卒業するまでの前途多難な日々
学校での授業が終わり、自分――セラフィーナ・カッシング(十六歳)は家が所属する派閥のトップであるゴドウィン公爵家の王都邸を徒歩で訪れた。貴族だけど、伯爵家令嬢だけど、馬車に乗って来ていません。内容を考えるとこっそりと来た方が良さそうだったし。
非常に気が重い。
本当は今日来るようにと書かれた手紙と一緒に届いたドレスを着て来るようにと書いて有ったんだけど、その日の夕食後部屋から盗まれた。
犯人は二つ年下の妹である。
何が『お姉様が持っているものって、とても綺麗に見えるから欲しくなる』だ。これは流石に窃盗だと言っても理解せず両親に泣き付き『姉だから我慢しろ』と言わせる馬鹿。姉妹間であってもこれは窃盗だと何度言っても理解しない両親も同罪だろう。淹れ立て紅茶をカップで投げつけて来たし。
『ドレス一着持っていない長女を見て何とも思わないのか』と言っても効果はないし、妹のおねだりを拒むと我が儘扱いだし、やってられん。
公爵家の門扉を通り、執事に案内されて通されたのは応接室だ。何故か公爵夫妻が揃っている。揃って金髪碧眼の美形なので圧迫感が強い。自分よりも少し年上の嫡男がいる――跡継ぎ勉強としてゴドウィン公爵領にて、婚約者と共に領地の一部の運営をしている為王都にはいない――がまだまだ若々しい容姿をしている。
こちらの姿を見て、夫妻は揃って青筋を立てた。
淑女の一礼をしてから、招待への感謝を述べ、妹にドレスを盗まれて制服で来て申し訳ないと頭を下げて謝罪する。胃が重い。何かキリキリして来たな。
青筋を立てていた夫妻は、自分の説明を聞くなり青筋を消して『如何にも怒っています』と言った感じの笑顔を浮かべた。
終わったな我が家よ。新興だが伯爵家だった当家の未来に暗雲が立ち込めている。
しかも、原因が当主夫妻と次女ってどうよ?
公爵にソファーに座るように勧められ、大人しく座る。ローテーブルにお茶と茶菓子が用意される。執事さんが淹れてくれた紅茶の香りが鼻腔に届く。どれだけ良いお茶なんだろうね。
尤も、現状で紅茶を楽しむ余裕はないだろう。
暫しの間、沈黙が下りる。感情を消した作り笑顔を浮かべる公爵とその横で優雅に紅茶を啜る夫人。
紅茶に手を伸ばす事なく背筋を伸ばしたままソファーに座り続け……体感で二分程度だろうか、夫人がソーサーをテーブルに置く音が響き、公爵がやっと口を開いた。
「……茶が冷める前に本題に入らせて貰う」
「はい」
マジで誰か代わって。胃が痛い。
執事が持って来た書類の束を持って来た。その一番上にあった紙を一枚手に取り、目を通す。
「君が言っていた通り、君の父であるカッシング伯爵は領主としての仕事すらしていないと判明した。夫人の方も『伯爵夫人』としての仕事をこなしていない」
「無許可で他の派閥の夜会にも出席しているし、愚かしいにも程度があるわ。特に夫人は、派閥の婦人会に呼ばれていない事にも気付いていない。御実家のデラニー子爵家で一体どんな教育を受けたのかしらね」
「更に次女絡みで散財が目に付く。夫人の散財癖も酷いが、伯爵は何故これに気付いていないんだい?」
公爵の疑問はある意味当然だろう。我が伯爵家の状況が異常だと、突き付けられているようで頭が痛い。
「嘘のように聞こえるかもしれませんが、父に何度言っても『そんな筈がない』と信じて貰えないのです。経理関係の帳簿を見せても『粉飾していないか』と怒鳴り散らすのです」
「先代が聞いたら激怒するね。伯爵本人に兄弟がいないから、何かあったら全てなくなるって事にも気付かないのか」
「はい。母の散財に関しては、前デラニー子爵夫人や伯父のデラニー子爵に『止めるように言って欲しい』と頼んだのですが……」
その当時を思い出して言い淀むと、公爵は正解を言い当てた。
「断られたのかい?」
「その通りです」
紙を束の上に戻し、公爵は嘆息した。
「カッシング家も駄目だと思っていたが、デラニー家も駄目か」
「あら旦那様? あの夫人の実家が『まとも』だとお思いですか?」
「いいや? 現状の認識能力は『まだ残っている』と思っていただけだよ。それもなさそうだけどね」
「そうですわね。何が恥晒しで、何が私への侮辱であるかも分かっていないようでしたし」
「彼女のデビュタントの時の事かい?」
恥晒しの言葉で真っ先に思い浮かべたのは、一年前の事である。どうやら公爵も同じ事を思い浮かべたらしい。
思い出したくもないので、今は思い出さないが。
「ええ。あんな言葉を実の娘に向かって吐く母親がいるとは思いませんでしたわ」
「あれは強烈だったね。長女を娘として扱わないなんて、親としての自覚がないのか」
「あるいは、娘は次女だけなのかもしれませんね。正論を言う口煩い娘は、自分の子供として認識していないかもしれませんわ」
「ふむ。泣いて姉のものを奪い我が儘を言うしか能がない次女だけを娘として認識しているのであれば、その線で行こうか」
「それが良いですわね。末席にいるだけの汚点は切り捨てるものですし」
……非常にやばい会話が繰り広げられている。
精神を落ち着かせる為に、少し冷めた紅茶に口を付ける。少し冷めているが美味しい。高級な茶葉を使っているのも有るんだろうけど、執事のお茶入れの技量も高いからここまで美味しいんだろうね。
そんな事を思っていた間に、会話が終わった公爵夫妻がこちらを同時に見た。
正直に言うと、恐怖を誘う動きだった。
お茶を飲んでいない時で助かった。絶対零したぞ。ローテーブルにカップとソーサー置くと公爵が口を開いた。
「五日後の夜会が君の妹のデビュタントだったね?」
「はい。その通りです」
「ドレスは届いておりますよね?」
「今朝届いたのを一家で確認しました」
「デビュタントに関する、派閥の掟は知っているね?」
「私は存じております。家の今後に関わる事なので、両親も妹に言い聞かせるとは思います」
ただ、と続けると公爵は一度頷いてから続きを促した。
「妹の意見を優先する可能性が高いです」
「どの程度高いか判るかい?」
「一ヶ月前にドレスの採寸をしておりました。何の為のドレスか本人に聞いたら『デビュタント用』と即答されました。なので、可能性はかなり高いかと思います」
「伯爵夫妻も掟は知っているよね?」
「……恐らくが付きますが、存じているとは思います。ですが、この程度では派閥から除名されないと高を括っているのもまた事実です」
「ほう」「まぁ」
公爵夫妻の目が剣呑なものに変わる。
そりゃそうだ。所属する派閥の代表を侮辱しているも同然の行為だからね。母の実家も諫めなかった事で同罪と見做されるだろう。
そして、公爵家ともなるとプライドの高い人間が多い。この夫妻も例に漏れない。報復は徹底的にやる主義だし。
家が潰れるまであと何日かしら。せめて自分が卒業するまでは残っていて欲しいな。妹? 万年最下位だから心配しても意味がない。次の試験で最下位だったら退学と言い渡されているし。
内心ため息を零している間に、公爵は執事に指示を飛ばしている。
「カッシング伯爵令嬢。急で悪いが、五日後の夜会まで当家に泊まりなさい」
「……宜しいのですか?」
唐突な指示に、思わず確認を取る。公爵は鷹揚に頷く。
「ああ。次の夜会は騒動が発生するのは確定だろうからね。事前に打ち合わせがしたい」
「そう言う事でしたら分かりました」
打ち合わせか。色々と含みのある単語だ。
「今日は荷物を取りに一度戻ると良い。馬車も当家から出そう」
「ありがとうございます」
立ち上がり、頭を下げて礼を言う。
その後、公爵の指示通りに馬車に乗って家に戻った。ただし、馬車に公爵家の家紋が付いていなかった。付け加えて言うと『公爵家に泊まる理由』について指示がない。
馬車に揺られて思う。これはあれだよな。自分で考えろってやつだ。公爵家の名前を出さないで泊まる理由を家族に言い納得させるのは割と簡単なんだけど。いいのか?
はっきり言って、家族は自分に対して関心が薄い。無断外泊をしても理由を訊いて来ない程に。心配した使用人もいなかったしね。
知り合いの家に泊まる事になったと言えば問題はないだろう。
少しして、家に到着した。出迎えはない。家令を探し出して『しばらくの間知り合いの家に泊まる事になった』と伝える。案の定理由は聞かれなかった。
両親は家に居る。知り合いの家に泊まると言っても、適当な返事が返って来るだけだった。
妹? 学校で補習を受けている。試験の全科目赤点――と言うかほぼ零点――を取っているのに、両親は何故『勉強しろ』と言わないのか? 頭の中身が超絶空っぽで、マナーも常識もない事は校内でも有名な話しだ。体型はややふくよかだが、顔がちょっと良い方なので『泣くしか能がない顔だけの空っぽ女』と同性からは嫌われており、しょっちゅう侮蔑の言葉を貰っている。まぁ、妹と友人になりたいと言う物好きな女もいない。同時に妹を好く男もいない。
誰だって教養を感じられない『大きな幼子』のように喋り、我が儘を言うだけの女に好意なんぞ持たん。
自分に婚約者がいなくて、本当に良かったと思う。絶対妹が奪い取りに来て、両親は譲れと怒鳴り散らす、超泥沼展開になる事請け合いだ。そうなったら『妹と婚約解消、もしくは離縁したら貴族籍を放棄する』と裁判所経由で誓約書にサインさせるな。
妹がいない事を念の為確認してから、馬車の御者を連れて自室に戻る。何度も直して欲しいっていたのに。鍵が壊れたままのドアが虚しい。自分の部屋のドアだから壊れたままで良いと判断したんだろうね。妹の部屋だったら即行で修繕されただろう。
先日公爵家から届いたドレスが妹に盗まれたと判明したのは、この間の夕食中に破壊音が聞こえたからだ。食事中だったが、嫌な予感がしたので部屋に戻ると、ドアのカギを破壊して嬉々として家探しをする妹と専属侍女の姿があった。正直失望した。
ドレスが欲しい。数日後に着るからダメだ。ヤダー欲しい!! 妹の強請る叫び声を聞きつけて怒鳴り込んで来る両親。いつも通りの展開で天井を仰いでため息を吐いた。妹はそのまま盗むように持って行った。
妹の専属侍女は実家に『姉妹間の窃盗幇助と器物損壊を行いました』と言った内容の手紙を送ると速攻で両親が引き取りに来た。だが既に『窃盗幇助に関する相談』として裁判所に手紙を差し出していた為、実家に連れ戻される前に逮捕された。その後は修道院に直行である。
侍女の実家から修繕費用が支払われた筈なんだけど、何で修繕されていないんだろう? 母が横領したな。
荷物をまとめる。荷物と言っても本当に大事なものは宝物庫に入れている。流石に日常的に着る衣類はクローゼットの中だ。そのクローゼットもほとんど空である。宝飾品の類もない。置いてあるのは制服と下着だけだ。旅行鞄に全て詰め込む。
教科書とノート、筆記用具や学習道具類を全て通学用鞄に入れる。
御者に旅行鞄を持って貰い、自分は通学用鞄を持って馬車に戻る。御者は荷物を積み込むと直ぐに馬車を走らせた。
馬車に揺られながら今後を思う。
五日後の状況によっては、この家にはもう二度と戻らないのかもしれないんだよね。そもそも家はいつまで残っているのかな? 卒業まであと半年も有るんだけどなぁ。
今後の事を思って憂鬱になり、深くため息を吐いた。
五日後。
ついに運命の夜会がやって来た。ゴドウィン公爵邸から馬車で移動し、会場入りする。
夜会は派閥ごとに行われ、派閥に属する各家の当主と夫人は出席必須となる。嫡男はデビュタントを終えてからで、自分は跡取り娘だけど本来ならば出る義務はない。他の派閥の夜会に出るのは、属する派閥のトップから許可を得てからで、無断出席は『属する派閥トップへの侮辱行為』と見做され、最悪除名される。事後申告も不可である。
会場に足を踏み入れるなり、視線が自分に集中するが同行者を考えると予測範囲なので無視する。
何しろ、同行者は派閥代表のゴドウィン公爵夫妻。遠目にもゴージャスな夫婦の後ろに、付いて歩くように自分もいる。夫妻の後ろにいる自分に視線が集まるのは服装が原因だ。妙な憶測も飛ぶ事間違いなしだ。
本日の服装は、ゴドウィン公爵夫人と似たデザインのドレスを着ている。本来ならば無断で派閥代表夫人のドレスに似せるのは問題だが、今回は夫人本人から許可が下りている――今日はこれを着ろと渡された――ので問題はない。
ないんだけどね、夫人と同系色――夫人がサファイアブルーで自分は瑠璃色と、若干の違いは有るが――で、同じ肩紐のスレンダーラインのドレスには同じ色の刺繡が入る。身に付ける宝飾品も色違いで同じデザインのものを着用している。
一見すると贔屓されているようにも見えるが、このあと起きる事を考えると『夫人と似た格好をする事で所属する派閥を明確にする』のは必要な事だからしょうがない。自分が着用するには派手過ぎる気もするが、何故か『これが一番似合う』と夫婦一致で着用と言われてしまった。
「一年越しになるけど、デビュタントのやり直しだと思いなさい」
そう言われては着るしかなかった。
派閥所属者が公爵夫妻に挨拶に現れ、去る直前に必ず自分を見る。値踏みされている感満載だが我慢だ。
命知らずな数名が自分について言及した。似合っていないなどと言うものならば夫人から『見立てた私の目に狂いが有るのかしら?(意訳)』と言われるのは容易く想像出来るだろうに、何故そんな事を口にするのか?
夫人の不興を買った人間は公爵夫妻に撃沈させられ、すごすごと去った。
派閥に所属する大体の人間と挨拶を終えたが、とある家の挨拶だけが未だにない。会場を見回したがいない。まだ来ていないとか阿保じゃない?
ゴドウィン公爵夫妻の機嫌が急速に悪くなって行くが、時間は無情にも過ぎて行く。
やがて夜会開始の時間となった。自分も受け取った乾杯用のドリンクが行き渡った事を確認してから、公爵夫妻が会場で数段高い壇上に移動して、本日の夜会の始まりをつげる挨拶とデビュタントを迎えた十四歳の令嬢令息の名前を読み上げる。
公爵が乾杯の音頭を取り、皆で乾杯とグラスを掲げて口を付けたところで、その一家はやって来た。遅刻である。超遅刻だ。
今更になって来たのかと会場内の貴族達から視線が集中し、あり得ない服装に会場は一気にざわついた。
まず、今になってやって来たのは我が実家である、カッシング伯爵家の当主夫妻と次女。
そして、あり得ない服装をしているのは次女だった。
我が国における常識であり、派閥に属するものの掟として『デビュタントを迎える令嬢は派閥代表夫人指定の色のドレスに、派閥代表の家紋を刺繍で入れる』と言うものが存在する。指定の色は『今日デビュタントする目印』であり、指定の刺繍は『家が派閥に所属している』事を示す。
ちなみに、本日の指定の色は『ライトブルー』である。
指定の色と指定の刺繍を入れる事を忘れなければドレスのデザインは自由だが、大抵の派閥では『代表からのデビュタントする令嬢へのお祝い』として指定の色と刺繍が入ったドレスが送られる。なお、ドレスに合わせるアクセサリーや小物は各自で用意する。その程度の自由はある。
本日デビュタントする令嬢は皆、ゴドウィン公爵夫人から贈られたドレスを身に纏っている。
だが、次女のドレスはあり得ないものだった。
ドレスの色は薄ピンク色。刺繍は入っておらず、目に痛い程にスパンコールが使用されている。ふくよかな体形と相まって『仔豚』に見えなくもない。事実、自分以外にもそう見えたものがいたのだろう。豚と小さく罵る声が聞こえた。
どう見ても本日デビュタントする令嬢が着ていい色のドレスではない。派閥に属していると言う自覚があるのならば、公爵夫人から贈られたドレスを着せるのが常識だ。爵位も受け取った側が低いので、着るのが礼儀である。ここまで来ると両親の常識が疑われる。
「あれ? どうしたんだろう?」
「始まる直前で良かったわ」
「そうだな。おや? 何かあったのか?」
その事実に気付いていないのは遅刻して来た三人だけ。それと、既に始まっております。常識が身に付いていない馬鹿がやって来た事で会場が騒めいたんだぜ。原因が不思議そうな顔をするなよ。
どこの娼婦だ、非常識な、と誰かが小さく吐き捨て、その呟きが聞こえたらしい何人かが頷いている。
壇上の公爵夫妻に視線を向けると……笑顔のまま青筋を立てると言う大変器用な事をしていらっしゃる。公爵夫妻の状態に気付いた人が血相を変え、それを不審に思った人は血相を変えた人の視線を辿り、同じように血相を変えた。
その連鎖が続き、ざわついていた会場は僅か数分で静まり返り、誰もが壇上のゴドウィン公爵夫妻を見て固まっている。
不審に思いながらも現状が理解出来ていない両親と三人はただ首を傾げている。
しかし、妹の視線が自分に定まると、
「あーっ! お姉様がまた『似合わない』綺麗なドレスを着てる!? どうせ似合わないんだから頂戴よ!」
「え? あっ!? 何で貴女のような不細工がこんなところにいるのよ! エルヴィラが欲しがっているから今直ぐ脱いで渡しなさい!」
「全く、どこでそのようなドレスを手に入れたんだ? 嫌と我が儘を言わずに、エルヴィラが欲しがっているのだからさっさと譲りなさい」
なんて、実に空気の読めない発言をかました。
会場の面々が『何を言っているんだこいつ?』と言った顔をして、珍獣を見るような目で三人を見ている。
なーんか、既視感があるな、と思ったら一年前にも似たような事が遭ったな。あの時も公爵夫妻に怒られたのに、もう忘れているのか。こんなのと血が繋がっているとは、頭が痛い。額に手を当ててため息を吐いていると、ドカドカと足音を立てて三人が近付いて来た。
おいおい。公爵夫妻への挨拶と遅刻の謝罪よりも、妹の我が儘が優先かよ。
終わったな、カッシング家。
思わず蔑みの視線を送ってしまう。こんな馬鹿のせいで家が没落するのかと思うと――非常に嘆かわしい。
「親を何て目で見るのよ!」
「ええい、我が儘しか言わん貴様なんぞ縁を切らさせて貰う! 今日で勘当だ!」
馬鹿な事を喚きながら、猿のように顔を真っ赤にした両親が睨んで来るが、
「常識がないとは聞き及んでいたが、伯爵夫妻にここまで常識がないとは、嘆かわしいにも程がある」
「全くですわ。セラフィーナ嬢のドレスは私が見立てましたのに。どこが似合っていないのかしら?」
怒気を含んだ声に足を止め、顔を青褪めさせた。声の主は言うまでもなく、ゴドウィン公爵夫妻だ。
「しかも何だ? 『今ここで脱いで渡せ』? 次女の我が儘の為に追い剥ぎまで行うとはな」
「常識が有りませんの? 長女からドレスを奪い取ったあと、母親である貴女がドレスを脱いで長女に着せるのかしら?」
とんだ痴女ですわね、と公爵夫人が小さく呟くと、会場にいるほとんどの人が頷いた。会場の視線が自分から逸れたので、こそこそと壇上の下に移動する。
「一年前にも似たような事を言いましたのに、どうして忘れているのかしらね? 私の言葉がそんなに軽いのかしらね」
「しかも何だい? その次女の格好は? 妻が送ったドレスはどうした?」
「え? ピンクじゃないから捨てた」
妹の即答に、会場のあちこちから『馬鹿か? 頭に常識ってもんが入ってないのか!?(意訳)』と言った会話が聞こえて来る。
回答を聞いた公爵は青筋を立て、底冷えする視線で両親を睨む。
「捨てた? おやぁ、カッシング伯爵家は我が派閥から離脱する気だったのかい?」
「そんなお話は聞いた事がありませんが、既に行動で示されておりますからそうなのでしょうね」
「確かにな。誰でも知っている事なのに知らないと言う事はないだろう」
誰でも知っていると、公爵が言い切る。これで『知りません』と言えば『常識がない』とレッテルが張られるだろう。
「カッシング伯爵夫人の御実家である、デラニー子爵家も全く諫めませんしね。共に派閥を抜けると言う意思表示かしら?」
「ふむ、確認を取る必要があるな」
母の実家に飛び火したか。でも、この場合は親族として諫める立場にあるから、無関心を装うのは確かに不味いだろう。
今になって次女の服装が不味いと理解した両親が血相を変えて公爵夫妻に懇願する。もう色々と遅いけど。
「お待ち下さい! 当家に派閥離脱の意志はございません!」
「そそ、その通りですわっ! きょ、今日の服装はエルヴィラの気分を尊重しただけでしてっ」
「派閥の掟は幼稚な娘の気分以下とでも言いたいのかい?」
「そ、それは……」
肯定したら流石に不味いのが分かった母は俯いた。父は脂汗を掻きながら言い訳を必死に考えている。
突然始まった騒動に、飛び火した母の実家の面々――デラニー家の当主夫妻と三女――は顔を真っ青にし、他の面々は派閥内の力関係の変化について考えるものとカッシング家のお馬鹿三人の醜態を笑うものに別れている。後者の比率が多いのは、カッシング家が伯爵家として大した力を持っていないからだ。誰もカッシング伯爵家を助けに動かない時点で御察しだ。ぶっちゃけ財力は母と妹の散財が原因で、豊かな領地を持つ男爵家以下だし。
で、そんな中、フラフラと自分に歩み寄て来た妹が、
「お姉様ー、いつになったらドレスをくださるのー?」
と、状況を全く理解していない、馬鹿な声を響かせた。両親以外の面々が呆れ果てた視線を送る。デラニー家はこっそり逃げ出そうとして、警備兵に捕まっていた。
「ねぇってばー」
こいつ幼児だったっけ? ドレスの袖を引っ張ろうと手を伸ばして来たので一歩下がって逃げたが、しつこく追って来た。警備兵を呼んで間に入らせ取り押さえさせると、今度は『どうしてくれないのよ!』ジタバタと暴れ始める。余りにも幼稚な行動に頭を抱える。
「ドレスの前に、マナーと常識を頭に詰め込んだらどうよ?」
「えっ!? 何で皆と同じ事を言うのよ!」
「……言われていたのに、何で何もしないのよ」
言われていたのかよ、と声なき突っ込みが聞こえて来る。
壇上から公爵夫人の声が降って来た。
「エルヴィラ・カッシング伯爵令嬢。貴女、私が十日ほど前にセラフィーナに送ったドレスを盗んだそうですわね。五日ほど前に送ったドレスを着て当家にいらっしゃいと招いたのに、学校の制服姿で驚きましたのよ」
謝罪もセラフィーナ嬢から頂きましたわ、と付け加わると同情の視線が自分に集まる。
「盗んでないもん! お父様とお母様があげなさいって言ってくれたもの!」
「いくら姉妹間とは言え、姉の部屋のドアの鍵を破壊して入れば十分窃盗ですわ。貴女の家探しを手伝った専属侍女が逮捕されたのは『犯罪』と裁判所が認めた証拠ですわ」
「何それ知らない」
即答再び。どんな教育をしたんだと両親に視線が集中する。夫婦揃って俯いているが今まで放置して来たツケだ。
「専属侍女がいなかった事にも気付かないなんて、記憶力が有りませんの?」
「君が原因で逮捕、軽犯罪者収監用の修道院行きとなったのに何故知らないんだ?」
夫妻の疑問は尤もだ。
「だって、娘を連れて帰るって、あの子の親が来たのよ?」
「……逮捕される直前に送った手紙を読んで来た時の事ね」
妹の回答に補足を加えると、夫妻は納得した。
「どの道、君が原因である事には変わらないだろうに」
公爵の視線が完全に軽蔑を含んだものになった。鋭い視線に妹は涙目になって座り込み、泣き喚き始めた。
「もう、お姉様はドレスをくれないし、訳分かんない事で文句言われるし、何なのよぉ! 今日はドレスのお披露目だって聞いたのにっ」
幼女のように泣いて喚くその姿は公爵夫妻の怒りを更に買うものだった。それと、今日がデビュタントの日だと理解していない姿を見て、本日デビュタント予定の令嬢達が怒りに満ちた目で睨んでいる。色んな意味で台無しにされて激怒しているんだろう。
挙句、妹は大声で泣き始めた。距離を取ると、両親がオロオロとしながら慰めに入る。赤子をあやすような慰めを見て周囲の人達は鬱陶しそうな目で見ている。今日デビュタント予定の子供を持つ親達も怒りを込めて睨み始めた。睨まれる対象にデラニー子爵家の三人も入っているが、相変わらず何も言わない。子爵家三女も今日がデビュタントなのだから、文句の一言ぐらい言えばいいのに。そう思っていたが、三女が口を開こうとすると大勢いる夫人の一人が殺気の籠った一瞥を送り、閉口させた。どうやらあの殺気の籠った一瞥で口が開けないらしい。
幼子のような鳴き声が響く夜会会場に、公爵は額に手を当てて嘆いた。
「折角の祝いの門出が台無しだ」
公爵の深いため息に同意する。
怒り、嘲り、嘆きなどが入り混じる会場で、鳴き声を断つような鋭い破裂音が響いた。音源は妹の頬。妹の正面にはいつの間にか公爵夫人が立っていた。手を振り切っている様から、妹の頬を張ったのだろうと察しが付く。痛みに妹は更に泣くが、再び頬を張られて泣き止む。
「いつまで泣いているつもりですの? 今日は大人の仲間入りをする祝いの日。幼い子供のように泣くなら帰りなさい!」
「子供じゃないもん!」
「だったら泣くな! 立ちなさいっ!」
「ひっ」
妹は夫人の一喝に悲鳴を上げ、三度目の平手打ちを受けて、頬の痛みに大声で泣きだした。
夫人の淑女らしからぬ立ち振る舞いに固まっていた両親だったが、妹の泣き声で再起動を果した。母が夫人と妹の間に割って入る。
「お待ち下さいっ、わ、悪いのは」
「あら、自己申告ですの?」
自分に罪を擦り付けようとした母の台詞を先読みした夫人が、母の頬を張り飛ばす。頬を打たれた母は、暫し呆然としてから涙目になって夫人を見る。涙目になった程度で夫人が許すはずがなく、厳しい追及する。
「次女をこんな大きな幼子のように育てるなんて、貴女実家でどんな教育を受けましたの? 可愛げのない長女はどんな扱いをしても良いと言われましたの? 長女のセラフィーナ嬢は貴女が産んだ娘でしょう。なのに、可愛げがないだけで毒殺しようとするなんて、恥を知りなさい!」
「ひぃ」
一喝と共に夫人は扇子を振りかぶり、母の両頬と額を殴る。額を殴った時に、ドゴッ、と重い音が響いた。あの扇子芯材に鉄でも使用しているのか? 止めに鼻を叩かれ、鼻血が垂れる。垂れた血が母のドレスを赤く染めて行く。
周囲は夫人が齎した情報に驚き、血を見て小さく悲鳴を上げて下がった。
母の血を見てやっと再起動を果たした父が、先程の母のように割って入る。
「夫人、どうか、どうかお許しを!」
公爵夫人に許しを請うが、無慈悲にも鳩尾に扇子の一撃を叩き込まれた。空嘔に耐え切れず父は床に座り込んだ。
「随分な威力だけど、特注の扇子に何を仕込んだんだい?」
「薄い鉄板ですわ」
やって来た公爵が父の様子に冷や汗をかきながら自身の妻に尋ねる。夫人は夫に何でもないかのように答えた。
痛みに大泣きし吃逆を上げる大きな幼子と、涙目になってハンカチで血が垂れる鼻を抑える母親と、腹の痛みに蹲る父親。
流血沙汰にまで発展するとは、実にぐだぐだした夜会だ。原因が自分の身内だと思うと嘆かわしい。どうしてこんなのと血が繋がっているのか。
公爵が近くにまで来た事に気付いた父が、震える声で公爵に助けを求め、切り捨てられた。
「こ、公爵……」
「何だい? 私は君を助けに来たのではない。君が随分と馬鹿げた発言をしたのだから、私も宣言しようかと思って」
「せ、宣言?」
父の鸚鵡返しに、公爵は鷹揚に頷くと自分を手招きした。
五日前の打ち合わせにはないが、黙って公爵に歩み寄る。
「先程『縁を切る、勘当だ』と当主である君が言った。セラフィーナ嬢がカッシング伯爵家の人間でないと言うのなら、我がゴドウィン公爵家の養女として迎え入れさせてもらう。異論は聞かない。先に縁を切ると言ったのは君だからね」
公爵がちらりとこちらを見たので、周囲の人間に向かって淑女一礼をする。
自分は表情が動かないように気を付けているが、内心は混乱している。だってこれ、打ち合わせになかったし。卒業後は家を出て留学に行く予定だったが、進路変更しないと駄目かな? 自分を公爵家の人間にして利点とかあるのか?
自分の今後について考えをまとめている間に、公爵はもう一つの宣言を行った。
「そして、カッシング伯爵家と伯爵夫人の実家のデラニー子爵家は、現時刻を以って我が派閥から追放する」
「そんな……!」
「お待ち下さい! 何故、当家まで追放となるのですか!」
公爵の宣言に父は絶望し、伯父のデラニー子爵が声を上げる。
「何を言っている? 派閥除名が連座で行われるのは常識だぞ?」
公爵に一刀両断されて、子爵は絶句し、膝を着いた。子爵夫人と令嬢も顔を真っ青にしている。このままではデビュタント出来ないと分かったらしい。デビュタントだけはさせて欲しいと揃って懇願し始めるが、夫人に『ドレスに刺繍がないがどうした?(意訳)』と問われ答えられずに肩を震わせて俯いた。
なお、デビュタントで送られたドレスから無断で刺繍を取り除く事は、ドレスを着て来ない事と同様に『派閥から抜ける』と意思表示しているも同然である。故に、普通はやらない。刺繍のほとんどは派閥代表の家紋である事が多く、今回の刺繍はまさにゴドウィン公爵家の家紋だった。
公爵家の家紋を無下に扱ったら、喧嘩を売っていると扱われるだろうに。
何故気付かんと内心で呆れる。公爵夫人のチェックは非常に厳しかった。
「伯爵夫人の常識のなさは子爵家の血筋でしたのね」
夫人が呆れたとため息を吐く。だが、公爵は、いや、と否定しつつ言葉を紡いだ。
「血筋と言うよりも、病のような感染かもしれないぞ。そうでなければカッシング伯爵が領主としての仕事をセラフィーナに押し付けるなどと言う非常識な事はしない筈だ」
「言われてみますとそうですわね。実の娘を毒殺しようとした妻を庇うとか、あり得ませんもの」
「ああ。先代の反対を押し切っての結婚して、先代が予想した通りの結末を齎した毒婦だしね」
「先代夫妻の対策として、奇跡的に回復した長女を自身の手元で教育する事にしたそうですが、常識のない両親と幼子のような妹を一人で抑えるのは無理だったのでしょうね。使用人も誰一人として、セラフィーナの味方をしませんでしたし」
「どうせ伯爵家は長女毒殺未遂の疑いでなくなるのだ。全員路頭に迷おうが、自業自得だろう」
「そうですわね」
公爵夫妻が言いたい放題言いまくっている。あと、さり気なく自分の呼び方が変わっている。
「ゴドウィン公爵。質問が有るのですが、宜しいですかな?」
「構わないよ。どうせ、長女毒殺未遂の話だろう?」
手を上げて公爵に質問の許可を求めて来たのは、派閥きっての武家であるケンプ侯爵だ。令息のデビュタントは来年の為ここにはおらず、侯爵夫人と二人だけだ。
ケンプ侯爵はその通りと肯定する。
周囲を見れば『毒殺とは何?』と、首を傾げているものが多い。公爵の立て板に水を流すような流暢な説明が始まった。
「今から十年ほど前の話だ。自分に反発する可愛げのないセラフィーナよりも、次女だけを愛でたい伯爵夫人が伯爵に無断で、セラフィーナの食事に毒を盛った。幸いな事に大した量を食べなかったそうだが、毒で五日ほど寝込み、脅迫して食事に毒を混ぜさせた侍女に罪を擦り付けて解雇した。先代夫婦は夫人を怪しみ離縁を迫ったが、伯爵は馬鹿な事に『侍女が自発的にやった罪を妻に擦り付けて追い出そうとしている』ように見えたらしく、離縁を拒み、侍女に全てを擦り付けた。その侍女は打ち首となる重罰を受けたが、侍女の家族が執念深く調査した結果、最近になって夫人の脅迫があったと突き詰めた。彼らは心底怒り狂っていてね。私も話を聞いて真実か疑ったが、調べたら事実だった。毒は前子爵経由で入手。毒は『今も』子爵家に残っている」
驚愕の事実に、誰もが驚いて伯爵夫妻を見た。自分が記憶を取り戻した契機である、十年前の『毒殺』の真実を聞き、そんなしょうもない理由でセラフィーナは殺されたのかと呆れた。
そんな中、か細い声が響いた。
「わた、しはっ、悪く、ないっ、捨てら、れたくっ、ないなら、やれって、お父様と、お母様に、言われたんですっ」
声の主は母だった。
てか、自白している。父が痛みを忘れて隣に座り込む母を見る。顔には驚愕が浮かんでいる。
「イ、イライ、ザ……?」
妹のようにボロボロと大粒の涙をこぼして泣き始めた母が、
「出来の悪い、お前をっ、貰ってくれるのはっ、イーモン様だけだから、捨てられたら、野垂れ死ねって、言われて」
「それで、セラフィーナを殺そうとしたのか?」
「だって、出来損ないが、産んだにしては、出来る子だからっ、他の男と作った子じゃないかって、何度も疑われて、お父様やお母様も、どこに行っても、皆そう言うから」
「私は君が産んだ子だと、信じただろう! それなのに……」
「だって、私と同じ出来損ないで無能に育ったエルヴィラを見て『長女と違って、母親と同じ無能だな』って、皆笑って虐めるんです! セラフィーナを見る度に、その笑いを思い出すんです! 私だって、頑張ったのにっ」
癇癪を起した子供のように、言い訳をする母。
一方、十年前に犯人扱いされた母の嘘の供述を信じて侍女を死に追いやった父が、真実を知って今どう思っているかは不明だ。十歳以上老け込んだような顔をして、茫然と母を見ている。
母の自白に会場は静まり返った。『馬鹿をやらかしたカッシング伯爵家とデラニー子爵家の断罪の場』が、『カッシング伯爵夫人長女毒殺未遂自供の場』に変わったからだろう。カッシング伯爵家の未来が確定したから、嘲笑う必要性がなくなったとも言える。その証拠に嘲っていたもの達は、切り替えが早い事に『さっさと裁かれて罪を償え』と言った顔をしている。
「……どんなに努力しようが、守るべきものが守れなければ、どれほど努力しようが意味がないだろう」
「周囲を見返したければ、次女の教育にこそ力を入れるべきだったでしょう。次女が貴女のようだと笑わられるのは、偏に『貴女が自分の現身のように育てた』のが原因よ」
上に立つものとして、ゴドウィン公爵夫妻が言葉を送る。厳しいようだが、夫妻が言っている通りである。
どれほど努力して結果を出しても、不正をしては意味がない。守るべきルールを守らなければ、努力は意味をなくす。
「笑われたくなければ、母親となっても努力を続ければよかったでしょう。中途半端に努力を止めたのは貴女ですわ」
「結果が出なければ、意味がないって笑うくせにっ」
「人間にとっての最大の裏切り者は『努力』ですわ。その努力に裏切られないようにする事もまた必要な事です」
「ひぐっ」
何も言い返せず、母の声は啜り泣きに変わった。未だに茫然としている父は慰めなかった。
「言い訳だけして泣くとは、母娘揃ってどこまで子供なんだ? 如何なる理由が有ろうとも『殺人を犯そうとした事実』は変わらん」
「泣いて許されるのは幼子の特権ですが、心身共に大人である貴方達には適用されませんわ」
それが伯爵夫妻と次女にかけられた、公爵夫妻からの最後の言葉となったが、三人の耳には届かなかった。
届いたとしても、理解能力がない三人が言葉を受け入れて心を入れ替えるような事をする筈もない。
吃逆と泣き声だけが静まり返った会場に小さく響いた。
デビュタントを祝う夜会を台無しにした騒動はこれを最後に終了した。
その後、公爵が予め手配していたと思われる憲兵に両親と妹は連行された。
母は鼻血を垂れ流していたが放置された。厚化粧をして大泣きしたから、崩れた化粧で顔が原形不明な状態になっていた。
妹は再び泣いて暴れ始めたので猿轡を噛まされ拘束された。一気に老け込んだ父は鳩尾の一撃が抜けきっていないのか、腹に手を添えたまま連れて行かれた。
デラニー子爵家の三人も会場から追い出される。とばっちりに近いが、一年前に『嫁に出した妹』に対して何も言わなかった時点で派閥に属するものとしてはアウトなのだ。派閥の代表からの注意を受けると除名候補リストに入れられてしまうので、大抵の家は注意を受けないようにするし、注意を受けて連座で除名されるかもしれないので、普通は厳重に注意する。娘が嫁ぎ先で騒動を起こして派閥代表から注意を受けるのは『貴族として汚点』となり、社交界から連座で爪弾きを受ける。
そこに刺繍除去までやったのだ。連座でなくても追い出されるのは必至だろう。
非常に有名な話だが、デラニー子爵家の面々は知らなかったのだろう。
デラニー子爵令嬢が自分を睨んでいたが、妹が騒動を起こすのは目に見えていたのに対策を講じなかったのはあちらなので無視した。
と言うかね『同じ色のドレスを着ようね』とか言っておけば良かったんだよ。妹も約束したからとか言って着た確率が高い。それに、対策は講じたと言い訳も出来る。妹に全て罪を擦り付けられるチャンスを逃したのは向こうである。自分は悪くない。
それでも、刺繍除去をやったから逃げられなかっただろうね。
夜会は仕切り直しとなったが、後日やり直す事になった。
自分の元身内なので、申し訳ないと頭は下げたが『君も被害者の一人だ』と温かい言葉を貰った。
翌日。
公爵家に一泊した自分は、もう戻らないと思っていた伯爵家で、義母となった公爵夫人と一緒に荷物整理をしていた。
母と妹が散財して購入したドレスや宝飾品は全て売却。妹に取られたものは全て取り戻したが、ドレスなどの衣類は仕立て直されてサイズが合わず、見事なまでに着られない状態になっていた。具体的に言うと、胸の辺りがきつくて、ウエスト部分がぶかぶかになっていた。
公爵家からの頂き物の処分は全て夫人に任せた。
そうそう、家の主人が帰って来ない状況について家令から説明要求を受けたが、程なくしてやって来た憲兵に使用人は全員連れて行かれた。十年前の事についての事情聴取だ。
カッシング伯爵家の使用人は十年以上務めたものが多い為、十年前の事を知るものは多い。伯爵家の余罪と使用人への冤罪の有無を確認する為にも拒否権はない。使用人への冤罪の有無の確認とあるが、犯罪に関わっていたら即逮捕である。
なお、この事情聴取はデラニー子爵家でも行われた。
事情聴取の結果、両家の使用人全員が事件に絡んでいた。拒んだ使用人は全員解雇され、口封じの為にデラニー子爵家の手のものに殺されていた事までもが判明。デラニー子爵家での使用人でも、この一件の内容を運悪く知ってしまった、あるいは、毒を見つけてしまった使用人は殺されていた。
また、当時デラニー子爵家にいた人間で犯行に関わっていなかった成人はほぼおらず、五親等に渡る全員が関わっていた事が発覚した。この知らせを聞いて社交界は一時期、この話題で持ちきりとなった。罪を暴き、裁いたのは所属していた派閥の代表であるゴドウィン公爵だった為、派閥への風評被害はほぼなく、逆に派閥に属するものであっても庇う事をせずに公平に裁いたとして評判を上げた。
余りにも悪質かつ身勝手な犯行の為、犯罪の実行と指示が先代子爵夫妻だったにも拘らず、犯罪を見て見ぬふりをし、毒の所持と管理をしていたとして現デラニー子爵夫妻に処罰が下った。
デラニー子爵家は身分剝奪、領地没収の上で、当主は処刑、夫人は絞首刑となった。そのほかのもの達は命は残ったが、男は鉱山送りとなり、女は修道院で生涯奉仕活動となった。処罰を受けた彼らの未成年の子供は全員養護院行きとなったが、デビュタントを迎えた年の令息は辺境の防衛軍に、令嬢は修道院に送られた。
とある令嬢はこの処分に不服を申し立てたが『平民として生きるか、修道院に行くか選べ』と言われて平民になる事を選び、日々の糧に困って娼館で働く事になり『修道院に行けばよかった』と後悔するのは数年先の話である。
カッシング伯爵家はデラニー子爵家同様の処罰で取り潰しとなった。主犯である伯爵夫人は処刑された。当主は意図していなかったとは言え、犯罪幇助の罪で投獄十年となった。
伯爵夫妻に甘やかされて育った次女は、絶海の孤島に建つ修道院行きとなった。精神を鍛え直せとの仰せだ。
この孤島の周囲は泳ぐ大型の肉食獣が多く、海に逃亡すると高確率で襲われて命を落とす事で有名だった。崖を登れるような個体は存在していないそうだが、時たま崖にへばり付いているところが目撃されているので、今後の安全面が怪しいらしい。
また、年に何度も嵐などの自然災害に襲われる事でも有名で『あそこに行くのなら自害した方がまし』と、本当に自害した令嬢が出た事もある。この実話から『この修道院に行きたくないなら我が儘を言うな』と我が儘な令嬢の脅し文句にもなっている。
いつまで幼子のような言動を取り続ける事から『精神異常がないか』と鑑定を行った上での処分なので、厳しいと言った声は上がらなかった。平民落ちしても数日で野垂れ死ぬ事が容易く想像出来るし、体型はふくよかだがそこそこ顔立ちが良いので最悪の場合、人身売買組織に攫われて奴隷として売られるだろう。その最悪の場合を想定して修道院行きとなった。本人は泣いて嫌がったけど引き取り手はいないし、一人で生きても行けないので強制的に連れて行かれた。
複数の家が一気に消えた一件も『人の噂も七十五日』と言う格言通りに、しばらくすると騒動の話は聞かなくなった。
最後になったが、十年前に打ち首となった侍女の名誉も回復し、遺族は泣いて喜んだそうだ。直接会いに行って謝罪したが『被害者に謝って貰うなんてとんでもない』と恐縮されてしまった。
そんな中、知らぬ間に公爵家の養女にされてしまった自分の変化は特になかった。家名(卒業するまではカッシングと名乗る)と生活環境が変わり、突っかかってくる人間も激減した。交友関係が狭い事が幸いして、媚びを売って来る人間も少なかった。
環境の変化よりも、公爵家の人間になってしまったので成績の維持に努めねばならない――成績の悪い人間が公爵家とか外聞が悪いし、公爵夫妻も成績悪化は許さないだろう――事の方が重要だったので、気にしている時間がなかったとも言う。自分を取り巻く状況に変化が有っても、自分に余裕がないからか、余り変化が感じられないのだ。
数少ない友人枠で他国からの留学生である眼鏡をかけた金髪の男子生徒に、自分の状況を気にした(?)事を尋ねられたが『成績の方が大事だ』と答えると『図太過ぎる』と、ケラケラ笑われ、即座に手刀の一撃を脳天に見舞って黙らせた。
この男子生徒――リース・ベイカーは友人と言って良い位によく話すんだけど、顔の認識を阻害し、髪と瞳の色を変える眼鏡型の魔法具を身に着けているので、警戒対象でもある。この国で使える程に高い効果を発揮する魔法具は希少かつ高価で、そんなものを所持しているからだ。
今更になるがこの世界に魔法は存在する。存在するんだけど、我が国『エンプティネス王国』では、魔法が使えない。
千年以上前の大陸間戦争で、この辺り一帯の魔力を強制徴収して使用した大型魔導兵器の使用が原因とされているが、真相は闇の中。この国の建国は約三百年前だから、記録が残っていないのだ。近隣の周辺国にも記録がないので誰かが処分した可能性が高い。
最も重要なのは『魔法(身体強化魔法を除く)を使用すると、大地が魔力を分解吸収し、魔法を掻き消してしまう』事で、原因なんぞどうでもいい。付け加えると、この魔法分解効果は、非常に僅かにだが弱まっている報告も有る為、数百年後には効果も半減する見通しだ。
効果が弱まって来ているとは言え、この国でほぼ魔法は使えない。
一応例外扱いとなるが、分解効果に抗う程の大量の魔力が有れば魔法は使える。だがそれは、小さな蝋燭の灯を消すのにバケツ数杯分の水を必要とする程の釣り合いの取れない労力だ。必要に迫られない限り、魔法の使用は魔力の浪費となる。
ならば、魔法具だったら良いのかと言うと……そうでもない。魔法具に込められている魔力も使用している間は分解される。
原理は未解明だが、人間の体内にある魔力と魔法具に込められている魔法は分解の対象にならない。分解効果が発揮するのは『魔力の流れ』を感知しているからだと言う説も存在し、これが最有力説とされているが原因不明のままだ。
長くなったが、必要な情報は『エンプティネス王国周辺では魔法と魔法具の使用は不可で極力避ける』で良いだろう。
環境の変化と言えば、ゴドウィン公爵の嫡男が自分の兄となったのだ。学校が長期休みに入った時に、領地まで会いに行った。流石に一人で行く訳にはいかず、公爵夫妻の『領地視察』について行く形だ。
で、対面した義兄夫妻は揃って美形効果も有って、並んで立つと中々に迫力のある二人だった。
息子夫婦も将来、現公爵夫妻のようになりそうな雰囲気だ。特に義兄嫁は扇術(扇子を使った武術)を嗜む武闘派だった事から、嫁姑関係も良好なのだろう。好敵手と言う意味で。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
短編で投稿しようかと思いましたが、三万字を超えていたので二つに分けて投稿を決めました。
何処で分けるか悩みましたが、丁度良さげなところで区切りました。
書き上げてからのタイトルとサブタイトルの命名がある意味一番悩みました。今後修正する場合もしかしたらタイトル名も変更するかもしれません。
連投で後半もこのまま投稿します。