ただの野獣と普通の令嬢~ガリアスside~
眠ってしまったリセルを抱き上げた俺は、黙ったまま馬車に乗り込んだ。
もちろん、これからしなくてはいけないことは、山のようにあるだろう。
完全に敵に回してしまった王家……。
だが、どちらにしても聖女の処刑を断行しようとした王家からは離反しようと決めていた。
「断られるはずだったのに……」
なぜか、それは避けられぬ宿命とでもいうべき確信だ。
断ったなら死ぬと分かっていても、聖女リセルが俺の手を取ることなどない、と確信していた。
そして手を振り払われたなら、きっと俺は戦いに身を投じるに違いない、それが運命なのだと。
そんな確信を言い訳にして、こんな姿で結婚に名乗りを上げるなどあってはならない、と思いながらも手を上げた。
「うーん……」
「……おかしい。聖女リセルへ抱くこの気持ちは崇拝、あるいは尊敬だったはず」
そう、手を差し伸べる直前まで、いつでも凜と前を向いていた聖女へ崇拝に似た気持ちしか持っていなかった。だから、手を振り払われるのだとしても、それでよかった。
それなのに、差し出した俺の手を見つめたリセルの蜂蜜色をした瞳は、明らかに不安と恐怖で揺れていた。
予想外に掴まれた手と、明らかな安堵、そして申し訳なさそうな彼女の表情。
あの瞬間から、完璧な聖女であるはずのリセルは、俺が守るべきか弱き一人の令嬢になってしまったらしい。
「振り払われることを確信しながら、王家に逆らって死ぬ覚悟で手を差し伸べたのに、今もしも振り払われたら、即、死んでしまう、きっと」
この気持ちの変化をどう形容したらよいのだろうか。
今、腕の中にいる、おそらく誰よりも精霊に祝福された強い力を持つ聖女。
彼女は、俺にとって……。
「うーん」
びくりと肩を揺らす。
そう、こんな気持ちを、こんな姿の俺が持っていいはずがない。もし、知られたなら、きっと相手は……。
「かわいい……」
「っ!?」
もう一度、肩を揺らす。
そう、なぜかリセルは、俺に可愛いと言った。
この、冬眠明けの熊に形容される、辺境伯ガリアス・レントンを可愛いと。
「むふふ……。アップルパイ好き」
「ん?」
「クッキー、プリン、シュークリーム……。好き」
「……ふ、はは」
決してこんな場所に墜ちてくるはずがなかった孤高の存在。
けれど、腕の中に収まった彼女は、想像以上に小さくてか弱い。
「……甘いものが好きなのですか? 好きなだけ食べさせてあげますよ」
「……ガリアス様、好き」
ただ、寝言で呟かれただけの名前。しかも、スイーツと同列。
その寝言に意味なんてあるはずもない。
しかし、その威力に歴戦の猛者であるはずの俺が、時間を止めたのは言うまでもない。
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