35●『崖の上のポニョ』の謎(1)…“妊娠から出産”を寓話化した絢爛なメルヘン。
35●『崖の上のポニョ』の謎(1)…“妊娠から出産”を寓話化した絢爛なメルヘン。
※以下、『崖の上のポニョ』に関する各章は、“なろう”サイトに掲載した原稿と重複する部分が多々ありますが、大幅に改稿し、新しく気付いた解釈も加えたものです。『崖の上のポニョ』を未見の方は、必ずDVD等でご覧になってからお読み下さい。
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『崖の上のポニョ』、2008年公開作品。
皆さん、たいてい一度はご覧になっていますよね。
徹底的にわかりやすい、シンプルなストーリー。
おそらく、ジブリアニメでは最も低年齢のお子様にも楽しめるように配慮した、万人向けの作品と言えるでしょう。
主人公の宗介君は、わずか五歳。
幼稚園児の視点でつくられた、最高品質の童話アニメ。
同じ幼稚園児の視点でつくられたアニメでも、ク〇ヨンのシ〇ちゃんとは違って、大人が安心して子供に見せられる子供向け作品。
そんな印象をお持ちであることと存じます。
伏線など一切ない、単純なおはなし……?
さにあらず。
ここが宮崎駿監督の凄いところです。
繰り返し観れば、心底驚きます、おおっ、と唸らされます。
『崖の上のポニョ』は、表面上はいかにも子供向けという仮面を被りながら、裏側にはオトナの見識がなくては読み解けない高度な伏線が、二本三本と仕掛けられているのです。
『崖の上のポニョ』は完全に、オトナ向け作品であります。
やや丹念に作品を観ていきましょう。
まず大前提として、この作品はアンデルセンの童話“人魚姫”を原作としている……という先入観を一切捨てて下さい。
“人魚姫”とは関係のない、全く別次元の物語です。
もちろん、“人魚姫”の設定に似た部分はかなりあります。
“お魚のポニョ”がたまたま出逢った人間の少年、宗介君に好意を抱いて「人間になる!」と決意するくだりは、人魚姫が王子様に一目ぼれして人間に変身しようと決意する“人魚姫”の設定に共通します。キスすることで人間になれる、という条件も同じです。
しかし、それだけです。
本稿の第33章で書きましたように、ポニョは“人魚姫”でなく“半魚人”と表現されています。
あえて“人魚”と呼ばれなかったことには、意味があるはずです。
このお話は、ディ〇ニーの『リトル・マーメイド』(1989)とその後のシリーズとは根本的に異なる……ということなのです。
そこで、『崖の上のポニョ』の物語の全体像を、捉え直してみましょう。
お魚の女の子のポニョが、
突然、「人間になる!」と決意して、
強大な魔法力を発動、
世界は大混乱しますが、
ポニョのお母さん(女神様)が事態を収拾、
ポニョは主人公の宗介君の“妹”として、
人間になってこの世に誕生します。
これってつまり……
“妊娠と出産”のプロセスを寓話化したってことではありませんか?
『リトル・マーメイド』のヒロインは人魚の少女ですが、大人の恋愛の主体者となっています。少女ですが、行動原理はオトナです。それゆえ作品には悪玉の魔女が登場しますし、相手の王子も浮気めいて、よろめきます。
これは、オトナの恋愛を成就させる物語なのです。
しかし『崖の上のポニョ』では、宗介もポニョも、五歳の幼児。
あくまで“こども”であって、ポニョが願いかなって人間になれたところで、早速、親代わりの保護者が必要になります。
“人間になったら魔法は使えませんよ”と、グランマンマーレは念を押しています。
つまりポニョは、人間の里親のもとで、育ててもらわなくてはならないのです。
ここが、王子様の玉の輿に乗ればオッケー! の人魚姫とは異なるところです。
『崖の上のポニョ』は、“人魚姫”の冒険譚ではありません。
主人公とヒロインが悪玉と戦うことで完結するバトルアクションでもありません。
突然に五歳の人間となって“誕生”するポニョ。
ポニョは魚でなくなり、魔法も使えません。
水槽に入れてエサをやれば、勝手に育ってくれる……はずがないのです。
新たに一人、赤ちゃんに近いこどもが産まれるようなものなのです。
ということは……
この世に誕生したポニョを、里親となるリサを含めた周囲の大人たちが、どのように受け止めてあげることができるのか……という、“母親の視点”が非常に大きなウェイトを占めてくるのです。
“半魚人”から人間となって、この世へ“誕生”する、ポニョという女の子の生命を真剣に受け止め、責任を負い、どうすればいとおしく抱き締め、心から祝福してあげることができるのか……。
これ、日本というこの国において、重要、かつ深刻な問題でもありますね。
育児放棄や幼児虐待のニュースは、途切れることがありません。
不幸にも、“誕生”が喜ばれないケースがあることを物語っています。
ですから『崖の上のポニョ』は、“母親たちの物語”でもあるのです。
“生まれて来た子を、いかに愛することができるのか”
これが、“人魚姫”とは異なる、『崖の上のポニョ』のテーマです。
これを、母親の立場に立てば……
『崖の上のポニョ』は“誕生”をテーマとした、“妊娠と出産”を描く物語なのです。
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妊娠と出産は、今も“神の領域”です。
『崖の上のポニョ』のオープニング。
夜の海、波間を照らす月の光、そして海中にあふれる様々な生命の息吹。
そこに、ひょっこりとポニョが浮かび上がります。
海は生命のゆりかご。
いわば、羊水を満たした巨大な子宮をイメージさせます。
そして、月。
月の潮汐力がつくりだす、満ち潮や引き潮、そう、だから海は、月の引力によって動かされるゆりかごです。
満月の潮汐力は、幾多の生命を育みます。
潮の満ち引きに影響されて、海の生き物は産卵するからです。
陸上生物である人間の女性も、はるかな昔に海中にいたころの名残を、DNAに引きずっているのでしょう。
生殖に関係して、“月経”とか“初潮”といった言葉が残っています。
作品のオープニングの、月夜の海は、物語のテーマを簡潔に暗示しています。
これは“妊娠と出産”……すなわち“誕生”の物語なのです……と。
妊娠と出産は、不可逆的です。
精子が卵子と出逢い、受精卵が着床、無事に細胞分裂を始めたら……
アクシデントがない限り、十月十日をめどに、赤ちゃんが生まれてきます。
人間の勝手な都合で、あともどりも延期することもできません。
母は、この現実を受け止めるしかありません。
抗いようがないのです。
ポニョもそうですね。
「人間になる!」と決めたら、止まりません。
魔法の力を限りなく暴走させても、止まることなく人間としての“誕生”をめざして突っ走ります。
さて、出産までに赤ちゃんが過ごす子宮には、羊水が満たされています。
生命の母なる海、に近いものかもしれません。
人類はもともと、何億年だかの昔には、海中で過ごす魚でした。
それが環境の変化に適応するにつれ、陸に上がり、鰭が手足となり、鰓でなく肺で呼吸するようになり、そしていつしか直立歩行を会得して……現在のヒトに進化してきました。
この進化のプロセスを、羊水に浮かぶ胎児は、十月十日のうちに超特急でおさらいすると言われます。
魚のような生き物が、何億年もの時間をぎゅっと凝縮して胎内で進化して、最後にヒトとなって産まれてくる……
まるで、神様が授けた魔法です。
誰がどうするわけでもなく、そのようにできてしまう。
そして人間の体液の組成は、海から陸へと生活の場を移したその当時の海水の成分をそのまま残しているとも言われます。
太古の生命のゆりかごが、母親の胎内に、タイムカプセルのように残されている。
あ、筆者の私には実証する能力がありませんので、以上はあくまで伝聞ですよ。
しかし、十分にありえることだと思います。
“妊娠と出産”は、地球上の生命の進化を胎内でリプレイする、神の行為なのだと。
ポニョもそうですね。
お魚から人間へと、魔法の力で一足飛びに進化して、宗介とリサの眼前に生まれ出でます。新しい生命の誕生です。
その前に、ポニョが魔法の力でつくりだした、太古の海。
はるかな古代の魚たちが泳ぐ、生命の力に満ちた不思議な海。
それは、この星に生まれた生物の進化のゆりかごとなった、超巨大な“胎内の海”であるとも言えましょう。
妊娠から出産までの間、母は自分の胎内で進化する子の生命を感じ取りながら、まるで魔法のように出産へと導いてくれる神様と、心で対話しているのでしょう。
まるで、羊水のような液体に包まれた海中の“ひまわりの家”で、これからポニョの人間界での母親となるリサが、グランマンマーレと親しく語り合っていたように。
母と神との、魂の対話。
およそ十月十日にわたる、その会話を物語にしたのが『崖の上のポニョ』である。
そう思えてならないのです。
さて物語には“産道”が登場しています。
海面の大膨張で町や村が海に沈み、玩具のポンポン船で“ひまわりの家”をめざす宗介とポニョが最後に通ることになる“山上隧道”というトンネルです。
宗助君は「ここに一度来たことがある」と言います。
生まれるときに通った場所、という暗示ともとれるセリフです。
ポニョは「ここ、きらい」と忌避しようとします。
トンネルのむこう、“ひまわりの家”を取り囲む海は、おばあちゃんたちが海中でも難なく呼吸でき、子供のころのように元気になれる、まるで羊水のような魔法の海。
いわば胎内世界です。
だからトンネルをくぐることは、ポニョにとって、胎内への逆行となり、そのため人間の身体から魚へと進化を後戻りしてしまうのですね。
ポニョは魚に戻り、そこに待ち構えたフジモトによって“ひまわりの家”へ送られて、改めて、リサとグランマンマーレ、ふたりの“母親”のもとで、魔法を捨てて人間となる“試練”を受けることになるわけです。
このときポニョは乳児期を飛び越えて、五歳の女の子になりますが……
現実の出産では、胎児は産道を通り、赤ちゃんとなって、生まれてきます。
赤ちゃんを受け止め、抱き締めて、お乳をあげるのは、母親。
母乳に含まれる免疫物質が、病魔の災厄から赤ちゃんを守ります。
男性には体感的にわかりかねる、女性でなくてはできない、生命の神秘。
そのような理由からか、『崖の上のポニョ』は、かなり徹底して、女性主体です。
主人公の宗介君は男の子ですが……
“ひまわり園”で見かけるのは、女の子ばかり。
“ひまわりの家”も、なぜか、おばあちゃんばかり。
宗助君以外の男性は、ほぼ、活躍しませんね。
それに、ポニョのきょうだいたちは、みんな女の子ばかり。男の子はいません。
ですから、『崖の上のポニョ』は……
全編を通じて、女性たちの、女性による、女性のための、映像作品。
“妊娠と出産”における、母親と神様との対話が美しい画像に視覚化された、絢爛たるメルヘンなのです。
物語のラストで、ポニョが人間の女の子になって生まれてくる場面。
だれもが喜び、ポニョの“誕生”を祝福します。
作品のキャッチコピーは“生まれてきてよかった”。
この状態を詞にすれば、たとえば……
“誕生を 寿ぐわれらは さいわいなるかな”
新たな生命の誕生を、心から祝うことができれば……
そのとき、私たちは間違いなく、このうえなく幸せだ……ということですね。
すばらしい作品だと思います。
ですから『崖の上のポニョ』は、“人魚姫”のお話ではありません。
“誕生”という、私たち人類の、生物としての根源的な幸福を、妙なる楽曲とともにこの上なく美しく描き上げた“愛の讃歌”なのです。




