第10話 女騎士リアナの加勢と、不屈のビーフステーキ
ミルダの村に、不穏な金属音が響き渡った。
夕闇が迫る村の入り口。
石畳を叩く重厚な足音と共に現れたのは、王都の紋章が刻まれた白銀のフルプレートアーマーに身を包んだ一団だった。
その先頭に立つのは、燃えるような紅蓮の髪を高く結い上げた女性。
王宮守護騎士団・第三隊長、リアナ・ヴァン・ブレイズ。
彼女は「鋼鉄の薔薇」と称されるほど冷徹で、任務に忠実な女性騎士として知られていた。
「見つけましたわ。アデル・フォン・ラフィーネ様。そして——」
リアナの鋭い眼光が、私の隣に立つハク、そして私自身を射抜いた。
「不当に王宮の重要人物を匿い、人心を惑わす不届きな料理人。貴女がルシア・クロスですね」
アデル様が、私の前に一歩踏み出した。
「リアナ、およしなさい。私は自分の意志でここにいるのです。
彼女は……ルシアは、私の命の恩人ですわ」
「令嬢の甘言に耳を貸すほど、私は甘くはありません。
私の任務は、貴女を連れ戻し、この『偽りの聖域』を解体すること。
抵抗するならば、武力行使も辞さない」
リアナが腰の長剣を抜いた。夕陽を浴びて、刀身が冷たく輝く。
村の自警団の若者たちが武器を手に駆け寄ろうとしたが、私はそれを手で制した。
「リアナ様。貴女、お顔色が優れませんわね。最後にまともな食事を摂られたのは、いつかしら?」
唐突な問いに、リアナが眉を潜めた。
「何の話だ。私は騎士だ。戦場では数日の不眠不休など——」
「胃の腑が悲鳴を上げていますわ。王宮での激務、そしてここまで休まず馬を飛ばしてきた無理が、貴女の美しい魔力回路をズタズタに引き裂いている。今の貴女が振るう剣は、ただの『意地』。騎士の魂が籠もった一撃ではありませんわ」
私は《無限料理庫》を静かに起動した。
「ルシア、何を……?」
「アデル様、大丈夫ですわ。騎士様には、騎士様に相応しい『説得』が必要ですもの」
広場に据えた大きな鉄板に、魔力の炎が灯る。
私は《無限料理庫》から、今日のために温めていた最高の素材を取り出した。
《焔牛》の極上ロース肉。
赤身と脂身のバランスが完璧なその肉は、厚さ五センチを超える「男爵カット」と呼ばれる贅沢な厚みを持たせてある。
「料理で私を懐柔しようというのか。侮辱するな!」
リアナが叫ぶが、私は手を止めない。
まずは、たっぷりの《熟成発酵ガーリックバター》を鉄板に落とす。
ジューッ!という快音とともに、食欲を暴力的に刺激するガーリックの香りが広場一帯に爆発した。
そこへ、常温に戻した焔牛の塊を鎮座させる。
肉の表面が焼ける香ばしい匂い。脂が弾け、ガーリックの旨味が肉の繊維の奥深くまで浸透していく。
「騎士に必要なのは、折れない心。そして、それを支える『不屈の活力』ですわ」
私は赤ワインを贅沢に振りかけ、鉄板の上でフランベした。
高く上がる紅蓮の炎。それはまるで、リアナの髪の色のように美しく燃え盛る。
肉汁をベースに、黒胡椒とハーブ、そして隠し味に森の蜂蜜を加えた《濃厚赤ワインソース》が、肉の上で艶やかな輝きを放つ。
「さあ、召し上がれ。これが、私の『騎士道』ですわ」
私は切り分けたステーキを、白磁の皿に載せてリアナの前に差し出した。
肉の断面は完璧なロゼ色。溢れ出す透明な肉汁が、ソースと混ざり合って宝石のような光沢を放っている。
「下らぬ……。私は、惑わされない……」
リアナはそう言いながらも、その香りに理性を削り取られていた。
彼女の胃が、主の意思に反して大きく鳴った。
屈辱に顔を赤らめながら、彼女は力任せにフォークを手に取り、肉を口に運んだ。
その瞬間——。
「っ……!!」
リアナの身体が、雷に打たれたように硬直した。
圧倒的な肉の旨味。噛み締めるたびに溢れ出す、焔牛の生命力。
そして、濃厚な赤ワインソースの深いコクと、ガーリックの刺激が、彼女の枯れ果てていた魔力回路を一気に駆け抜けた。
「……あ……ああ……。力が……、魂が……震える……」
彼女の脳裏に、騎士を目指した幼い頃の情熱が、そして王宮での孤独な戦いで忘れかけていた「誇り」が、鮮烈に蘇る。この料理には、ただの栄養ではない。作り手の「不屈の意志」が込められている。
最後の一口を飲み込んだ時、リアナの手から剣が滑り落ち、石畳に乾いた音を立てた。
彼女は膝をつき、溢れ出す涙を隠そうともせずに叫んだ。
「負け、ました。私は、王宮の命令という『形』だけを守り、自分の中の『正義』を餓えさせていた。……貴女の料理に、私は、騎士として大切なものを教えられましたわ」
リアナは顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳からは、先ほどまでの冷徹な光が消え、一人の自立した女性としての、力強い輝きが宿っていた。
「ルシア・クロス。私は、貴女の料理に、そして貴女という女性に、私の『忠誠』を捧げたい。アデル様を守り、この村を守る。それが、私の新しい騎士道ですわ!」
リアナが私の前で、騎士の最高礼である「忠誠の儀式」を行った。
それは、権威に屈した敗北ではない。同じ志を持つ「女性同士」としての、魂の契約だった。
「ふふ、頼もしいですわ。……でも、私の騎士様になるなら、好き嫌いは許しませんわよ?」
私の冗談に、リアナは少し照れたように笑った。
「精進いたしますわ。ルシア様」
ミナが「新しいお姉様だ!」とはしゃぎ、ハクが歓迎の遠吠えを上げる。
アデル様とリアナ。かつて王宮という冷たい籠の中にいた二人が、今、私の食卓で手を取り合った。
王宮から送り込まれた最強の刺客は、今、私たちの最強の盾となった。
元パーティー《白銀の牙》の連中が、自分たちの犯した過ちの大きさを知るのは、もう間もなくだ。
私たちの「不屈の絆」は、このステーキのように、誰にも噛み切ることはできないのだから。
つづく




