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06 シュタインズ公爵邸(1)

 エントランスホールに入ると二人の人物がエヴェリ達を待ち構えていた。その後ろには幾人もの使用人が控えていて、彼らは総じてエヴェリに対し冷ややかな眼差しだった。

 冷たい視線が突き刺さり、無意識のうちに一歩後ずさってしまう。


 セルゲイは張り詰めた空気を破り、使用人の横に立ってエヴェリの方へ振り返った。


「紹介しよう。執事長のダニエルだ。こちらは侍女長のアルベルタ」


 紹介された二人は軽く頭を下げたので、エヴェリも挨拶を口にする。


「お初にお目にかかります。シェイラと申します。これからどうぞよろしくお願いします」


 反応は薄い。背後の使用人にいたっては敵意剥き出しの者もいた。ダニエルとアルベルタは長としてそこは完璧のようだ。胸中はどうであれ、微笑を浮かべて表向き歓迎を装っていた。


「アルベルタ、あとは頼んだ。今宵の晩餐は共にするから支度を頼む」


 それだけ言い残し、セルゲイは中央の大階段を上って二階に行ってしまった。


「長旅でお疲れでしょう。お部屋に案内いたします」

「お願いします」

「さあ、こちらです」


 親切丁寧な案内だ。けれど長年人の悪意に晒されて敏感になっているエヴェリは気づいてしまう。笑っているけれど、気遣ってくれているけれど、瞳は笑っておらず、棘の含んだ声音なことに。


 エヴェリの部屋も二階のようで、階段を上るために使用人達の間を通る。当主であるセルゲイがいなくなり気が緩んだのか、そもそも最初から舐められているのか。きっとどちらの理由もあるのだろうけれど、一人が発した呟きを発端にあちらこちらから責め立てる声が漏れた。


「ご当主さまが本当に可哀想。陛下の苦労を減らすために自ら自分に嫁がせるよう、進言したらしいわ」

「姫は姫でも、どうしてハーディングのわがまま姫なのよ。はずれ籤じゃない」

「散々ヴォルガを苦しめた国の姫が嫁いでくるなんて何を考えているのかしらね。すました顔で……私たちの苦しみを知らないんだわ。どれだけ面の皮が厚いんだか」


 くすくすと嘲笑が降り注ぐ。


(そんなこと……私自身が痛いほど一番わかっています)


 エヴェリにはっきりと聞こえてくるということは、少し前を歩くアルベルタの耳にも入っているはずだ。けれど、彼女は使用人たちを窘めることはなかった。


 ズンっと心が重くなり、俯きながらアルベルタに着いていく。

 随分と歩いたように思う。重たいウェディングドレスに体力を奪われ、息が上がり始めたところでようやく長い廊下の端にある突き当たりの部屋に辿り着いた。


「奥様のお部屋はこちらでございます」


 アルベルタがドアを開ける。促されて中に入るとまず目に付くのは正面のバルコニーに続く大きな窓だ。沈みかけた夕日によって窓越しに温かな光が室内に差し込み、床を照らしていた。

 窓の右手には数人が共に寝られそうなほど大きな寝台が備えつけられ、天蓋から垂らされるカーテンには細やかな花の刺繍が刺され、外側はなめらかな白色。裏側はターコイズブルーの目に優しい布地が使われていた。


 他にも、書き机やキャビネット、これまでエヴェリが座ったことがないふかふかなソファや椅子、左手には別の部屋に繋がっているのだろうか? 重厚な扉がある。おまけに寝台横のサイドテーブルにはみずみずしい花が花瓶に生けられていて、部屋の入口にいるエヴェリの元まで甘い匂いが香ってくる。


 入口の近くにはハーディングから持参した数少ない荷物が積み上げられていた。どうやら先に帰った御者は荷物だけはきちんと届けてくれたらしい。


「あの、この部屋はほんとうにわたくしの部屋なのですか?」

「左様でございますが」


 何か不満でもあるのかと言いたげな視線を送られるが、むしろ逆だった。


(こんな素晴らしいお部屋を頂いてしまっていいのでしょうか……)


 ひと目で内装にとても力を入れているのが分かった。ヴォルガの人々を騙し、最低な花嫁であるエヴェリには不相応な部屋である。


「奥様、お疲れのところ申し訳ございませんがこの後ご当主さまとの晩餐が控えております。お召し物のお着替えを」

「はい」


 セルゲイを待たせるのも申し訳なく、急いで支度を終わらせようとウェディングドレスを脱ぎ始めるとアルベルタは困惑の声を上げ、制止した。


「お待ちください。只今、奥様担当の者をご紹介しますので」


 思ってもみない提案にぱちぱちと瞬く。


「お手伝い……いただけるのですか?」

「ではどうやって着替えるつもりですか」


 それは自分で──と言いかけたところで口を噤んだ。


(そうでした。今はシェイラなのですから、彼女は一人で着替えたりしませんね)


 どうしてもシェイラだという意識が抜けてしまう。これからはもっと気をつけなければ。


「すみません。お願いします」

「──エルゼ入りなさい」

「はい!」


 溌剌とした返事がドアの外から返ってくる。


「初めまして。これから奥様の周りの世話をするエルゼです」


 年はエヴェリより少し下だろうか。元気よく頭を下げた勢いで亜麻色のお下げの髪がぴょこりと動き、榛色の瞳が柔らかく細められた。


 眼差しが暖かい。ヴォルガに到着してからずっと針のむしろだったエヴェリにとって、初めて好意的な眼差しを向けてくれる人だった。


(この方は私の噂を知らないのでしょうか)


 もし尋ねて態度が急変したら…………恐ろしくて問いかけた口を閉じた。


「エルゼ、これからよろしくお願いします」

「はい! こちらこそよろしくお願いいたします!」


 エヴェリの憂慮をよそに、トンっと胸元を軽く叩いたエルゼはにこりと笑った。

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