普通の令嬢あるいは完璧なる聖女 5
縄が解けて自由になった両手を確かめるように、何度か開閉する。
――――初めに声を掛けるべきなのは、この人。
目の前にいる騎士様の一人、彼の家族はおそらく……。
精霊が与えてくれる嗅覚とも言うべき勘は、外れることはない。
ただし、それを上手く使うことが出来るかは、本人次第。
「流行病、聖女の力でしか治りませんよ? 大切な奥様を助けてあげましょう」
「……」
「私の力、あなたは見たことがあるはずです」
「っ、どうしてあなた様は、こんな目に遭わされてまで」
私は、この騎士様と一緒に戦ったことがある。
雪山に現れたという魔獣を倒しに行ったとき、あまりの寒さに震えていた私に、キャラメルをくれた。
「あの時のキャラメル。おいしかったです……」
「覚えていらっしゃったのですか……」
「当たり前でしょう? 命を助けられたのですから」
甘くておいしいキャラメルのおかげで、なんとか魔獣を倒すことが出来たのは言うまでもない。
聖女を雪山に登らせるのに、食料もきちんと用意しないなんて、あの頃から王太子殿下は私に対して殺意があったのね。
「――――では、病人のところへ連れていってください」
騎士様に連れられて行った屋敷は、どう見てもこの街で一番大きい建物だった。
もしかして、騎士様はこの街の有力者だったのかしら、と首を傾げながら入る。
「……瘴気」
信じられないことに、屋敷の中は瘴気で満たされていた。
瘴気は何かと言われると、明確に答えることは出来ない。
でも、ゲームの説明では、精霊がいなくなってしまった場所に瘴気が生まれるとされていた。
「精霊が、いなくなった?」
そういえば、王都を出てから、白い精霊の姿を一度も見ていない。
普通であれば、飛び回っているはずなのに……。
「――――枯れてしまったミースの木」
瘴気に満たされたお屋敷。
どこから瘴気があふれているのだろう……。
病人の部屋に案内されて窓を開ける。
そこからは、噴水が見えた。
「――――あの噴水は」
「中心に泉があるのです。そこから引いた水で噴水を……」
「そうですか」
美しいはずの噴水は、瘴気にまみれて私の目には黒く見えてしまうほどだ。
こんなにも瘴気があふれてしまえば、周辺の人たちが病に倒れてしまうのも当然のことだろう。
「――――間違いなく、ゲームでリセルが断罪された後、起こったできごとは呪いなんかじゃない」
もし、あのまま記憶を取り戻すことなく、聖女リセルが極刑になったとしても、絶対に呪うはずがない。私は、そう確信していた。
――――もちろん、今の私なら無念のあまり呪ってしまうかもしれないけれど。
少なくとも、最後までリセルは、出会った人たちの幸せを願っていたはず。
案内された泉。ほんの少し残された清浄な空気は、精霊たちがその場所にいたことを現わしている。
そこからいなくなってしまった精霊を呼び戻すほかに、方法はないのだろう。
「…………うーん」
「聖女様?」
キャラメルの騎士様が、そのまま固まってしまった私を不思議そうに見つめた。
本当は、この方法は使いたくないのだけれど……。
「うーん。少々眠ってもらえます?」
聖女の魔法をこんなことに使うのは避けたいけれど、背に腹はかえられない。
ついてきていた騎士様を眠らせて、私は泉に足をつけた。
「さて、歌いますか……」
聖女の歌声は、精霊を呼び出し、与えられた中で最も大きい力を発揮する。
その歌声は、ここではない世界まで届くという。
誰も周囲にいないことを確認して、大きな声で歌う。
しばらくすると、耳を押さえたたくさんの白いウサギの精霊が心底嫌そうな顔をしながら目の前に現れた。
「――――うん。私があまりにも音痴だからといって、そこまで拒否感露わに現れなくても」
そう、聖女の歌は重要な意味を持つ。
完璧なる聖女の異名を持つ私、ことリセルにも苦手なものがある。
「聖女なのに、歌が苦手だなんて」
けれど、精霊が戻ってくれば、あっという間に瘴気は消えて、街は清浄な空気に満たされた。
「……多少音階がずれていても、美しく可愛らしい声だと思います」
「……ガリアス様、耳に問題がないか、後ほど診て差し上げますね?」
「そんな必要ありません。君の声は素敵だ。完璧なる聖女」
「完璧ではありませんし、歌が下手なことは十分理解しています」
今回、ガリアス様が活躍しなくてはいけないような事態にはならなかった。
そのまま、フカフカの腕が、精霊の加護を使い、体力を消耗したためによろめいた私の体を支えて抱き上げる。
少し離れたところに、第十八小隊の皆さまと、ティグルさんの姿が見える。
「やっぱり、ガリアス様の耳が心配です……」
だって、その証拠に、ガリアス様以外は全員、耳を塞いだまま、呆然とこちらを見ているのだから……。
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