46●『崖の上のポニョ』の謎(12)…“閉じられたほころび”とは? 時を超えて、よみがえる家族の愛!
46●『崖の上のポニョ』の謎(12)…“閉じられたほころび”とは? 時を超えて、よみがえる家族の愛!
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物語の時点、西暦2007年。
このとき90歳(推定)のトキさんにとって、耕一とリサと宗介の一家は、老衰で混濁する記憶のカオスの中で、静かに存在を無くしつつあります。
忘却です。
そしてリサも、トキを介護しながら、もう、一人でそっとしておいてあげよう……という心境に落ち着いているのではないでしょうか。
しかしそれでも、嵐が収まったら、暗夜であるにもかかわらず、リサはひとり救援物資を車に積み込んで、“ひまわりの家”の人々の避難先を目指して出発します。(FC3巻95-101)
“ひまわりの家”のおばあちゃんたちには介護士がついているはずですし、リサは一担当者にすぎず、施設の責任者ではありません。とすると立場上、危険を冒してそこまでボランティアすべき義務も責任もないはずです。
しかし、避難しているおばあちゃんたちの一人がトキさんで、愛する夫・耕一の実の祖母であるとしたら、なるほど、ですね。
なんといっても、義理の身内なのですから。
やはり心配であり、そこへ単刀直入なリサの性格もあいまって、“ここは、ゆかねば”となったのだろうと思われます。
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さて物語の前半、“ひまわりの家”で寂しく死を待つ思いだったトキさんの心を、一気に大きく揺るがしたのが、ポニョでした。
まあ初対面の挨拶が、口から水鉄砲の攻撃では、まいったことでしょうが……
宗介君から“人面魚”を見せられたとたん、ある種の既視感に襲われたことでしょう。(FC1巻125)
90年前の零歳児の時の記憶はすっかり風化して、しかも歪められていましたが、それでも、忘れ去っていた過去を少しずつ取り戻すきっかけになったのではないでしょうか。
これがスイッチとなって……
そして物語の後半、あの感動的な東屋の前の再会シーンにつながります。
“ひまわりの家”の人々は、リサも含めて海中のドームに囲われた同施設へ降りて行きましたが、トキさんは頑固にも、水上の東屋に残っています。(FC4巻113)
暴風と高潮に襲われる中、沿岸にあった“ひまわりの家”から“山の上ホテル”へと避難したトキさんたちでしたが、そこへ不審人物フジモト氏が現れて、その魔法力で説得を試み、いまや海底基地と化した“ひまわりの家”へ全員を連れて行きました。“あとから宗介君とポニョが来ますから”……と。
しかしトキさんはおそらく、“宗介の元気な顔を見るまでは、あたしゃここを動かないよ”と頑張っていたのでしょう。
宗介君を心配してのことです。
そうです、このときトキさんは、老衰のため忘れかけていた“宗介は私のひ孫だ”という事実を、はっきりと思い出しているのです。
ポニョの魔法の影響でしょう。
“生命の水”があふれだしたことで、一帯の海は魔法の空間と化し、まさに生命に満ちていたデボン紀の海や太古の月がよみがえっています。
それは、過去の時間からのよみがえり。
トキさんの衰えきった過去の記憶も、生き生きと甦ったのです。
だから、宗介君が独力でこちらへ向かっていると聞いて、宗介君に関する記憶がくっきりと回復し、心配だ心配だ……と、いてもたってもいられない心境になったのでしょう。
そんなトキさんにはリサが介護についていてあげたいところですが、多分フジモトから、人間になりたいポニョの願いや魔法力のことなどを聞かされて、海底に降りてグランマンマーレと打ち合わせをしなくてはならず、“しばらくここで待っていて”と、トキさんを東屋に残したことと思われます。
そこへ現れたのが、宗介君と、バケツに入った人面魚モードのポニョ。
トキさん、「宗介、こっちへおいで!」と叫びます。(FC4巻115)
“宗介”と呼び捨てです。
血縁者だからこその、呼び方ですね。
“ひまわりの家”の他のおばあちゃんたちは、宗介君のことを“宗ちゃん”“宗介ちゃん”と呼んでいますが、呼び捨てにはしていません。
宗介君はあくまで“よその子”だからです。
そしてトキさんだけは、ここで“宗介!”と呼びます。
明らかに身内に対する呼び方です。
筆者の私も最初、この場面を見たときには違和感を覚えましたが、なるほど、ひいおばあちゃんとひ孫の関係ならば、十分に納得がいくわけです。
柵の上を走り寄る宗介君を、両腕を広げて抱きとめるトキさん。(FC4巻121)
このとき彼女は、なんと自力で歩いています。
奇蹟です。
これもポニョの“過去をよみがえらせる”魔法のおかげですね。他のおばあちゃんたちと同じように、身体機能が若返ったのです。
そして同時に、老衰で忘却しつつあった記憶も取り戻されました。
宗介君が自分自身のひ孫であるという記憶とともに深い愛情がよみがえり、自力で歩いて宗介君を受け止めてあげたのだと思います。
そしてこのとき同時に……
人面魚のポニョが、トキさんの顔面に、ぴたーっと張り付きます。
必死の思いでひ孫を守ったトキさんの脳裏に、零歳児だったあの時の記憶……別れ際にぐずった時に、駆け寄ってきてぐにぐにと頬ずりしてくれた半魚人の少女(FC4巻57-59)の記憶が……もちろん零歳児でしたから、おぼろげな潜在記憶でしょうが……そして両親から聞かされていた“おさかなみたいな女の子に助けてもらった”という話の正確な記憶が再び、強烈にフラッシュバックしたことと思われます。
きっと、これで思い出したのです。
人生の苦しみの地層の下に押し込めていた本当の記憶がよみがえり、トキさんは、あの時のポニョの好意を、90歳(推定)の今になって、改めて自覚したのです、きっと。
だから……
海底の宮殿となった“ひまわりの家”の庭で、グランマンマーレを前にして抱き合う宗介とリサ、そして仲良く見つめ合うポニョと宗介、そんな情景を目の当たりにして、トキさんは悟ったはずです。(FC4巻139-146)
あたしは宗介を愛している……と。
そして、もちろんリサもポニョも、好きになっているのだと。
このときグランマンマーレは宗介君に、ポニョが人間になるための条件を確認します。(FC4巻135-138)
“彼女の正体が魚でも半魚人でもいいですか、それでも愛せますか?”
ということですね。
この言葉はそのまま、家族の愛に通じます。
“家族なんだから、何があっても愛せますか?”
ということですね。
この言葉はリサの心にも沁みたでしょうし……
同時に、トキさんの心にも沁み渡ったはずです。
だから最後に、宗介君をいとおしく抱きしめたのでしょう。(FC4巻147)
フジモト氏の“生命の水”がゆきわたって、太古の生命力にあふれた海の中にあって、トキさんは他のおばあちゃんたちと同じように、自分の体細胞が一つ残らず活性化し、若々しい力が通っていくことを自覚し、だから宗介君を抱きながら、感じ取ることができたのです。
幸せは、ここにあると。
魔法の海は、おそらく脳細胞も活性化して、老化によって衰え、混乱した記憶を生き生きと蘇らせてくれたことでしょう。
死をただ待つだけだったトキさんの心を救い、いつのまにか風化して消え失せそうになっていた家族の愛情を取り戻させたのは……
ポニョ、そして宗介。
大正時代の1917年から、2007年までの90年間を結ぶ、時空を超えた家族のドラマが、ここに結実した……と、作品から読み取れるのです。
「世界のほころびは閉じられました」とグランマンマーレは宣言しました。(FC4巻146)、
このとき、ポニョをめぐるひとつのささやかな家族のほころびも、幸せの中に閉じられたのです。
見事と言うしかない大団円でした。
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以上が、『崖の中のポニョ』の物語の水面下に潜航していたと思われる、もう一つのシークレット・ストーリーです。
“トキさんは宗介君の、ひいおばあちゃんである”
……と仮定することで、謎という謎が綺麗に解きほぐされてしまうのです。
こう考えると、『崖の上のポニョ』が、実に細かな要素まで綿密に練り上げられ、緻密な計算で成り立っている……と驚かざるをえません。おそらく、『風の谷のナウシカ』以降のジブリアニメの中で、最も単純に見えながら、最も複雑な物語構造が構築されている、稀有の傑作だと思います。
これはあくまで、作品の一鑑賞者である筆者の、個人的な感想にすぎません。
これが真実であると主張するつもりは、一切ありません。
このような読み取り方もできる、という一例としてご理解賜れば幸いです。




