色なき風 B
人の生涯というのは思ったよりも突然に、そして残酷に終わりを迎える。忙しかった仕事を早めに切り上げ、上司に駄々こねて勝ち取った午後休。ゆっくりのんびり綾の帰りでも待ちながら、付き合って5年の旅行の計画を綾にばれないように計画を立て、最後は1人で酒を飲みながらあいつの作った夕食を食べて寝るという素敵な過ごし方のはずだった。
家に着いてささっと飯を済ませ、旅行の計画を立てる。次はどんな面白いことをしようかな、綾は今まで見たことないもの、感じたことがないものに触れると普段見せないキラキラとした目をして俺の方を見てくる。
それがとても快感で、この5年間色んな場所に連れ回した。アイツからすれば毎回思いつきにみえるだろうが、会社でのサボりや休みの日にあいつが昼寝をしてる間なんかで毎回綿密な計画を立ててる。2人の思い出をどんどん増やしたいから。
気がつくと夕方になっていた。俺は綾にバレないように旅行雑誌と計画を書いた紙を自室に持っていく。窓を開けると気持ちのいい秋風だ。アイツが帰ってくるまではまだもう少し時間がありそうだ。俺は冷蔵庫からビールを取りだし、夕焼けの色を感じながらタバコに火をつける。テレビはまだ夕方のニュースだ。
ゆっくり一人酒をしながらアイツの帰りを待つ。そこら中に飾った2人の思い出写真を見ながらのそれはとても楽しかった。それが俺の最後だった。
第一印象は背の高い男前だった。ツリ目にすまし顔、いかにもプライドが高そうだ。しかしどこか頼りないというか怯えてるようにも見える。
担当していた作家さんから
「面白い子がもう一個の方で可哀想なことになっててね。どうにかならないかな。」
と言われ、万年人手不足の我社にとっては貴重な戦力と思い、即部長に連絡。トントン拍子に話が進み、世間でいえば大手からの引き抜きという形で綾は入社した。りょうと読むことぐらい知っていたが、男前のすまし顔を少しほぐしてやろうと考え
「あや」とあえて呼んでみた。
すると想像よりも嫌悪の顔を向けてきたので、今後指導係として上手くやっていけるか、俺は自信を無くしてしまった。
俺はアイツのことを「あやちゃん」と呼ぶことにした。
俺は一誠さんとでも呼んでくれたらいいと言うのに、頑なに川端さんと呼んでくる。
距離を縮めようにも警戒されているのがよくわかる。
仕事の仕方もさすが大手出身、無駄がない。元々要領もいいのだろう、過度に教えすぎなくてもこちらがなぜそうしているかを察して動いてくれる。ただ、部下としてはいいが編集者としてはどうだろうか。
この仕事は作家さんとの共同作業だ。どちらかのウェイトが偏れば作品が崩壊する。文学部出身というのもあるのだろう、上がってくる文章に対するチェックも無駄がなく綺麗だ。ただ、綺麗すぎるあまりに美しくない。こればっかりは感性の問題であるし、こちらが指摘しても直せるものでは無い。
俺はあえて彼を放置し、いい加減に振る舞う。もとよりいつもの自分らしくいることであの子が被っている仮面を剥がすようにしてみようとした。
とにかく色んなことをやらなくてはいけない会社だ、今までやってこなかった営業関係はバンバンやらせた。そして、とにかくだる絡み。嫌がってる顔が少し可愛い。そんな中に純粋に褒められて嬉しいという顔も混ざっている。部下に向ける感情でないことははっきりしていても、綾に関わることで少しずつ自分も今までより楽しく過ごせていることに気がついた。
半年も過ぎると、仕事ではまだ川端さん呼びだが、飲みに行くも一誠さんと呼ぶようになっていた。アイツは自分が酔ってそんなことをしているつもりは無いんだろうけど、ボディタッチが増える。特に頭をよく撫でてくるのだ。悪い気分では無いが、その気もないのにそんなことをされるのがなんだか辛くて、俺はいつもアイツをシバいて誤魔化していた。
別れたあとはいつものセフレに連絡をして、綾にこれ以上の感情を持たないために頭が真っ白になるまで抱いてもらう。
でも、そんなことを繰り返せば繰り返すほど、綾ならどうするんだろうと余計惨めな思いになり、そういった行為は激しさを増すのだった。
綾はいつも弁当を持ってくる。飯に誘っても弁当があるからと言って断ってくる。その中身は彩りもいい、とても美味そうな弁当だ。やっぱり男前には彼女がいて当然だよな…。と1人残念に思いながら、これで1つ関わるきっかけができないかなと考え、しつこく女かと聞いてみることにした。
すると
「食事は人間の基本なんですからその時間を削るのは人として愚かです。人間が貧しくなるもとですよ。」
最もだ。俺は忙しい時、エネルギーさえ取れてしまえばいいと思うからそんなこと思ってもみなかったが、ここが綾のこだわりなのだろう。
小言だけで終わるかと思えば、アイツは口に卵焼きを押し込んできた。少し甘めの優しい味だ。ほかも食べたくなって毎日盗み食いをすることにした。作ってきてくれとはさすがに言えないし、あいつの嫌そうにしてる顔がやっぱり好きで俺はいいちょっかいのかけ方を覚えてしまった。
綾にサボりすぎだと怒られたことがある。
頭の中が騒がしくなると俺は決まって、会社近くのタバコ屋の座敷で休ませてもらっている。頭の中に色んな音や文章があるといいものは作れないから、整理するために一旦会社を抜け出すのはここ10年ぐらいの俺のやり方である。それをとやかく言われる筋合いはないと思っていたがアイツは俺がデスクに留まるようにしたいらしい。トムとジェリーのような追いかけっこ、俺の方が体もちっちゃくて賢い、あいつはいつまでもトムの役回りで振り回されるだろうと思っていたある日。
いつも通りアイツを振り切ってタバコ屋に向かった俺は驚愕した。
汗まみれになって、息も絶え絶えになりながら、ヘラヘラこっちを向いて説教をしてくる綾がそこにいた。
意外だった、そんなにする男じゃないと思ったのに。どうやら俺が思うよりも中身には熱いものを持った男なのかもしれない。俺はますます綾にのめり込んでいってしまった。
綾が来て2年目の夏頃から、仕事が忙しくなりだした。ありがたいことに作家さんから評価されて担当させていただく方が増えたのは良かったが、ハードな仕事だから、同僚が何人か体調を崩してしまった。すべてできなくなるのは申し訳ないといって時短勤務で仕事をしてもらってるが、人員不足は否定できない。綾に頼めばそれなりの仕事をしてくれるだろうが、これ以上増やすことによってアイツが倒れでもしたら、2人で抱えてる仕事はいいものにできないと思った俺は可能な限り、一人でやってみることにした。昔から丈夫なのが取り柄だ。部活やサークルも昭和の残党みたいなやつらにこれでもかってぐらい絞られてきた。できると思っていた。
綾や部長が何度か話をしてくれたが、追い込まれることすら楽しいと思えてきた俺は2人の言うことを言うことを無視して邁進し続けた。もう何も言わないけどと言った感じで綾とした飲みに行く約束、それを楽しみに頑張っていたところもあるだろう。
ある日、スっと体から力が抜けたことしか覚えていない。気がつくとそこは病院だった。
あー、やっちまったな……。頭も打ったのだろう、ズキズキと痛む。少しすると両親、そして部長と綾が病室にやってきた。
両親にはお前はいくつになれば人の言う事が聞けるのかとクドクド怒られた。頑張った結果なのだから仕方がない。今更怒られたところでどうしようもないのに、この人達は相変わらず口うるさい。
部長は医者や社長にこってり絞られたんだろう、俺が望んでやった事なのに配慮が足らなかったと謝ってきた。気にしなくていいのにこの人も大変だ。
綾は俺が倒れたところの作家さんと一緒に来た。作家さんはもう長い付き合いだ、無理してるのがわかっていたが黙って見守っていてくれたらしい。迷惑かけて申し訳ない。
綾は終始怖い顔をしていた。怒るわけでもなく淡々と今後のことを話してくる。すぐにでも会社に戻ると言ったが医者にものすごい剣幕で怒られ、2週間も入院するはめになった。
この2週間が一番大詰めで忙しいというのに……。どうせ倒れるならここ乗りきった後にしてくれたら良かったのに、いやでもそんなことになってたら死んでたかもしれない。多分、綾もそんなふうに思ってこんな怖い顔をしているんだろう。ただ、前のタバコ屋の件といあコイツは思ってもみないところで変な無茶をする。釘を刺すつもりでキツいこと言ったら
「まぁ、無理はしないです。スケジュール組めばどうにかなりそうですし、一誠さんは体のことだけ考えゆっくりしてください。」
綾はそう言うと少しぎこちない笑顔で笑った。なにか企んでるそう思って心配になった俺は毎日電話をすることにした。
4日目ぐらいだったと思う声からも怒りが伝わるほどにはっきりと拒絶された。
生意気だとかそういったことは思わなかった、ただ自分が独りよがりに色んなことを進めてしまったがために色んな人を苦しめる結果になったのだと思って激しく後悔した。
綾に謝りの電話を入れようと思ったがこれ以上拒絶されたらと思うと、怖くてそれができない。暇とは良くないものだ。俺がどんなに綾が好きで、アイツに無理をさせたくないからと一人で走り回っていたことを考えると恥ずかしくて、惨めで、どうしようもないぐらい死にたくなる。
退院を迎えた次の日俺は朝イチで会社に向かった、誰もいないはずのオフィスからコーヒーの匂いがする。誰かが入れっぱにして帰ったのか、それとも徹夜組がいるのかなんてことを思いながら俺は自分のデスクに向かう。
あの量は一人でどうにかできるものでは無い。そう思って自分でどうにかするつもりできたのに、俺の机の上には終わった仕事が山積みだった。
「おかえりなさい、どうにかやりました。チェックは一誠さんがしてくれないと困ります。」
なんともアイツらしいメモが書いてある。見ていくとあいつの字で俺のやりそうな赤が大量に入っている。
ご丁寧にメモまでつけてこういう話になったからこうしてるとか、一誠さんならこう持っていきそうと何度か考え直したメモまで。
改めて自分の愚かさに涙が出てきた。知らぬ間にすごく支えられていたこと、心配を無下にしてしまったこと、申し訳なくて、自分に腹が立ってとにかく涙が止まらなかった。
そしてなにより綾が自分のことをこんなにも理解してくれていることが嬉しくて、とにかく泣いた。
聞こえるはずのない綾の声がする。
振り向くとそこにいる。恥ずかしかった。
この顔を見られたくないと思い必死にごまかすが、まだ涙が止まらない。
気がつくと綾に抱きしめられていた。
頑張りましたよねと聞いてくる綾がとにかく愛しくて俺は全力で彼を抱きしめた。
こんな事をされてはもう俺も止まれない。
綾は酔っ払うとボディタッチが増える他に、思ったことを素直に言うようになるやつだ。
本人はあまり覚えてないだろうが、その言葉を繋ぎ合わせて両思いであることを確認した俺は、クリスマスも少しすぎた頃に綾に告白をした。少年のような笑顔と戸惑う大人の顔がごちゃごちゃになりながら
「嬉しい、僕こそよろしく一誠さん。」
と言ったアイツの顔は今でも忘れない。
俺達もいい大人だ、それなりのことをしてきている。ただ、綾はすごくかっこいいが可愛い見た目もしているのでウケだったらどうしようと思っていた。俺はあまり抱く側になったことがない。どうしてもうまくできなくて、いつも最後は相手にやられるのである。
満足させてあげれないかもしれない。こんなことが原因で別れたくない。そうやって考えると綾が誘ってきても素直に応じることができず、抱きついて寝たフリをして過ごしていた。そんなことに縛られずに成り行きに身を任せたらいいものの、少し綾の前ではかっこつけでいたい俺は3ヶ月そんなことをしていた。
部長は勘のいい人だ。そして会社で唯一俺がゲイであることも知っている。もう少し若い頃に部長の奥様から持ってこられる見合いの話が嫌になり、2人で飲みに行った時に思わず喋ってしまった。
「そっか、悪かったな。家内には上手いこと言っとくよ。すまん。」
口数が多い人では無いが、その後もこの世界は多いから別にいいんじゃないかとか、前々から思ってたがお前あの人のこと好きだろうなど、的確に好みを見抜いてくる。この人もまた恐ろしい人だ。
三月末に部長に飲みに誘われた。
いつもよりちょっといい、個室の店だ。
出世の話かと思ってワクワクしていたら、全く別方向の話だった。
「川端、お前麻野とできてるだろ。一緒に暮らさないのか。」
部長らしい切り出し方ではあるがあまりにも唐突で、俺は飲んでたビールを吹き出した。
部長は普段見せないニンマリ顔で
「お前はだらしないんだから、麻野にきちっとしてもらえ。麻野もお前のおかげで随分柔らかくなった。いい時期だろう。ちょうど春だし、新しいことを始めるにはもってこいだ。」
部長からは1件の不動産を紹介してもらった。会社からそこまで遠くない3LDK。
知り合いの管理してる物件だから男同士のルームシェアって事で問題ないからと。
昔、嫌なお見合いに付き合わせた時のことと、この間の過労のこととの償いらしい。
部長との密談は綾に黙っていることにして、2人で住むための準備をはじめた。
本当にこの人は恐ろしい人だ。恐ろしいが大好きな上司だ。
そこからは休みの合間を縫ってバタバタと引越しをした、お互い仕事人間で貯金もあったので2人で家具も選んだ。綾とインテリアの好みの違いで何度か衝突したが、各々部屋は自由にして、その他はシンプルにするというところで話が落ち着いて、そこからはスムーズだった。
むしろ、2人で選んだものというだけでこれまでのどんなものよりも愛着が湧いた。
2人で過ごす初めての夜。俺はものすごく緊張していた。どうなってもいいように準備は万全だ。俺からいこうかどうしようかと思っていると、綾の手が伸びてきた。
そこからのことはあんまり詳しく覚えていない。ただ、綾は体に似合わない力強さを持っていたことだけ覚えている。意地悪そうな顔、いつもと違う声。想像してたそれよりはるかに強く濃い時間が流れたことをはいうまでもない。こんなにも気持ちよかったのはいつぶりだろうか。
住み始めてからもお互いに気がつくことは多かった。綾は本当に几帳面で掃除も洗濯も良くしてくれるし、何より飯が美味い。食べすぎて太った時にはカロリー調整もしてくれたが、ぷにっとしてるそんな一誠さんも好きだといっていつの間にかまた沢山食わせてくる。
あとは昔の話をよくしてくれるようになった。友達もそんなに多くなかったけど、このバンドが好きでよく学校で話していたんだとか。ゲームは親が買ってくれなくて、友達の家に行っては遊んでたけど、上手くできなくていつも仲間外れにされてたとか。
修学旅行で北海道に行く予定が、間の悪いインフルエンザになってしまい、僕だけスキーもスノボもやった事がないから少し寂しいなど。
そんなことばかり聞いていると、なんだか寂しそうな綾の顔を笑顔でいっぱいにしたくて休みの度にどんどん連れ回した。
いつも初めは迷惑そうな顔をするくせに、終わりごろには誰よりも楽しんでいる。そんな綾の笑顔が大好きだった。
キャンプ、海水浴、温泉旅行
長い休みには2人でいったり、お互いの友達も巻き込んで色んなところに行った。
とにかく綾との日々はそれまでの人生のどんな瞬間より輝いて楽しかった。
まだまだこれからだって時に、俺はどうやらぽっくり逝ってしまったらしい。
若い頃にむちゃくちゃしてたツケが回ってきたのかもしれない。仕事も恋愛も本当にいつ死んでもおかしくないようなことばかりしてきた。
でも、これほどまでに生きるのが楽しいと思える時に死ななくても。神様は残酷なのかもしれない。
四十九日を少しすぎても俺はこの世界をさまよっていた。余程、綾との生活に未練があったのだろう。
そこから先の綾は見ていられなかった。とても辛そうに悲しそうに必死な顔をして仕事して。休みは家で1日泣いている。
声をかけようにも、俺の声は届かない、見えないのだからどうすることもできない。ただ見守るしかない。忘れて早く立ち直ってくれればきっと俺もあの世にいけるそう思いながら過ごしていたら、ある日綾が昔と同じ顔をして過ごしていた。気がつけば俺の命日である。
墓は両親と綾が毎月綺麗にしてくれる。いつもは暗い顔ばかりだが、今日は不思議な程にニコニコしている。はっきりいってちょっと怖い。頭上でギャーギャー言うものの、何も聞こえてないようだ。綾はいつの間にか俺のタバコ吸っている。綾は酔って覚えてないというが前から俺の匂いがするからと臭い臭いといいながら俺のタバコを吸う時があった。
アイツが墓に向かってなにか喋ってるが上手く聞き取れない、ただ両方のポケットに中身を大事そうに手を突っ込むと、あいつは少し寂しそうな笑顔で墓を後にした。
家に帰ってくるとアイツは、臭いと散々言った俺のタバコを吸いながら、これ苦すぎるよと言った俺の好きなビールを飲んで、写真を嬉しそうに見ている。俺が死んだ日とそっくりそのままのような日だ。ただ、そうして楽しそうにしている綾を見るのが嬉しくて、俺はずっと綾の横にいた。
窓から秋風が入ってくる。昼間はまだ暑いが夜には心地よい風だ。その風の中綾はうたた寝をはじめた。このままだと風邪をひくかもと思った俺だが今の俺は毛布一つ持って来れない。無力だ。
綾にしては珍しく少しだらしない顔をして寝ている。よっぽど疲れてたんだろう。いい夢見てるかな。そんなことを思いながら綾の顔を見てたら、テレビの音しか聞こえない部屋から不思議な声が聞こえた。
「一誠さん、やっと逢えたね。」
「遅い!待ちくたびれた!」
俺はそれ以外いうことができなかった。