327●『君の名は。』㉑“人為忘却”の猛威。迷惑至極な未来人。ニッポン時間SFの三つの流れ。そろそろ新作をジブリでやってほしい!
327●『君の名は。』㉑“人為忘却”の猛威。迷惑至極な未来人。ニッポン時間SFの三つの流れ。そろそろ新作をジブリでやってほしい!
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それにしても『君の名は。』に限らず、時間SFに“忘却シーン”が付きまとうのは、ニッポンの国産作品の伝統なのでしょうか。
筒井康隆先生の『時をかける少女』(雑誌掲載1965)がすべての始まりで、それからというもの、数々の著名美少女JK様が時を駆けては記憶を喪失してきました。
そこに猛威を振るうのが、“自然忘却”に対する“人為忘却”ですね。
これは人間(おもに未来人)による、人為的かつ意図的な記憶の消去。
未来人のタイムパトロールなんかが私たちの日常を監視していて、トーシロなタイムトラベラーがいいかげんに歴史改変しちゃうと、直ちに駆けつけてタイホしてお尻ペンペンして歴史を元に戻す……という、アレですね。
このとき、どうやってか、タイムパトロールの怖いお兄さんお姉さんたちは歴史改変の愚行が繰り返されないように、犯人のタイムトラベラーだけでなく、関係した無辜の民間人の記憶まで消しまくってゆくのです。
これがちょっと、ムカつく。
私たち過去人の、未開で無知蒙昧なアホばかりの原始社会にやってきて、平穏な歴史を滅茶苦茶にかき混ぜたくせに、せっかく面白くなった歴史改変を元に戻して記憶を奪い去るのも未来人。
いちいち余計なことしやがって。
いらんぞ未来人。
今でいうインバウンドの迷惑ガイジンの団体さんみたいなものである。
あの奇態な連中の中には、たぶん未来人の“懐かし日本ツアー”が紛れているとみておりますが。あ、地球観光に来たジョーンズみたいな宇宙人もきっと交じっていますよ。
この現象を象徴的に映画化したのが『グランド・ツアー』(1991)でしたね。
これ傑作でした。
TVの『タイムトンネル』(1966)の影響でしょうか、もっぱら、過去に旅する未来人の視点で描かれることが多かった時間SFを、『グランド・ツアー』は未来人を迎える過去人の側の視点で描いたのですから。
俺たちは見世物じゃない! 今を生きるだけで精一杯なんだ、来るなマナー違反の時間観光客、未来人ゴーホーム! ノーモア未来人! 同情するなら目の前で死ぬ人々を救っていけ!
至極まっとうな主張だと思います。
ともあれ未来人が自分で種をまいたくせに、そのゴタゴタの後始末と称して、可哀想な美少女JK様の記憶を奪い去ってはるかな未来へスタコラサッサするのが、なんかこう、ニッポン時間SFのお家芸というか十八番というかお約束となってしまった感もありまして、なんだか忸怩たるものがあります。
『君の名は。』(2016)も、その伝統を踏まえてつくられたように思いますが……。
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「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
そして「忘れ得ぬ人とは遠き人を云うなり。人は常に忘れ得ぬ人を忘れよと云う」。
この『君の名は』のナレーションが全国津々浦々の女性たちを感涙にむせばせた1952年以来……
ニッポンの時間SFは、“出会い”に始まり“忘却”に終わる……というのがテンプレ化してしまったようですね。
これがもしかして歴史のいたずらで、1965年の『時をかける少女』がヒットしなかったら、ニッポンの時間SFの曙は、1971年に雑誌掲載された、半村良先生の『戦国自衛隊』になったのではないかと思われます。
こちらは、戦国時代の歴史が変な方向に歪み始めたので、おそらく時の神様が昭和の自衛隊をタイムスリップさせて、歴史の流れを正常化させる触媒に使ったのではないか……そんなお話でした。
ニッポンと世界の歪んだ歴史をまともな状態に正すため、正義の戦いに臨む、われらが精鋭たち!
『時をかける少女』がヒットしなかったら、こっちのミリタリー路線が日本時間SFの主流になっていたかもしれませんね。
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ということで、ニッポンの時間SFは、三つの流れにまとまってきたようです。
1.時かけ路線
2.自衛隊路線
3.繰返し路線
2の“自衛隊路線”は、『戦国自衛隊』(雑誌1971、映画1979)に始まる続編や番外編の作品群に加えて、20世紀末には『ジパング』(マンガ2000-)が登場して宿敵米空母を小気味よく撃沈してくれましたが、なんといっても弱点はロジスティックス。武器弾薬兵員の補充が効かないことにありました。
その点をあっさり解決したのが『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(小説2006-)でしたね。以降、自衛隊は“異世界もの”に呑み込まれていくことになります。
相手が異世界だと現実の政治的配慮が必要なく、安心して実戦に励むことができますし、まあ絶対に負けないチートアーミーになりますしね。
3の“繰返し路線”は、戻ってはまた戻るタイムループを取り入れた作品です。
タイムループじたいは、『時をかける少女』の小説版(1965)から、前日あたりにささやかなタイムリープをやらかして、退屈な一日を繰り返してしまうパターンが見受けられましたが、ここで注目するのは、その部分を取り出してメインイベントに据えた作品です。
アニメでは『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(1984)が衝撃的で、これが最高傑作かもしれません。なんといっても「繰返しのくせに全く退屈しない!」という超スグレモノなのですから。
“繰返し路線”はやはり上記のようなタイムコメディとして扱われるのが面白いと思います。実写邦画の『サマータイムマシン・ブルース』(2005)がそうですし、洋画の『恋はデジャ・ブ』(1993)もそうですね。ほろ苦い“やり直しラブコメ”に最適な題材のようです。
このあと、一部には“超退屈”“全面バンクの怠慢制作”との評判も高い『涼宮ハルヒの憂鬱 エンドレスエイト』(TV版2009)。これはこれで不滅の金字塔でしょう。確かに退屈しますが。
TVシリーズでこれを繰り返す人はいないでしょうね。
そして近いところでは、怪奇とか猟奇要素をサイコに加味した『サマータイムレンダ』(2022)でしょうか。
一方、21世紀の傾向として、やはり“異世界もの”に呑み込まれて『Re:ゼロから始める異世界生活』(小説2012、アニメ2016-)のほか、無数の“過去に戻ってやり直して、ざまぁ”……な作品群を形成するに至りました。
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そして本命は1.の“時かけ路線”です。
ご存じのように、“時間移動”に“かなわぬ恋”という悲恋要素と、最後は“記憶喪失”でケリをつける……という要素を掛け合わせ、全体イメージに“青春ラブストーリー”という魔法の粉末シュガーをふりかけたロマンティックSF……というものです。
(時間移動+悲恋要素+記憶喪失)×青春ラブコメ=時をかける少女
なのですね。
そもそも甘酸っぱい青春時代というものは、あとから振り返れば、よほど幸せでリア充な中高生生活をエンジョイできた青春ブルジョワジーな選民様を除けば、たいていが「思い出すたび悲しくなる失恋の記憶と、戻ったら絶対にやり直したい後悔」のカタマリみたいなものでしょうから、『時をかける少女』が間違いなく歴史的な胸キュン作品の地位を獲得したことに納得できるわけです。
過ぎ去って還らない青春のホロ苦さを噛み締め直す作品として、“時かけ”は日本人のテッパン時間SFの座を確立しました。
映像作品化は1971年のNHKドラマ『タイム・トラベラー』を嚆矢としますね。
映像化はこのあと、
●原田知世さん主演の映画(1983)
●南野陽子さん主演のTVドラマ(1985)
●内田有紀さん主演のTVドラマ(1994)
●中本奈奈さん主演の映画(1997)
●類似の別作品ですが『タイム・リープ』の表題で佐藤藍子さん主演の映画(1997)
●細田守監督のアニメ映画(2006)
●2006年アニメの主演声優を務められた仲里依紗さん主演の映画(2010)
●黒島結菜さん主演のTVドラマ(2016)
1980年代からの40年間で8作ありますから、まさに国民的青春映画として「忘れる前に時を駆けてやってくる」定番作品と称してよろしいでしょう。
そして上記の表の末尾の2016年に、『君の名は。』が公開されているわけです。
で、何が言いたいかと申しますと……
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そろそろじゃ、ないですか?
次なる新作『ネオ・時をかける少女』が。
それとも『シン・時をかける少女』かな?
『君の名は。』から早や9年。
来年は10年目となるわけです。
『侍タイムスリッパー』(2025)は、ちょっと趣旨が異なるとして、
『時をかける少女』というタイトルで通用する新作が、ですね。
そういえば1983年の原田知世さんの『時をかける少女』は、尾道というレトロ感覚の舞台といい、ストーリーのテンポ、演技やセリフなどのリズム感がなんだか昔のジブリ的で、観て懐かしくなりますね。
ジブリでやってほしいなあ、新作アニメの『時をかける少女』を!
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にしても……
上記の表で特記しているものを除いて、みんなタイトルは『時をかける少女』。
もう勘弁してほしいほど、区別がつきません。
これだけは、どうにかしてほしいものですね。
1965年に中学生のとき、雑誌連載の『時をかける少女』を読んだ世代は、もう70歳代に突入しつつあります。
日本人の全世代をまたぐ国民的青春タイムドラマ。
それだけ、日本人にとって、“打てば心に響く”名刹の梵鐘みたいな名作です。
ならばこそ、ジブリアニメで一作、観たいなあ。
【次章へ続きます】




