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「ルイーゼ!誤解だ!」
「そうよ、誤解よ!」
母とタイラントが口々に言う。
「ハンドラー小侯爵に確かに婚姻の打診はされたが、隠していた訳では無い」
父が更に言葉を連ねる。
「それにしても当の本人に一言くらいあっても良かったのでは?」
実は帰りの馬車でハンナから謝罪があったのだ。
ハンナは父母からフィリックから打診があった事を先んじて聞いていたそうだ。
父母やタイラントが隠している事を知って、立場を弁えずフィリックに手紙を送った事も話してくれた。
すると、フィリックから実はルイーゼとの婚姻を検討しだしてから盲目になった人間は他の感が鋭くなる場合もあるらしいと本で読み、そこに着目して薫香の専門店を開いた事。
良ければ招待するのでルイーゼを連れて来て欲しい事。
そんな旨の手紙が来て、今日に至ったらしいのだ。
ハンナとしてはカサノヴァ家に雇われる身ではあるが、苦楽を共にしたルイーゼが何より大事である。
その為、いつまでも大事な主人であるルイーゼを半人前扱いするレブロンには腹に据えかねるものがあり、出来れば一番ルイーゼを見てくれる縁があればと思っていた事も明かしてくれた。
数回の手紙のやり取りではあるが、フィリックは誠実であり、信頼に足ると今回の訪問で感じたとも話してくれた。
更に、ハンドラー侯爵家の堅実な経営内容や、侯爵夫妻の人柄も文句の付けようも無く、二人の子息であるフィリックにしても隙の無い人物であるという事まで先んじて調べが付いていると述べた。
ルイーゼの大層不機嫌な様子にオロオロと家族が困り果てている。
「良い縁談であれば、私も早めに考えられますから」
ルイーゼがそんな三人を突き放すように言う。
「ルイーゼ、陛下からの求婚はどうするんだ?」
タイラントがやや身持ちを直して言った。
「ええ?お兄様、陛下の言葉を本気になされたのですか?そうじゃなくても毎回お断りしてますけれど。それに、私のような者が皇后位に就く事を国民は許さないでしょう?良くて側室じゃないですか。それならある程度釣り合いの取れた家柄の方に嫁ぐか、領地に帰ってのんびり余生を過ごしたいと思っていましたが」
はあ、と盛大なため息を三人が吐く。
「おい、タイラント。陛下はどうにかならんのか?思春期でもあるまいに」
「そうよ、タイラント。もう私たちで壁になるのは限界があるわ。陛下にきちんと伝えているの?」
父母がぶつぶつとタイラントに文句を言い始めた。
「言ってますよ!でも拗らせてしまっていて説得も難しいんです。あれでいてロマンティストな所があるから四歳差をどうも気にしているようでして」
「何?!」
「そんな事気になさっているの?大した歳の差じゃないじゃない」
「彼にとっては大した歳の差なんですよ」
「あのー、お話がお有りのようですから私は失礼致します」
ルイーゼは煮え切らない父母とタイラントに憤慨し、席を立った。
右手に杖、左側にスッとハンナが付き添う。
「ルイーゼ!陛下が明日いらっしゃるそうだ」
矢張り慌ててタイラントが声を上げるが、無視して食堂を出た。
「陛下がいらっしゃるそうですね。大方、縁談の話を聞いてまた邪魔する気なんでしょう」
ハンナが悪意の篭った声で言う。
共に苦楽を味わったからこそ、レブロンに対する恨み節も凄い。
ハンナは主人という欲目を抜きにしても、ルイーゼの能力を一番知る存在なのだ。
「最近は滅多に屋敷を訪れなくなったから、そんな理由で来るとは思えないけれど。お忙しい方だし、無理されてるんじゃないかしら。心配だわ」
ルイーゼは素直な感想を言うに留めた。
今更。
好いているなど言えない。
愛されなくても構わない。
忘れ去られて、離宮に閉じ込められる存在でも構わない。
それでも良いから側に置いて欲しいなど。
言える訳が無い。
レブロンにとって、いつかルイーゼの存在が枷になる。
ルイーゼはいつも自分の本心と理性が渦巻いていた。
だからこそ早く身を固めるか、世捨て人のように首都から離れた場所に行きたいのだ。
彼の隣に立つ女性は彼を一層輝かしい存在に高めてくれる人でなければいけない。
ルイーゼは自分が思い描くレブロンの隣の席に、いつも自分以外の誰かが座る姿しか夢想出来なかった。
♢
朝一番から屋敷は大変な騒ぎであった。
それもその筈。
急な来訪とはいえ、一国の主人がカサノヴァ家にやって来るのだ。
正式な訪問では無い。
非公式の来訪だ。
とはいえ粗相があってはならないと、屋敷の総てに不備がないよう日が登る頃から準備が始まった。
父や母に促され、ルイーゼも支度をした。
前回までに王城へ出向いた服装以外を避け、失礼にならない程度の装い。
念入りな手入れを施された。
当のルイーゼは、その自分の姿が見える訳でも無い。
どんなに面妖な姿にされたとて分からないのだ。
適当で構わないと毎回言うのだが、ハンナは自分の主人であるルイーゼの装いに一種のプライドのようなものがあるらしい。
だから朝から執拗に整えられたのだ。
「いらっしゃったわ」
母の緊張感ある言葉を皮切りに、エントランスからぞろぞろと庭のアプローチに正しく一家総出、使用人まで残らず並んだ。
時は正午を示す鐘が鳴った頃だった。
「ようこそ、いらっしゃいました」
当主である父の言葉に皆一斉に首を垂れる。無論、ルイーゼはハンナに支えられ。
「急な訪問にも関わらず、もてなし感謝する」
レブロンは堂々とした声音で言った。
「昼食の用意をしております」
父が言った。
「有り難く戴こう」
その声を合図に静々と使用人達がさざなみのように下がっていった。