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この日、前日までの雨と打って変わり快晴であった。

久しぶりの晴れ間に、ハンナにこんな提案をされた。


「お嬢様、今日は街に出かけてみませんか?北東部から伝来した薫香という物を取り扱う店が最近オープンしたそうなんです」


ハンナがルイーゼの寝巻きを脱がせながら言う。


「薫香?」


ルイーゼは初めて聞いた単語に首を傾げた。


「はい。樹木から取った樹脂や皮や葉、それから動物性の麝香などを焚いて香りを楽しむ物らしいのです。その店では好みの香りを調整してくれたりもするらしいです。行ってみませんか?」


薫香という新しいワード、香りというルイーゼが感じられる物。

相変わらずハンナはルイーゼのツボを抑える提案をしてくる。

ルイーゼは暖かい気持ちになり、了承した。

それを見て、ハンナは外出の支度を整えてくれた。


ハンナに手を引かれて外に出る。

なるほど、今日は確かに晴れらしい。

ハンナが差す日傘に雨が当たる音がしない。

雨の匂いもしない。

ルイーゼはハンナがいる左側ではない右手に杖を持ち、左右に動かしながら歩く。

障害物がない事を確認しながら暫く歩くと、杖先に何かが触れる。


「お嬢様」


短く声をかけられて、馬車のステップであろう場所を探りながら乗り込んだ。


時折、ハンナと会話を交わしながら揺られていると、馬車が停車する揺れが体に伝わった。

ハンナの介助の元、馬車を降り立つと、杖先に凸凹とした感覚が伝わった。

ハンナの話によると、街は去年の暮れに全区間舗装されたらしい。

それまでは一面に敷かれていた赤茶色のタイル張りであったが、一面に北東部から齎された技術の灰色の舗装をされたそうだ。

石灰を焼いた粉と、砂と石、水を混ぜて作る物だそうで、タイルに比べて凹凸が少なく、ルイーゼにとっては有り難い技術だ。

また、道の端の部分には、馬車が通らないように歩行者が歩く区分がされており、その車道と歩道部分を区切るように直線状にタイルが細く敷かれている。

それが、先程ルイーゼの杖先に触れたタイルなのだ。

十字路など、馬車と歩行者が交差する場所ではタイルが途切れる為、目が見えないルイーゼにとって道標になる存在でもあった。


「お嬢様、こちらです」


ハンナの声に立ち止まると、カランと涼やかなカウベルの音が響いた。

ハンナが店先のドアを開けた音だろう。

促されて進むと、杖先が乾いた木製の地面を叩く音がする。

やや摺り足気味に店内の敷地に足を踏み入れると、店主であろう男性が、いらっしゃいませ、と声を掛けてきた。

店内には仄かな白檀の香りがした。

ハンナが一言二言店主と会話をし、店内の奥にあるテーブル席へ案内された。


「いくつかお持ちいたします」


そう言って、店主の足音が遠ざかる。

暫く待っていると、店主の足音とカチャカチャと陶器が触れ合う音が近付いてきた。


「お待たせ致しました」


「ありがとう。ゆっくり選ばせてもらいます」


ルイーゼが声を掛けると衣擦れの音と一拍置いた後に足音が再び遠ざかって行った。


「お嬢様、右側からお渡し致します」


ハンナが言うと、ルイーゼが差し出した両手に小さな鉢が渡された。

表面に多少のザラザラとした質感が伝わる。

どうやらガラス鉢のような物では無く、陶器製らしい。


鼻先を近づけていくつか香りを嗅いでいると、馴染みのない香りが鼻をくすぐった。


「これは、何かしら?」


「それは伽羅ですよ」


背後から知らない男性の声がした。

耳のすぐ近くから掛かった声に驚いて肩がすくんだ。


「どなたですか?」


上擦った声に相手が薄っすらと笑う気配を余韻で残す。


「申し遅れました。フィリック・クラン・ハンドラーです。この店のオーナーです」


「ハンドラー小侯爵様でしたか。私、ルイーゼ・マルガレーテ・カサノヴァと申します。ご覧の通り、目が見えませんので、このままの格好でご容赦くださいませ」


突然話しかけられた驚きに手足が震えていた為、言い訳を持ってもっともらしく繕った。

フィリックと名乗った男性は、兄のタイラントやレブロンと歳の頃は近そうだ。

声の感じが先程の男性店主よりも張りがある。


「はい、ルイーゼ様ですね、存じております。どうぞよろしくお願いします。色々と配慮不足で申し訳ありません。私にお手伝い出来る点はございますか?」


優しい春を思わせるような暖かい声音。

低音の響きが心地よいとルイーゼは思った。


「お気遣いありがとうございます」


ルイーゼが首を振って気遣いを辞退すると、フィリックは矢張り幽かに笑ったようだった。


「てっきり今日はお返事をされに来たのだと思っておりました」


「お返事、ですか?」


「その様子だと違うようですね。そもそも返答であれば、わざわざ店にはいらっしゃらないですよね?」


フィリックの言葉の意味を計りかねてルイーゼは狼狽する。


「あの、ハンドラー小侯爵様?」


「フィリックとお呼びください。先日、縁談の申し込みをあなたにさせていただいたんです。まだあなたはご存知無いようですが」


「縁談?私にですか?」


「ええ、紛れもなく」


「何故……。先程も申しました通り、私はこの通りでして」


ルイーゼは己の目の辺りを指差す。


「あなた程、聡明な方であれば、それくらいのハンデが無いと不公平でしょう」


フィリックはついに我慢ならずといったように小さく声を上げて笑った。


「滅相もない!私など、何の取り柄もないんです」


「何を仰いますか。あなたの愛らしい姿、昨年の半ばにギプリー伯爵家で行われた晩餐会でお見かけして以来ずっと忘れる事が出来なかった程です。あなたは憶えてらっしゃらないでしょうが、非常に博識で素敵でした。南部出身のギプリー夫人の会話にもそつなく答えてらっしゃいましたよね?ギプリー夫人は嫁いで日が浅く、南部訛りをとても気にしてらっしゃいます。突然始まった男性陣のくだらない上品な牽制にお困りのようでした。そんな時、あなたが男性陣のプライドを傷付けないように矛先を上手くギプリー夫人が納めたような会話に誘導していましたよね?なんて聡明な方なんだろうと感服致しました」


フィリックの手放しの賞賛に、ルイーゼは顔を青くしたり赤くしたりと大変な事態になっていた。


「いいえ、いいえ!あの時はでしゃばってしまって!恥ずかしいばかりです」


しおしおと肩を窄めるルイーゼに、とうとうフィリックは大きな声で笑い出した。


「ルイーゼ様。あなたは矢張り可愛い人です。是が非でも手に入れたくなってしまった」


困ったな、と言いながらフィリックは全然困っていなさそうであった。


「縁談を申し込んだのは事実です。どうかあなたに私を知っていただく機会を下さいませんか?」


フィリックは矢張り背後からルイーゼの左手を取り、小さく口付けた。


ルイーゼはフィリックとの唐突な出会いに唯々狼狽するしかなかったのだ。









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