第13話 一本の“そらいろの鉛筆”
西暦2393年。
アオイと“協力者”になってから、俺たちは何度も壁ぎわへ向かった。
だけど――見つからなかった。
“そと”につながるような穴なんて、どこにもない。
あるのは、ごく小さな“ひび”だけ。
そして、妙なことに――
その“ひび”のそばには、必ず作業体ロボがいた。
だからひびを壊すことも、近くで調べることもできない。
まるでロボが“壁”の監視と修復の両方を任されているように見えた。
(……おそらく、マザーの“眼”が届きにくい場所だから)
そう考えていた。
作業体ロボの無機質な動きが、今でははっきり思い出せる。
ただの“作業”じゃなく、“何かを守っている”動きだった。
――だから、俺たちの探索はいつだって命がけだった。
それでも、表では“いい子”を演じた。
幸福指数が落ちれば、マザーの注目が集まる。
その仕組み――
つまり“幸福指数=監視装置”だと気づいたのは、かなり早い段階だった。
だから俺たちは笑った。
「毎日楽しいです」と言う子どものふりをした。
幸せそうに授業を受け、夜は天井の音楽を“楽しむふり”をした。
本当は、全部茶番だった。
――どうしても諦めきれなかった。
この世界では、急に人が消える。
ある日突然、記憶を失う。
そして作業体ロボは、日に日に増えているように見えた。
まるで――
“どこかで誰かが生まれたら、どこかで誰かがいなくなる”みたいに。
俺とアオイが十二歳から十八歳になるまでの間、白い世界の“異常”はむしろ濃くなっていった。
そして、気づけば俺たちは恋人になっていた。
アオイの手を握ると、不安が少しだけ消えた。
アオイが笑うと、この白い世界の色がほんの少し薄く見えた。
(普通の幸せ。これだけでも……十分なのかもしれない)
ほんの一瞬、そんなふうに思った。
でも――無理だった。
白い世界は、俺たちを“止まれない場所”へ追い込んできた。
もう戻ることなんてできなかった。
そして、十八歳になったばかりの頃。
ついに――“穴”を見つけた。
小さなひびとは違う。
大人一人がなんとか通れるほどの大きさ。
奥は真っ暗で、どこにつながっているのかわからない。
アオイは息を呑んだ。俺も手が震えていた。
(……ついに……)
その瞬間、影が伸びた。
――ドン。……ドン。……ドン。
作業体ロボが来た。
金属の足音が近づく。
俺たちは反射的に壁の端へ身を寄せた。
逃げるべきだ――頭では分かっている。
でも、目の前の“穴”は、もう二度と現れないかもしれない。
修復されれば、また一から探し直しだ。
(……どうする……?)
ロボと戦う?
――無理だ。
その理由は、痛いほど分かっていた。
俺はすでに“ロボの強さ”を知っていた。
一度だけ、偶然を装ってロボに体当たりしたことがある。
結果は――“ほんの少し揺れただけ”。
びくともしなかった。
その直後、ロボは俺の腕をつかみ、約六十キロある俺の体を片手で持ち上げて、無言で立たせた。
あれは恐怖というより、“理解不能”だった。
体が勝手に震えた。
――人間は、あいつには勝てない。
だから今回も逃げるしかないと思った。
だが――アオイは逃げなかった。
〔タクト……ここで逃したら、次はないわ〕
〔でも、捕まったら終わりだぞ!!〕
〔……わかってる〕
アオイは壁の“穴”を見つめたまま、ゆっくり髪を耳にかけた。
その指先が、小さく震えていた。
ロボが近づく。
銀色の体。
顔のない、シンプルな造り。
感情なんて影もない、完璧な“無”。
――そのとき。
ロボの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
止まったというより、次の動作に進む前で、引っかかったような間だった。
灯りの下で、金属の外装が、わずかに色を変えた気がした。
反射の角度がずれただけかもしれない。
でも、確かに“揺れ”があった。
ロボのセンサー部が、かすかに動く。
視線が定まらず、左右ではなく、斜めに跳ねる。
……カチ。
……ジ……。
不自然な電子音。
命令を再確認しているようにも、処理が追いついていないようにも見えた。
次の瞬間――
ロボは、俺たちから視線を外した。
そして、そのまま“別の方向”へと歩き去っていく。
「……い、いまのって……」
声が勝手に上ずった。
落ち着け、と頭では分かっているのに、喉の奥が震えて、うまく息ができない。
隣を見ると、彼女も同じように固まっていた。
目を見開いたまま、去っていくロボの背中を追っている。
いま起きたことを、どう理解すればいいのか分からない。
ただ一つ確かなのは、ロボは“見失った”のではない。
判断を、やめたのだ。
それが誤作動なのか、劣化なのか、それとも――
理由は分からない。
だが、ここが完全に管理された世界ではなくなりつつあることだけは、はっきりと伝わってきた。
ロボは振り返らない。
足音だけが、遠ざかっていく。
まるで最初から、俺たちに用などなかったかのように。
アオイは唇を噛み、ゆっくりと筆談した。
〔わからない……でも……
今のうちに、行くしかない〕
その文字さえ、かすかに震えていた。
俺たちは互いを見て、短くうなずいた。
迷っている時間なんてないと悟った。
ロボが戻る可能性なんて、いくらでもある。
俺たちは息を合わせるようにして、壁の“穴”へ身体を滑り込ませた。
冷たい闇が、すぐそこにあった。
―
中は暗かった。
狭いトンネルのように続く道。金属の壁はところどころ剥がれ、配線がむき出しになっている。
(……ここが“そと”?)
いや、違う。
これはまだ“そと”じゃない。
“そとへつながる途中”だ。
そのとき。
――ブウゥゥ……。
背後から、機械の羽ばたき音。
振り返ると、丸い機体がこちらへ滑ってきた。
小型のドローンだ。
『排除対象――確認……排除……排除……』
マザーに似た声がノイズ混じりに響く。
アオイが息を呑んだ。
逃げる――?
無理だ。
ここは暗く狭く、なぜか息まで苦しい。
とても走れない。
ドローンは作業体ロボほど巨大ではない。
だが――だからこそ何をしてくるのか分からない。
(……もしかしたら、あのロボと同じくらい強いのかもしれない)
未知の恐怖が、背中をじわりと凍らせた。
――逃げ場は、どこにもなかった。
――ブウゥゥゥン!!
ドローンが俺めがけて一直線に突っ込んできた。
「タクト!!」
アオイの叫びが響く。
反射で、足元に転がっていた金属パイプをつかんだ。
考えるより先に、腕が動いていた。
ガンッ!!
鈍い衝撃と同時に、白い火花が散る。
ドローンの機体がぐらりと揺れた。
――まだ落ちない。
(やばい……!)
もう一度、力任せに振り抜く。
――バチバチッ!!
火花がはじけ、ドローンは悲鳴みたいな音を残して崩れ落ちた。
金属片が床に転がる。
息が荒い。
アオイも肩で大きく息をしている。
(……倒せた……のか?)
息を荒げながら、俺たちは顔を見合わせた。
アオイが小さくうなずく。
それだけで、足がまた前に動いた。
暗い通路を、転びそうになりながら進む。
そのとき――
――ジ……ッ……ガ……ジジジッ。
頭の上から、ひび割れた声が落ちてきた。
『……タク……ト……ア……オイ……危険行……どう……けい……こ……警告……もど……れ……』
マザーの声だ。
けれど、まるで壊れた通信みたいに、途切れ途切れ。
(……警告……もう完全に“見つかってる”……)
背筋が冷える。
でも“戻れ”なんて言葉に従う気は、もうなかった。
――戻ったら、ハルと同じになる。
アオイが俺の袖をぎゅっと掴んだ。
その指先が震えている。
「タクト……あれ……!」
指さした先に――
“光”があった。
狭い通路の奥。
赤い光が、ゆら……ゆら……と脈打つように揺れている。
(……あそこだ)
胸の奥がざわつく。
こわい。
でも、その光だけが――“そとへ通じる唯一の道”に思えた。
――ひゅう……ひゅう……
壁の向こうから、いつも聞こえていたあの音。
俺たちはその光へ向かって歩いた。
そして――“そと”へ出た。
―
出た瞬間、息が――できなかった。
空気がざらついて、肺の奥が焼けるように痛い。
視界がにじみ、膝が折れそうになる。
俺もアオイも、地面に倒れこみかけた。
(……ここで……終わる?)
そう覚悟しかけたとき――
赤い光の中、金属の影が見えた。
砂に半分埋もれた、巨大な塊。
俺たちは、ほとんど這うようにしてそこへ向かった。
近づくと、裂け目が見えた。
その中へ身を滑り込ませる。
――息ができた。
ひんやりした空気が肺にすっと入り、薄い灯りが、暗闇の中にぼんやりと浮かぶ。
壁に囲まれたその空間は、白い世界とも“そと”とも違う、不思議な場所だった。
(……なんだ……ここ……)
そこは、ずっと昔に動きを止めた“なにか”の内部だった。
天井には古い収納棚。
床には、崩れかけた箱が散らばっている。
錆びついた机の上には、意味のわからない金属器具が横たわっていた。
そして――その片隅に。
小さな金属の箱が、一つだけ転がっていた。
なんの変哲もない箱だ。
それなのに、どうしてか目が離せなかった。
「……タクト?」
アオイが不安そうに俺を見る。
俺は返事をせず、そっと箱を拾い上げた。
手にしただけで、なぜか胸がざわつく。
深呼吸して、ゆっくり蓋を開ける。
中には――細い棒が一本。
見慣れた白い世界では、絶対に見ない色。
「……鉛筆、か……?」
箱の中にあったのは、細い一本の棒だった。
手に取ると、うっすら青い。
灯りが当たって、少しだけ色がわかる。
側面に刻まれた文字が目に入る。
“そらいろ”
思わず、息が止まった。
それだけの文字なのに、しばらく動けなかった。
アオイも何も言わない。
俺の横で、ただじっとその色を見ているだけだった。
俺たちは、その場所で初めて――
“自由の味”というものを知った。
すべては――
あの日、この場所から始まったのだ。




