第15話 幸せだった。ただ、檻の中で
西暦2393年。
耳の奥で「カチ」と何かが動いた音がした。
古びた船の中で、俺とアオイは息を潜めた。
さっきまで、ここは“止まった場所”だった。
なのに――
……ウィィィン……
足元が、かすかに震えた。
「タクト……いまの……」
「……わからない」
壁の金属板の隙間から、微かな光がにじんでくる。
振動が、少しずつ強くなった。
俺たちは思わず身を寄せあった。
天井の一角。
さっきまで真っ黒だった板が、ふっと光を帯びた。
「……あれ……」
四角い黒い板に、薄い光の線が走る。
白い世界の“端末”に似ているけど、どこか違う。
もっとざらついていて、古い。
板の上に、文字が浮かんだ。
【保守モード 起動】
【外部電源:太陽光パネル 出力不足】
【自動復旧プロトコル 簡易起動】
【生命反応 ×2 検知】
アオイが息を呑む音が聞こえた。
「……タクト。これ……私たちのこと、だよね」
胸の奥がざわついた。
俺たちがここに来たことで、眠っていた何かが目を覚ました――そんな感じがしていた。
文字は、次々と切り替わっていく。
【酸素循環ユニット 一部復旧】
【簡易水生成ユニット テスト起動】
【栄養生産モジュール チェック中……】
「……酸素って……なに?」
「水を……作る……?」
理解が追いつかない。
でも、これだけはわかった。
(……この船、まだ“生きてる”)
画面の右下に、小さな単語が目に入る。
【艦名:MS-9 / 分類:移民船】
「……いみん……」
小さく声に出す。
「いみん……“船”……?」
船なんて、白い世界の教科書には一度も出てこなかった。
水の上を進む乗り物だと、昔の本の片隅に書かれていた気がする。
でも――こんな乾いた赤い大地の上に、船?
画面は、さらに別の表示に切り替わった。
【居住区情報 抜粋表示】
見慣れない図と文字が並ぶ。
その中に、見覚えのある単語が混ざっていた。
【閉鎖居住区 MARSERESマーセレス】
【収容上限:300名】
【外気環境:人類に有害 要遮蔽】
【管理AI:《MOTHER-01》】
〈マーセレス〉。
俺たちが暮らしていた白い町の名前だ。
「……タクト……これ……」
「ああ。間違いない。俺たちの“町”だ」
文字は続く。
【目的:人類の長期生存のため、封鎖型居住環境を維持管理すること】
【《MOTHER-01》は以下の責任を負う】
少し間が空き、行が一つずつ表示される。
【1)住民の肉体・精神状態を常時監視し、安定した幸福度を保つこと】
【2)閉鎖環境内の人口を上限300名に維持すること】
【3)外部環境への不適応行動を抑制し、反復する個体を“調整”すること】
【4)老化・障害・事故など、長期的な機能低下が見込まれる個体を“最適化”し、作業体へ転用すること】
読みながら、喉がひゅっと狭くなるのを感じた。
「……幸福って……」
アオイが、指で画面をなぞる。
「これ、“幸福指数”のことだよね……」
少しスクロールすると、さらに細かい説明が出てきた。
【幸福指数:0~100で表される精神安定指標】
【平均値維持推奨:70以上】
【50を下回る個体については、優先的に“調整プログラム”へと送致する】
「……五十以下で、“調整”……」
ハルのこと……。全部、これのせいか。
アオイが別の項目に視線を移す。
【最適化プログラム】
【対象:一定年齢以上で、幸福度が安定しない個体/人口上限超過時の余剰個体】
【目的:肉体を補強し、労働ユニットとして永続的に稼働させること】
【転用先:作業体ユニット】
【備考:“永続的な働きにより、共同体への貢献と、新たな形の永遠の命を与える”】
その一文を読み上げた瞬間、アオイの肩がびくっと震えた。
「……“永遠の命”って……」
アオイは唇を噛み、かすれた声で言った。
「それ、死んでるのと……何が違うの……?」
作業体ロボが頭に浮かぶ。
顔のない、無言で動くだけの機械。
感情も、意思も、何も見えない。
(……俺たちは昔から、あれを“人間じゃない”と思い込まされてただけなんじゃないか)
ハルの空っぽの目。
ある日突然、親のことも友達のことも忘れてしまった子ども。
幸福指数が落ちた瞬間、姿を消した人たち。
すべての点が、ひとつの線で結ばれていく。
「タクト……」
アオイの声は、さっきまでと違っていた。
「じゃあ……わたしたちの“町”は……」
言葉が続かない。
俺もすぐには答えられなかった。
画面の下のほうに、小さくこう書かれている。
【注意:住民に対し、本システムの詳細を伝える必要はない】
【安定した幸福感を維持するため、“外部環境”“宇宙”“移民計画”などの情報は段階的に制限すること】
指先が、自然と震えた。
「……白い世界は……」
俺は、ゆっくり口にした。
「最初から、“檻”だったんだな」
アオイが、ぎゅっと拳を握る。
爪が食い込むほど強く。
「両親がいなくなったとき……」
アオイは、画面を見つめたまま言った。
「“事故”って言われた。でも、誰も詳しく教えてくれなかった。
泣いてたら、“幸福度が下がるから笑いなさい”って、みんな言った」
声が震える。
返す言葉が見つからなかった。
ただ、胸の奥のどこかが静かに切れていく感覚だけはあった。
マザー。
《MOTHER-01》。
画面の端に、簡単な図が表示される。
白いドーム。
その中に三百の点。
外には、赤い大地。
【MOTHER-01:全自動管理ユニット】
【目的:人類を守ること】
【手段:完全管理】
(……守ってるんじゃない。 閉じ込めてるだけだ)
頭の中で、言葉がこぼれた。
しばらく、二人とも何も言えなかった。
低い振動音だけが、船の奥から響いていた。
やがて、別の表示が現れる。
【保守モード:簡易運転中】
【酸素濃度:基準値の八割】
【簡易水生成ユニット:低出力ながら稼働可能】
【栄養生産モジュール:再起動準備】
「……タクト」
アオイがモニターから目を離し、俺を見る。
「この船……動けないけど。
中でなら、生きられるってことだよね」
画面の隅に、小さな表示が出る。
【推進ユニット損傷 飛行不可】
【船内環境 一部復旧可能】
「……“そと”は、息をするだけで死にかける」
そう口にした瞬間、喉の奥がひりついた。
赤い大地の感触が、脳裏に蘇る。
踏みしめたときの硬さ。
数歩歩いただけで、肺の奥が焼けるように痛んだ記憶。
「白い世界に戻ったら……“調整”されて終わりだ」
あそこでは、苦しむ理由すら奪われる。
怖いと思うことも、疑うことも、悲しむことも。
全部、“正しくない”と消される。
「それなら――」
言葉を探しながら、俺は船内を見渡した。
剥き出しの金属。
止まりかけの装置。
いつ壊れてもおかしくない、頼りない居場所。
「この壊れかけの船の中で、死ぬまで生きたほうが……まだ、マシだ」
口にしてから、自分でもおかしくなった。
死ぬまで、生きる。
矛盾していて、投げやりで、それでも――嘘じゃない。
思わず、小さく笑ってしまう。
「……変な言い方だな」
笑いはすぐに消えた。
それでも、胸の奥にあった重たいものが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
隣で、アオイがこちらを見る。
同じ言葉を、ゆっくりとかみしめるように。
「……死ぬまで、生きる」
彼女も、小さく笑った。
でも、その目は冗談を許さないほど真剣だった。
「そうだね……」
一拍、間を置いてから、続ける。
「……タクトと一緒に、生き切りたい」
その言葉は、静かだった。
でも、胸のど真ん中に落ちてきた。
――生き切る。
長さじゃない。
安全でもない。
ただ、自分の意志で、生きたと言える時間。
それを、俺たちはここで選んだんだと、はっきり分かった。
俺は何も言えなくなって、ただうなずいた。
言葉にしたら、決意が壊れてしまいそうだったから。
静かな船内。
機械の低い音だけが、一定の間隔で続いている。
逃げ場でも、楽園でもない。
それでも――ここは、俺たちが選んだ場所だった。
――その日から。
俺たちの“船の生活”が、始まった。
不便で、危険で、いつ終わるかも分からない。
けれど、初めて――
「生きている」と言える時間が、確かに動き出していた。




