30 侯爵夫妻(1)
(この後は自由らしいですが……)
これからどうするのだろうかとセルゲイを見上げると、彼はこちらに近づいてくる若い夫妻に顔を顰めていた。
「シェイラ、夫妻──特に侯爵夫人は小煩いが悪い人ではない。申し訳ないが少しの間我慢してくれ」
「え? はい」
一体なんのことやら。突然すぎてセルゲイの言う夫妻が誰なのか思い出す前に、二人はやって来てしまった。
「セルゲイ!」
早足に駆け寄ってきた一組の夫婦はセルゲイの目の前まで来ると、女性の方がむうっと膨れる。
女性の肌は陶器のように滑らかで、透き通るほど白く、その頬にはわずかな紅がさしている。長いまつげの下に輝く金の瞳は、太陽の雫を垂らしたように深い色合いで見つめる者を惹き付けて離さない。鼻梁は高く、高貴な印象を与えている。
形の良い唇は淡い口紅が差されていて儚さを醸し出し、流れるようなラベンダー色の髪は、緩やかに波打ち、彼女の全体を一層気品あるものにしている。
そんな見るからに高貴で美しい女性と目が合う。彼女は不満気な表情を変えて優しい笑みを見せてくれた。だが、再びセルゲイに向き直ると一転して元のふくれっ面に戻る。
「やっと貴方に会えたわ。ここ最近私が晩餐に誘っても忙しいからとずっっと断りの返事だし、デリックは何か知ってそうなのに私には教えてくれないし……」
女性はデリックと呼ばれた付き添いの男性を睨みつけ、男性は目尻を下げる。
「事が事だ。妻とはいえ、側近でもない者に教えられないよ」
「ええ、そうね。そうだわ。どうして教えてくれないのかしら? 私だけ仲間外れは嫌だわって貴方に対しても疑心暗鬼になっていたけれど……これは仕方ないわね。今ようやく納得できたわ。だって花嫁──しかもハーディングから娶るなんて」
国名が出てきてビクリとエヴェリの肩が揺れる。セルゲイから悪い人ではないと事前に伝えられたが、やはり今までの染み付いた考えは拭い取れないのだ。
(この方も私のことを……)
エドワードがエヴェリの身元を明らかにした際、非難めいた視線や言葉を投げかけてきた大多数の貴族のように、エヴェリのことを憎んでいるのだろうか。
怯えたエヴェリに、セルゲイは前のめりになった女性を押し留める。
「レイラ、取り敢えず名乗ってくれ。妻はまだ貴女のことを何も知らない」
「あら、私名乗ってませんでした?」
きょとんとする女性に付き添いのデリックがげんなりとした様子で頷く。
「ああ、ダンスが終わった瞬間に握っていた私の手を振りほどいて一目散にセルゲイの元へ駆けていき、ペラペラと今の今まで話していたじゃないか」
デリックの補足にこほんと咳払いをした女性は、ドレスの裾を摘んでカーテシーをする。
「失礼しました。私はレイラ・ディア・アシュベリーと申します。隣にいるのはデリック・ディ・アシュベリー。私の夫です」
にこりと笑ったレイラは、デリックの腕に自身のを絡めて頭を預けた。
「ご挨拶が遅れてすみません。妻からも紹介がありましたが、デリック・ディ・アシュベリーです。セルゲイとは幼い頃からの知り合いで今は補佐をしていますので、今後も夫人とは顔を合わせる機会が多いと思います。よろしくお願いいたします」
デリックもこれまた整った顔立ちの男性だった。月光をそのまま溶かしこんだような銀の髪に、エヴェリと同じ蒼い瞳は澄んだ泉のように深く、凪いでいる。苦労人なのか目元にはうっすらとクマがあった。
「デリックは侯爵で私の側近だ。レイラは小さい頃からデリックの婚約者で、私ともよく顔を合わせていた」
コソッとセルゲイが耳打ちで補足してくれる。
エヴェリはデリックから差し出された左手を軽く握り返す。
「お初にお目にかかります。シェイラ・リルテッド・シュタインズです。不束者ですがこちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
「ええ、ええ! 末永く仲良くしてくださると嬉しいわ!」
デリックに向けて言ったのだが、うずうずしていたレイラがすかさず入ってくる。彼女は夫の手を退かして自らエヴェリの手を握った。そして上下に振る。
「これまでは断られなかった晩餐をことごとく断られて、私が何かしてしまったかしら? とも悩んでいたのに、まさかのまさかよ! こんな可愛らしい方を花嫁に迎え入れたからなのね!? 貴女のような妻がいるなら、真っ先に帰宅して誰にも邪魔されずに二人で夕食をいただきたいに決まっているわ」
「おい、流石に加減してくれ」
「レイラ、君の悪い所が出ているよ。抑えて」
ぶんぶん手を振るのでされるがままになっていたエヴェリをセルゲイが助け、デリックは妻を窘める。
「シェイラ様ごめんなさい、私ったら自分のことばかりですね」
「……えっと、大丈夫です」
ちょっと驚いただけだ。むしろ話してくれることが嬉しい。
(セルゲイさまも態度が柔らかいです。気の置けない仲なのでしょう)
ほんの短時間だけだが、今の交流だけでセルゲイの言葉通りだと、──大多数の貴族とアシュベリー侯爵夫妻は異なると信じられる。
エヴェリの直感からも、「シェイラ」を憎むような感情を持ち合わせていないと感じた。




