41●『崖の上のポニョ』の謎(7)…高度なステルス演出。相手を苗字で呼ばないのは、あの人の正体を隠すため!?
41●『崖の上のポニョ』の謎(7)…高度なステルス演出。相手を苗字で呼ばないのは、あの人の正体を隠すため!?
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しかし皆様、ここでちょっと不思議なことに気付きませんか?
宗介君が両親をリサ、コーイチと、姓名の“名”だけで呼ぶ、必然性です。
そうしなくてはならない理由が、さほどないのです。
リサと耕一を、“お父さん、お母さん”と呼んでいても、違和感はありません。というか、たいてい、その方が普通ですね。
欧米公開の英語吹き替え版では、“ママ、パパ”に類する呼び方になっていたということです。
ということは、どうも、何らかの意図があって、日本語版では“リサ、コーイチ”という呼び方にこだわる理由があった……と思われます。
これはいったい?
そしてさらに、不思議なことが……
作品中の誰もが、魔法使いのフジモトを除いて、苗字で呼ばれていません。
フジモトはグランマンマーレとひまわりの家のおばあちゃんたちに計二回、そう呼ばれていますが、フジモトという固有名詞が苗字ではなくて、ちょっとお武家風の“名前”だった可能性もあります。細川勝元みたいな、ナントカ藤元とか。
(また例外的に、台風で停電したひまわりの家で、リサが介護士の女性に「金子さん、まだでしょう?」と、第三者の苗字を出して訊く場面が一度だけありますが、面と向かって相手を苗字で呼ぶ場面はありません)
ともあれ普通は、たいてい“山田さん”とか“カリオストロさん”とか、苗字で呼びますね。それが、『崖の上のポニョ』では見られないのです。
だから宗介君は苗字で呼ばれることがありません。ソースケか、宗ちゃんです。
“山口さんちのツトム君”でなく、“リサさんとこの宗ちゃん”といった扱いです。
それに、ひまわりの家の関係者や土地の人々も、リサのことを“リサさん”と呼び、苗字で呼ぶことはありません。
そう、相手を“苗字でなく名前”で呼んでいるのは、宗介君とリサだけでなく……
出演者全員が、宗介君とリサを、“苗字でなく名前”だけで呼んでいたのです。
ということは……
宗介君の一家の苗字が、不明なのです。
これは、不思議なカモフラージュ効果を作り出します。
登場キャラの中に、宗介君の身内が潜んでいたとしても、わからなくなるのです。
たとえば宗介君の苗字が“小金井”(仮称)だったとしましょう。
そうすれば宗介君は物語の中で“小金井君”と呼ばれる機会ができますし、大人のキャラで他者から“小金井さん”と呼ばれる人がいれば、その人は宗介君の親族だとわかります。例えばリサも、土地の人々から“小金井さん”と呼ばれるわけですから。
そういった場面が、無いのです。
たまたまそうなった、とか、必要がないので省いた、というだけのことかもしれませんが、気にかかります。
これは筆者の私個人の妄想ではありますが、もしかして……
宮崎監督が意図的に、そのように仕組んでおられたとしたら?
そこで、仮説です。
かりに、宗介君のひいおばあちゃんが作品中に登場していたとしたら……
その人物は、“小金井(仮称)さん”でなく、名前で、“〇〇さん”と呼ばれることになります。
だから、宗介君とその人物の続柄が観客には認識できないまま、ストーリーが何事もなく進んでいくことになるのです。
相手をもっぱら苗字で呼ぶ、この国の社会慣習。たとえば“半沢直樹”は作品中でたいてい“ハンザワ”と呼ばれていますね。“ナオキ”と呼ぶのは奥さんくらいでしょう。
この慣習を逆手に取って、物語の登場人物全員が相手を“苗字でなく名前で呼ぶ”ようにさせれば……
登場キャラの中に紛れ込ませた、宗介君の血縁者を、他人のように見せかけて観客の目から隠すことができるのです。
そう、あの人のことですね。
宗介君自身、“お母さん”を“リサ”と、名前だけで呼びます。
ということは“ひいおばあちゃん”も名前だけで呼びます。
だからその人物が、宗介君の身内の“ひいおばあちゃん”だとしても、そのことが観客にはわからないように仕組むことができるのです。
おそらく意図的に、そのように仕組まれたのです。
観客の目の前にしっかり出演しているのに、その正体を最後まで隠し通す、じつに高度なステルス技巧……
それは、宗介君が“ひいおばあちゃん”と呼ばずに……
そして周囲の大人たちも、苗字で呼ばずに名前で……
“トキさん”と呼んでいる人物のことです。




