生姜が飛んだ。
情景や音、雰囲気をイメージしながら、よりリアルな視点で彼女の行く末を見守ってあげてください。
おはようございます皆さん。
私は柳多美菜です。
誹風柳多留の柳多に、美しい野菜で美菜です。
過保護な親から逃げるような形で上京してきて二週間が経とうとしており、
地道に貯めたお小遣いもいつ底を尽きるか分からない状況の今、私はいよいよ自炊を試みているところです。
事が始まったのは数分前のこと。
『ピンポーン』
「はーい。」
「お届けものでーす。はい、こちらにサインお願いしまーす。」
『カキカキ』
「はい。」
「はいありがとう御座います、失礼しまーす。」
「ありがとうございました。」
私の記憶では荷物なんて何も頼んだ記憶は無い。
となれば可能性は一つに絞られた。
そう、私が二週間生きてこれた理由はここにある。
ガムテープを剥がした段ボール、その中身は仕送りだ。自分が家賃を払おうとも言い出した親だ。主に母が過保護だか父の方も大概である。流石に家賃は断ったが、二人の案でこうして毎週仕送りがくる。
だがありがたいことに、この仕送りは私の血となり肉となり今の私の生命活動を支えてくれているのだ。
だが少し待って欲しい、今日はなんだか仕送りの様子が違う。
普段ならお惣菜の入った容器がわんさか送られてきて、その容器を返す口実でたまに顔を見せに行くのだが、今日は容器がない。
そんな動揺の中恐る恐る新聞を退けてみるとそこには、静かに佇むスーパーの豚肉と丸いキャベツの姿があった…。
そして冒頭に述べた「今」に至る。
これは自炊をしなさいと暗に伝えているのだと私は解釈した。
母と父どちらが自炊を提案したのかは予想がつかないが、今更ながら私の一人暮らしの意図を汲み取ってくれたのだろうか。
この流れで自炊をするとまたも親に乗せられ親離れになっていない気もするが、いずれやる自炊だ、今回は上手く乗せられてやろう。
とはいえタレが無い。料理をしたことのない私でも流石にタレが必要なことぐらいわかる。
冷静に考えれば肉と野菜を炒めただけで料理になるわけがない、この仕送りには何かが足りない。
だが私には何が足りないのかはさっぱりなのでGoogle先生に力を貸してもらうこととした。
「豚ロース、キャベツ、薄力粉、すりおろし生姜、醤油、砂糖、料理酒、ごま油って感じか。」
うん。実に料理っぽい。だがそこで私は勘づいてしまった。これは残りの調味料を買うまでがこの仕送りの計画なのだと。
やられた。この緻密な計画は確実にお父さんだ。しかし気づいたところで何かあるわけでも無いので今回は上手く乗せられてやろう。
よし買うものは決まった、薄力粉がよくわからないので今回は見なかったことにしよう。
買い物バックに財布を入れ、財布を万が一落としてもいいようにポケットに二千円を詰め準備は完璧、スマホの充電が切れてもいいように買うものメモも書いた。
これで外で何があろうともなんとかなるだろう。そして私の心にも少し変化がある。今回の自炊、乗せられてやろうとは言ったものの、なんだか改めて一人で生きていけることを実感する。新たな一人暮らしが始まるような高揚感に身が包まれる。普段は重いとしか思えないドアも心なしか軽い。ドアを開けた先に見える空は少々曇ってるが心が晴れた私にはさほど関係ない。
そんな気分で夕方に差し掛かった街を進んでゆくのだった。
引っ越してから二週間も経てばそれなりに街のことは知っている。海に近い大きな川が街を隔てており川沿いに家が並んでいてその中に一際目立つ家電量販店が建っている。
川から少し離れたところに湖があり、大きさとしてはテレビでよく言う東京ドーム一個分だろうか。いや、それは流石にない。
東京ドームなんて生まれてこの方一度も御目に掛かったことは無いが流石に四分の一とかそんなところだろう。
まぁとにかくそんな綺麗な湖がある。
そして湖の周辺を囲むように商店街や小さなお店が立ち並んでいるのだ。
そしてこの街最大の目玉は何と言っても湖に住む鴨!それはそれは愛らしく古くからこの地に根付いていた親しみある鴨なのだ。その地域は別名「鴨の里」とも呼ばれている。
本当は湖の周りに住みたいところだったのだが生憎その地域は人気なようで手頃な家が見つからず、結局のところ川を隔てた鴨の里の向かい側の街の、小さなマンションへと引っ越すこととなった。
とは言え鴨を諦めることは出来ず、わざわざ長い橋を渡り湖を見て商店街で買い物をする生活をしている。
今回も目指すは鴨の里。晴れやかな気分で橋を渡り一先ず湖に向かう。
簡単に鴨の里まで行ってるような口ぶりだが、橋は引っ越す前は想像もしていなかったほど長く風も強い、自転車もないのでまぁ時間がかかる。
だがこの日に限って言えばそんなものは苦ですらない、むしろ自由を謳歌しているような気分だ。
体への負担や自然の力なんぞは今の私の前では無力であった。
早速湖に到着する。いつものようにランニングするおじいちゃん、鬼ごっこをする小学生、ベンチに座り雑談する高校生。その全てが私の目には輝かしい日常として目に写った。
だが肝心の鴨が見当たらない。しばらく待ったがそろそろ宵の口が迫っている。
これはしょうがない、彼らは今もどこかでたくましく生きていることだろう、そしていつかこの場所に里帰りするのだろう、この里に住む者としてできることは待つことである。
そんなことを考えていたら買い物を忘れるところだった、危ない危ない。
急いで商店街へと向かいメモを手に取る。よしまずは調味料だ。
外から店内の様子を伺い調味料を探す。ありがたいことに、醤油、砂糖、料理酒、ごま油は一箇所に全て売っていたのでそこで適当な物を購入。
あとは「すりおろし生姜」だ。おっと、一応注意して欲しいのだが流石に料理したことないからと言って「すりおろし生姜」というものを探しているわけではない。
生姜をすりおろすことですりおろし生姜が誕生することはちゃんと理解しているので安心してほしい。
八百屋さんへ向かい生姜を探す。さっきあんなに口達者な物言いをしてみたものの、実は生姜の実物を見たことがなく、すりおろす前の状態がわからない。しかしそんな恥ずかしいことは言えないので生姜の場所がわからない体で店員さんに伺う。
「すみません、生姜ってどこにあります?」
「ああ、ちょっと待ってて持ってくるから。」
店員さんがわざわざレジから売り場に行って生姜を持ってきてくれた。
「はい、生姜ね。150円だよ。」
正直これが生姜なのかは判別できないが餅は餅屋という言葉もある、信頼しよう。
「ねーちゃんもしかして鴨鍋かい?」
「いや、鴨ではないです。」
「あーそうかいそうかい。うちの隣の肉屋さんの鴨肉美味しいからおすすめだよー!流石にうちの湖の鴨じゃないけどね!がはは。」
「あーそうですか…。」
豪勢な笑い方の店主さんを前に、なんと言葉を返したら正解なのかわからず苦笑いをするしかなかった。
「はい、200円ね。50円のお釣り。ありがとね。」
「ありがとうございました。」
急ぎ足で店を出て、ゆっくりと家へ向かう。
いや、ちょっと待て、そういえば生姜かどうかの確認をしないと。外見でわからないのならせめて匂いでも嗅いでみよう。
橋の上で立ち止まりメモを片手に買ったものの確認をし二千円を財布に戻す準備をしたまま生姜を取り出した。
『クンクン』
「あ、生姜だ。」
次の瞬間突風が吹き私の手に抱えられた生姜を風が攫う。
「あ!生姜が!」
言ってることはさっきとほぼ一緒だが今回は話が違う。咄嗟に手を伸ばし橋の柵から身を乗り出す。ヒラヒラと舞いながら落ちる紙を見て、その手にメモと二千円を持っていたことを思い出した。
時既に遅し。海沿いの川の上が風が強いのはわかっていたはずなのに、完全に気が抜けていた。手にしたものは風に攫われ、生姜は川に沈んだ。私は全てを失ったのだ。ただ果てしない喪失感とぼんやりとした思考の中で私は鴨の里へ足を進めた。
湖に向かう途中、淡い思考で失ったものを考えた。携帯の充電が無くなっても大丈夫なように用意したメモ、財布を落としても大丈夫なように用意した2000円、そして初めてのすりおろされていない生姜。
万全の準備は裏目となり私の初めては永遠に消えたのだ。これが人生かと諦めをつけたその瞬間、目から溢れた一粒の雫が頬を流れたのだった。
湖につき高校生の座っていた椅子で腰を落ち着かせる。ふと空を見上げると鴨がこちらに向かっているようだった。一匹は私の前で止まり地面を踏みしめている。どうやら彼らは里帰りをしたようだ。生姜を口に咥え…。
「え、生姜!?」
思わず声を張り上げる。鴨もびっくりして口を開け、空へ飛び去ってしまった。もっと眺めたかった気持ちもあるがそんな場合じゃない。
鴨が生姜を背負ってきたのだ。目の前では生姜が池に向かって転がり始めている。
「あ!」
体が驚くほど動く。次は逃がさんとして決死の思いで生姜に飛びついた。
『ズザァァ』
服が地面と擦れ嫌な音がした次の瞬間、私の右手には強く握られた一人の生姜の姿があった。
私は今、風に飛ばされ、鴨に飛ばされたあの生姜をもう一度手にしたのだ。
この日私の自立は一歩、足を進めた。
おはようございます皆さん。
私の初投稿の短編小説を読んでいただきありがとうございます。
実のところ初投稿どころか物語を書いた経験もほとんどなく、これが初めての作品になります。
他の作品への憧れと日々培った語彙力をフル活用して書き上げました。
タイトルにもある飛んだしょうがをイメージして「どうすれば生姜は飛ぶんだ…?」と色々構想しながらも、形となり本当に良かったです。