19.山を崩す咆哮、神の裁き、鋼鉄の華、そして合体技
蛇瑰龍の視界に黒い群れが現れた。
新手かとも思った蛇瑰龍だが、謎の黒い群れの中に薄っすらと緑がかった水晶のような装甲の飛行箒を見つけ、すぐさま人狼型の封じ込めに全力を注いだ。
そのほんの僅かな隙を突き、人狼型が縦長の口から瘴気の塊を《ヤオロチ》に向けて放つ。蛇瑰龍は冷静に衝撃の矢で瘴気の勢いを相殺し、【コラプスフロック】を放ち続ける。
黒い群れはまるで遥か古のスパルタ兵を思わせる統一された動きで【コラプスフロック】の効果範囲ギリギリを囲み、人狼型を包囲した。
その時。今まで沈黙を保っていた通信機が小刻みに震え、小竜の戦士を連れた若きパイロット……ではなく、彼の相棒、AI優樹の声がコックピットに届いた。
『手短に済ますぞ。今トカゲ野郎が「結界を壊せ」とかなんとかほざきやがった。あのお貴族様大好き野郎がわざわざお前さんを指名したんだ。何かは分からんが勝算があるんだろうぜ』
声は不機嫌そのもので、念話が無くても自力でどうにかしたいという考えが透けて見えるようだった。
「了解。たぶんアレを使えって事だろうね」
『アレ?』
「必殺技だよ」
『って事はチャージが必要だな。任せろ、俺サマの分け身が代わりを務める』
トントン拍子に進む説明。蛇瑰龍は通信を繋ぐ為に無理をしているのだろうと考えたが、実際はもっと切羽詰まった理由だ。
現在の優樹は《クエレブレ》の《Cレイカ》をギリギリまで用いてナノマシン有線通信を構築している。故に暁の防御力が著しく低下しているのだ。いくら《ヤオロチ》が人狼型を閉じ込めているとはいえ、瘴気はまだこの場に残っている。不測の事態が起きて《クエレブレ》の防御を瘴気が抜けてしまえば、暁は呆気なく死んでしまう。その恐れがある以上、現状は優樹にとっても強いストレスとなる状況なのだ。
「それはありがたいけど、暁君は大丈夫なの?」
『お前さんが成功させりゃ良いだけの話だ』
「分かったよ。それじゃあ少しだけ持ちこたえてくれないかな?」
『任せとけ。合図を送ったらすぐ攻撃をやめて、瘴気結界に集中しろ。《ドクハルブ》がただの補助装置じゃないって事を証明してやるぜ』
自信に溢れた通信を最後に、《ヤオロチ》のコックピットは再び静寂を取り戻した。
(……ここは海の上。ハワイ公国と日本の中間に浮かぶ『メメントモリの浮遊島』より南。人類の生存域を外れた空と海と魔獣のテリトリー。結界……瘴気結界を壊すと同時に技を止めれば影響が最小限に収まる場所だ)
湧き上がる感情を全て押し殺し、冷静に条件を確認する。
《ヤオロチ》は神の化身。使い方によっては禍津神ともなりうる、大いなる力を秘めたロボットだ。必殺技ともなれば環境に甚大な被害を齎す可能性もあり、迂闊に使う事は出来ない。
(っ、来た)
黒い群れの中から青い光が放たれ、高く空の彼方まで昇って結界に阻まれ消失する。恐らく暁が助言をしたのだろう。この世界の空における青い信号弾の意味は『加勢』だ。
蛇瑰龍は新しい仲間の言葉を信じ、自らと一体となった神に祈りを捧げながら【コラプスフロック】を解除した。
途端、迫りくる紫黒の顎。
蛇瑰龍は咄嗟に右腕の山蛇砲を放って回避しようとしたが、衝撃波が着弾する前に人狼型の身体が吹き飛んだ。そこにはいつの間にか姿を変え、黒い鱗を持つ若きドラグノに似た者が羽ばたきもせずに静止していた。
初めて見る姿だが、随所に見られる類似性から蛇瑰龍はヴェルりんだと判断する。
若竜ヴェルりんに続いて黒い群れ……ヴェルりん達が人狼型に纏わりつく。人狼型は鬱陶しそうに吠えると全身から瘴気を振りまき、ヴェルりん達を包み込んだ。
本来のドラグノであれば抗う間もなく滅びを迎える死霧の発露。科学的な無機物故に影響を受けないヴェルりん達はスムーズに人狼型を囲み……一つの龍の姿へと変じ、人狼型を締め上げた。
「いっそ冒涜的だよ、まったく。西洋のドラグノから東洋のドラグノに変化するなんて……しかもどんなカラクリなのか、生命の気配まで備えているみたいだ」
蛇瑰龍は己の《ヤオロチ》と同等かそれ以上に不可思議な力を見せる《ヴレイオン3》に呆れ、称賛の眼差しを向けた。
人狼型は爪で裂こうが牙で砕こうが血肉一つ零さないヴェルりん龍に我武者羅なまでの敵意を示し、滅茶苦茶に暴れ始めた。
明確な人が乗る《クエレブレ》や《ヤオロチ》、ディーオの《不死鳥》を無視して。
命を蝕み、営みを破壊しつくす為に在る化け物が、ナノマシンの塊であるヴェルりんにばかり攻撃を加えている。完全密閉されたコックピット越しにも命の輝きを感知し、無人機には目もくれず、人や、鳥や、木や、細菌の類すら死滅させるまで歩み始めぬ理外の獣。
それこそが瘴気獣という、全生物共通の脅威であるというのに。
「こんな光景、『BBS』が知ったらなんて言うか……技術提供を断ったらヒースタリア学園と組織間抗争に発展しそうで怖いなぁ」
さて。
蛇瑰龍は眼を閉じ、山蛇砲を始めとした八つ岐首の大いなる蛇が司る“暴声”の権能に意識を向けた。
(聞こえる――国津を守りし異形の蛇。大和を守れと啼き叫ぶ、その身が果てるその声が)
遥か神代の彼方、神話の記憶が蛇瑰龍の脳裏に蘇る。
身命をもって楔とし、太陽の弟に殺された大いなる蛇の断末魔。川を吹き散らし、山をも崩す大咆哮。今は廃れし極東神話に記された、神怪毒蛇の御業の一つ。
(御祖父様。僕は未だ半人前です。《ヤオロチ》の力を半分も引き出せていないのに、部隊長なんて分不相応な地位に就いてしまって……正直、浮ついている気分です)
偉大な祖父の姿を思い浮かべ、自身の現状に苦笑する蛇瑰龍。感情とは別の思考で各部の重ね合わせた蛇頭を元の八つ岐に戻し、八つの砲口を瘴気結界へ向ける。蛇の頭は空気の歪みを視覚出来る程の勢いで息を吸い、瘴気を弾きながら膨大な量の空気を貯め込んでいった。
(でも、いつか必ず御神体様の巫覡として、《ヤオロチ》を操るパイロットとして、お母さんと御祖父様を超えてみせると誓います。そして、進化部の皆を、この世界を守る最強の部隊へと導いてみせますっ!)
心の耳に大蛇の断末魔を聞きながら、改まって誓いを立てる蛇瑰龍。
その時、より大きな力でヴェルりんを振りほどき、人狼型が《ヤオロチ》へと一直線に飛び込んだ。高エネルギーに反応したのか、強い神性の気配を感じ取ったのか。
いずれにせよ、まるで予知していたかのように挟みこまれた赤い爪によって人狼型は腹を貫かれ、ヴェルりんの元へと投げ返される。腹部の傷はあっという間に修復してしまうも、暁が操れる限りのナノマシンを組み合わせた特大龍ヴェルりんによって今度こそ封じ込められる。
刻々と高まっていく蛇瑰龍の意志に、《ヤオロチ》が応えた。
「八つ岐首の大いなる蛇に奉る。僕に力を……瘴気を祓う嵐が如き圧声の御業を、ここに!」
空気の流入が止まった。
日の本の国を破滅へと導いた五つの力のその一つが、今再び解き放たれる。
「鳥髪ヶ原を拓いたように、正しき世界への道を現したまえ! 奥義、【崩山蛇砲】!!」
《ヤオロチ》の八つ頭が哭く。
一つ一つが破滅の嵐にも比肩する八つの暴風がひしめき合い、ドラグノの咆哮をも超える圧倒的な強声が渦を巻き、濁った黒水晶が如き瘴気結界に牙を剥く。
弦楽器の重音にも似た破壊音が結界内に響き渡る。邪悪なるものを御国から消し去る必殺の技を、蛇瑰龍は魔力ならざる力をもって成し遂げた。
「おぉぉぉおおおぉぉぉぉ! 嵐よおおぉぉぉぉぉぉーー!!」
八つの悲鳴が《ヤオロチ》の意志を受けて圧される。猛り狂う暴風が徐々に範囲を狭め、瘴気の結界に孔を開けんと力の矛先を一箇所に向けた。瘴気結界と【崩山蛇砲】が奏でる歪な双奏は規模を増し、朗々たるフィナーレを飾るように、
ミシ、ミシ、と。
弦の力に耐えきれなかった弓のような音と共に、穢れた黒水晶が罅割れた。
黒水晶の罅はもだえ苦しむ百足のような無秩序さで広がり、瘴気の闇が今、陽の光に照らされんとした……
『――――――ッ!!!!』
(ビム……不味っ!)
瘴気結界の向こうから聞こえた獣とも人とも異なる咆哮に、蛇瑰龍は背筋を凍らせながら咄嗟に【崩山蛇砲】の力を打ち消した。
秘められた暴虐はただの強風となり、やがてそよ風となって大気に消える。しかし罅割れた黒水晶は尚も亀裂を増し、今度は和太鼓のような深く腹を抉る音が瘴気結界を震わせる。
ドンッ!! ドンッ!!! ドンッ!!!!
『――――ッガァァァァァ!!!』
一際大きな咆哮が響き渡り、全ての生物の心胆を寒からせた、その瞬間。
砲撃にも似た尋常ならざる衝撃が、黒き境界を打ち砕いた。
『ガアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!』
俺は大丈夫。俺は守られてる。ヴェルりんを絶やすな。蛇瑰龍さんの元へ行かせるな。俺は大丈夫。瘴気は《Cレイカ》が弾く。《クエレブレ》は落ちない。俺は死なない。大丈夫。俺は大丈夫。俺は蛇瑰龍さんの役に立つ。俺は優樹にスライムを奢る。俺はルビリアと……旅をする。旅を、するんだ。
だから大丈夫。俺は大丈夫。俺は守られてる。ヴェルりんを絶やすな――
『暁!』
ッッッ!!
「ルビリア!」
『良かっ、た……暁、息、してる。声、暁の、まんま』
セルロースよりも薄い《Cレイカ》の障壁に縋り付いて祈っていた俺に、ルビリアの心の底からホッとする涙声が届いた。
『ヴェルりん七十二柱の太陽騎士団』とかいうふざけたプログラムは確かに強力だったが、危うく人狼型を蛇瑰龍さんの元へ向かわせかねなかった時、つい《クエレブレ》の余剰ナノマシンをほぼ全て投入してしまったせいで、《クエレブレ》の装甲は紀元前の戦車よりも薄っぺらになっていたのだ。
少しでも漏れ伝われば、即座に命をなくし尽す必滅の瘴気に囲まれたまま。
心臓に悪すぎる。願わくば二度と経験したくない地獄だった。
「安心してくれ、ルビリア。俺はもう大丈夫だ。装甲も張り直した」
『嘘、ばっかり……血圧、安定してない。肺と、瞳孔の揺れ幅も、落ち着いてない』
「アドレナリン任せの自覚はあるが、それでも俺は生きてる。瘴気獣を相手にして、生きてるんだ。だから大丈夫。俺は、大丈夫だ」
自分に言い聞かせる為の言葉を、今度はルビリアの為に使う。
異常極まりない黒の世界から生還した証か、辺りはすっかり陽の光に包み込まれていた。先ほどまでの暗雲は遥か彼方に消え去り、天の海が眩しくも荘厳に広がっている。
『通信状況安定、っと。よくやった、マイ・マーダー:サトル』
優樹の声がする。どうやら気を使って先にルビリアと会話させてくれたらしい。
という事は、そろそろ辛い方の現実を直視しなければならないという事だ。
『そんなに構えなくてもいいぞ。こっからは俺サマと連中の……サトル、危ないッ!』
優樹の言葉に頷きを返そう、として。
眼前に聳える怒り狂った人狼型が、《クエレブレ》の操縦席目掛けて拳を振り下ろした。
『ギロロロロロロロロロ!! ッ!?』
「っっがぁ!?」
俺は無我夢中で《Cレイカ》の濃度を上げつつ体中の魔力をかき集めて全力の身体強化魔法を使って跳ね飛んだ。紙一重で回避できたのは奇跡以外の何物でもない。
だが、人狼型の拳は速かった。奴の拳は一発で《クエレブレ》を粉々に打ち砕き、その衝撃で俺の身体はかっ飛んだ。
またしても空を落ちる感覚が臓腑を浮かす。傍目に見えた所によると、どうやら俺の脱出が間に合ったのは人狼型の肩に突き刺さっている紫色の棘のおかげ、らし……
「……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 今度こそ死ぬぅぅぅぅぅぅ!!!」
『ラウルス様の御命令だ。貴様は死なん』
冷酷な声が聞こえた。
と思ったら胴体に冷たい蛇が巻き付いたような感触が生まれ、優しく包み込まれたと思うと……別方向へ放り投げられた。
ビムクィッド、と言おうとしたその時、黒き人狼と青き半人半蜥が殴り合いながら空を蹴る姿が視界の端に映った。奴が、俺を助けてくれたんだ。
『おっ、と。ふぅ、冷や汗出るかと思ったぜ。俺サマの場合、出るとしたら結露だけどな!』
唐突にとさりと受け止められた。首を後ろに巡らせると、そこにはデフォルメされた三頭身ヴェルりんがわざとらしく翼をパタつかせながら宙に浮いていた。
「た、助かった、ヴェルりん。でも、ごめん。《クエレブレ》が……」
『気にすんな気にすんな。本体に使われてる素材はヒヒイロカネ程貴重じゃないし、この世界の不思議金属でも使って作り直そうとか思ってたくらいだ。それよりもお前さんが無事でよ』
「そうじゃなくて! 折角撮った《ヤオロチ》の……戦闘シーンが消えちまったんだよ!!」
《クエレブレ》がハリボテなのはナノマシンの性能を入力されたから知っていた。
それよりも問題なのは、貴重なスーパーロボットの新動画が消えてしまったって事だ!
『……そこかよ。常識人ぶっちゃいるが中々どうしてイカレてやがる。クレイジーボーイめ、安心しろ。《クエレブレ》と同期取った時点でそっちのデータは《ヴレイオン3》の《スピリオリティ・ツリー》に記録済みだ。特撮枠でな』
なんだ、それを早く言ってくれよ。まったく、場合によっちゃ俺の生命保険より値が付く動画なんだから、もう少し敬意ってもんを払ってくれよな。
……まあ、命があるからこそ文句も言えるってもんだが。
〈暁、本当に心配したんだよ〉
うっ。ルビリアに言われちゃ素直に俯くしかない。
「悪かった。すまない、ルビリア。ヴェルりんも、助けてくれてありがとうな」
『ケケケ。ま、そのうち俺サマの一族に名を連ねる男の命だ。救っとくに越したことはない。まだ娘はやらんが』
「話が飛躍しすぎだ!」
ツッコんでおいてなんだが、ギャグ時空はここまでだ。
まだ戦闘は終わってない。なんか空を飛び始めたビムクィッドと最初から空を飛んでいる人狼型が空中で何度も拳と脚の応酬を繰り広げては互いに噛みつこうと顎を開き、どちらかの拳で強引に閉ざされてまた殴る。人の形をした猛獣の決闘でも見ている気分だ。
というかどっちも魔法や翼に頼らずごく自然に浮かんでいるんだが、どういう仕組みだ?
『さてな。サイキックと言ってしまえば陳腐になるが……ともかく』
そんな事をポツリと呟くと、ヴェルりんが移動を開始した。身を捩って進行方向に眼を向けると、そこには一機のSVRが中座姿勢になったまま放置されている発進甲板付き汎用戦闘艇……つまりは進化部所有の舩、《ラフィール》があった。
ちくしょう。飛翔魔法なんて使えないし、《クエレブレ》を失った俺は役立たずって事か。
『嘆くな嘆くな。それにお願いされてたろ? タケルに「戦闘を録画しておいてほしい」ってな。この戦場には、まだお前さんの居場所があるんだよ』
「なんだって?」
《ラフィール》へとたどり着いた俺は事前に連絡を受けていたらしい緑の和装をした女性に片手で担がれ(!?)、ものすごい速さで艦内へと連れ込まれた。
『手短に説明するとお前さんの《ドクハルブ》操作権限を介してヴェルりんに《クエレブレ》の代わりをさせる。そんでもってお前さんを眠らせて、ヴェルりんと交信させるんだ』
〈つまり、ヴェルりんに憑依して記録しろ、って事か?〉
『ザッツ・ライト』
あっという間に船内の一室へ放り込んでくれた女性に悟られないよう念話を使って確認すると、妙に和風くさい英語で肯定の返事が返ってきた。
『いやぁ、この世界にホムンクルス憑依とかいう面白技術があって助かったぜ。説明も楽だし処置も完璧。そういう技術さえありゃあ、っとま、そういうこった』
面白そうに“一般的な技術として確立された”ばかりの新技術を語るヴェルりん。声は一度沈みかけたが、AIらしい切り替えの早さで話を終えた。
〈分かった。やり方は……分かった〉
言いかけ、記憶の海からぷかりと浮き上がるようにヴェルりんへの憑依方法が頭に浮かぶ。優樹から与えられた七つのナノマシン――《ドクハルブ》の操作マニュアルと一緒に幾つかの応用知識が頭に埋め込まれているみたいだ。
……俺、ほんとにスーパーロボットのパイロット染みてきたなあ。
サブ枠だけど。
『そこのコノハって人が睡眠魔法を使ってくれるそうだ。挨拶くらいはしておけよ』
しまった。
「あ、あの、俺、菅原暁と言います。さっきは回収してくれてありがとうございます」
俺としたことが初対面の味方に挨拶をしないなんて。日本人は礼儀正しい人たちだったという印象が、印象、が……
「ふふ、どういたしまして。私の名前はコノハ。コノハ・グラスフィールドよ」
よく見たらこの人、日本人だった。
名前的に英国系のハーフかも。日本の血が濃い顔立ちをしているから、ひょっとするとクォーターかもしれない。美しい、大和撫子とも言うべき美貌に……色白の肌。
貴族の青血……?
「よろしくお願いします、コノハさん」
「ええ、任せて」
挨拶の延長のつもりだったのだが、コノハさんには別の意味に聞こえたらしい。
直後、落とし穴に落ちるような感覚で意識が途切れた。睡眠魔法が使われたんだ。
それでも俺の頭は動き続けている。ヴェルりん憑依の準備が済んでいて本当に良かった。
瞬きをしてみる。
それだけで俺の五感は戦場へと舞い戻っていた。
『うわっ、本当にヴェルりんになってる……なんか声、変だな』
隠蔽と振動を司る《Bインヴィ》の応用によって発せられた声に違和感を覚える。まるでスピーカー越しに自分の声を聞いているようだ。
『上手くいったようで何よりだぜ』
頭に、いや体中に伝わった優樹の声の違和感が凄い。人間じゃ絶対味わえない感覚だぞ、これ……全身ナノマシンってこんな感じなのか。
『危うくただ寝てるだけの馬鹿な奴になるところだったけどな』
『掲示板やSNSで炎上しそうな展開だな。俺サマは有りだと思うぞ?』
ねーよ!
『さぁて虐殺の時間だ。『マイ・マーダー』、あの人狼型瘴気獣は人か? それとも獣か?』
一瞬、今更何を言ってるんだと思ったが、優樹は人型生物と戦う時に承認を必要とする戦闘型AIだった。どうりで一切戦闘に加わらない筈だ。
だったら、俺は……《ヴレイオン3》の『殺意』として、叫ばなければ!!
『ああ。あいつは人類の……いや、生命全ての天敵だ! 殺して、燃やして……この世界を守る為に! 戦ってくれ!!』
『オゥケー! クッフフフ……ならば『マイ・モロース』よ。この戦は、誉れ在る戦いであろうか? 拳を握り、腰を落とし、貫く事を許される、聖戦と認められ得る戦いであるか?』
優樹はモロースであるルビリアにも許可を求めた。答えは分かり切っているだろうに、それでも人を傷付けまいとプログラミングされたAIは、律儀に応答を待った。
ルビリアは短く呟いた。
『私たちの敵を倒して。話はそれから』
『任せとけ、我が娘よ!!』
今の身体を構成しているナノマシンの一部が熱量の上昇を感知した。
発生源に眼を向けると、そこにはカプトゥスがいて、輝くようなブレスを空撃ちしていた。
いいや、違う。
鋼鉄のドラグノは、その膨大な熱量を全て《ヴレイオン3》へ捧げていた。
緋色の巨人は火柱の中。その特異な装甲と熱を操る《Dディヴ》をフル稼働させて、必滅の熱撃を放つために深々と力を蓄えていたのだ。
『クックック。流石はドラゴンの末裔。摂氏が六桁を超えて尚上昇中とはな。これほどの熱を全身へ行き渡らせるには太陽風直撃くらいしかないと思っていたが……ロマンだぜ、これは』
ヒヒイロカネ。熱量を増幅するという性質を持った未知の魔法金属。最低でも千度を超えるというドラグノの炎が、《ヴレイオン3》によってより熱く練り上げられていく。高速移動を繰り返す、人狼型の痩躯を燃やし尽くす為に。
『でも、あの人狼型に一撃入れられるのかよ!? 運動量も跳ね上がる、とか?』
『まあ熱=物体の運動だから連想するのも悪くないが、流石にそこまでの超技術はねぇ。我が娘もあのレベルの機動戦にはついて行けねぇし、そもそも俺サマや大神炉にも無視できねぇダメージが来る。生物の限界をアッサリ無視した変態と同じ扱いはやめろ』
ドラグノ以上の熱攻撃を編み出しておいて何が変態扱いはやめろだ。
ジル・ド・レェとエリザベート・バートリーの残虐比べみたいなもんだろ。
『じゃあどうやって攻撃を当てるんだよ』
『焦るなって。そもそも俺サマが命中させる為に努力する必要はねぇ。奴の動きは連中が止めてくれるだろ』
人頼りかよ……と思ったが『スパロボ日鑑』にもスーパーロボット同士の連携戦が幾つか記されていたし、役割分担はハンディアでもしている戦闘の基本だ。
ちょっと過剰に期待し過ぎていた。
『分かった。それじゃオレ、蛇瑰龍さん達に伝えてく――』
〈その必要はない〉
っ!? 念話……いや、今の俺はヴェルりんだから、魔道通信か?
どっちだろうと、申請許可すら通さず強引にチャンネルを繋がれたぞ!?
〈何を驚いている? 我にとってこの程度は些事に過ぎぬ。それよりも貴様は我らが雄姿を記録する誉れある仕事に従事するがよい。立ち位置は、そう、この辺りだ〉
傲慢な物言いに抗議しようとした瞬間、全身のナノマシンを通じて座標データが送られてきた。もう滅茶苦茶だ……
〈そこならば全てを見逃さず、撮り終える事が出来るであろ。蛇瑰龍は我が愉悦を満たす生き娯楽なれば、多少の便宜を図るのも『秘密の王』たる我の努めというもの〉
……あくまで蛇瑰龍さんの為、って事か。
良い、良いさ。蛇瑰龍さんや理彦様がより満足してくれるなら、少しくらい悪魔に魂を売ったって。
〈じゃあお前が《ヴレイオン3〉の必殺技の事を皆に伝えろよ〉
〈必要ないと言っているであろ。しかし、優樹よ〉
〈おう、なんだ? ディーオ・セグレート〉
優樹も優樹で勝手に割り込んで! デリケートなんだよ、念話は! 人の心と心を繋ぐ技術だぞ!
〈蜥蜴は獣を咬む。汝の友は雷なり。轍が二つ刻まれる。三咆えの炎よ、勝者たるがよい〉
なっ……この期に及んで謎解きかよ!? ふざけるのもいい加減に……
〈了解だ。お前さんもその秘密の力で只世を守る槍となられよ〉
『お前らは……!』
言葉にならない思いが口をついて出たところで心の繋がりがブツリと切られる。無意識の内に胸へ添えた手を見て、本来なら精神にダメージを負う程度の強引さで念話を終了させられた事を理解し、ますます苛立ちが募る。
『憶えてろよ、あいつ』
『やめとけ。ディーオはお前さんが傷付かないと知っていて拙速を尊んだ。本人の洞察力か曰く占いの力か、定かじゃねぇがな』
占いだって? 馬鹿にしやがって。
時には時空さえも超える『マナ』に満ちたこの世界で、未来を見通す秘術なんざ使える訳ないだろうが。古の英雄王や偉大なるソロモン王じゃあるまいし。
『お前さん、ここ数十時間で何度常識を覆された?』
んくっ……否定、できない。だけど、いくらなんでも現代人の未来予知なんて。
『いいからお前さんは指定座標で待機しとけ。決着はそう遠くはないぜ?』
ちぇっ、分かったよ。
俺はディーオに無理矢理押し付けられた座標データを基に全身のナノマシンを移動させた。
今の俺はヴェルりん故に人間の視界限界が取り払われている。それでも記録映像用にある程度の“枠”が用意されており、それに基づくと《ヴレイオン3》は画面右側で今もカプトゥスの超高温ブレスに晒され続けていて、丁度同じくらい離れた左側(1kmも離れているが)で人狼型とビムクィッドが暴れ合っている。
その隙を伺うような動きで《不死鳥》が旋回し、蛇瑰龍さんが万一に備えて待機している。下にいるのはビムクィッドと人狼型が相打ちになって海へ落ちてしまわないようにだろうか。
「ぃよぉし!! チャージ完了っつかやべぇこれ以上は溶けるぶちこむぞ俺サマと共に咆えろサァトルゥゥゥゥゥ!!」
無線と拡声器両方から聞こえた優樹の焦った声を皮切りに、事態が――刹那の内に動いた。
――それは、後々になって記録映像を見返す事でなんとか理解出来た光景だった。
ビムクィッドが全身の鱗を逆立てながら人狼型の五体を取り押さえ、片腕を食いちぎった。
魂をすり潰すような咆哮を上げる人狼型を蹴飛ばし、右へ逃げるビムクィッド。瘴気結界のように罅割れた目に爛々と怒りを宿した人狼型がビムクィッドを追い、黒い鉤爪を伸ばす。
その瞬間、機を伺っていた《不死鳥》が青炎の剣を人狼型に叩きつけた。だが人狼型の黒い毛皮には傷一つ入らず、妨害は失敗……したかに見えた。
なんと、《不死鳥》の頭部から突如出現したディーオが、神の天罰。すなわち雷を放って人狼型の身体を焼き焦がした。
魔法じゃない。魔法じゃ瘴気獣を傷つけられない。宇宙の四つの力の一つをその身で振りかざし、ディーオは人狼型を感電状態に陥らせたのだ。
『ギギギギギギギギギギ!!!!』
ディーオの超自然的としか言いようのない雷撃を受けて、空中に縫いとめられる人狼型。その隙を突くように、カプトゥスのブレスをかき分けて緋色の巨人が姿を現す。過剰蓄熱によって地上の太陽と化した《ヴレイオン3》の輝きが戦場全体を照らし、空の全てを焼いていた。
『機竜合咆ッ、【メギドブレェス】!!』
この時点で俺は、殆ど意識することもなく、ただ運命的な渇望に導かれ……ルビリアと優樹と、喉を嗄らして叫んでいた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォ!!!』
『イアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!』
『いっっっっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』
俺たちの勝ちを求める鬨の声と同調するように一際強く輝いた《ヴレイオン3》。
緋色の巨竜人は独眼を赤く燃え上がらせ、ドラグナー種に似た頭部の顎を開いた。
実際には《ヴレイオン3》の口ではなく、全身を発光させ、今にも自壊しそうな程輝いている《Dディヴ》が同時に熱を放出しているのだ。
そこに迷彩型万能ナノマシン《Bインヴィ》の演出が加わり、まるで《ヴレイオン3》が極太のブレスを放ったかのような光景になっているだけで。
ただそれだけなのに、俺は畏怖を感じずにはいられなかった。
凄まじい速度で迫るブレス。《不死鳥》とディーオは予定通りと言わんばかりにブレスの範囲から離脱し、ディーオに至ってはギリギリまで雷撃を放って人狼型を拘束し続けている。
ディーオがブレスの射線から離れきった、その直後。
人狼型は自由を取り戻し、無機質な表情でブレスを避けようと脚に力を込めた。
【メギドブレス】はドラグノの炎を何十倍にも増幅させた最強の必殺技だが、音速を超えた機動を取られれば避けられてしまう。
このままじゃ間に合わない。全てを焼き尽くす極熱の地獄を前にしては、『進化部』の面々が妨害する間もない。
そう、思っていた。
『我が名の所縁をもって、災禍を鎮めたまえ!!』
人狼型をブレスの直撃範囲に押し込むように、一振りの剣が柄を前にして撃ち込まれた。
《ヤオロチ》の白兵戦兵装、和剣【大蛇尾剣】だ。
怖ろしく鈍い重低音が響き、人狼型がブレスの直撃範囲に追いやられる。
人類最高峰の戦士達が全力を振り絞って、ここまでして、尚も人狼型はその穢れた命を長らえ、尊い命を奪おうと足掻いた。
人狼型の背後に見通すことのできない昏い瘴気の塊が出現し、人狼型の巨体を吹き飛ばす。
その威力によって人狼型自身の身体が罅割れ、瘴気が零れ落ちる。多大な犠牲を払いつつ、人狼型は流星のように上空へと流れ落ち……
「【クヒァット・ズ・スターリー】!!」
またも、一振りの剣によって押し止められる。
それは小さな剣。いや、大きな剣であった。
片手半剣と呼ばれる長剣と大剣の合いの子のような剣。だがその大きさからして、人狼型の足掻きを打ち砕いたのは人の為の剣だ。
投げたのはウピオルだった。
武芸百般にして学魔統精、人外の膂力を有するという『ドラグノテミナル』ならば、スーパーロボットの投擲に比肩しうる投剣が可能でもおかしくはない。
それに『ドラグノテミナル』の武器には不思議な力が宿ると言われている。鋼鉄の剣は堅牢な人狼型の毛皮すら貫き、ブレスに飲み込まれても溶けた様子がなく、人狼型の身体を突き抜けて【大蛇尾剣】と共に海の中へと落ちていった。
『ギイ、ギイイ、ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイアアアアアア!!!』
直撃だ。
人狼型の黒い体躯が【メギドブレス】に飲み込まれる。
クリアな灰色のブレス。熱そのものを増幅して敵にぶつけるのが【メギドブレス】という技で、本来なら透明だ。膨大過ぎる熱量に耐えきれなかった《Dディヴ》が自壊し、発光しているが為に、溶けて流れるダイヤのようなブレスに見えるんだ。
陽炎が怨嗟の声を飲み込む。灰透明に歪んだ空間はまるで異次元への扉が開かれたような有様で、その奥に沈む人狼型の四肢が不気味な黒い光を上げて溶け消えていく様子が、どこか別の世界の出来事を見ているような気分に陥らせ……
人狼型の眼が、カッと見開いた。
直前まで抱いていた安堵が消え去る。人狼型はブレスに阻まれて届かない咆哮を上げ、ブレスの中を飛び出した。
半ば溶けて流れ落ちた悪魔のような相貌を向ける先は、《ラフィール》だ。
この場で最も戦闘力が低く、最も生命の気配を感じさせる戦闘艇。
《ヤオロチ》とビムクィッドが弾丸のように跳ねる。蛇瑰龍さんは【山蛇砲】七門を同時に放ち、ビムクィッドは酷い音速波を撒き散らしながら。
しかしそれでも、人狼型を阻むには遅すぎた。
人狼型の恐るべき黒爪が伸び、悍ましい黒牙が、汚らわしい眼が《ラフィール》を捉え、鋼の装甲を引き裂かんと限界まで腕を伸ばし――
崩壊した。
《ラフィール》に接触する数瞬前に全身を罅が走り、その隙間から黒灰色の炎が漏れ出る。人狼型の強固な肉体が綻んだ事で捨て身の過負荷に耐えきれず、自壊したんだ。
人狼型を燃やし尽くした灰透明の熱はそのまま《ラフィール》にも襲い掛かったが、接触する直前に赤と緑、そして透明な膜が生じて熱波を遮断した。
優樹のファインプレーによって事なきを得た《ラフィール》。
「…………」
人狼型は滅びた。
だが油断はできない。俺だけじゃなく、ディーオや優樹でさえ口を閉ざし、戦場には天変地異にも匹敵する攻防の連続で強く乱れた気流が唸り声を上げて空を蹂躙するのみで、人工的な音はシンと静寂を保っていた。
三分……だったと、思う。
――気が付けば、俺はベッドの上で勝鬨を上げていた。
「勝った! 勝ったぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
遅れて、二つの咆哮と三つの歓声が艦内スピーチによって齎された。
勝ったんだ! あの、あの、瘴気獣に! はは、ははははっ! やった! 勝ったぞ! 勝ったんだ、俺たちは!! 生きてる! 生きて、声を張り上げて! 帰れるんだ!!