表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/18

第14話 “そと”の世界は、思っていたものとは違った

西暦2393年。

――“そらいろ”の四文字が、胸の奥にゆっくり沈んでいく。


鉛筆を握る指先が、じん、と熱を帯びていた。

アオイは横で小さく息を呑んだだけで、何も言わなかった。


少しの沈黙。

そして、アオイがためらいがちに口を開く。

「……これが……“そら”の色……?」


この世界の“そら”は、赤茶色に濁った空気だけだった。

なのに、目の前の“そらいろ”の鉛筆は、いったいどういうことなんだ?

――この“そらいろ”の鉛筆は、いったい何を示している?


「タクト……これ以外にも、何かあるかもしれない」

アオイの声はかすかに震えていた。

でも、その震えが俺の背中を押した。


俺たちはゆっくりと部屋の奥を見回した。


壁の金属板はところどころ焦げ、床には赤い砂が薄く積もっている。

長い年月、誰にも触られていない空気が漂っていた。


アオイが散らばった箱のひとつを拾い上げる。

「……これ、食べ物?」


袋には見たことのない文字が並んでいた。

白い世界の“均一な印字”とは、まるで違う。

アオイは慎重に袋を開けた。乾いた匂いがふわりと広がる。

「……食べられるのかな」


アオイと目が合う。

俺は小さくうなずき、指先でひとつつまんだ。


口に入れた瞬間――

「……っ……!」


しょっぱいのか苦いのか、よくわからない刺激。

だけど、噛んだあとにほんのり甘みが残った。


“食べ物の味”がした。


白い世界の“均一パック”では絶対にありえない、雑味。

そして、その雑味が胸に刺さる。

「……まずい……けど……」


「……うまい、よな……」


アオイは驚いたように目を丸くして、ゆっくりうなずいた。


(……生き物の食べ物って……こんな味がするのか……)


胸の奥が、じんわりと熱くなった。


――そのとき。


「タクト……あれ」


アオイが棚の下を指さした。


白い紙束。

紙というより、薄い板を重ねたような手触りだった。

表紙には、焦げて読めなくなった文字の残骸がこびりついている。


俺は焼けた部分を避けながら、そっとページを開いた。


文字はほとんどかすれている。

けれど……いくつかの単語だけが、妙に鮮明に残っていた。


『……西暦5520年……建設……』

『……三百名収容……生命育成……基地……』

『……外気 不適応……要防護……』

『……赤い大地……』


「……タクト……5520年って……何?」

アオイの声が震える。


俺も喉がひゅっと狭くなるのがわかった。

「わからない。だって今は……2393年だろ」


「……じゃあ……これ、“未来のもの”ってこと……?

そんなの……ありえない……」

アオイは首を振った。

でも、その顔は“自分でも信じたくない”って言っていた。


未来?

ありえない。

じゃあ――ここはどこで、俺たちは何の中にいる?


胸の奥がざわざわと波立ち、思考がぐちゃぐちゃに乱れていく。


さらにページをめくると、別の薄い板が挟まっていた。

表紙の隅に、かろうじて読める文字が残っている。


【使用説明書】

・閉鎖型自給……船

・型式……MS―9……


「……船……?」

アオイが小さくつぶやく。

読みながら眉を寄せている。

「水のつくり方……食料の育て方……?」

「酸素……生成……ユニット……?」


ページに並ぶ文字は、どれも白い世界の教科書には一度も出てこなかった単語ばかりだ。

むしろ、“この世界では知ってはいけない知識”に見えた。

ページの端は破れ、焦げている。

文章はところどころ途切れ、意味がつながらない。

それでも、断片だけで分かることがあった。

――ここは、人が“そと”の環境で生きるために作られた場所だ。


アオイは紙束から目を離し、震える声で言った。

「……タクト……ここって……“そとで生きるための家”……みたいなものなの……?」


「……たぶんな。だけど……全部壊れてる」


俺は壁に埋まったパネルへ手を伸ばした。

金属の表面はひび割れ、内部の線がむき出しになっている。

軽く押すと、カチ、と虚しい音だけが鳴った。

「水を作るって書いてあるけど……これじゃ何も動かない」


――もしここが生きるための“避難場所”だったとしたら。

――誰が、何のために、どこへ行った?


「でも……」

アオイはゆっくり手記を拾い上げた。

かすれたページをそっと撫でるようにめくりながら言う。

「ここで……誰かが生きてたのは、間違いないよね。

食べ物も……水も……何か残ってるかもしれない」


「……ああ」


口にした瞬間――気づく。

“ここで生きる”という選択肢が、生まれてしまった。


白い世界に戻れば……俺たちは終わる。

記憶を奪われ、感情を奪われ、“空っぽ”になって、生きているふりをするだけの存在になる。

だけど、ここで生きられる保証なんてどこにもない。


アオイは、小さな箱の中にあった“そらいろの鉛筆”をじっと見つめていた。

薄い青が灯りを吸い、かすかに光っている。

「タクト……」


「……ん?」


彼女は鉛筆を胸に抱くように握りしめ、ぽつりとつぶやいた。

「これ……本当に“そら”の色なのかな……?」


微笑んでいる。

でも目は少し潤んでいた。

「……わたしたち、ずっと“そと”を信じてきたよね」


「うん」


「なのに……出てきたのは、赤い地面で……息もできなくて……」


そこで言葉が止まる。

アオイは目を伏せ、震える声で続けた。

「もし……これが“そらいろ”なんだとしたら……

わたしたちが探してた“そら”って……どこにあるんだろう……?」


胸が刺すように痛む。

俺はそっと手を握った。

「アオイ……まだわからない。

でも、知るためにここまで来たんだろ?」


アオイはゆっくり顔を上げた。

泣きそうな目で、まっすぐ俺を見る。

「タクト……」


「戻る気は――ないだろ」


「……絶対に戻らない。

だって戻ったら……わたし……わたしじゃなくなる……」


声は震えていたが、言葉には迷いがなかった。

「だから、ここで生きる方法を探す。

水も、食べ物も、この場所の秘密も……全部」


アオイが俺の胸にそっと額を寄せる。

「……こわいよ。でも……タクトと一緒なら……」


俺は静かに彼女の背中に手を回した。


赤い光はすっかり薄れ、“ひゅう……ひゅう……”という音がかすかに響く。


白い世界でもない。

完全な“そと”でもない。

ここは――どこなんだ。


けれど。


(……ここが、俺たちの出発点なんだ)


俺とアオイは、この場所で生きていく決意を固めた。

思い焦がれていた“そと”とは違う。

けれど、この世界には、まだ俺たちの知らないことが確かに残っている。


古びた船の内部。

剥き出しの金属。

静かすぎる通路と、一定の明るさ。


どれも快適とは言えない。

それでも――ここは、まだ終わっていない場所だった。


(……大丈夫)


胸の奥で、そう繰り返す。

アオイが隣にいる。

それだけで、足元が崩れずに済んだ。


彼女と一緒なら、どんな状況でも、どんな現実を突きつけられても、俺はきっと踏みとどまれる。


古びた船の内部から、俺たちの“本当の生活”が静かに始まろうとしていた。


――そのとき。


耳の奥で、かすかな違和感が走った。


カチ……。


音と呼ぶには小さすぎる。

けれど、確かに“何かが動いた”感覚。


ゆっくりと。

微かに。

長い間沈黙していたものが、再び起動したような気配。


俺は足を止め、周囲を見回した。

灯りも、壁も、通路も、何一つ変わっていない。


(……気のせいか)


そう思おうとした。

けれど、胸の奥に残ったざわめきは消えなかった。


俺たちはまだ、気づいていなかった。

この場所が、ただ身を寄せるための場所ではないことに。


そして――

この船そのものが、俺たちの未来に深く関わってくる存在だということにも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ