コイツハナニヲイッテイルンダーーーー!
気づいたら、あたしは夜遅くの電車の中にいた。なんか最近、記憶を失うようなことが多い。今回の記憶喪失については理由を覚えている。なんか、あいつがおかしなことを言い放って、あたしのちっぽけな脳みそがオーバーヒートしたのだ。でもそれを思い出すだけでもナンカ怖い。あたしはなるべく考えないようにして、代官山で駅を降り、エリカの家に向った。エリカの家が駅を降りてすぐで助かった…。
二度目の呼び鈴を押す前に、ビルの入り口のコンソールからエリカの不機嫌な声が響き、あたしはエリカの住む階に向った。あたしがドアの呼び鈴を押す前に、エリカは扉を開けてくれる。
「どうしたの、有希子?」彼女の声は、不機嫌さが吹き飛んでおり、なんだか優しく響く。あたしはちょっと泣きそうになった。
時間も時間だ。パジャマ姿のエリカはもう寝る間際だったようだけど、うれしいことに、何の連絡もせずに突然現れたあたしを家に入れてくれた。
ありがとう、エリカ。今度の池袋のBLカフェ代、あたしが持つから。
エリカの部屋は相変わらずシンプルそのもの。圧迫感のないミニマリストだもんな。大きなワンルームにベッドが一つ。ヨガマット代わりの畳が3畳分並べられている。包帯も眼鏡もない。うん、ここは現実世界。
エリカのスマホが、ベッドの上で光を放っている。PC派のエリカにしては珍しく、いつもはカバンに入れっぱなしのスマホをベッドで使っていたのだろうか。
エリカはどこからか座布団を2枚取り出してきて、畳の上に据える。小さなちゃぶ台を挟んで、胡坐をかくエリカと向かい合う。
「エリカぁ…」
「ほらほら、なんだかわからない液が出てきてるわよ。ふいてふいて」
「エリカぁ…ありがとう…こんな時間にお邪魔しちゃったけどよかった…?」
「大丈夫よ。こんな時間に来る有希子はきっと大事な話を持ってくるから、明日の午前中休みにするって会社のスケジューラーに書き込んじゃったから、今日はエンドレスでもOKよ!」
「な、なんて手際のいい…あたしとは違うわ。本当に、アリガトウゴザイマス」
「今日、巧君とのデートだったんでしょ。どうだったの?」
「それが…なんだかよくわからなくなっちゃって」
「そっか…」
エリカはあたしが困っていると、何も聞かないで放置してくれる。それは本当にありがたいこと。助かるぅ~。
深く深呼吸をすると、部屋にエリカのシャンプーの香りが満ちていることがわかる。お風呂上りに丁寧に乾かしたのだろう彼女の黒い長めのボブカットはつやつやで、切れ長の目と合わさると、女性といえどもあたしもドキドキする。うるんだ瞳が、ちょっと眠そうにゆっくり瞬きするところ、目が離せない。自分の中にないはずの何かの性癖がむくむくと膨らみかねない。
お湯が沸いた。
彼女は、あたし用にアールグレイのルイボスティを淹れてくれた。彼女は夜にカフェインを採っても気にせず眠れるという特技があるから、自分用に正露丸の香りの紅茶を淹れた…ここは巧と趣味が同じだ。電子レンジで温めたミルクを追加して、ちゃぶ台にお茶たちを合流させる。
アールグレイの落ち着いた香りと、優しくも熱いのど越しになんだかようやく落ち着いてきた。
取り留めもなく話すと、彼女は何となく理解してくれたようだ。
しかし、あたしは、まだ肝心なことは話せていない。そのことはまだ自分でも解釈の糸口すらつかんでいないから。でもそうした混乱のためにエリカのところに来たのなら、取り留めがなくともその部分を話さなければ。でも何か、あたしの本能的な部分が、それを押しとどめている。
そんなあたしの混乱をよそに、エリカは問い詰めないでくれるし、わかったつもりにならないでいてくれる。本当に大切なお友達。
「あいつもそういうところあるよね」エリカは中立的な、場を和らげるだけの言葉を発する。それはあたしへの一時的な肯定であり、あたしに関する出来事への関心。「巧君は…ちょっと特別だしね。有希子にとって」
「そういえば、エリカもなんだか特別なところ多いよね。あなた日本に来たとき日本語しゃべれなかったのに、2年で習得して普通の大学入試で東工大に入ったのよね?」
「まあ、そうね…」
「あーあ、頭いい人はいいなぁ。頭いい人同士ってどんな話するんだろ…ぅ…な…ぁ…」
あれ、この二人って時々話しているよな?猥談って言っていたけど、そんな話、会うたびにするものなのかしら?あたしが猥談って言われると、真っ赤になってお話を終わらせちゃうお子様だから、この二人はその会話を隠すために猥談って言っていただけってこと?そうだとすると、お二人さんは本当は何の話をしていたのかしら?
うん、そんなことは考えてもわからない!
「あたしも頭良く生まれたかったなぁ…どういう風に死ぬと転生するのよ、ホント…」
あたしの声はだんだん小さくなる。あれ?なんだか強いデジャブ―…。
き、気にしないでおこう。
そういえば、エリカのパジャマ姿を拝むのは春に二人で箱根の温泉に行って以来だ。エリカの細い体が黄色いシルクのパジャマの中で泳ぐ。露出が多いわけでもないのに、なんだか妙になまめかしい。ずーっと見ていたくなる。男も女も惹かれるわけだよな、彼女に。この理由のない惹かれかたって、とっても気持ちいい。
それに、エリカと居ると、あたしまでモテる。あたしまで魅力的にしてくれるってことならありがたいな…あれ、それってなんだっけ?
あれ、も、もしかして、エリカも…ボーナス…転生ボーナス…持ってるってこと??それがあたしにも作用しているっていうこと…?やっぱ、巧の話も本当ってこと?!
エリカが急にあたしに体を寄せてくる。きれいな顔で、あたしを見上げる。
「もしかして気付いた?」
あたしの体は、驚きで跳ね上がる。
「巧君、有希子のこと、本当に好きなんだと思うよ。だから、言っちゃったのかな。もといた世界のこと」
あたしは顔を上げた。彼女はにこやかに笑っている。あたしは、自分の顔がこわばるのを自覚した。
「まあ、総論的に言うと、私も別にこの社会の中でずるいほど特別ではないということよ。私にとって有希子が特別なだけで。だから、有希子のした大切な質問にもちゃんと答えるわ」
やばい、エリカが言っていること、本当のことのように思える。
彼女はさらに一つ声の大きさを下げた。
「どういう風に死ぬと転生するのって?」
エリカ、答えられるの?
っていうか、もといた世界って、そもそも何よ?
っていうか、エリカ、あたしあんたの転生の話聞いたんじゃないのよ?
ちょっと待って、あたし、あなたの答えをもらう準備ができているはずがない。
しかし彼女は、大したことでもなさそうに、言い放つ。
「私のいた世界ではね、青の月が傾き無機塩の海が潮満ちて犠牲になると、転生するのよ」




