454●『プリンセスナイン』(1998)⑥幻の“後半26話分”を推理する3:イナズマボールの正体は? そしてヒカルの哀しい恋路の終わり。
454●『プリンセスナイン』(1998)⑥幻の“後半26話分”を推理する3:イナズマボールの正体は? そしてヒカルの哀しい恋路の終わり。
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●謎のイナズマボール、空飛ぶ海底軍艦みたいな?
にしても、涼の決戦兵器である“イナズマボール”とは、つまるところ、どのような球だったのでしょう?
口頭の説明では、第14話『幻のイナズマボール』のラスト近くで、涼が「気持ちの乗った球は、少しくらいスピードが落ちても打者にとっては怖いはず」と決断して初めて投げることができた……ということしかわかりません。
ただし画面で見る範囲では、“物凄い回転を与えたボール”であることは確かです。
真央のキャッチャーミットにバシュッ!と吸い込まれたボールはしばらく回転を続けて、かなりの摩擦熱を発生していましたね。
その回転の方向ですが、コマ送りで見る限り、ドリルで捩じり進むような回転に見えます。また飛んでいく途中では、ドリルのような螺旋状の飛跡を曳いているようにも見えます。
映画『海底軍艦』(1963)の主役メカ、轟天号の艦首ドリルみたいに、打者に向かって錐を揉み込むような回転で、かつ、ボール自体も細く尖った螺旋状の軌跡を描いて飛んでくる。
そんなボールだったかもしれませんね。
これが打者めがけて正面から投射されると、まるでデッドボールに見える上、海底軍艦の艦首衝角ドリルで襲われるような感じで、恐怖を感じたかもしれません。
ただし涼が「少しくらいスピードが落ちても」と述べたように球速は豪速球とはいえず、時速130㎞には届いていないでしょう。
その代わり、第26話のラストで高杉宏樹が初めてバットに当てた場面では強烈な重量感があって、球にバットを持っていかれそうな衝撃だったように見えますね。
となると、球のドリル回転が非常識なほどパワフルだったのです。
“E=mc²”と申しますから、とてつもない回転エネルギーEが、バットに当たったときに、とてつもない質量mに変換されてしまったのかもしれませんね。
イナズマボールとは、打者からは螺旋状に突進してくる軌跡に見えて、デッドボールを予感させながら、その凄まじい回転エネルギーで、仮にバットに当たっても打ち返しが容易ではないほどの質量を感じる、重量級の魔球だった……ということかな、と思います。
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●いなくなった少女
涼が高校三年生の夏、プリンセスナインは再び“王子園”の土を踏みます。
しかし一年生の最初のレギュラーメンバーから二名が姿を消して、今は二年生の新人A子とB子<仮称>に交替していました。
いなくなった一人は、森村聖良。
もうひとりは……
聖良はスタンドの応援に参加して、味方には荒っぽい激を飛ばし、敵方チームにはヤクザで下ネタな罵声を元気よく浴びせております。選手としてグラウンドでそんなヤジを飛ばしたら、退場もの、でしょうね。
聖良は退部・退学して、今はプータローの身。
とはいえ氷室理事長は聖良に対して、生活面の援助をしています。
高校野球を賭博化した事件で大暴れしたものの、そのとき聖良は退部・退学届を監督に受領させており、ギリギリで“無職無宿無学籍の不良少女”に戻っていました。
そうすることで如月女子高に迷惑をかけないよう、ケジメをつけていたのですね。
いずみからの要望もあって、氷室理事長は聖良に“恩返し”をしているのです。
スタンドではしゃぎまくる聖良の隣では、涼の幼馴染の夏目誠四郎君が腰を下ろし、小さめのキャンバスに描いた一枚の油絵を膝に掲げています。
絵のタイトルは“甲子園のプリンセス”。
キャンバスでは、一人の少女がスライディングの姿勢で空中からホームインしようとしています。
絵の少女は、吉本ヒカル。
彼女は高校三年に進級した直後、四月に舞い散る桜の花とともに、この世を去っていました。
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●吉本ヒカルの“死の伏線”
作品の“前半26話分”には、吉本ヒカルの“死の伏線”が敷かれていると思います。
根拠の一つは、作品が20話分以上もかけて、プリンセスナインの一人一人の過去の生活やプライベートな思いを丹念に描写しているにも関わらず、吉本ヒカルの情報が極端に少ないことです。むしろゼロに等しい。
たとえば聖良は、良心の不仲と別居がもとで不良の道に走ったとか、小春は実家が漁師の網元で、父の病を気にかけていること、ユキは中学時代にイジメられた前歴、加奈子は校長の娘であること、陽湖はみんなの眼を盗んでタレントオーディションに応募していたことなどがきっちりと語られています。
真央の情報は少なめですが、第20話、強化合宿先の大浴場でみんなが恋バナに興じたとき、「オリンピックの金メダルを取った、中学時代の柔道の先生に憧れている」ことを語ってしましたね。これで、真央は如月女子高を卒業したら、柔の道へ戻ることが暗示されています。
そしてヒカルは……
浴場の恋バナで彼氏はいるかと質問されて「ウチなんか……」と弱気な返事をするところで、いずみのドライヤーの音にかき消されています。
ヒカルは関西弁を多用して、チームの“吉本新喜劇娘”とばかりに明るい笑いを振りまく愛嬌たっぷりのムードメーカーなのですが、セリフの登場頻度が高い割には、過去の生活の実態と、そして現在はプライベートでどのような思いを抱いているのか、全く語られていません。
ということは……
“後半26話分”に入ってから、ヒカルだけが「じつは過去から重大な秘密を抱えていた」という設定を追加することが可能なのです。
これを昭和30~40年代の青春映画の演出パターンに当てはめてみますと……。
不治の病。
吉永小百合さんの『愛と死をみつめて』(1964)、『愛と死の記録』(1966)のように、あるいは21世紀になってからでも『世界の中心で、愛を叫ぶ』(2004)や『風立ちぬ』(アニメ2013)の大ヒットに見る通り、“不治の病”は、青春物語にすたれることの無い題材です。
たぶん、ヒカルは自分が不治の病を患っており、今はクスリで押さえているけれど、いずれ再発して、「卒業まで命はもたない」ことを悟っているのです。
自分も親も、そのことは知っている。
けれどお互いに、そんな話題を口に出すことはできない。
まだ生きているのに、かすかな希望すら捨てて、より早く死を引き寄せてしまいそうだから。
そのような崖っぷちの思いを抱いて、ヒカルは生きているのでしょう。
第18話『加奈子のバースデー・プレゼント』では、学生寮で父親からの電話を受けたヒカルが「見合い? 気ィ早いっちゅうに!」と一笑に伏しています。
親から見合い話まで持ち掛けられているのですから、一見しただけでは、まさかヒカルが不治の病で数年先の命もわからない……とは思えませんね。
この場面だけを見ると、ヒカルに迫る死の影などは想像もできません。
おそらく、そのように見せるために、監督様が仕込まれた演出だと思います。
この場面の前後では、明日には野球部が廃部になるかもしれないという危機的な時間を、部員がそれぞれ心配しながら鬱々と過ごす様子が描写されいます。そのような中で、ヒカルの陽気な“お見合い電話”の場面が挿入されているわけで、これだけが異質。取って付けた伏線のようにも感じられます。
というのは、ヒカルはまだ15~16歳です。
普通、見合いの話があっても、親のレベルで辞退もしくは延期してしまいますね。
そもそも見合い話が来ること自体、ヒカルの実家は立派な旧家であって、しかるべき家柄の候補者が将来の夫候補として慎重に検討されていると思われます。
それならなおのこと、今から見合い話を受けて、早まった交際や結婚をしてはまずいと、親の方で判断するでしょう。
しかし、それなのに、敢えて見合い話を娘に勧めてきた。
この不自然さ、気になります。
しかし、ヒカルが不治の病を抱えた身であるとすれば、納得できます。
親としては、ヒカルに対して、少しでも泥沼の絶望感を忘れられるように、明るい将来を感じさせてやりたい。たとえそれが儚い幻であるとしても。
しかし「好きな野球で頑張れよ」と言っても、来年のヒカルは病床かもしれない。
「大学を目指して」といった、将来に向けた話題は、辛くて持ち出せない。
おそらく大学に入るまで、生きてはいられないだろうから。
しかし、どこかに未来に希望をつなげるような、明るい話はないだろうか。
そこで父親は「こんな“見合い話”があるんだ、ヒカルはモテモテなんだよ」と話しかけたのではないでしょうか。
具体的な結婚は“先の話”と曖昧化すればいいし、ヒカルがお見合いすれば、かりそめでも、未来への希望を持って生きられるかもしれない。
それに、生きる希望の柱として、ヒカルに恋をさせてあげたいと、親は思っているのかもしれませんね。
だから、あえて“お見合い話”を持ち掛けたのではないかと思います。
そんな親心に対して、ヒカルは「気が早い」と笑って応じたのですが……
ヒカル自身、心から切実に想っていたはず。
こんな私でも、残された時間で、恋をしてみたい……と。
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彼女の剽軽なまでの明るさは、絶望の裏返し、悲嘆の反作用だったのです。
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●ヒカルの愛と死
ヒカルがお見合い話の電話を受けたのは第18話。
ヒカルが合宿先の浴場の恋バナで弱気な返事をしたのは第20話。
実はその間にあたる第19話『偽れない想い』で、ヒカルは自ら淡い恋に挑戦していましたね。
涼に恋心を寄せる夏目誠四郎君に「ダメもとでも」と告白を勧めて励ますヒカルでしたが、誠四郎のスケッチブックに涼の姿がデッサンされているを見て……
「あんたのモデル、ウチやったらあかん?」
これ、告りですね、完全に。
誠四郎は、大好きな涼を描いている。大好きだから涼を描いてる。
その涼を押しのけて「ウチはどう?」ということですからね。
ただし、これに続くヒカルの言動は、彼女が自分の容姿や器量に、かなり自信喪失していることを伺わせます。
私、可愛くない、美人じゃないからね……と。
だから、続く第20話では、“浴場の恋バナで弱気な返事”をしているように聞こえるヒカルでした。
また第18話で、見合い話を二つ返事で断ったのは、自分の外見への自信喪失ゆえの気後れもあったのだと思われます。
しかしそれでもヒカルは、思い切って誠四郎君に「あんたのモデル、ウチやったらあかん?」と告白しました。
普通なら、そもそも声などかけられない。
勇気を振り絞って誠四郎に話しかけたのは、それだけ彼女の心が追い詰められていたからです。
恋をしたい。
彼氏に優しく見つめられたい。
そして贅沢な望みだけど、自分が生きた証が欲しい。
写真ではダメなのです。
それは正確に冷徹に、物理的な自分を映すだけだから。
肖像画なら、彼氏の目と心に映る自分を感じ取れる。
誠四郎の優しい性格に甘える自分を申し訳なく思いながら……
ヒカルは、「誠四郎君しかいない」と好きになったのでしょう。
そんなヒカルと、誠四郎。
そのあと、二人の関係はどうなったのか、作中では全く触れられぬまま、第26話の最終回が終わってしまいました。
観客の皆様のご想像にお任せします……となったわけです。
“不治の病”という爆弾を抱えたサドンデスなヒカルの切実な恋路は、今後の物語に向けて構築された伏線に他なりません。
“後半26話分”で、二人の淡い恋の結末が明らかにされるはずだったのです。
それは、どうなったのでしょう?
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たぶん、どこかで誠四郎は、ヒカルの態度に、とても切実で誠実な「好きなのです」を感じ取ったのでしょう。
“僕を好きになってくれる彼女を、好きになる”心理で、誠四郎君は、まずはヒカルの肖像を描くことを快諾したと思います。
スケッチブック片手に、プリンセスナインの練習を見学する誠四郎。
涼は、誠四郎君が自分を描いてくれていると勘違いします。
そして二年生の夏、プリンセスナインは、憧れの“王子園球場”で不名誉な試合放棄による二回戦敗退を喫します。
すぐに名誉は回復されましたが、試合放棄の記録は抹消されません。
三年生になったら、なんとしてもリベンジを! と全員が燃えています。
そして秋、学生の美術展で、誠四郎の絵画作品が賞を取ります。
“王子園のプリンセス”。
描かれているのは、ヒカル。
誠四郎とヒカルの交際を喜んであげる涼でしたが、そのとき涼の心にはポッカリと空虚なクレーターが穿たれてしまったのです。
誠四郎が離れたことで、涼は自分がどれほど誠四郎を必要としているのか、遅ればせながら自覚できたのでした。
そして冬、クリスマスイブ。
ヒカルは誠四郎を、二泊三日の船旅に誘います。
ヒカルのそうした行動を、ヒカルの両親は快諾し、旅費も出してくれます。
好きなことをさせてやれる時間は、もう残っていないのです。
船室でヒカルは、正式に誠四郎に愛を告白し、ドレスを脱ぎます。
誠四郎はヒカルのヌードをスケッチ。
「二人っきりの秘密なんや!」と涙ぐんで喜ぶヒカル。しみじみと絵を見ると「なんや、美人に描きすぎや、ウチの脚、もっと短いで。気ぃ遣わんでエエのに」
そんなヒカルを黙って抱きしめる誠四郎。
ヒカルは自分の病について、詳しく話します。
ベタベタな展開ですが、絶対そうなったと信じます。
映画『タイタニック』は『プリンセスナイン』の前年の1997年に公開されていました。
そして正月、初詣のデートで、ヒカルは倒れます。
誠四郎の涙ぐましい看病に、病床のヒカルは感涙します。もともと軽傷の治療道具を持ち歩いていた誠四郎ですから、かゆいところに手の届くような、心のこもったケアとなりました。
しかし最後の一カ月に差し掛かった頃、ヒカルは誠四郎に語ります。
「ウチが死んだら、ウチのこと、さっぱりと忘れるンやで。で、誠四郎は、ホンマに好きな彼女ンところへ行って、もういっぺんリベンジ告白するんや。きっと今度は、ダメ元ちゃう。絶対にうまくいくで! 請け合ったるわ……なんや、元気出しィな」
誠四郎、男泣きに泣きます。
ヒカルは、誠四郎に対する涼の想いをよく理解していました。
それ以降、ヒカルは誠四郎との面会を謝絶します。
病魔に侵されて、急速にやつれていく自分の姿を見せたくなかったと思われます。
桜散る四月の初め、ヒカルは世を去りました。
数枚の肖像を、誠四郎のもとに残して。
プリンセスナインは、葬儀に参列します。
涼たちは決意します。
ヒカルの魂も、王子園に連れて行くのだと。
始まる地区予選。
そして勝ち抜き、再び王子園球場のマウンドに立って、涼は全身で感じ取ります。
“聖良さんはスタンドで、ヒカルは天国から私たちを見てる。でも、聖良とヒカルの想いは、私たちと一緒に、投げて打って走ってるんだ!”
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一連の場面の音楽は、“サントラCD1”のトラック06『炎の絆』と13『哀しみ』がイメージされます。
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●「恋のゆくえ」伏線の完結。
残酷で、あまりに切ないエピソードですが、“前半26話分”に散りばめられたヒカルの描写は、どう見ても“昭和青春映画の死亡フラグ”なのです。
ヒカルが全く元気で、お見合い殺到で、野球部だけでなく大学やその先まで希望を膨らませて生きていたら、誠四郎に対して「あんたのモデル、ウチやったらあかん?」と、おねだりする必要は、そもそもなかったはずですから。
そして……
ヒカルの死によって、涼と誠四郎が互いの想いを新たにする。
そうなることで、未回収伏線の「恋のゆくえ」が完結するのです。
【次章へ続きます】




