自害の彼女編 その1
人生とは、誰かによって敷かれた"仮初の平和"、というレールの上を歩く物である。
そう、自分の生きる道ではない、それが人生。
人生を脱却するには、与えられた物に疑問を持ち、学びに勤しみ、自分で強さを得ていく事が必要なのだ。
それが、自我を持った〈人間〉としての、始まりの第一歩。
だから未来、お前は「自生」を生きろ。自我を持って、人間として、歩め。
その名の通り、未来を平和にしていくんだぞ。
――父さんはいつも、そうやって僕に話をしてくれていた。
幼い頃の僕にはまだよく分からない、言葉の連続。
あの言葉を浴びている時は……映画を観ているような、絵本の読み聞かせを聞いているような、そんな感覚に陥った。
だけど何故か、これは他人事ではない、と幼いながらにも僕は自覚していたみたい。
いや……自覚しているフリだったのかもしれないけど……現に、僕の人格形成に大きく関わっているのは事実である。
[1番線に、電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください]
駅のホームから鳴り響くアナウンスを聴きながら、ふと昔の事を思い出していた。
午後3時24分の電車に乗り、およそ15分に及ぶゆりかごでの旅を経て、この田舎の駅に着く。
駅の周りには少々の民家と、それから、草木が生い茂り、綺麗な川のせせらぎが流れていた。
制服を着た大勢の人達が、それぞれの想いを持って、この駅から飛び出していく。あの人も、この人も。
「……っ」
――そうだ、あれ買わないとだね。
近くの売店に入る為に、改札を出てすぐ左に曲がった。
売店に行く間、椅子や机の並んである道(これはホールと呼ぶべきなのだろうか)では、まばらに人が行き交っている。
何故だろう、人にチラチラと見られている気がしてならない。
僕の顔に、何か付いているのだろうか。
人の少ない角ら辺で、スマホを取り出す。
美容師さんに、端正に切り揃えてもらった目にかかる前髪も、少しふわっとしたトップも、無造作なそのシルエットも、特に違和感は無い。
なんだろう……白髪が生えている、とかかな? 僕は黒髪だから、白髪1本あるだけでも目立つ。
うう〜ん、それも無し。
ならば、目にゴミでも?
……2重の間も見たけど、何も無い。細く整えた眉毛にも、少し釣り気味な目尻にも、無かった。
あれかな……よく、女性っぽいって言われるから、女性が男装してると思われたのかも。
悪い事じゃないし、むしろ素敵だけど、田舎だから目立っちゃったのかな。
っ……。後、他に違和感っ、と。
身長は173。ありがたい事に、平均より少し高め。
だけど、僕よりも高い人がいるから、身長の問題でもなさそう。
7月の暑さを乗り切る為の、高校の白い半袖や、黒い長ズボンにも違和感は無し。
黒のリュックも、大丈夫。
むむ……分からない。どうしてチラチラ見られたんだろうか……。
これは迷宮入り事件だなぁ、ふむ。
「すみません……そこ、どいてもらってもいいですか」
誰かに声を掛けられた。声のトーンからして、これは女性の。
「っ、すみませっ――」
刹那。
何かが、僕の中で揺らめく。
感じた……。流れてくる感覚を。誰かの声が、大量に流れてくる感覚を。
「どうか、しました?」
彼女の顔を見て、目が合う。大きくはっきりとした目、2重、艶やかで柔和なそのまつ毛。
そして……大きな黒目。その黒目に僕の気持ちはフォーカスする。いや、させられる。
その目が、僕の心の中を覗き込むような、何か言いように出来ない存在感を持っていた。
その瞬間に、さっきの感覚は押し寄せ、僕の心で波打つ。
「いえ……何でもないです」
なんだか変な気分になり、そのまま逃げるように去った。今のは、今のは……一体――。
買いたかった物も買わず、気持ちでは全力、現実では小走りにして、駅を出ていく。
逃げるように駅を出ていった僕の耳に、ある会話が届いた。男女のカップルだろうか。
「ねぇねぇ、今の見た? あの男の人に、女の人が話しかけたよ〜!」
「マジかよ! やるじゃんあの子! でも、あの子も中々に可愛かったよなぁ〜、ショートヘアでさ!」
「ふ〜ん、そんな風に言うんだぁ! へぇ〜。あっ! あの男の人、めーーちゃくちゃイケメンだったなぁ〜。皆見てたもん!」
だからチラチラ見てたの……?
絶対にそんなんじゃないって……嘘だよ嘘。なんかもう恥ずかしい、ダメダメ。
「だ、だから何だよっ」
変な羞恥心と、ありがたいお世辞に励まされながら、彼女の放った最後の言葉に、僕は耳を疑う。
「てかさぁ……あの女の人、あのイケメンがカッコよすぎるからって、じーーっと見てたのかと思ったんだけど、なんか違うのよ」
「あ……? どういう事だよ?」
「なんか、すっごい悲しそうな……恨んでそうな……顔してた」
○●○●
駅から割と離れた住宅街――店が多いから、どちらかというと商店街みたい。見覚えもないのに、何故かここに来てしまった。
道路が狭く、歩道の幅もそこまでない少々危険な場所。それを挟むようにして、肉屋、魚屋は開かれている。
そんな感じで、向こう側の奥までずーっと、お店が点々と展開していた。
だが、人が少ないので、なんだか少し寂しいようにも感じる。
僕の住む街は、とりわけ有名なレジャー施設もなく、スポーツの強豪校も、有名大学に進学した実績のある進学校もない。
なのに異様な程、土地は広い。田んぼとかも割と多いのだ。
僕が知らないだけで、農業の名産地なのかも。んん、もう少し、この街に愛着を持って、色々と知った方が良いのかもしれない。
――それにしても、勢い余って駅を出ていっちゃった、どうしよう。
おばさんに、あの駅限定のチョコを買ってきてほしいって頼まれたのに……。
自販機の前でずっと立ち往生していたら、肉屋の人に、なんか言われそうだよな。
しょうがない、戻るしかないよね。
「はぁ……」
ため息をつき、自販機の前から立ち去る。
――方向音痴という程でもないけど、北も東もよく分かっていない自分からすると、土地勘のない場所にいるのは不安だ。
早い所、駅に行かなきゃね。
車に轢かれないよう、狭い歩道を歩いていく。
「…………」
歩く、歩く。
「…………?」
歩く、歩く。
「んんんんん…………??」
多分、さっきの自販機の所からはそんなに遠くないはずで、歩いた時間も5分程だ。
でもこれは……。明らかに……。
「迷った??????」
オーーーーマイ、ガーーーッド。
「嘘だよね……迷っちゃった……」
どうしよう、さっきからめっちゃ独り言呟いてる。
誰かに見られたら通報されるレベルに呟いてる。というかめっちゃ迷った、めっちゃ迷った。
ええええ、どうしよう。
ここどこ? ホワッツ? ホワイ? イズディスウェアー??
焦った気持ちをごまかそうと、がらにもなくおふざけをしてみる。
でも、ダメだ。完全に道が分からない。気持ちだけが凄く焦る。どうすればいい。
周りを見渡した。
ぐるぐるぐると。
「空き家っぽい民家が、4軒。倉庫のような物が、1つ。あとは道路と、田んぼ」
人のいる気配もしない。
あれ……待って。
ヤバい。今さっきぐるぐるした事で、元の道への方向感覚も失った。
我ながら、自分はバカだったんだと自覚する。
「やばい、やばい。マジで……そうだ、あそこの民家、空き家じゃないかもしれない。人が居るか見てみよう」
先程見つけた空き家へと向かう為に、またぐるぐるとした。
だが、その考えは、僕の中ですぐに捨てさられる事になる。
「あれ……倉庫の先に、なんか寺みたいな建物がある」
近くに木があるから、葉っぱや枝で見えなかったのかもしれない。
屋根と葉っぱの、ほんのかすかな隙間からその建物は見えた。
「よし、あそこが寺なら、人は絶対にいるはず、いこう!」
それにしても、街中に木が生えているなんて、割と珍しいような。
いや、そうでもないのかな? 分からない。
とにかく、場所を見失わないように、民家の間の道をゆっくりと、何度も確認しながら焦らずに進んでいく。
「………………」
ゆっくりと、ゆっくりと。
「………………!」
程なくして、僕は4軒目の辺りの道で、寺へと続く道を見つける事が出来た。
「やったぁー!! これで帰れる!」
他の道路とは明らかに違う材質で舗装されたその道を、全速力で走っていく。
「はあっ……はあっ……」
じゃりだらけの道に入った。
目の前には、僕より少し小さい背丈の石で出来た置物、なんていう物なのかは分からないがそれが2つある。
そして、日本古来の伝統的な建物と言わんばかりの、大きな木造建ての寺が、そこにあった。
置物と寺までの距離は、1メートル程しかない。
「とにかく……誰か探さなきゃ」
僕は、じゃり道をゆっくり歩きながら、建物の中に入ろうとする。
すると、中から声が聞こえた。
「っ? あの……今日はちょっと用事があって、おみくじとか売れないんですけど、ってあれ??」
中から出てきたのは、ショートカットの女性――駅で出会ったあの人だ。パジャマ着のような格好での登場。
寺の人って、そんなにラフで良いのかな……。
「あれ、あなたはさっきのひ――」
僕が喋ろうとしたや否や、険しい顔で彼女は口を開く。
「……! あの、すみません。あなた……今すぐこの中に入って下さい」
「え……?」
「なんの用でしょうか。死んでいるんですよ、あなた」