普通の令嬢あるいは完璧なる聖女 1
* * *
フカフカのぬいぐるみ。
これは、とても大きくて高級に違いない。
スリスリと頬をすり寄せる。
「っ……!?」
少しだけ、ぬいぐるみが動いた気がしたけれど、その後はまったく動かなくなったので気のせいだったに違いない。それにしても温かくて柔らかい。
幸せな気分のまま薄く目を開けると、豪華な装飾の服が見える。
すり寄っていたのは、ぬいぐるみの一部だったのかしら……。本当に大きい。
そんなことを思いながら顔を上げる。
すると、明らかに困惑しているらしい、空色の瞳と視線が合った。
「わ、わわわ!?」
慌てすぎると、ものすごい瞬発力を人は発するのだろう。
離れようとした結果、勢い余って、ガコンッと大きな音を立てながら、馬車の反対側の座席に思いっきり背中をぶつけてしまう。
「そ、そんなに嫌でしたか? いや、当然ですよね……」
先ほどの雄姿が嘘のように後ろ向きな言動。
知らなかった野獣辺境伯ガリアス・レントンの一面が目の前に……。
後ろ向きなその姿が、耳垂れた柴犬に見えてしまい、ゴクリと喉を鳴らす。
そして、深呼吸を一つしてから、もう一度隣に移動して座り直す。
「あの……。無理なさらなくても」
「いえ。あまりに密にくっついてしまったことに羞恥を感じただけなのです」
「羞恥」
「羞恥……。私は何を言っているのでしょうか。うぅ。忘れてください」
おかしなことを口走ってしまったから、今度こそ恥ずかしくなって顔を覆ってしまった。
だからもちろん私のことをガリアス様が呆然と見つめていたなんて、気がつけるはずがない。
そういえば、先ほどの襲撃、その結果はどうなったのだろう……。
しばらく顔を覆っていた手をどけて、そろそろと顔を上げる。
「あの、私たちを襲ってきた人たちは、どうなりましたか?」
「ああ……。彼らは」
くいっと後ろを指し示した大きなモフモフの手。
しばらく、柔らかそうなそれに意識が向いてしまったけれど、我に返って慌てて馬車の後ろにはめ込まれたガラスから後ろを覗く。
馬車の後ろには、荷台がくくりつけられて、襲ってきた人たちが縛られたまま乗せられている。
そのうちの一人と目が合った。何かを訴えているけれど、残念ながら聞こえない。
「えっと、彼らはこの後どうなるのですか?」
「そうですね。野盗だから途中の街で突き出すか……。あるいは」
「――――連れて行けませんか?」
どう考えても引き渡した途端に彼らは口を封じられてしまうに違いない。
後ろを向く度に、どこか訴えるような目線。彼らにも理由がありそうだ。
「危険です」
「そうですね……。でも」
途端に金色に光った私の瞳に、ガリアス様が息を呑んだのが分かる。
私が聖女でありながら、周囲に恐れられてもいた理由の一つ、それはこの瞳だ。
蜂蜜色の瞳は普段は柔らかな光をたたえているけれど、ふとした瞬間、猫の目のように金色に輝くことがある。
「彼らは生かしてそばに置いておくほうが、いい気がするんです」
「その理由は」
「理由、ないです。……勘でしょうか」
「勘、聖女の、ですか?」
「……馬車を止めてもらえますか?」
ピョンッと馬車から飛び降りようとしたら、先に降りたガリアス様が手を差し伸べてくれた。
その手を掴んで降りる瞬間、足先が引っかかって体勢を崩す。
「きゃ!」
「あぶな……」
けれど、衝撃はいつまで経っても訪れずに、私はモフモフした腕に抱きしめられていた。
その感触をほんの少し楽しんでしまったのは、不可抗力に違いない。
「ありがとうございます」
「っ、申し訳ありませんでした」
「え?」
「……」
顔を背けたガリアス様は、私のことを助けてくれたのになぜか謝ってきた。
どうして、こんなにも素敵なのに自信がないのだろう。
けれど、それよりも今は気になることがある。
荷台に近づくと、ガリアス様が明らかに彼らに殺気を向けた。
それだけで、萎縮してしまうなんて、何人でかかろうとガリアス様に敵うはずがない。
「人質」
そっと、彼らの一人、そのそばに近づいて、口元に巻き付けられた布を取り去る。
そして、思いつくままにその単語を口にした。
「……聖女、様」
途端に、険しく私をにらんでいた瞳が潤んで視線がそらされる。
だって、私は彼と一緒に戦ったことがある。
確かに、獣の特徴を持つ人たちに対して、一般的な差別を持っていても、聖女として私のことを大切にしてくれていた下級兵の一人。
「――――チョコレートが好きな妹さんがいるって、話してくれましたよね?」
「下級兵の俺が言ったそんな些末なことを覚えて……?」
「疲れ切って倒れそうになった時、あなたがくださったチョコレート、甘くて疲れがとれました」
「……聖女様、お許しください!」
チラリと捕まっている全員の姿を見る。
実力はあるけれど、彼らは平民出身の下級兵ばかりだ。
同じような理由で、私のことを殺そうとしたのだろう。
「……ガリアス様。私、寄り道したいです。ダメでしょうか……。ダメですよね?」
「――――聖女リセル。あなたの言葉は、全て叶えましょう」
「ガリアス様。間違っているときは、正してくださいね?」
「間違うことなど、聖女リセルにあるはずありません」
「根拠のない信頼が重いです……」
「根拠なら、ありますよ」
ガリアス様が、そこだけ妙に自信を持って言うものだから、私はそれ以上何かを言うのを諦める。
「……精霊様」
目を閉じれば、捕まっている人たちが、この次の街にいることが分かる。
一人も残さず捕まえたから、王城に知らせが届くまで、あと少しの猶予があるに違いない。
「……聖女の力って、便利だわ」
それだけ呟いて、顔を上げた私に頷いたガリアス様。
うしろで虎の騎士様がとても不服そうだけれど、そのことに言及するのは止めておくことにした。
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