小説を書き始めた理由。書いている理由の話。
僕が初めて小説を書いたのは中学生の頃。「文学少女シリーズ」が中三の頃の愛読書だった。
それを全巻読み終え、僕は知った。いや、当たり前の事実なのであるが知った。小説とは、書けるものなんだと。読むだけのものじゃないんだと。
そう。小説とは誰でも、書こうと思えば書けるものなんだと、中学三年生の頃、教えられた。受験勉強に飽きると、僕はノートを開いて、思いつくがままに言葉を並べまくった。今読むと酷いものであるが、それでも、楽しかった。当時パソコンなんて持っていなかった僕は縦書きのノートに書いていた。お世辞にも字が綺麗とは言えない、知り合いの中でも僕の字は一部の人しか読めず、まぁ、中学生にありがちな、絵や小説を書いているクラスメイトがいたら、取り上げて中身を読んでやろうぜ、って奴らに捕捉されても、彼らは読めなかったのである。
それでも、一部、解読可能な人たちがいて、その人たちが言うに、僕の文章は読みやすいらしい。
もしかしたら、西尾維新や谷川流といった一時代を築いた人達に手が届くかもしれない。なんて、漠然と思った。そんな人達に手が届く程になれば。僕が読みたい作品を創り上げることができるかもしれない。
そう、僕が小説を書き始めた理由は、僕が求める小説を作り出すためだった。欲しいなら、作ってしまえば良いじゃない、そんな、小さな、どうしようもない理由だ。
高校生になって、パソコンを手に入れた。だが、僕の執筆遍歴に『小説家になろう』が登場するのはまだ三年ほど先だ。
僕は文芸部に入った。とにかく小説を書くための表向きの理由が欲しかった。親には、部費が殆どかからないということで納得してもらった。わざわざ運動部の一年間でどれくらい親が支払わなきゃいけないのか、運動部の顧問の先生に頼んで算出してもらった。
僕は小説を書くこと、読むことに魅せられていた。一年、二年、思いつくままに言葉を並べ続けた。そう、言葉を並べていた。
そして、知った。三年生になって。僕は文章は良いが、ストーリーが薄いと。要は中身がスッカスカなのだ。僕が物語だと思っていたものは、ただの言葉の羅列。お話に過ぎないと。
ただそれでも、僕は、作品を、世に認められた作品を摂取することをやめなかった、書きながらも、色んな作品に触れていた。作品を見るのは好きだ、読むのは好きだ、聞くのは好きだ。浸るのが好きだ。
その頃の僕はライトノベルと呼ばれるものの他にも、日本文学、PSvitaでできるノベルゲームにはまっていた。ラブコメが好きになったりちょっと悲しくてきれいな作品が好きになったりしたのも、そこら辺が影響だ。
自分の書いたものが小説ですらないと知り、僕は自分が本当に書きたいものは何かと、僕が本当に読みたいものは何かと、真剣に向き合った。それが大学に入学する春休み。
その時僕は、プライドを捨てた。所謂、『ありがち』という言葉を無視した。『奇をてらう』ことを捨てた。僕が僕の書きたいもの、読みたいものは何かと向き合うことには、邪魔だったから。
そうして生まれたのが、僕が初めて「小説家になろう」に投稿した小説。「クラスメイトなメイド」である。投稿しよう思えたのは、書いたものを読んでもらいたい、そんな欲が生まれたから。
優しくて、きれいで、読み終えたら明るくなる作品を書きたいと思った。気がつけば僕にとって小説は一つの願いになっていた。世界が少しだけ優しくなれば良いなんて考え始めていた。
綺麗な文章を、上手い文章を書こうとは思わない。気持ち良いと思えるように言葉を紡ぐ。何度でも書き直す、気持ちが良いと思えるまで。