第11話 壊れた機械の中で“祖父”に出会った日
西暦2447年。
タクトの言葉が、まだ耳の奥に残っていた。
「……わしはタクト。
タクト・ミナト。かつて、“ドーム”にいた人間だ」
何をどう聞き返せばいいのか分からないまま、俺とナギはただ立ち尽くしていた。
沈黙を破ったのは――
――ぐぅぅぅ~~。
さっきよりも大きな、ナギのお腹の音だった。
ナギは真っ赤になって、両手でお腹を押さえる。
「……や……やだ……ほんとにごめん……」
場違いな音と、場違いな謝り方。
さっきまで張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
タクトはきょとんとしたあと、笑った。
「……腹が鳴るのは元気な証拠だ」
その笑い声は、さっきより柔らかかった。
「まずは――腹ごしらえだな」
そう言って、タクトは残骸の裂け目を押し広げた。
「中に入れ。ここなら、息も楽になる」
俺たちは顔を見合わせてから、壊れた残骸の中へ足を踏み入れた。
―
中は、思ったより“部屋”だった。
外側は黒く焦げて穴だらけなのに、内側は金属の板で補強され、隙間には布や板が詰め込まれている。
細い灯りがひとつ、天井からぶらさがっていた。
白い世界の光とはちがう、弱くて黄色い光。
その下に、小さな台と、ガタガタの椅子が並んでいる。
「座れ。長く歩いたんだろう」
タクトが俺たちの背中を軽く押す。
椅子に腰を下ろすと、それだけで足がじんわり軽くなった。
タクトは奥にある箱をいくつか開け、金属製の容器を取り出しはじめた。
カチ、カチ、とスイッチの音。
少し経つと、金属の鍋のようなものから、温かい匂いが立ち上り始めた。
(……匂い……?)
白い世界の“栄養パック”には、匂いらしい匂いがなかった。
色も味も、とにかく“安全で同じ”であることが大事だった。
だけど、今、鼻の奥に届いてくるのは――
少しツンとして、少し焦げたような、よくわからないけど、どうしようもなく“食べ物”だと分かる匂いだった。
ナギの喉が、ごくりと鳴る。
俺も、自然に唾を飲み込んでいた。
タクトは金属の皿を三つ並べ、どろりとしたものをよそっていく。
緑とも茶色とも言えない、とろとろのペースト。
そのうえに、乾いた茶色い欠片がぱらぱらとのせられた。
「こいつはな、藻を煮詰めて固めた“タンパクペースト”だ。
向こうの地下タンクで増やしてる。
で、こっちは乾燥させた芋のチップだ。
どこでも育つ強い品種でな……」
聞いたことのない言葉ばかり。
タクトは、俺たちの前に皿を置いた。
「まぁ、見た目は悪いが――“味”はするはずだ」
俺たちは顔を見合わせる。
ナギが小さな声で言った。
「……食べて、いいの?」
「当たり前だろうが」
タクトは鼻で笑う。
「腹減ってるガキを前にして、講義なんかできるか」
その言い方が、少しだけやさしく聞こえた。
スプーンを握る手が震える。
スープをすくって、口に入れた。
――熱い。
舌の上で、ざらついた感触と、少ししょっぱい味と、よく分からない苦みが混ざり合う。
「……っ……!」
何かわからないうちに、喉が勝手に飲み込んでいた。
次の瞬間、体の中から、じわぁっと温かさが広がってくる。
栄養パックでは、一度も感じたことのない感覚。
「どうだ」
タクトが問う。
俺は、正直に言った。
「……へんな味。でも……おいしい」
“おいしい”って言葉を知ってはいたけれど、口に出したのは、たぶんこれが初めてだった。
ナギもスプーンを口に運び、目を丸くした。
「……なんか……ちゃんと、“食べてる”って感じ……」
タクトはにやりと笑う。
「だろうな。あそこの“栄養パック”は、腹を満たすためだけのものだ。
これは――生き延びるための“メシ”だ」
しばらくのあいだ、三人の間にはスプーンの音だけが響いた。
どろどろしたスープを飲み終えたころ、ようやく頭が冷静になってきた。
喉の渇きも、完全ではないけれど前よりはずっとマシだ。
タクトは空になった皿を片づけ、椅子にどっかり腰を下ろした。
「よし。腹も落ち着いただろう」
そう言って、こちらをまっすぐ見る。
「――ようやく話ができるな」
―
「順番から行こうか」
タクトは腕を組んだ。
「まずは、おまえらの名前だ」
ナギは小さくうなずき、はっきり言った。
「ナギ・ナルミ。十歳」
「ナギ……ナルミ……」
タクトはその名を、ゆっくり繰り返す。
それから、じっとナギを見つめた。
視線が、ナギの髪に止まる。
灯りの下で、淡い色の髪が、やわらかく照らされていた。
“そと”で見た光の名残みたいに、金色が、ほんのり浮かんで見える。
タクトの目が、ほんの一瞬だけ細くなった。
「……なるほど」
低く、納得したようにつぶやく。
「……綺麗な、髪色だな」
ナギは不安そうに、髪先をつまむ。
「……へん、かな?」
「――変なんかじゃない」
タクトは、小さく笑った。
「わしは……好きな色だ」
そしてタクトは、俺を見た。
「で、そっちのおまえは?」
俺は姿勢を直し、しっかり答える。
「レイ。レイ・ミナト。十歳」
タクトの目が大きく見開かれた。
「……ミナト、だと……?」
慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと問う。
「レイ。……おまえの“祖母”の名前は?」
――祖母。
おばあちゃんの顔が浮かぶ。
やわらかい目と、そらいろの鉛筆と、白い世界には似合わない、少し“遠くを見るような”あの視線。
「……アオイ」
口が自然にその名前を呼んでいた。
「アオイ・ミナト。俺のおばあちゃん」
その瞬間――
タクトの肩が、びくん、と大きく震えた。
「……アオイ……」
その名を噛みしめるように、ゆっくり繰り返す。
目の奥に、これまで見せなかった光が宿る。
鋭かった視線が、急ににじんだ。
ナギと俺は思わず顔を見合わせた。
「どうしたの?」
俺が聞くと、タクトはぐっと顔をしかめた。
こらえているみたいに、目の奥がゆれた。
「……そうか」
しわだらけの指で額を押さえながら、かすれた声で言う。
「アオイは……ちゃんと、ドームの中でおばあちゃんになれたんだな」
「……?」
意味がわからない。
でもタクトの声は――今にも崩れそうだった。
気づいたときには、タクトの大きな手が伸びていた。
「ちょ、ちょっと――」
そのまま、俺の肩を引き寄せる。
金属の匂いと、砂と汗と、なにか焦げたような匂いが混じった胸の中に、俺はぎゅっと抱きしめられた。
「えっ……?」
訳が分からないまま、体が固まる。
タクトの腕の力が、少しだけ強くなる。
「わしは……“アオイの夫”で、おまえの――」
言葉が一瞬詰まり、それから、はっきりと続けた。
「――おじいちゃんだ、レイ」
世界がひっくり返ったような感覚だった。
「…………え?」
間抜けな声が自分の口から出る。
ナギが目をまん丸にして固まっている。
「おじい……ちゃん……?」
タクトは俺をそっと離し、しわだらけの手で、俺の肩を両側からしっかり掴んだ。
近くで見ると、目の端に小さな光がたまっている。
「信じられないかもしれんが……」
タクトは息を吐きながら言った。
「おまえの目と顔つきは、若いころのアオイにそっくりだ。
名前も……血も……全部」
胸の奥で、何かがガタガタ音を立てて崩れていく感じがした。
おばあちゃんの笑い方。
そらいろの鉛筆。
そして“最適化”の日、最後に見たあの、どこか遠くを見るような目。
(……もしかして――)
気づけば、口が勝手に動いていた。
「おばあちゃん……も、“そと”を知ってたの?」
タクトは、静かに、でも迷いなくうなずいた。
「知っていた。
アオイはな……誰よりも“白い世界のそと”を見たがっていた。
……だからおれは――“色鉛筆”を渡したんだ」
「……“いろ鉛筆”?」
思わずポケットから、そらいろの鉛筆箱を取り出す。
「この鉛筆のこと……?
おばあちゃんがくれたんだ。“そらいろ”って名前で」
俺が差し出すと、タクトは息を飲んだ。
両手でそれを受け取ったが、その手つきは――
まるで壊れ物でも扱うみたいに慎重だった。
箱を開け、鉛筆ではなく、金属製の筒をじっと見つめる。
その目は、目の前ではなく、ずっと遠いところを見ていた。
「……あいつ」
かすかに笑い声が漏れた。
「持っていてくれたのか……アオイ」
タクトの指が、小さく震えた。
「これはな、レイ」
筒から目を離さないまま言う。
「わしが初めて“そと”で手に入れたものだ。
そして――アオイに渡した、最初で最後のプレゼントでもある」
「……“そと”で……?」
タクトはうなずく代わりに、かすかに息を吐いた。
「本当は、ドームの中じゃ持ってちゃいけない代物だった。
だから……あいつは、ずっと隠してたんだ」
そう言ったあと、ほんの少し笑った。
「きっとあいつは、レイだから渡したんだな」
――その言葉が、少し遅れて胸に落ちてきた。
(……俺だから……?)
タクトはゆっくりと鉛筆箱を返してきた。
その手つきはさっきよりも、ずっと優しかった。
「大事に持ってろ。
そいつは、“この世界の歴史”そのものみたいなもんだ」
俺は慎重に受け取って、またポケットにしまった。
少しの沈黙。
その沈黙を破ったのは、俺の口だった。
「……おばあちゃん。
“最適化プログラム”に行ったんだ」
タクトの目が鋭くなる。
「――最適化」
ひとつひとつの音を噛み砕くように、ゆっくりと繰り返す。
「紙をもらってた。“最適化プログラムへの参加”って書いてあった。
“しばらく出かけるのよ”って笑ってたけど……
それから、戻ってこなかった」
喉の奥が詰まる。
だけど、言葉は止まらない。
「そのあと、作業体ロボが……
一瞬だけ、おばあちゃんのしぐさをした。
……あれって、もしかして……」
タクトは目を閉じた。
しわだらけの拳が、ゆっくり固く握られる。
「……そうか」
低い声。
さっきまでの柔らかさが消えている。
ナギが、不安そうに口を開きかける。
でも、タクトはそれを手で制した。
「レイ。ナギ」
俺たちの名前を、はっきり呼ぶ。
「“白い世界”のこと。
“そと”のこと。
“マザー”のこと。
“そらいろ”のこと。
……そして“最適化”のこと」
ひとつひとつ、指を折って数えるように並べる。
「全部、つながってる」
ナギがごくりと唾を飲む。
「どう、つながってるの……?」
タクトは、少しだけ目線を落とした。
「話すには……そうだな」
椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
「わしの若い頃のことから、話さなきゃならん」
黄色い灯りが、しわだらけの横顔を照らす。
「アオイと出会う前のこと。
“そら”に取りつかれた二人のこと。
そして――“そと”の世界で、わしとアオイはこの世界の秘密を知った」
俺とナギは、息を詰めた。
“そと”では、ひゅう……ひゅう……と、いつもの音が鳴っている。
でも、その音さえ、今は遠くに感じる。
タクトはゆっくりと目を閉じ、
そして、遠い時間をほどくように口を開いた。
「――あれは、今からおよそ六十年前のこと」
そこから、タクトの物語が始まった。




