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423●『果てしなきスカーレット』(2025)⑮なぜこんなことに?(後2)“力こそ正義”の現実に彼女は敗れた!? 『アナスタシア』『アリーテ姫』『かぐや姫の物語』『アナと雪の女王』との比較。

423●『果てしなきスカーレット』(2025)⑮なぜこんなことに?(後2)“力こそ正義”の現実に彼女は敗れた!? 『アナスタシア』『アリーテ姫』『かぐや姫の物語』『アナと雪の女王』との比較。




       *


『アナスタシア』(1997)

『アリーテ姫』(2001)

『かぐや姫の物語』(2013)国内興収24.7億円

『アナと雪の女王』(日本公開2014)国内興収254.7億円


 この四作に見られる、“プリンセスの意思決定”を比較してみましょう。

 それぞれの時代における私たちの価値観が、夢の世界のプリンセスまで大きく変貌させていったように思えます。


 結論から言いますと……

 2012年に政権奪還した与党の経済政策“ABノミクス”によって、富める者と貧しき者、強者と弱者の経済的・社会的格差が顕著に拡がり始め、世の中に「カネと権力こそ全て」すなわち「力こそ正義」という価値観が蔓延はびこってゆきます。

 その時期に合わせて、アニメという架空世界のプリンセスの意思決定を左右する価値観が、真逆的にパラダイムシフトしたのではないかと考えています。


 監督など制作者が、アニメの主人公であるプリンセスにどのような行動で意思決定させるか、その基本的な方向性が、現実世界の価値観に合わせて大転換したのではないのか? ……と。


       *


 『アナスタシア』(1997)の舞台は西暦1926年。ロシアのロマノフ王朝が滅びた赤い共産主義革命から十年ののちです。

 皇帝ニコライの一家は革命によって全員死亡したと思われていましたが、どっこい、末娘のアナスタシアはどこかで生き延びているのではないか……という都市伝説がささやかれ、それが本作のモチーフとなっています。

 詐欺師の青年が、孤児院を出たばかりの18歳の少女をスカウト、ロマノフ王朝の最後のプリンセスに“デッチあげて”賞金をせしめようと画策します。

 しかしそのヒロインが、実は偽物でなく本物だった! と判明して、彼女アナスタシアは人生最大の意思決定を迫られます。

 彼女が本物のプリンセスならば、あまりにも身分が違うということで、彼女に心から好意を寄せていた詐欺師の彼氏が“みずから身を引く”のです。

 本物プリンセスを祖母に引き合わせたことで、莫大な賞金をゲットできるのですが、彼は辞退。

 「マインドが変わったの?」と、ヒロインの祖母が訊ねます。

 「ハートが変わったのです」と傷心の彼氏が去る場面、男気を感じますね。

 ここでアナスタシアは人生の選択に直面します。

 皇女の宝冠を取るか、ボンビー青年の彼氏を取るか。

 そこでヒロインは、自分で決めて行動します。行動ついでに宿敵の悪魔ラスプーチンとの捨て身の決闘に勝利、敵を殲滅する勢いの爽快なこと、愛は強し、なのです。

 そしてなんとプリンセスの地位を棒に振って彼氏と駆け落ち!

 ああ、もったいない……

 しかし彼女は自分の意志決定に対して、自分の意志で堂々と責任を取るのですね。

 幸せを手にするかわり、王冠はおさらばします! と。

 バシッと仁義を通し、ケジメをつけたヒロインの清々しさ、最高です!

 クライマックスは1926年のパリ。ヒロインは18歳。

 1929年に訪れる世界恐慌の三年前、まだ華やかなりし戦間期のファッションがシックで、パリの夜景も明るすぎることはありません。蛍光灯がないのですね。

 そのぶん夜空の星々が冴えて、キスを交わす二人の頭上に流れ星が走るあたり、小粋なセンスが光ります。若き二人に幸あれ!

 この作品、いろいろと訳あってディズニーからFOXへスピンアウトしたアニメ監督とスタッフたちが結集し、三年を投じて力瘤ちからこぶ満々で創り上げただけあって、相当な傑作に仕上がっています。

 “ディズニーアニメの最高傑作”は『ファンタジア』(1940)を押さえて『ビアンカの大冒険』(1977:『アナスタシア』の監督さんが作画監督を担当)だと思いますが、この『アナスタシア』こそ、“ディズニーを超えたディズニーアニメの最高傑作”ではないでしょうか。

 1997年の本作ののち、21世紀のディズニーアニメは3Dの出目金キャラに移行して行きますので、ふるき良きディズニーの伝統的二次元キャラを堪能できるのは『アナスタシア』が最後の大作ということになるかもしれません。物語冒頭の八歳のアナスタシアの愛らしさは歴代ディズニーキャラと比較しても出色の出来。それだけでもDVDを買う価値アリと思いますよ。

 そして特記したいのは、プロローグに続いて孤児院から追い出されたヒロイン・アナスタシアが“ジャーニー・トゥ・ザ・パスト”(過去をたどる旅)を歌いながら雪道を元気よく歩くシーン。その天真爛漫なことと、彼女の動作がミュージカルチックでオーバーアクションなのに、なんとも自然ナチュラルなこと。

 ここで観客の皆さんはきっと、彼女を大好きになってしまうでしょう。「いい娘だね!」って感じなのです。

 そう、『果てしなきスカーレット』の予告編で決定的に足りないのが、パッと見てヒロインを好きになれる、前向きの元気パワーなんです。ボンビーで、かつ記憶喪失の少女アナスタシアですが、その心は未来をめざして明朗快活、映画館でこれから二時間近く一緒に旅路を共にするのが楽しみ! と感じさせてくれるのですね。

 映画ってのは、主人公と一緒にしばし人生を共にして、一緒に二時間程度の旅に同伴するようなもの。

 逆にスカーレットと一緒に旅をしたら、ジメジメジトジトと深刻で窮屈で迷い悩み、息が詰まる気分になるでしょう。予告編だけでそう感じてしまう。そこが彼女の辛さであり、観客が鑑賞を最初から敬遠した最大の原因なのかもしれません。

 観客が期待するのは、観客の人生の迷いと悩みに答えて、鬱屈した気分を吹き飛ばしてくれる主人公の明るいオーラではないでしょうか。


       *


 予告編のスカーレットは明らかに悩んでいます。

 しかし観客が期待するのは、スカーレットの悩みよりも、観客自身の悩みを解決してくれる、爽快で頼れる主人公なのです。

 なのに、予告編は、観客に「スカーレットの悩みを解決してあげて下さい。何とかしてあげて!」と求めてくるかのように受け止められます。

 観客は予告編を見て、かえって心の負担を感じたのではないでしょうか。

 あたしゃ主人公の人生相談におカネ払ってるんじゃないんだって!


       *


 『アリーテ姫』(2001)は片渕須直監督の長編第一作。これが現在のところ同監督様の最高傑作だと思います。

 “美少女”というレッテルがあてはまるか否か、ギリギリ微妙な風貌のプリンセス・アリーテ。

 親である王の勝手で有無を言わさず魔法使いの城へ嫁にやられ、軟禁生活。

 ひたすら刺繡に明け暮れて、ただ白馬の王子様の訪れを待つだけ……という、世間知らずの箱入り娘っぽいプリンセスライフを強要されるのですが、事実上幽閉されたこの時の姫の表情が、じつは最も美少女なんですね。

 しかし姫は、持ち前の科学的探究心で魔法使いの呪縛を解き、城の脱出に成功!

 そう、みんなが魔法だと思っていたのは、実は先史時代のオーパーツサイエンスだったのです。科学的解決手段を見出した彼女はもはや無敵。

 魔の城は水攻めで崩壊、ついでに周囲の荒野を緑豊かな耕作地へ変貌させて、土地の人々のリスペクトをかちえるアリーテ姫、リケジョの勇者様です。

 そして彼女は、姫であることをあっさりと棄てて、自分の科学的探究心を満足させるため、ただそれだけの動機で世界の真理を求めて長い旅に出るのです。

 この作品では、社会の偏見によって押し付けられた“姫君おんなのこらしさ”を撥ね退けて、自分の人生を迷わずに意思決定していくアリーテ姫の、飄々とした生き方が小気味よく描かれます。

 そして“世界を探求する”という意思決定と引き換えに、彼女は“姫”であることをためらいなく捨て去るのですね。

 プリンセスの富と権力に、まるでこだわらない。

 こちらも、自分の意志決定に自分で責任を取る、アリーテのケジメの付け方が物語の大きな魅力となっています。

 彼女は、悪の魔法使いの心を改悛させ、童心を取り戻してあげるのですから。


       *


 『かぐや姫の物語』(2013)は高畑勲監督の遺作であり、『太陽の王子ホルスの大冒険』(1968)に次ぐ最高レベルの傑作だと思います。

 ディズニーの3Dキャラの真逆と言えるほど、面相筆で手描きしたかのような優雅なラインの繊細さは、まさにジャパニメーションの極致でしょう。

 なんといっても、『ホルス……』のヒロイン・ヒルダの面影と、かぐや姫の憂いに満ちた表情の重なりようが、別人キャラとは思えません。

 高畑監督の創作スピリットは、ヒルダからかぐや姫まで、一直線に貫かれているように見えます。

 で、かぐや姫はこの地球の大自然とともに、苦しくても一生懸命に生きる人々とのふれあいを経て、地球にずっと残ろうと決意するのですが、想いかなわず、月人たちによって月世界へと強制送還されてしまいます。

 その背景は圧倒的な軍事力。神にも等しい月人の神通力には、地上のミカドがどんなに抵抗してもペシャンコのヘロヘロになるばかりなのです。

 寂しく月へと出戻るしかないヒロインの彼女は、自分の意志決定に対して責任を取った……というよりも、取らされてしまったのですが、これもひとつのケジメのつけ方でしょう。

 運命には抗うことができない……という結末です。

 かぐや姫は、自分の意志決定の結果として、不条理な現実を受け入れたとも考えられるでしょう。


       *


 その翌年の2014年に日本公開され、メガヒットを飛ばしたのがディズニーの『アナと雪の女王』。

 『かぐや姫の物語』とは対称的に、一気にブッ飛んだ結末を迎えます。

 ヒロインである女王エルサは、自分の意志決定に関して、全くぜんぜん一片たりとも、責任を取らなかったのです。


 舞台は架空の王国アレンデール。

 ヒロイン・エルサは氷の魔法を持つことを国民に隠していたが、成人して女王に戴冠した際にバレてしまい、パニックを起こして国外に逃亡してしまいます。

 ヒステリックな中二病女王様なのですね。

 要するに、自分の勝手で国家と国民を捨ててしまったのです。

 制御を失った氷の魔法は猛威をふるい、夏のさなかだったアレンデール王国に突如、真冬の極寒地獄をもたらしてしまいます。

 近隣国の王子ハンスは人道援助を申し出て王国を掌握しますが、その真意は国土と国民の侵略と占領にありました。王国の乗っ取りですね。

 しかしエルサは、もう一人のヒロインである妹アナの献身によって氷の魔法をコントロールできるようになり、アレンデール王国の夏を復活、敵国のハンス王子を排除して国内の平和を取り戻す……といったあらすじです。


 私の個人的な印象では……

 エルサは大嫌いですね。

 彼女は正式に女王に就任しているのです。

 国家を統治する最高責任者であり、そのことを受け入れているのです。

 なのに、全国に極寒地獄を残して、ひとり山奥へ出奔トンズラ、ユニット工法で氷の城を建設すると、「♪ちっとも寒くないわ」とレリゴーな歌で盛り上がってしまいます。

 何たる無責任!

 女王よ、あなたがもたらした氷の魔法のおかげで、寒波に不意打ちされた庶民が何百人何千人と凍死したはずなのですぞ!

 しかし魔法を制御できるようになったとたん、王城に舞い戻って何食わぬ顔で女王の座に復帰して、目出度しめでたし。

 そりゃあないでしょう。

 国民と国土を自分の魔法が生み出した極寒の中に見捨ててトンズラした以上、女王職はクビですよ。

 短期間とはいえ、祖国を滅ぼしたも同然です。

 それがノコノコ戻ってきて、メンゴメンゴで済みますかってんだ。

 近隣国から侵略の憂き目に遭う所だったんですし、帰ってきたエルサを市民革命とギロチンが待ち受けていても不思議はありません。

 しかしすんなりと、エルサは元の女王に収まります。

 何事もなかったかのように。

 気が向かなかったら自由を求めて国を捨てる。でも気が治ったから女王に戻りますわ……って。

 どうして、そんなワガママが許されるのでしょう!

 エルサ、強欲すぎます。

 無限の自由と女王の座。

 どちらかではなくて、両方私のもの! ……にしちゃうんですから。

 これぞ“なろう的悪役令嬢”の親玉格なのでは?

 『アナスタシア』も『アリーテ姫』も、ヒロインは「自由を得る代わりに、王座は手放します」という、責任ある意思決定をしています。

 『かぐや姫の物語』のかぐや様は、自分の我儘をこらえて責任を取り、泣く泣く月世界のお家へ帰ります。

 しかしエルサは当然のように「自由も王座も、両方自分のもの」としたのです。

 過去のディズニー作品では考えられないほどのパラダイムシフトでした。

 自分の人生を白馬の王子様にひたすら依存する、白雪姫や眠りの森のオーロラ姫や、シンデレラ姫の真逆を行く、“好き勝手し放題の女王様”の爆誕です。


 しかしアナ雪は超大ヒットしました。日本国民に広く賞賛されたのです。

 この点、2014年のこの時点において、観客の“プリンセス観”は180度回れ右して、コペルニクス的転回を果たしたのでした。

 良くも悪くも……


 権力者は好き勝手してもいいのだと。


 なぜ、女王エルサは、自分勝手に国と国民を捨てたのに、自分勝手に女王に復帰できたのでしょうか?


 力です。


 彼女の意志で自由に制御できるようになった氷結魔法フローズンマジックは、そのまま強大な軍事力に転用できます。

 アレンデール王国を侵略しようとする者は、軍船だろうが騎馬隊だろうが、エルサの一声で雪ダルマと化してしまうのです。

 また市民革命で民主化をはかろうとする革命家も、反乱を起こしたらたちまち凍死させられてしまいます。

 エルサの専制国家体制は、氷の城の如く盤石なのです!


 「力こそ正義」とエルサは示したのであり、それが王国の平和な独立を担保する安全保障となったのです。

 だからエルサは再び、歓呼の声をもって女王に返り咲いたのですね。

 自分がした自分勝手な過ちの結果について、一切責任を取ることなく……


 西暦2014年、この年、消費税は5%から8%に引き上げられました。

 重税感がズシッときたのは、この8%というのが大きかったと思います。

 加えて、物価上昇をあおるインフレ推進策がとられました。

 限りなく0%の低金利政策ですね。

 それまでデフレ傾向で比較的安かった物価がぐいぐいと上がり、それにつれて消費税も上がって、庶民の財布を直撃しました。

 富める者と貧しき者の格差が、強烈に開いてゆきます。


 そして2026年の今、この国だけでなく世界の常識も真逆的に転回していますね。

 「強者は弱者に何をしても許されるのであり、一切責任を取らない」

 海の向こうの某超大国の某大統領の、「力による平和」を標榜する政策と発言をみるかぎり、“弱肉強食”が世界的に肯定されているように感じます。

 弱いのは自己責任である。だから強者に食われて当然だ……とばかりに。


 そしてこの「力による平和、力こそ正義、力あれば責任を取らない」を、歌って踊りながらシレッと実践したのが、実は冷酷な雪の女王エルサでした。


       *


 2025年11月に公開された『果てしなきスカーレット』の予告編と、『アナと雪の女王』の予告編(およびレリゴーの歌のMV)を、一度、ネットで見比べてみてはいかがでしょう。


 ありのままの自分になるの、何も怖くない、自由になる!……と謳いあげるエルサと、彼女を救うために雪山にアタックする妹アナのパワフルなこと。

 そしてレリゴーの歌の陰で、極寒に凍える国民など一瞬も顧みることなく、無責任を貫く雪の女王。


 この年、日本国民はこの無責任専制君主を無意識に承認したのです。


 国内興収254.7億円とされる、アナ雪。

 エルサのパワーは、スカーレットのパワーよりも数十倍は大きそうですね。


 自らの責任に悩み、ニッポンの坊主頭青年に説教されて復讐をあきらめるスカーレット王女は、「力による平和、力こそ正義、力あれば責任を取らない!」と単純かつ一直線に行動する雪の女王エルサに敗れ去ったのです。


       *


 アナ雪の二年後、米国大統領選でドナルド・トランプ氏が勝利。


       *


 まとめますと、『果てしなきスカーレット』が予告編の段階で、観客に避けられてしまった原因は……


 一、パッと見た目、悩み深いスカーレットは観客に好かれるキャラでなかった。

 二、生きる意味を見つけていく……といった深刻な呼びかけが、物事を深く考えない私たちにとって、メンドクサイと感じられた。

 三、力が正義!……と単純化された価値観の時代に、スカーレットは弱き敗残者として映ってしまった。


 そのような印象が先立ったからだと思います。

 『果てしなきスカーレット』は作品として明らかに良作です。

 復讐、という自らに課した呪縛から解き放たれて、自分の生き方を発見しよう。

 生きるべきか死ぬべきか、その問いに答えて、生きる意味を見つけよう。

 そういった主張は、至極まっとうな人生訓だと思います。


 しかし、「力による平和、力こそ正義、力あれば責任を取らない!」と単純化された価値観の時代に対して、スカーレットは無力だった。

 そして世間の常識は、「無力な者は無視して通り過ぎる」ほどに冷酷化していたのです、たぶん。


 そういう結論かもしれません。




  【次章へ続きます】


※以降の原稿を加筆したところ、文字量が増えすぎてしまったので、分割掲載させていただきます。何卒ご容赦下さいますよう……。



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       *


※別件のお詫び……2026年の年賀状を下さった皆様、誠にありがとうごさいます! ただ、頂戴してからタイミングを失してご返事し損ねたケースがあり、この場をお借りしてお詫びさせていただきます。

申し訳ありません、失礼の段、何卒お許し下さい……

私の年賀状の文面は、「活動報告」に投稿しておりますので、併せてそちらをご覧下されば幸いです。【筆者】






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