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436●戦争映画としての『風の谷のナウシカ』③もしも巨神兵が腐らなかったら? 風の谷じゃない、2026ニッポンを襲う悪夢。

436●戦争映画としての『風の谷のナウシカ』③もしも巨神兵が腐らなかったら? 風の谷じゃない、2026ニッポンを襲う悪夢。



 皆様、お考えになったことあるでしょう?


 もしも巨神兵が腐らなかったら、お話の結末はどうなっていたのか。


 これってね、ずーーーーっと長い間、心の奥底に引っかかっていました。

 というのは、『風の谷のナウシカ』の結末を左右する重大事案でありながら、「腐ってやがる、早すぎたんだ」とクロトワの一言で、“偶然の幸運”として片づけられてしまったからですね。


 いや本当に、緻密に組み立てられた、精巧なストーリーの作品なのに、肝心かなめの“巨神兵腐敗事件”だけはまったく偶然の産物なのです。


 いったん死んだナウシカの復活、という偉大な奇蹟ですら、腐海の毒などものともしない王蟲の生命力と細胞修復力で、SF的な説明がつけられていますよね。

 なるほど、あれだけの王蟲が集まって能力を結集すれば、死者の復活も可能。

 ナウシカ自身も、死んでから三分以内って感じの、まだ生理的にフレッシュな状態ですから、脳が壊滅的な損傷を受けておらず、傷ついた細胞が一斉に甦ってくれれば、医学的蘇生は可能ではないか……って気にさせてくれますよね。


 しかし巨神兵は、なんとも都合よく腐ってとろけてくれました。

 きっとまだ、出産すべき時期ではないのに帝王切開で無理矢理に取り出したような、リスキーな状況だったのでしょうね。

 たまたま「早すぎた」ことで、巨神兵は自滅しました。


 しかし、「早すぎなかったら、どうなるのか?」

 たとえばクシャナが「やっぱ早すぎかも」と躊躇して、巨神兵に大出力のプロトンビームを発射させるのを、しばらく先送りしていたら……


 ナウシカが王蟲の暴走を止めてくれたのです。


 そうなれば、巨神兵は無事、完璧な最終兵器としてコンプリートされ、クシャナの手中に収まったでしょう。

 そうしたら、どうなるのでしょうか?


 西暦2026年の今、私たちはこの現実に直面しているのではありませんか?


       *


※本稿のクシャナはアニメ版のキャラとします。コミック版のクシャナとは真逆ほどに異なる、残虐で狡猾な独裁者です。その点、ご承知おき下さい。


       *


 王蟲の暴走の危機が去り、巨神兵が完全体で生き残ったとしましたら……

 そりゃあ、クシャナがおとなしくお家へ帰るはずがないでしょう。

 今度こそ巨神兵のプロトンビーム、炸裂!

 風の谷を囲んでいた腐海を、性懲りもなく焼き払います。

 そこにいた王蟲も丸焼きにしてしまいます。

 当然、王蟲は再びまとまって攻めてきますが、巨神兵はぜーんぶ王蟲の姿焼きに変えてしまいました。

 無敵、巨神兵。

 風の谷の人々は動揺しますね。

 これだけの破壊力を見せつけられれば、考えの変わる人も出てきます。


 クシャナ様に従い、この地に王道楽土を建設しようじゃないか!

 谷の人民は分裂します。

 巨神兵に頼らずに、腐海と共存していこうとするハト派の、ナウシカ派。

 その一方で、巨神兵によって腐海を焼き払って領土を拡大し、トルメキア帝国の旗印の下で繁栄を享受しようとするタカ派の、クシャナ派。


 ナウシカはクシャナに話し合いを提案しますが、クシャナはのらりくらりと引き延ばします。時間稼ぎですな。

 そうこうしているうちに、作品のラスト近くで風の谷へ大挙してやってきた、トルメキア辺境派遣軍の大型艦が続々と着陸します。

 アニメのカットでは、バカガラスを前後につないだ規模の大型艦が九隻まで確認できますから、圧倒的な兵力ですね。本編ではクシャナを乗せてみんな飛び去ってゆきますが、巨神兵が完全装備でスタンバイしたとなったら、引き揚げて行くはずがありません。当然、居座ります。

 「ちょっと忙しい」「体調がよろしくない」「古傷が痛む」とか言ってクシャナがナウシカを避けているうちに、数千人規模のトルメキア兵が風の谷にあふれてしまいました。


 こうなると、話し合いは成立しません。

 数の力で、クシャナ派が圧勝するのです。

 「望むなら、民主的な国民投票で決めてもいいぞ」とクシャナは笑います。民主主義ですから、トルメキア兵とその家族も一人一票、投票するまでもありません。


 巨神兵は腐海を焼き払って人類の版図を広げます。

 そこに入植させられたのは、もともと風の谷に住んでいた住民たちでした。

 「さあ、希望に満ちた新天地を切り拓き、王道楽土とするがよい!」

 と、クシャナは高笑いして命じます。

 もともと風の谷の住民が住んでいた、海に近い旧来の土地からは全員が追い出され、そこはトルメキア兵とその家族が住む高級住宅地に変えられてしまいました。

 そこかしこに、クシャナ殿下の黄金像が建立こんりゅうされます。

 風の谷は、一等地のクシャナタウンと化してしまいました。

 風光明媚で空気も澄んだ、快適な海辺のリゾートです。


 酸の海のほとりに広がる、焼け野原の開拓地に追いやられた、風の谷の旧住民は、いつしか「二等トルメキア人」と呼ばれるようになりました。21世紀のガミラス方式ですね。

 もちろん一等トルメキア人は、クシャナたちトルメキア軍人とその家族、そして彼等にうまく取り入った風の谷住民の一部です。

 ナウシカは「名誉特等トルメキア人」として好待遇で政権に迎えよう……とクシャナが誘いますが、ナウシカはもちろん辞退します。


 というのは「焼き払った腐海の開拓地を、胞子や蟲たちの害から守っているのは、われらの巨神兵である。みな、トルメキアの恩恵を受けているのだ。恩恵は無償ではない。農産品などを年貢として納めてもらおう」と要求されていたからです。「五公五民、生かさず殺さずだ」と耳打ちされて……

 ナウシカは開拓民のリーダーとして、“年貢取り立て代官”になれと命じられたのですね。

 一等トルメキア人のために、二等トルメキア人である開拓民から年貢を搾り取り、集めてクシャナ政府に献上する仕事をせよということです。


 開拓民とともに腐海の隣接地で開墾に励むナウシカは断りますが……

 クシャナ率いるトルメキア兵の一団が、開拓村を訪れます。

 その背後には巨神兵が。

 「トルメキアの恩恵のタダ取りは許されない、直ちに年貢を納めてもらおう」

 宣言するクシャナの肩越しに、巨神兵が口をすぼめて開け、小規模プロトンビームの発射体勢を見せつけます。

 「脱税は罪だよ、万古不変の大罪だ」と諭すクロトワ。


 風の谷の旧住民は思い知ります。

 巨神兵のビームが向けられるのは腐海だけではない。

 その砲口は、汗水たらして働く無辜の庶民にも向けられているのだと。


 クシャナの「王道楽土」は、クシャナのための「王道楽土」だったのです。


       *


 だいたい、そうなることでしょう。

 その昔の満州帝国の例をみるまでも無く、「王道楽土」なんて美辞麗句の行きつく果ては、そんなものです。

 21世紀の今だって、中東のややこしい地域に限らず、世界の多くが、今もそのような「王道楽土」とされていることでしょう。


       *


 このように考えてみると、「巨神兵の腐敗」という偶然の天佑神助が無かったら、たったそれだけで風の谷の未来は奈落の底のディストピアとなっていたわけです。

 これ、本当に紙一重の偶然ですよね。

 結末でナウシカたちが手にする平和は、それほどにはかなく、弱弱しい幸運であるわけです。


 今にして思うのですが……

 そのことを、宮崎駿監督は、伝えたかったのではないでしょうか?

 私たちの世界の平和は、たまたまの幸運な偶然が積み重なってできた、大変に壊れやすいガラス細工であるのだと。

 平和は、常に守る手立てを講じ、血がにじむほどに努力を継続しなくては、あっという間に簡単に崩れ去ってしまうものなのだと。

 だから油断してはならず、危機感を忘れてはならないと。


 『風の谷のナウシカ』は、宮崎監督の作品では異例なほど、多くの人が殺されて屍体の山を築く物語です。その死臭の生々しさと残酷さは、宮崎監督の心の中の怒りが描き出したものかもしれません。

 些細な油断と慢心で、いくらでも戦争の悲劇は降りかかり、肉親もきょうだいも自分自身も殺されるのだ! ……と。


 「また村が一つ死んだ」とユパは、腐海に呑み込まれた人々を悲しみます。

 しかし……

 「また国が一つ死んだ」と言うしかない、滅ぼされたペジテ市の惨状。

 人と蟲の屍体が散乱し、燃えてくすぶる情景は、腐海に呑み込まれたのでなく、人が人を殺す戦争の結果です。

 死んだ村と死んだ都市。

 この鮮烈な対比には、宮崎監督の燃えるような怒りが込められているのではないでしょうか。

 ただでさえ腐海という自然の異常によって人々は死に直面しているのに、凝りもせずに戦争でさらに人の命を奪う人間たち。

 そこに私は、愚かな人類に激怒する「荒ぶるハヤオ」を感じてしまいます。


 あくまで私の個人的な感想にすぎませんが……


       *


 さて、巨神兵は、「核兵器の隠喩メタファー」というのが通説のようです。

 それなら、クシャナ様の演説は、このように言い換えられますね。


「私はこの国に王道楽土を建設するために選ばれた。

 そなたたちは物価高のために滅びに瀕している。

 我らに従い、我が政策に賛同せよ。

 核兵器を保有し、再び我が帝国を強大にするのだ。

 かつて我が帝国をして、この亜細亜の盟主となした軍事力の技と力を

 我らは復活させる。

 私に従う者には、もはや国境を敵性国におびやかされぬ暮らしを約束しよう!」

 

 まあ、わざと極端に表現してみましたが、おいそれと「核を持ち込んでもらって安心しよう!」といった、「安心核」の政治的主張には、それなりの疑心暗鬼を持って、慎重に多角的に検討された方がいいでしょう。


 そもそも「核兵器保有→物価高の解決→安心と繁栄」のような論理は荒唐無稽に過ぎるように見えますが、政治っていくらでも「風が吹けば桶屋が儲かる」論理がまかり通り、吹聴されるようです。

 案外、突拍子もないことを承知の上で、こういうことを唱える人がいるかもしれませんね。

 十数年昔のABノミクスでも、「物価を上げる→企業が儲かる→トリクルダウンでみんな豊かに」という突拍子もない魔法の呪文が唱えられましたが、増えたのは企業の内部留保と、後は誰かがフトコロにポッポナイナイしたのか、トリクルダウンなんて絵に描いた餅に終わったみたいな。

 だって十数年過ぎても、年々生活が苦しくなるばかりで、家計のプラス効果は一滴も無かったですからね。


 政治ってホント、結果がすべてです。


 そりゃあ核兵器を保有すれば国境の不安は解消して離島の資源開発やリゾート開発を安心して進められ、他国との関税政策も武力を背景に有利に進められて、物価高も低減できるかもしれませんが……

 そのために失うものも多々あるでしょうし、何よりも、核が持ち込まれるだけで、自分の国のためには使ってもらえない状態をつくるだけだったら、何のためかわかりませんしね。

 ともあれ、いかなる政治的課題も、「美辞麗句のセールストーク」を真に受けないことが肝心なのでしょう。


 常に、疑心暗鬼なほど疑ってかかること。


 でないと私たち、うかうかしていると数年のうちに、「巨神兵が腐らなかった風の谷」になってしまうかもしれませんよ。



  【次章へ続きます】


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