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第18話 六十年ぶりに、家族になった夜

西暦2447年。


タクトの話が終わったとき――

小さな船の空間には、しばらく誰の息づかいも聞こえなかった。


長い、長すぎる物語。

一人の男が六十年も背負ってきた痛みと希望。


俺とナギはただ、タクトを見つめていた。

タクトは、自分の皺だらけの手を見つめながら照れくさそうに笑った。

「……すまん。

話し相手がいなくてな。久しぶりに声を出したら……

なんだか止まらなくなってしまった」


笑っているのに、その目は赤く濡れていた。

俺は強く首を振った。

「違うよ。全部……全部聞けてよかった。

白い世界のことも、おばあちゃんのことも……

おじいちゃんが、どんなふうに生きてきたのかも」


ナギもぎゅっと唇を噛んだまま、小さく頷いた。

「ずっと……一人だったんだよね。

誰にも触れられないところで、ずっと……

こわかったよね?」


タクトの肩が震えた。

こらえようと顔を上げる。

でも、もう我慢はできなかった。


――ポロッ。


大粒の涙が頬をつたって落ちた。

声にならない声が漏れる。

嗚咽を必死で押し殺そうとする仕草が、余計に胸を締めつけた。


六十年。

誰にも気づかれず、誰にも抱きしめられず、ただ一人で生き続けた男が――


いま、ようやく泣いている。


俺とナギは、そっとタクトの両肩に手を置いた。

「……もう一人じゃないよ」


その言葉を聞いた途端、タクトの表情が幼い子どものように崩れた。

「……ぁ……ぁぁぁ……!」


長い長い嗚咽が、胸の底からせり上がる。

まるで凍りついた心が、いま溶けて流れ出すように。

俺たちはタクトを抱きしめた。

背中は小さく、腕は細い。

なのに、その手は震えながらも――俺たちを抱き返してくれた。


「……ありがとう……ありがとう……っ……」


しぼり出すような声。

その声が、今までの全部を物語っていた。

タクトは六十年ぶりに、「誰かに触れていい」と許されたのだ。


しばらくして、ようやく涙が落ち着くと、タクトは深く息をついた。

「……すまん。恥ずかしいところを見せた」


「恥ずかしくなんかないよ」


俺の言葉に、タクトは目を細めた。


「……そうか。

なら……もう少しだけ――生きていようかの」


ナギが少し笑った。

「当たり前。

だって、まだ“家族”始まったばかりだよ」


タクトは、ぽかんとしたあと――

ゆっくり笑った。

「家族……か。

アオイ。聞こえるか。

わしは……ようやく、お前が残してくれた“答え”に辿り着いたよ……」


静かに空気が震えた。

船の薄暗い灯りが、タクトの涙の跡を優しく照らしていた。


これが――

三人の“初めての夜”。


血じゃない。

生まれた場所も違う。

でも確かにそこにあった。


家族という名の、奇跡だった。



俺とナギ、そしてタクトは――

この壊れた船で暮らし始めた。

ひび割れた金属の壁も、途切れがちな灯りも、前はただ怖かっただけのこの世界が、いつの間にか“家”になっていった。


タクトは、俺たちにすべてを教えてくれた。

緑の育て方。

あの小さな芽が、食べ物へと育つ奇跡。

水の集め方と、煮沸のタイミング。

砂が付着すると太陽光パネルが弱ること。

“そと”に出るときの、危険の見極め方。

息をするだけでも命が削られる、赤い世界の掟。


「知ることは、生きることだ」


タクトはいつもそう言って、ゆっくりと、何度も繰り返して教えてくれた。


俺とナギも負けていなかった。

タクトの肩を揉んだり、古い布でベッドを整えたり、白い世界での出来事や、小さな思い出を話した。


ある時、タクトは俺の顔をまじまじと見つめて言った。

「……そんなわけ、ないはずなんじゃが……

それでもお前を見ておると、どうしてか……

自分の子どもに思えてしまう」


少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに。

皺だらけの目が、柔らかく細められた。

そんなわけ、あるはずないのに――

不思議と、胸が温かくなった。


タクトは物知りだった。

おばあちゃんのことだけじゃなく、“そと”の世界のこと、過去のこと、人間の歴史のこと。

その中で、ナギの髪の話も出た。


「昔、人はもっと色んな姿をしていたらしい。

肌の色、瞳の色、髪の色。

ナギのその金色は……きっと、遠い遠い記憶の灯だろう」


ナギは照れたように、自分の髪先をそっと指でつまむ。


「そっかぁ……じゃあ、わたしって……すこし特別?」


「特別だとも。

美しいものは、それだけで価値がある。

……ナギとは少し違うがな、アオイの髪も、忘れられん色をしておった」


タクトのきっぱりした言葉に、ナギは恥ずかしそうに笑った。


――そんな時間が、毎日続いた。

白い世界には家族がいたはずなのに、俺は初めて知った。

「家族」とは、ただ一緒にいる人のことじゃない。

笑えば笑い返してくれること。

不安な夜に、そっと肩を寄せてくれること。

名前を呼ばれたとき、胸があたたかくなること。

俺とナギにとって――

タクトは、いつの間にか“帰る場所”になっていた。


気づけば、タクトと暮らして半年。

白い世界では窒息しそうだった時間が、ここでは指のすきまからこぼれていった。

短く、でも、かけがえのない日々だった。



ある日の夜。

船内に栄養ペーストのほろ苦い匂いが、静かに漂っていた。


タクトはカップを置きながら、誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。

「レイ、ナギ……

お前たち、本当にここにいていいのか……?」


その声は、乾いた砂を踏んだように掠れていた。

だけど、言葉の奥には六十年分の恐怖と願いが滲んでいた。


タクトの視線が、俺たちを真っ直ぐ貫く。

「お前たちの身体は……どうやら“そと”の環境に適応している。

なぜそんな体質なのか、わしにはわからん。

だが……」


タクトは拳を強く握りしめ、言葉を飲み込むように続けた。

「“そと”は危険だ。

生きようとする者すら容赦なく削っていく。

わしのようになってほしくはない」


喉が震える。

「白い世界に戻れば……

少なくとも、安全に生きられる……」


胸の奥の熱が、すうっと冷えていく。


「戻れば……?」

俺の声は、ひっかかって震えた。

「戻ったら……全部忘れるんだよね。

おじいちゃんのことも……

おばあちゃんのことも……

“そらいろ”のことも……

この世界に嘘があるってことも……」


タクトは、息を詰まらせたように視線を落とした。

何も言えなかった。

言いたくなかったのだろう。


だから、代わりに俺が言った。

「白い世界は、檻だって教えてくれたのは……おじいちゃんだ」


タクトが顔を上げた。

その目の奥が、かすかに震えた。


「俺はいま、初めて……

生きてるんだって思える。

息をしていいって、笑っていいって、

胸を張っていいって……

そう思えるのは、ここだけなんだ」


拳が震えた。

悔しさでも、怒りでもなく――

“失いたくないもの”がある苦しさだった。


隣でナギが、ぎゅっと俺の袖を握りながら言った。

「わたしも。

忘れたくない。

家族のぬくもりを……はじめて知ったから」


その言葉に、タクトの肩が落ちた。

いや――

重荷をそっと降ろしたように見えた。


深く、絞り出すように。

「……そうか」


小さな一言。

だけどその短い声は、六十年間誰にも届かず凍りついていた心を、ゆっくり、静かに溶かしていった。


震える指で、自分の胸元を押さえタクトはぽつりと呟いた。

「アオイ……

お前が守ろうとした未来は……

ちゃんとここにあるぞ」


タクトの視線が、俺とナギをゆっくりなぞる。


「お前が残してくれた“宝物”は……

ふたりとも、ここで息をしてる。

笑っている。

自分の足で、前に進んでるんだ」


声が震え、涙が落ちる。

「レイも。ナギも。

お前が……命がけで繋いでくれた希望だ」


俺たちは、そっとタクトの手を握った。

この手が――

どれほどの孤独に、どれほどの絶望に、どれほどの愛に耐えてきたのか。

その答えは、硬く傷だらけの掌がすべて物語っていた。

タクトは何度も何度も、目を閉じて頷いた。



それから三年が過ぎた。


西暦2450年。

俺とナギは十三歳になった。

背は伸び、“そと”に出ても息が苦しくなくなった。

少しずつ、この赤い大地に身体が馴染んでいく。

だが、タクトの身体は反対に、目に見えて弱っていった。


「はは……腰が言うこと聞かん。年だからな」


口では笑ってみせるが、その笑顔は痛みをごまかす色だった。

歩くには壁の支えと杖が欠かせない。

“そと”に出られる日は、もう数えるほどしかなかった。

息を吸うだけで苦しそうで、肩が大きく上下する。

俺とナギは、見ているだけで胸が詰まった。


「薬でもあればいいけどな……

ここには、何もない」


タクトは気丈に言うが、その目の奥には――覚悟が見えた。



夜。

灯りを弱くした船内で、三人の食事が終わったあと。

タクトは深く息を吐き、俺たちを呼んだ。


「レイ。ナギ。

……もう、わしは長くない」


心臓の中を殴られたみたいだった。


「なに言ってるの! そんなわけ――!」

ナギがすぐに否定する。


「ごまかしはせん……いつか来ることだ」

タクトはゆっくり笑う。

「六十年……アオイを待ち続けて、

お前たちに会えた。

もう、それだけで十分だ」


泣きたくなるほど優しい笑みだった。


「最後に……お前たちに伝えておきたいことがある」

タクトは古びた紙を取り出した。

「アオイは言った。

“いつか必ず――そらの下で会おう”と」


声は震え、言葉が滲んだ。


「わしは……最後まで“そら”を見られなかった。

この世界のすべてを知ることもできなかった。

だが――」


しわだらけの指が、ゆっくり地図を広げる。


「レイ、ナギ。

もしも真実を望むなら……ここへ行け」


紙には赤い大地の奥へ続く、手書きのルートが描かれている。


「まだ体が動く頃……そこで、何個かの遺留品を見つけた。

それが何なのか、確かめようとしたが……

もう体が動かなくなってしまった」


タクトは苦く笑う。


「お前たちなら辿り着ける。

なにがあるかは分からん。

だが確かに――“本当の世界”に近づくはずだ」


タクトは俺とナギの頭に手を置いた。

その手は、驚くほど温かかった。


「この残酷な世界で……どうか強く生きてほしい」


タクトの笑みは、涙よりも強かった。


「……わしの人生は、最悪だと思っていた。

だが――お前たちのおかげで……全部が救われた」


震える声で、名を呼ぶ。


「ありがとう。

レイ……ナギ……」


灯りの下、タクトの影と、俺たちの影が重なる。


三人の影は静かに揺れ――

やがて、二つになる未来がそこまで迫っていることを……俺たちは痛いほど分かっていた。

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