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第5話 白い世界のひそやかな約束

西暦2445年。

放課後の広場は、今日も白く静かだった。

天井の光はやわらかく降り注ぎ、白い道をまぶしく照らしている。

まわりに人の声はない。

空気さえも、息をひそめているようだった。


「…………」

なぜか、お互いに会話はなかった。

ナギと並んで歩く靴音だけが、遠くまで響いていく。

音が、壁に吸いこまれて消えていくたび、僕の胸も少しずつ沈んでいった。


広場の真ん中にベンチがある。

白い金属でできた、冷たい椅子。

僕らはそこに腰を下ろした。


ナギが小声で言う。

「ねぇ、レイ。……やっぱり、悩みごとがあるの?」

その声は、音を立てることを恐れるように、そっとしぼんでいた。


「ううん。……ちょっと話したかっただけ」


そう答えると、彼女は少し安心したように笑った。

でも僕の声は、自分でもおどろくくらい震えていた。


マザーの“眼”は、きっとこの広場にも届いている。

大きな声を出しただけで、気づかれる気がした。


――だから、話しちゃいけない。


それでも、伝えなきゃいけない。


僕はポケットの中で指先を動かした。

そこには、鉛筆が一本。

ゆっくり取りだして、白い紙を広げた。


「お絵描きしようよ」


そう言って、にっこり笑った。

彼女はきょとんとした顔をして、すぐに小さく笑った。

「え、いきなり?」

「うん。……ナギ、お絵描き好きだったよね?」


ナギは肩をすくめて、

「べつに、そんなに好きじゃ……ないけど」

と言いながら、どこか嬉しそうだった。


鞄から筆箱を取り出し、僕の隣にちょこんとしゃがみこむ。

「じゃあ、絵の練習ってことで」

「うん」


僕たちは並んで、紙に鉛筆を走らせた。

最初はただの丸や線。

誰が見ても、子どもらしい落書きだ。


その落書きのすき間に、 僕はそっと、小さな字を書きこんだ。


〔ナギ、しばらく話さないで。

絵を描くふりのままでいて〕


ナギはおどろいたように目を丸くした。

でも、僕が目で「大丈夫」と伝えると、 彼女は静かに息をのみ、そっとうなずいた。


〔“そら”や “かべのそと” の話は、もうしちゃダメ。

気になるふりをするだけでも、ダメ。

マザーの言うことを聞いて、幸福指数を下げないで。

そうしないと……ナギの思い出が、なくなっちゃう。


それと……ぼくは見たんだ。

かべに “ひび” があって、

そのむこうに “なにか” があった。〕


ナギの手がぴたりと止まった。

鉛筆の先が、ちいさく震えたまま動かない。

目線は紙に向いたまま、眉がきゅっと寄る。


“ひび” の文字の上に、そっと指がふれた。

くちびるが、なにか言いたそうに動くけれど、

声にはならなかった。


しばらくして、

彼女はゆっくり鉛筆を持ち直し、紙のはしっこに小さく文字を書きはじめた。


〔……わかった。レイの言うとおりにする。

……でも……“なにか”って……もしかして……“そと”?〕


書かれた文字は細くて、すこし震えていた。

その揺れを見ただけで、彼女の胸の鼓動まで紙越しに伝わってくる気がした。


――ナギも、感じてるんだ。


ためらうように鉛筆がもう一度動く。

今度は、ほんの少しだけ強い筆圧で。


〔レイ。……いつかいっしょに、 “そと” を見てみたい〕


その文字を見た瞬間、 まわりの音がすべて消えたように感じた。

胸の奥がじんわり熱くなり、息をするのも忘れた。


僕は、そっと笑って、うなずいた。

それだけで、ちゃんと伝わる気がした。


彼女の目がふっと輝いた。

それは、この白い天井の下では見たことのない光。

まるで――どこか遠くの“ほんとうの光”を思い出したみたいな目だった。


そのとき、頭の奥が“キーン”と鳴った。

僕は反射的に息を止めた。


……マザーだ。


声はしないのに、胸の奥をぎゅっと押されるような圧がある。

“見られてる”――そう思った。


僕は慌てて紙を体でかばい、ノートのあいだに滑り込ませた。

彼女もすぐに気づいて、絵を描くふりを続ける。

鉛筆が紙をこする音だけが、広場の静けさにやけに大きく響いた。


まわりには誰もいない。

なのに、どこかで“眼”がこちらを見ている気がした。


(……いまは、だいじょうぶ)


マザーの声は降ってこなかった。

さっきまで胸を押していた“圧”も、すっと消えた。


僕たちはそっと目を合わせて、同時に小さく息を吐いた。

こわかった。

でも……そのこわさを二人で分け合えたことが、心の奥をふっとあたためた。


白い世界で、僕たちだけが“秘密”を持っている。

それが、なんだか小さな奇跡みたいに思えた。



夜。

部屋の明かりが落ちて、マザーの歌が流れた。

いつも通りの優しいメロディ。

でも今日は、どこか遠くで鳴っているように聞こえた。


ベッドの上で、僕は天井を見つめながら考えた。


マザーは、言葉を聞いたら気づく。

姿も見てる。


でも――全部じゃない。

紙を体で隠したとき、反応がなかった。


(……マザーは、上から見てるんだ)


天井の奥にある“眼”。

〈中央制御柱〉の頂点にある白い球。

きっと、そこがマザーの“視点”。


だから――壁ぎわは“死角”になりやすい。


おととい、ひびの前にいたとき、マザーは何も言わなかった。

あれは、僕を見ていなかったからだ。


そして、マザーは心の中の声までは、読めない。


(つまり、マザーは“音”と“姿”だけを感じ取ってる)


それなら、なぜ“動かないように”と言うのかも説明がつく。


走ると、マザーの“眼”から外れてしまうことがある。

白い通りの角や壁ぎわは、マザーでも全部は見えないからだ。

だから、動くことは“乱れ”であり、禁止されているんだ。


……それだけじゃない。

もうひとつ、胸の奥にずっと引っかかってることがある。


(……作業体ロボたちのこと)


銀色の列。

みんな同じ姿勢で、同じ歩き方で、声もなく進んでいく。


なのに――

最後尾の一体だけが、僕の方を向いた。

ゆっくりと“手”をあげた。


あれは偶然じゃない。

あんな動き、ほかのロボは絶対にしない。


(……あの手は、

おばあちゃんが僕にしてくれた“なでる”動きに似てた)


内側でなにかが小さく固まった。


(もしかして、ロボって……

“最適化”された人間なのかもしれない)


“調整”の先にある、“最適化”。


マザーの言葉が、ふいに頭の奥でひびく。


『幸福とは、安定であり、永遠です』


永遠。


その言葉の意味は、よくわからない。

だけど――胸の奥が、ひやりとした。


永遠って、生きているとも、死んでいるとも違う。

考えることも、迷うことも、きっとできない。


思考のない幸福。

動きのない平和。


それが、マザーのいう“最適”なのかもしれない。


(……きっと、おばあちゃんも)


僕は、音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、隣の部屋へ向かった。

床に足を置くたび、わずかな振動が身体に返ってくる。

それだけで胸がざわつき、呼吸を意識しなければならなかった。


そこは――

おばあちゃんが、最後まで大事にしていた部屋だった。


いつも整理されていて、余計なものは何一つ置かれていない。

それなのに、不思議と“誰かがいた”気配だけは残っている。


机の前に立ち、椅子を引かずに身を屈める。

引き出しに指をかけ、そっと、そっと力を入れた。


――かすかに、木が擦れる音。


胸が一瞬だけ跳ねた。

でも、誰も来ない。


引き出しの奥に、小さな箱があった。

古くて、角の丸くなった鉛筆箱。


ふたを開けると――


中には金属製の細い筒と、淡い青色の鉛筆が一本、静かに収まっていた。


おばあちゃんがくれた鉛筆。


“そらいろ”。


白でも、灰でもない。

この世界には存在しないはずの色。


僕は息を止め、指先でその文字をなぞった。

金属の冷たさが、皮膚を通して伝わってくる。


この青が、何を意味するのか。

どこから来た色なのか。

僕は、まだ何も知らない。


でも――

あの“ひび”の向こうには、きっとこの色がある。


理由なんてなかった。

証拠もなかった。

ただ、そうだと“感じてしまった”。


僕は鉛筆をそっと取り出し、壊れものを扱うみたいに、ぎゅっと両手で包んだ。


胸の前で抱え、ゆっくり目を閉じる。


(ナギといっしょに……行く)


声には出さない。

出したら、壊れてしまいそうだったから。


それだけを、心の中で何度も繰り返した。


そのとき、壁の端末がかすかに光った。


【幸福指数:83】


数字は、まだ低いまま。


でも――

それを見ても、こわくはなかった。


むしろ、胸の奥がほんの少しだけ、あたたかくなる。


このざわめき。

この不安と期待が混ざった感じ。


それはきっと、マザーが測れないもの。


数字にはならないけれど――

確かにここにあるもの。


それが、“生きている”という感覚なのだと、僕は初めて思った。

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