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「こちらで、お待ちください。茶を用意させますから」
フィリックに店の二階に案内された。
特に大事な客人を通す応接間を二階に準備しているのだと言う。
後にハンナから聞いた話だが、異国の調度品と王国式の内装が調和しているセンスの良い部屋だったそうだ。
十歳前に視力を失ったルイーゼにとって想像する事は難しかったが、フィリックの持てなしの気持ちは、運ばれてきた上等な茶や菓子からも感じられた。
「ルイーゼ様、私が求婚した事は事実ですが、どうやら順番を間違ってしまったようです」
フィリックは相変わらず艶めかしい声音で言った。
「順番、ですか?家紋へ先に許しを乞うのは我が国の貴族の結婚としては普通じゃないですか?」
知らないけど、とルイーゼは思った。
視力を失ってからは結婚などは相手に迷惑をかけるだけであるし、最早選択肢には完全に無かったので、知ろうともしなかった節がある。
「貴族間の結婚なら間違ってはいないでしょう。しかし、私はあなたを愛する一人の男としては間違ってしまったようです。なにぶん初めての事ですのでお許しください」
直球な言葉にルイーゼは頬に熱が集まる。
こんな風に好意を寄せられた記憶がなかったからだ。
レブロンからは確かに求婚はされているが、それは義務や責任感によるものだと分かっているだけにこんな風に羞恥心を味わう事はなかったのだ。
「流石ハンドラー小侯爵様ですね。ついつい本気になりそうです」
咳払いを一つしてルイーゼはフィリックの言葉を曖昧に誤魔化そうとした。
「私は本心しか申しません。商売では信用が第一ですから」
ははあ、とルイーゼは感心する。
相手に好印象を抱かせる術に長けている。
このままでは不味いと感じたルイーゼは話の矛先を変えた。
「ハンドラー小侯爵様のご好意は分かりました。しかし、視力の無い者を家紋に抱える事に侯爵様や侯爵夫人は反対なさったのでは?」
フィリックが茶器を持ち上げたか下ろしたか、カチャリと乾いた音がした。
「既に許可は降りておりますので、ご心配無く。失礼かと存じますが、事前にあなたの事を調べさせていただきました」
「まあ!」
思わず驚きの声を上げる。
「あなたに求婚するにしろ、父母を説得するにしろ、情報は必要です。私のような姑息な商人の端くれは丸裸でテーブルには着きません。品物や商談相手を隅々まで調べ上げるのです。最早職業病かもしれませんが」
「なるほど」
あけすけに種明かしをされた所為か、フィリックの持つ雰囲気の所為か、嫌な気分にはならなかった。
「あなたの事を父に相談した際、既に知っていたようでした。カサノヴァ家の優秀な才女という肩書きは同年代よりも父世代にウケがいいようです。ある程度先見の明がある当主なら当然の判断です。失明に関しても大変失礼な物言いにはなりますが、後天性のものですし、遺伝などにも関わらない事も父も分かっておりました。母にしてもよく出来たご令嬢であるとの認識でしたし、側仕えのメイドの優秀さや忠誠心を見れば主人であるルイーゼ様のお人柄は疑いようがないだろうと申しておりました。ただ一つのネックは陛下でしょうか。その点はルイーゼ様ご本人に伺いたく、今日はご無理を申し上げた次第です」
自分の評価を他人から聞く事は身悶えしたくなるほどの出来事である。
余りの事態に言葉を忘れて俯く。
しかし、例えそれが嘘であったとしてもハンナを褒められてもいるし、少しばかり良い気分だと感じた。
「陛下がルイーゼ様に対する縁談を寄せ付けないようにしていると聞いています。ですから、私は直接カサノヴァ家に先日伺い当主様にお話させていただきました。ルイーゼ様は外出中のようでしたので。失礼ですが、お二人は特別な関係でしょうか?」
「いいえ、強いて言うなら単なる幼馴染です。むしろ陛下にとっては最悪のお荷物と言ってもいいでしょう。陛下と居た際に負った怪我が原因でこうなってしまいましたので。お優しい方でしょう?こんな幼馴染を責任感から捨て置くことも出来ないのかもしれませんね」
「それだけで縁談を阻むでしょうか?」
「それ以外にありますか?」
ルイーゼの問いにフィリックは一瞬黙る。
短い間に何か思案したようだ。
「もしかしたら、優秀なルイーゼ様をずっと傍らに置いておきたいのかもしれませんね。皇后として」
「そんな筈ありません」
フィリックの言葉に即座に返答した。
「どうしてそう思われるのですか?」
「陛下には一度きっぱりと私の能力など必要無いと切り捨てられております。事実何度か婚姻の打診はされておりますが、皇后ではなく精々側室でしょう。それすらも私にとっては恐れ多い事です。何より、近くに居ると余計な欲が出てしまうでしょう。それは陛下にとって非常に良くない事です。ですから私は辞退させていただいております」
「そうですか……」
フィリックはそれっきり黙ってしまう。
今度は先程よりも長い時間(と言っても数分)考え、慎重に言葉を選ぶように並べた。
「私にとってあなたは全財産を投じても惜しく無い人です。それ程の価値があります。願わくば、陛下が私と同じ考えでは無いと良いと思っております」
そう言ってカチャリと茶器がぶつかる音が静かな応接間に響き渡った。
♢
フィリックとはその後いくつか言葉を交わした後、食事を次回共にする約束をした。
屋敷に着いた頃には既に夕飯時で、珍しくタイラントが帰宅しており、久々に家族四人での食事となった。
「久しぶりにタイラントも揃って嬉しいわ」
母が幸せそうな声音で話す。
偶に聴こえる衣擦れの音や食器にフォークやナイフが奏でる静かな音。
それから夕飯に並べられた家格に劣らない程度の食欲をそそる香り。
家族の温かさ。
ルイーゼは、家族と共に迎えるこの一時が大好きだった。
「中々ご一緒出来ず申し訳ありません。陛下が最近以前より一層気難しくなりまして」
タイラントが軽口を言う。
「こら、タイラント。口を慎みない」
父が嗜める。
だが、本心から嗜めている訳では無い。
タイラントとレブロンの間に築かれた信頼関係を父は充分分かっている。
給仕をしている使用人の手前嗜めるポーズをしただけに過ぎないのだ。
それが分かっている為、ルイーゼも母も笑っている。
「そう言えばルイーゼ、今日は街に出かけていたんですって?新しい発見でもあった?」
「今日は新しく出来た薫香の専門店に足を運びました。そこでハンドラー小侯爵様にお茶をいただきました」
意趣返しのつもりで意地悪く言う。
すると面白いくらいにルイーゼ以外の三人が慌てふためいた。