモリが搭載されているのだ。小手先の技巧など無意味!」

 日向は思わず舌打ち。

(この野郎……! 本気だ)

 虚葉も、途方に暮れた。

(だめだ……こうなった以上、能力を使えば察知されちゃう)

 普賢は、かろうじて息をしている紛の表情を一瞥した。

 紛の顔に一切の心配や懸念がないのを見て取った。どうやってこの状況を切り開くか、考えている目だ。


 食天マートから逃げ出した紛を受け入れてくれたのは禍宮まがつみや軍兵ぐんぺいという人物だった。

 飢えて死にそうになっていた時軍兵が振舞ってくれたココアに、紛は救われた。

「あの、お金は……」 ひもじい思いで紛がそういうと、一切軍兵は嫌な顔をせず、

「後で払え。飢えた奴にはまず食わせるのが先だ」

 それで軍兵に紛は弟子入りした。

 軍兵は棍棒のような武器を持っていた。先端から銃のように弾丸を撃ち、ワイヤーのように遠い場所にぶらさがることもできるそれは、この過酷な世界で安全に営業するために必要な装備だった。

 二人はあちこちで営業する中で様々な修羅場に見舞われたが、そのたびに軍兵はこの武器で危機を切り抜けていったのである。だが、軍兵はある時神農薬局の社員に急襲を受け、短刀で刺されて死んだ。憤った紛が、我を忘れてその敵を師匠の獲物で打ち据えていると、軍兵はかすれた声を絞り出すように、

「よせ、お前の仕事を食わせることだ」

 それが軍兵から聞いた最後の言葉だった。


 隅田久馬が一時ダウンした瞬間から、紛はずっと姿勢を立て直そうともがいていた。

「久馬。私は、まだ負けてはいない」

 紛は腕や脚に力を込め、何とか立ち上がった。先ほどの痛みや衝撃がまだ残っている。だが気にしてはいられない。

 紛は、棍棒をトレーラーの上に向けて投げた。節の一つ一つが分かたれ、その間を伸びる紐。

 ワイヤーのように節が収縮し、その上に飛び乗る紛。

 久馬は手をたたき、

「お嬢……ああ、それでこそお嬢です。小生は、あなたがただでは倒れないと予想しておりましたぞ」

「うん。それに客にまだ何もふるまえてないんだ」

 師匠とのつらい瞬間を何とか脳裏から追いやろうとして、強い声で要求した。そしてその要求を、かつて紛の身辺警護にも当たったことがある久馬としては、拒否するわけにはいかなかった。紛はにらむように視線をかつての執事からそらさない。そして久馬もはっとしたように、顔つきをただし、

「ふむ。小生も戦いに夢中になって礼節を忘れておりました。飢えた人を飢えたままにしてはならない、というのが元帥のお言葉でありますから」

 紛は、再び、棍棒を構えた。もはやつい先ほどまでの弱々しい様子は耐えてなかった。

「お立合い。あなたはここから降りていただきたい。ここからは我々の時間だ」

 だが普賢は勇気を振り絞って、

「いや、私は君たちの戦いを見届けたい。安全な所から見守るだけの人間ではいたくないんだ」

 久馬も、紛も、何かたたえるような視線で互いを見て、

「隅田久馬! 血まで鋼の機骨漢(きこつかん)!」

「禍宮紛! 金を払う前に罪を祓いな!」

 かつては不名誉なあだ名だったそれを、今彼は自称している。

 この世界で本物であるよりは、まがい物であることを彼は選んだのだ。

 日向が狙撃したが、久馬はそれを不動の姿勢、修羅の形相で受け止める。

 紛は棍棒でことごとく久馬の銃弾をたたき落とした。久馬が再び強風を起こしても、紛はうまく身をひるがえして何とか飛竜の上から落ちるのを避けた。

(これが食に身を捧げる人の戦い方か。なんという殺気だ)

 普賢は離れなかった。もはや、離れるわけにはいかなかった。

 だが、次第に紛の方が劣勢になっていった。久馬が口を大きく開くと、のどの奥から銀色のチューブが伸びて火を噴いた。紛はさすがに車の上から落ちそうになった。

「貴様らは崖っぷちだ!」

「ああ、そしてあんたはその先を行っている!」

 突如、久馬の足元に細長い人間の腕が走り寄り、からみついた。

 久馬は太もものジェットを噴射して下半身を跳躍させ、すぐにふりほどいた。だがそれでわずかな隙が生まれた。

 もはや命はない。ならば、せめて恥のない死に方を――普賢は思い切り久馬の顔を殴った。

 そしてそれは相手にとって予想外だった。殴打をもろに受けた久馬は、大きく顔を天に向けて上げてしまった。

「今か」

 紛が、棒で額をたたいた。この改造人間にとっては、様々な内部機構が集中している弱点。

 久馬の動きが止まった。

 あれほど精力的に動き回っていたサイボーグは、そのまま崩れ落ちた。


 飛竜の上から棍棒を野原へと振ると、再びワイヤーのように節の間の紐が伸び、紛は軽く跳躍。収縮する紐の動きにのって軽く野原の上にぴょんと着陸した。

「よっしゃあ!! おっさん、さすがだ!」

 喜んで、肩を叩く日向。普賢は、まごついた。さすがに人が死んだのに、喜ぶわけにはいかなかったからだ。

 普賢が何も言えずに、日向の顔を静かに見つめていると、

「まあ疲れているなら仕方ないか。」

「あなたの協力がなければあいつを倒すことはできなかった……ありがとう」

 倒れこんだ久馬の肩や指先から火花がともっている。眼鏡は二つに割れ、砂の上に飛び散っている。

 虚葉は、静かに久馬を見つめ、肩をすくめてため息をついた。


 武士男は静かに立ち上がった。まだ激痛があったが、なんとか立ち上がれる。

 もはやこの戦いはこれでおしまいだ。

「お嬢、さすがだ」

 武士男は言った。苦しげに息をもらし、立ち上がりながら。

「武士男、生きててよかった!」

 紛は明らかに、ほがらかな声で言った。だが、すぐにその顔は気がかりでならない様子だった。

「いえ、重傷ですよ。当分の間は戦えません」

 それから異能の持ち主に向き直る。

「傷は思ったより深くなかった。どうやら君のしわざらしいな」

 武士男は虚葉をにらむようにして言った。他人からの慈悲を、素直に受け取るわけにはいかなかったからだ。

「私を助けたのか? なぜそんなことをした」

「別に……私たちのためですよ」

 虚葉ははにかむように言った。

「安心しなよ。久馬は私が倒してあげた。だから安心して帰っていい」

 普賢は、複雑な面持ちだった。ただ単に敵を倒しただけなら同情などせずに済んだだろうが、彼にも彼なりの事情があると分かっていたからややもやもやしたものが残った。

 武士男は、端末を抱えていた。

「お嬢。御父上があなたに話したいとのことだ」

 端末に黒い軍服を着た髭面の紳士が映し出された。

「パパ……」

 無我井永良の顔。

 日向や普賢が記憶する限り、もっとしかめっ面なのだが、やはり実の娘に対しては弱いのか、やや穏やかな顔立ちに見える。

「久馬をしとめたそうだな。やはり外の世界で相当に鍛えられたと見える」

「恨まないの? 社員を失ったのに」

「あの男はなぜ佐官になれたのかすら怪しかったからな、大した損害ではない」

 父は、家族以外には基本的に冷酷だった。

「お前は食天マートを継ぐ人間だ。元帥としてな」

「元帥じゃなくて、代表取締役社長でしょ。なんでそんな所で無意味に気取るんだって」

 永良は言った。

「この時代では、食を提供する人間が全てを支配する。ゆえに徹底的に統制された組織が食を管理せねばならんのだ」

「そんなパパのやり方には従えない。だから私は出て行ったの」

「それであのどこの馬の骨かしれん奴について行ったというのか?」

 紛はきっとなって、

「禍宮軍兵だよ。氏素性の知れない人なんかじゃない」

「それが信用のならない奴だと分らんか?」

「私は信じる」

 永良は席に深くもたれ、言った。

「ならば、我々の敵ということになるな。我々こそが食を支配し、市民の方々に安心して日々の飯に事欠くことのないようにせねばならんのだ」

 父の言葉は、確かに正しい。だが、そこには上下関係がある。支配の力学がある。

「でも、それだけじゃだめなんだ。違うものがあってこそ、この業界は長く栄えることができるんじゃない?」

「あの男のいうことを愚直に信じるのか? お前はあの男によって狂わされたようなものだぞ」

「私は信じたいんだ。一つのチェーン店よりも、色んな店があった方がいい。色々あるから楽しいんじゃないのか?」

 父の声はなおも厳しく。

「だが、そのために衛生基準を満たさない店がはびこるのであれば意味がない! 検査をする施設さえ今ではごく少ないんだぞ」

 だが紛の問いかけたいことは、そのようなことになかった。

「私は、とにかく自分で何かをやりたいんだ」

「相変わらず頑迷な娘だ、桜月おうげつ

 永良の声に、静かなあきれがあった。

 その名前で呼ばれるのがいつぶりだったか、紛はもう忘れてしまった。

「今更名前で呼ぼうったって遅いよ。もう、私にとってその名前はどこかの誰かさんの名前なんだ。私じゃない」

 父は淡々と娘の話を聞いていた。先ほどからほとんど声の調子そのものには変化がなかった。

 そして、娘はずっと気にしていたことについて問いかけた。

千米ちこめ姉さんと黒乃くろの兄さんはどうしてる?」

「息災だ。そしてお前の帰りを待っている」

 それを聞いて、紛はほがらかに口角を上げる。

「……それは良かった。じゃあ、私からも伝えといてよ。私はもう、兄さんや姉さんの所にはいられないって」

「……何とも御しがたい娘を持ったものだ。そのままこの荒野の上でせいぜい客をもてなすがいい」

 画面が暗転。

 娘は、父が愛想をつかしたのか、それともまだ未練があるのかわからなかった。そして、それくらい父を遠い他人と見るようになってしまった自分の冷たさにやましさを覚えた。

 いずまいをただし、敬礼する武士男。

「では、私はここで失礼いたす」

 突然伸び、馬のように四本足で走って久馬をおいたままその場を後にした。

 急いでピックアップトラックの残骸を飛び越えていく武士男の姿が、太古の節足動物のような奇異さに満ちていて、普賢は何となく現実味がなかった。


 一同は飛竜に戻った。

「うわー、中の備品めちゃくちゃ。外にもあちこちに傷あるし、まだあの人怒りだすんじゃない?」

「前襲われた時に比べりゃましだろ……掃除するぞ」

 普賢は、ようやく安心して飛竜の中でくつろぐことができた。まだ心臓の鼓動は早く、落ち着いて食事がとれる状態ではなかったが。

 聞きたいことは沢山あったが、まだ緊張がやわらいでない時に急に動くのが禁物だ。

「神津豆って言ってたが、あれは何なんだ?」

「あー、あれ? 人間じゃなくてこの世にお越し頂いた神々に食べてもらうものなんだ。胃を下すだけで済んだ久馬はやはりただものじゃない」

 そしてより気になっていたことを普賢は問うた。

「ああ、それからもう一つ。君って……無我井永良の娘なのか?」

 紛におそるおそる聞いてみる普賢。

「うん。父親としては感謝しているけどね、営業に関してはどうしても意見が合わなかったんだ」

 紛の口ぶりからすると、そこまで恨みや反感を持っているわけではないらしい。

「それがこの世界じゃ正解だってことは分かっているけどね。ただ、一緒にいると邪魔だから離れるだけ」

「結局利潤を求める会社なんてのはみんなそうだ。金を欲しがることが第一になって、人の命を考えることが二の次になっちゃうんだから。そんな所で偉い役職についてたら、人の心なんて早々となくなる」

「武士男もひどい奴だよ。久馬に汚名挽回のチャンスを与えたくせに、自分からそれを奪うなんて」

「……私の育て親同然の人をそんなに悪く言わないでくれるかな」

 虚葉は、紛の視線に気おされず、

「でも、私たちを使って久馬を始末したようなもんじゃない」

「虚葉は人が良すぎんだよ」

 紛の声には、どことなく迷いがあった。

 父を肯定することはできないが、かといって突き放すこともしたくないように見えた。

 しばらく普賢は、彼らの深刻そうな会話に聞き入って怪我のことも忘れていたが、虚葉ははっとして普賢の方に向き直ると申し訳なさそうに、

「すみません、つい会話が長引いて……お怪我、ありませんか?」

 恐る恐る、傷跡を見せる普賢。

「手をすこし、すったんだ。あの男に無理矢理動かされたからな」

 だが深刻な顔にもならず、

「治せますよ。私、分子を操作できるんで」

 虚葉は言った。彼は普賢の傷に手をかざし、心の中で空間がゆがむように念じた。妙な空気のゆらぎを感じた次の瞬間、普賢の傷は癒えていた。

「こ、これは?」

「体の細胞の動きを操作したんだって。元いた組織で何度も練習したそうだよ」

 紛が自慢げに言う。しかし決してそれに虚葉はつられない。

「でも……この力は結局誰かを傷つけるためのもの。本来なら、あっていいものじゃない」

「力に善悪なんてないさ。結局それは、使う人次第なんだから」

 日向は、元気づけるように言った。

 それでようやく虚葉も、前向きな気分になった。

「君たちは、仲間に恵まれているな」

 普賢は、ぼそりといった。

 今になってもう、とあきれるように頬杖をつき虚葉。

「私たち、もう仲間じゃないですか」

「……私が?」 

 まごつく普賢。

「こんなご時世さ、一緒になって戦ってくれただけで充分大切な仲間だよ」

 日向の言葉に、なんとなくこみあげるものがあった。

「普賢さん、これからどうするんだ?」

「……まだ、決まってない。何せ、まだ完全に絶望から離れられたわけじゃないんだ」

 三人は、紳士の過去について深く聞こうと思わなかった。彼の、どんな顔を浮かべるべきか決めかねている表情を見れば、そう軽く根掘り葉掘りなどできない。

 普賢は彼らの親切さに安心しながら、言った。

「けど、……まだ前向きに生きていこうと思うよ。ちょうど、誰かと通じ合えていたと思っていたら、そうじゃなかった絶望を味わっていたところだしな」

 虚葉は、自分の境遇を理解してくれる人がいると分かって、より親しみを覚えた。

 深く聞こうとは思わない。聞けば聞くほどむしろ他人に対するこの直感が歪ませるし、ただその一言だけで充分なのだ。

「そっか。じゃ、そろそろコーヒー淹れますね」


 修羅場を生き延びた後に飲む一杯は、絶品だった。

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