死神令嬢の弔い方
この館には、冷たい風がよく通る。
海が見える丘の上に立つ石造りのホスピス。
庭には無数の青薔薇が咲き誇り、壁を這う蔓が季節の移ろいを静かに語る。
人々はここを青薔薇の館と呼んだ。
静かに死を迎える者たちの安息地。
私ディース=グリムサイスは、余命幾許もない患者たちに、痛みの無い最期を与えている、終末医療専門の医者。
死神令嬢……誰が付けたとも知らない、私の字だ。
ある初夏の日、一人の男が館の門を叩いた。
「こんにちは」
端整な顔立ちに、やけに穏やかな笑みを浮かべていた彼の名は、アイン=シュトラール。
彼の瞳は、私をじっと見つめていた。
どこか懐かしいような、何かを確かめるような眼差しだった。
「今日からこちらでお世話になります。アイン=シュトラールと申します」
「……ご丁寧にどうも。青薔薇の館の院長、ディース=グリムサイスです。診断書を拝見しました。ステージ4の末期癌だとか。まだお若いのに不憫なことです」
「はい。余命三ヶ月と診断されました」
「ここがどういうところかは、わかっていると判断しても?」
「そのつもりで来ました。最期の時間を静かに過ごしたくて。延命は望みません。家族にも同意を得ています」
「そうですか。まあ、今さら長生きしたいと言われても無理と答えるだけですが。では、部屋にご案内します」
いつもと変わらない事務的な対応。
人には冷たいと言われるだろうが、これでいい。
先がわかっている患者に肩入れなんて、そんな無意味なことがお互いのためになるわけがない。
ここは黄泉の国の一歩手前。
これまでの人生を振り返るためだけの一瞬の止まり木でしかないのだから。
けれど、彼はこれまでの患者たちとはどこか違った。
「ディース先生、紅茶を淹れました。よろしければ」
入居後すぐ、彼は館の雑務に従事した。
掃除や私の食事作り……そんなことはしなくてもいいと言ったのだけど。
「やらせてください。いつ身体が動かなくなるかもわからないんです。ですから、その時までは」
生を諦めていないのとは違う。
言葉にし難い妙な患者だった。
「……濃い、渋い」
「ああっ、す、すみません。すぐに淹れなおします」
「いいです……。これはこれで悪くありません……」
花の世話、キッチンの片付け、洗濯……全て率先して行った。
末期患者とは思えない働きっぷりには、さすがの私も目を見張るものがあり、診断書に間違いは無いのかと彼の主治医に連絡を取ったくらい。
私自身も検査を行ったので間違いは無い。
彼の余命はあと僅かだ。
なのに、日々が過ぎても彼は穏やかに笑い続けた。
「ここは空気がいいですね。それに薔薇の香りが芳しい。青い薔薇なんて初めて見ました」
「昔、偶然種を手にしたんです。他の薔薇よりも早く散ってしまうけれど。その分他のどんな薔薇よりもキレイに咲きます」
早く散る……だからこそ私はこの場所に青薔薇を植えた。
患者の最期を看取るに相応しいと。
「ディース先生のような優しい薔薇ですね」
「……優しい?」
「消え行く命の灯火を、共に彩ってくれるなんて。とても優しいじゃありませんか」
「……私は優しくなんてありません。死をただ見送っているだけ」
その言葉に、彼は微笑むだけだった。
何日もすれば、静かだった館に彼の存在がゆっくりと溶け込んでいった。
相変わらず彼の淹れる紅茶は濃くて渋かったけれど。
ある日、庭で薔薇の剪定をしていた私にアインが訊ねた。
「先生は、何故この仕事を?」
「……昔、軍医をしていたことがあります。野戦病棟で、昼も夜もなく兵士たちの治療に当たりました」
思い出すだけで手が震える。
「兵士の命を繋いでも、またすぐに戦地へ戻されて、再び傷付いて運ばれてくる。……まるで、無限の苦しみの循環。そんな中で、生かすことに本当に意味があるのかわからなくなってしまいました。どうせ何度も傷付き苦しむくらいだったら、せめて最期くらい穏やかに死なせてあげるべきなんじゃないか……そう思った。思ってしまった」
「先生……」
「終末医療専門の医者……発足当時は随分叩かれました。ただの人殺し、詭弁で塗り固めた外道って。実際そのとおりだという自覚はあるわけですが」
「そんな、人殺しなんて」
「酷い医者でしょう? 医者は人を治してこそ医者。治すことをやめた私は、医者を名乗るべきじゃないのかもしれない。それでも」
不意に隣のアインが私の手に自分の手を重ねてきた。
「誰かを救ってきたあなたは、立派な医者です」
彼の目があまりに真っ直ぐだったので、私は思わず逸らしてしまった。
この話を誰かにしたのは、初めてだった。
アインが入居して丸二ヶ月。
いよいよ彼は歩くこともままならず、ベッドの上から動くことが出来なくなった。
「ハハ、情けないですね。昨日までは元気だったのに」
「ここまでステージが進行しているのに、普通に過ごせていたことが奇跡です。延命は望まないということでしたが、希望に変更はありますか? 誤差程度ですが投薬で数日くらいは」
「いいえ。いいんです」
「家族のためですか?」
「どうしてそれを?」
「患者の情報くらい頭に入れてあります」
彼の家は裕福ではない。
老いた両親と歳の離れた弟妹が共に暮らしているが、アインが死亡すれば保険金がおりる。
彼はそれを家族の生活に当てるつもりらしい。
「保険金のために家族が厄介払いをした、というわけでもなさそうですね」
「そんなドラマみたいな話じゃありません。両親には若い頃から我儘を言ってきましたから、その恩を返したいだけです。弟と妹には、ちゃんと学校に通って立派な大人になってほしい。自分みたいな人間にはならないように。……先生」
「なんですか?」
「自分……じつは、軍人だったんです」
「軍人……?」
「昔、自分が死にかけた戦場で、あなたに助けられたことがあります」
心臓が止まりかけた。
「野戦病棟で、腕も足も満足に動かない自分に、真っ白な手で手当てをしてくれた……その時の軍医が、あなたでした」
「……本当に?」
言われても思い出せなかった。
たくさんの命を前に、私は誰か一人を覚える余裕など無かった。
「……ゴメンなさい」
「謝らないでください。覚えていなくて当然です。自分も先生をお見かけしたのは一度きりでした。けど、忘れたことはありませんでした。ずっと先生のことを思続けてきましたから」
こんなことを言うのはずるいかもしれない……彼はそう前置いて言った。
「ずっと恋をしてました。あなたに」
「…………」
「最期の場所にここを選んだのは、そんな不純な動機です。慕っています先生。命を救われたあの日から」
「……そんなの恋じゃありません。感謝と死の恐怖を恋心に置き換えているだけに過ぎません」
「わかっています。自分に好かれるのが迷惑だということは。ただ伝えたかっただけです」
「意識が朦朧としているようです。もう休んだ方がいいですよ」
「先生の気持ちを知りたいとは思いません。ただの自己満足を、どうか許してください。自分の気持ちを伝えず死ぬのだけが、どうしても怖かったんです」
言葉が出なかった。
彼の声はいつもと変わらず穏やかで、ひたすらまっすぐだった。
だからこそ、その想いに偽りがないことがわかった。
心が揺れる。
私は、死に寄り添うことで自分を保ってきたのに。
それから、彼の病状は日を追うごとに進行した。
歩くこともままならず、身体は痩せ細っていく。
ベッドの上で衰弱していく彼の声は、当初とは比べものにならないほど小さくなっていた。
そして……
「……先生。そろそろ、限界かもしれません」
「何を言ってるんですか。予定の三ヶ月まではまだ」
「わかります。自分の身体ですから。ここまで面倒を見てくれて、どうもありがとうございました」
「ですから……まだ……」
「言わせてください。……自分の最期を看取ってくれるのが、あなたでよかった」
細い指で、私の手を握る。
「あなたに恋をして、あなたの優しさの中で終われるなら、何も怖いことなんてない。自分は、幸せでした。あなたに出会えたことが……自分の生きた意味でした」
――――――――命が、消える音がした。
ふっと、何かが抜けていく。
私はそれを何度も見てきたはずだった。
なのに、なのに……
どうしてこんなにも、胸が張り裂けそうなのか。
もしも私が生を諦めない医者であったのなら、こんな後悔を抱くことは無かったのだろうか。
私は青薔薇の中で涙を流した。
季節が巡っても私はここにいる。
咲き狂う青薔薇の中で、今も静かに命を見送っている。
ただ、紅茶を濃いめに淹れるようになった。
薔薇の手入れにも少しだけ時間をかけるようになった。
彼がそうしていたから。
アイン=シュトラール……彼は青薔薇の館を去った一人に過ぎない。
次の一人が亡くなれば、また次の一人がやって来る。
同じことの繰り返し。
けど私は、こんな自分に遺してくれた彼の恋心を、彼の死を、忘れることなく青薔薇の中で悼み続ける。
それが……死神令嬢の弔い方だ。
たまにはこういう切ないのも書きたくなるときがある。
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他にも『令嬢シリーズ』をはじめ、多々書いておりますので、どれかは気に入るものがあるかもしれません。
もしよろしければm(_ _)m