275●『チ。―地球の運動について―』⑦私たちが直面している、三つの恐怖と三つの願望。
275●『チ。―地球の運動について―』⑦私たちが直面している、三つの恐怖と三つの願望。
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漫画、アニメ、ラノベといった大衆向けサブカルチャーの作品群は、概ね二つに大別できますね。
「暗い作品」と「明るい作品」。
「暗い作品」は、ホラーやサイコや殺戮ゲームといった、ドロドロした怖い作風のお話ですね。
「明るい作品」は、冒険やラブコメやホノボノなホームドラマみたいな、楽しい作風のお話ですね。
例外はあるでしょう。『ゲゲゲの鬼太郎』なんて、解釈次第で恐怖の怪談にもブラック滑稽話にもなりますので、そのあたりは皆様それぞれのご感想で、個別の作品を主観で判断されればと。
ということで、「暗い作品」と「明るい作品」に分かれます。
それぞの作品を鑑賞した時、私たちは何を感じ取るのでしょうか?
「暗い作品」を鑑賞したとき、私たちは一般的に「恐怖」による「不安感」を抱きますね。
「明るい作品」を鑑賞したとき、私たちは一般的に「願望」が叶う「満足感」を得ますね。
もちろん例外はあるでしょうから、概ねバクっと、そんな感じだということで。
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まずは、「暗い作品」について。
代表的と思うものを三作、選んでみます。
『進撃の巨人』(漫画:2009-、アニメ:2014-)
『鬼滅の刃』(漫画:2016-、アニメ:2019-)
『チ。―地球の運動について―』(漫画:2016-、アニメ:2024-)
それぞれの作品に、どのような恐怖を感じるでしょうか。
●『進撃の巨人』は「弱肉強食の恐怖」ですね。
人は巨人に一方的に捕食されます。巨大な人食い熊にガブリとやられるようなもので問答無用、そうなる理由はただひとつ、「人間は弱いから」ですね。
私たちの現実の社会も、似たようなものです。弱者は強者によって一方的に奪われますが、弱者は抵抗できません。この作品をはじめ、下記の二作もそうですが、ある意味、現実の社会を視覚的にデフォルメすることで戯画化されたものととらえられるでしょう。
●『鬼滅の刃』は「犯罪者転落の恐怖」ですね。
鬼は人を襲って殺すか、自分たちと同じ鬼にして手下とします。鬼に襲われることで鬼になってしまう。すると今度は人類の鬼殺隊に追われて、首を刎ねられます。罪もなく鬼にさせられただけで殺人鬼同様に社会から断罪される理不尽が、作品の根底をなしています。
これ、弱い一般市民と犯罪者との関係そのものですね。犯罪者によって奪われるだけでなく、犯罪者に支配されて、かれらの犯罪行為に加担させられることも多々あるわけです。
21世紀の「裏バイト」がまさにそうですね。当初は罪が無くても、犯罪者の仲間に引き込まれたことで、犯罪者として社会から処断される構図は、鬼と同じです。
●『チ。―地球の運動について―』は「異端者迫害の恐怖」ですね。
異端審問官によって異端と認定されれば拷問に火刑です。これは21世紀におけるネット社会の誹謗中傷や炎上騒ぎと類似していますね。社会の中で自分一人が異端者と認識されれば、本人に罪があろうとなかろうと、つまはじきにされ、いじめの対象となります。決して15世紀の昔話ではありません。私たちの社会にも、異端者を探して迫害するノヴァクはいくらでも存在しています。
このように三作とも、私たちの「現実社会の恐怖をデフォルメして、戯画化した」作品であると考えられます。
つまり私たち弱者にとって「現実社会こそ、恐怖そのもの」なのです。
三作とも、それぞれの恐怖によって、読者あるいは観客の私たちは「不安感」にとらわれます。
それがフィクションの世界の、「虚構の恐怖」であることはわかっていますが、それでも「不安」という感情を惹起するほど、「現実世界の恐怖」は強烈で、日常的に私たちを呪縛しているわけです。
この不安を解決してくれるのが、それぞれの作品に描かれる「正義」の人ですね。昭和風にいうと、正義の味方。
私たちは正義の人物とその行動に感情移入することで、不安を解消します。
『進撃の巨人』では、たとえばミカサの正義に共感する。
『鬼滅の刃』では、炭治郎たちの正義に共感する。
『チ。―地球の運動について―』は少し難しいですが、ラファウやヨレンタ、あるいはアントニの正義に共感することができるかもしれません。
こうして作品中の「正義」の側に立つことで、私たちは不安を打ち消し、「私は大丈夫だ」と自分に納得させる。
そうすることで「暗い作品」を虚構として楽しんでいると思います。
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次に、「明るい作品」です。
漫画、アニメやラノベといったサブカルチャーは、大衆的な読者あるいは観客の潜在的な「願望」に答え、「心の欠乏感を補う」という効用を追求しています。
虚構世界の出来事とはいえ、自分の「願望」が叶えられることで欠乏感を解消し「満足感」を得る。そうすることで作品を楽しむわけですね。
ただ、ここ十数年のラノベは、多くの場合「異世界への転生なり転移」を前提とする作品が多いですね。
もちろん全ての作品ではありませんが、まずは異世界転生して、私たちの現実世界を全否定することで、別世界で自分の人生の物語をリセットするのです。
それほどに私たちの現実社会が「生きづらい」という実情をあらわしていますね。
現実こそ、私たちにとって「欠乏感」の塊なのです。
となると、幸せは現実でなく、虚構の異世界に求めるしかなくなります。
つまり、「異世界への転生や転移=現在の人生に対する拒否感や絶望の裏返し」なのですね。
そんな、現実世界への拒否感や絶望、欠乏感を癒すために、ラノベ等で自分の「願望」を疑似的に叶えて欠乏感を補い、「満足」することで、私たちは作品を楽しんでいます。
主に、次の三種類の傾向が顕著でしょう。
●異世界で成功する……「強くなりたい願望」をかなえる。:『ソードアート・オンライン』『幼女戦記』『オーバーロード』等。
●旅の仲間と絆を築く……「信頼できる友人獲得の願望」をかなえる。:『ONE PIECE』 『転生したらスライムだった件』『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』等。
●舞台設定が学園内……「青春時代に戻りたい願望」をかなえる。:『涼宮ハルヒ』シリーズ、『青春ブタ野郎』シリーズ、『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』等。
で、この三種類の願望をつきつめると、「現実世界の人間同士の格差を解消したい」という願望……に要約できると思われます。
“弱者と強者”、“富める者と貧しき者”、“家柄や血筋の相違”、“学級カースト”……そういった格差を個人レベルで解決するためには、強くなりたいし、信じられる友人や仲間を得たいし、互いの経済的・社会的地位の格差を気にしなくてもよかった学園生活を呼び戻したい……と願うものです。
それら各種の願望を、あくまで作品の中の虚構の世界ではありますが、叶えてもらうわけですね。
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このように、ラノベや漫画、アニメなどの作品価値は、
「正義」に共感することで、「恐怖」によって生じる「不安感」を解消する。
「願望」をかなえることで、「欠乏感」を癒し、「満足感」を得る。
「不安感の解消」と「満足感」。
大きくはこの二点にあるのだろうと思います。
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以上に述べました「三つの恐怖と三つの願望」がラノベ、漫画やアニメの作品づくりの潮流になっているように思われます。
ただ問題は、現在の作品の多くが、「現実社会に対して感じる、三つの恐怖と三つの願望」を虚構の世界で疑似的に癒す、つまり医薬品でいえば頓服のような、「対症療法的な心理効果」にとどまっているということですね。
作品の世界から現実世界に戻れば、そこに感じる恐怖や欠乏感は変わりません。
だからより新しいラノベや漫画やアニメに没頭する。
そうすることで、不安感を解消し、満足感を求め続けるのでしよう。
しかしこれ、典型的な「現実逃避」であるような?
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結局のところ……
「現実社会に対する恐怖と欠乏感」を根本的に解決するには、現実社会の仕組みを変えていくしかありません。
そのためには選挙で投票して、少しでもましな方向へ社会を変えてくれる政治家を当選させるしかないのでしょう。
現実世界の枠組みの中で、「弱肉強食」「犯罪者への転落」「異端者への迫害」を逆に利用して勝者となり、成り上がる道はなくもありませんが、それはまた、より多くの敗者を足蹴にして踏みつけることでもあります。
この場合、下剋上で蹴落とした人々から「復讐される」リスクを無視できないでしょう。また、長い人生の結果、いったん勝者となっても、老いて弱体化した時に下剋上されて、敗者に終わる可能性も多々あります。
やはり、社会全体で「弱肉強食」「犯罪者への転落」「異端者への迫害」の恐怖を改善する方策を講じていけるよう、努力するしかないような。
なにも難しいことではなく、まずは「投票に行く」ことでしょうね。
小説、漫画、アニメから得られる救いは、しょせん虚構であり、夢まぼろしで現実の痛みを和らげる、対症療法の鎮痛薬でしかありません。
ここ十数年、明らかにこの国の経済と社会は衰退傾向にあり、そのことが原因で生み出された恐怖や願望が、無数の作品を生み出してきました。
私たちはそれらの作品に没入することで、現実を忘れて虚構の世界に逃避してきたともいえるでしょう。
しかし、もうそろそろ、「現実を直視して現実と闘う」発想に立脚した作品にシフトしてきてもいいのではないでしょうか。
ネットのニュース
●食費切り詰め貧血に…遺児家庭、9割超「物価上昇カバーできず」
10/13(日) 15:22配信 毎日新聞
物価上昇、光熱費の値上げでまず切り詰めるのは食費。1日1食のときもあり、子どもは7キロ痩せた――。
病気や災害などで親を亡くした子供たちを支援する「あしなが育英会」(東京都千代田区)が、会の奨学金を受けている高校生や大学生の保護者にアンケート調査したところ、9割超が「収入が物価上昇をカバーできていない」と回答した。もともと経済的に苦しい傾向にある遺児たちだが、物価高で生活が困窮を深めている実態が浮かんだ。
……
この国は想像以上に追い詰められています。
ちなみに2010年頃以前では、白菜を一玉ごと百円ほどで買っていたものが、現在は四分の一カットで二百円近くします。実に七~八倍の価格高騰です。お米の値段も、この数か月でたちまち二倍になりました。
しかし収入は増えていません、それが生活の実感です。
政治家の皆様は話題にしませんが、これ、非常事態だと思いますよ。
庶民の困窮は冗談抜きで死活問題となっています。
このまま推移すれば、生活保護世帯が急増するでしょう。
そうでなければ、餓死に直面する人々が急増します。
ラノベや漫画、アニメの「現実逃避」は、いよいよ、何の救いにもならなくなってきたように思います。
これからの作品は「現実をどのように直視するか」という視点が大切かもしれませんね。
「現実から逃避するのでなく、現実と闘うラノベ」です。
社会の風向きが良い方へ動くか否か、2024年秋の衆院選と来年の参院選、無関係とはいえないと感じるのですが……




