18.勇気を振り絞れ!
「ま、まさか……」
頭の中に忍び寄る一つの単語。否定したくとも、この目でしっかり見てしまい、尚も視界に映り続けているそれ。
誰が、何のためになんて、分かり切っているのに。それでも俺は《クエレブレ》を反転させてしまった。
変わらず繰り広げられる神速の立ち合いと、神性によって放たれる敵味方の移動行程をもろとも吹き飛ばす衝撃。
見渡せど見渡せど三者の超越者しか見えない世界。
見るまでもなく、分かっていた事だ。
「…………断絶……結、界っ」
俺たちは、科学や魔法では逃げられない場所に閉じ込められてしまった。
邪悪な獣を滅するか、己が屍となるその日まで。
―――
「――クソっ、呆けてる場合じゃない! うぅ、くっ、ぅぅぅぅぅ!」
―
……活を入れても次から次へ、ウジャウジャと這いよるいやらしい虫のような絶望。
そんな物に支配されて、もう数時間が経っただろう。
戦いはまだ続いている。蛇瑰龍さんは山蛇砲と蛇鱗弾を放ち、ディーオが炎と爪を振るい、人狼型の拳と脚が激突する。打ち合った攻撃はただそれだけで空を泣かせ、手足を震わす程の振動が俺を襲う。神話の時代にさえ限られただろう絶戦が、未だに続いているんだ。
俺なんかが割って入れば一瞬でマナにまで分解されるだろう。
「それ、でも……それでも俺は! 布団被って! 不貞寝なんて! あんなのはもう! うんざりなんだよ!!」
吠えた。
「あああああ! はっあああ! うああああ! おあああ!!」
吠え続けた。身体の内と外を蝕む物を引きずりながら、鐙に力を込めた。
「何もできないから! 諦めるのか! 魔力も! 才能も! 知恵も無いからって! 違うだろ! 俺は! うぅぅッ! 戦う者にっ! なったんだ!」
吠えて、空へと飛び出した。
空間の境界を舐めるように赤い粒子を吹かし、上下左右東西南北を区別する事もなく。湧き出る恐怖を風に流してしまいたくて、けれど死地にだけは近付かないように。それでも尚、ただただ出鱈目に、飛び回った。
何もしないまま、ただ戦場に身を任せるだけなんて、そんな贅沢は許されない。
王でもない、姫でもない、帝でも、宗主でも、長ですらないこの身で、許される訳が無い。
抗うんだ。
思考を燃やして本能を焚け! 心に火が付いたとき、再び理性を取り戻すために!
「《クエレブレ》! お前の魂は! 俺が預かった! 見せてくれ! 俺が戦うべき! その正当なる理由を!!」
その時だった。
数ある蒙昧な言葉の何に反応したのか、《クエレブレ》のモニターが変動の光を放った。
それは浄化の光だったのか。恐怖が少しだけ後退し、絶望を大きく削り……
向かうべき場所、俺の戦場を映し出した。
「……賭けるしかない。これを造った奴が、自分の機体の異常を異常と認識出来ていないなんて、そんな筈がないんだから」
恐怖が再び、臓腑の存在を塗りつぶすように沸き上がってきた。
「く、ぅぁ、ぁぁぁ……ハァッ」
吐き気を抑えるように空気を吸い込み、首より先に怖気が回らないよう息を止める。行き場を失った恐怖は手足に伝わり、隠しようもない震えが無様にも操縦桿と鐙を鳴らした。
これがもし慣れ親しんだ『飛行箒』だったら、俺は海の藻屑となっていただろう。
だが、この異形も甚だしい《クエレブレ》の操縦は、自由な心と頭さえあれば!
(いっっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!)
魂の叫びが風切りとなり、赤い尾を引きながら闇の空に飛んだ。
目指すはこの異質極まる空間における異常。“向こう側が見える黒水晶”だ。
(まぁ~ずい。こいつぁ非っっ常ーにまぁずい)
暗闇の中、彼は膝を抱えたまま瞼を閉じていた。彼を囲むのは月白色の濃い粘液で、外の振動が届くたびにぷるぷると動いて、内に伝わらぬ内に打ち消していた。
(《Hアクティ》で受け取った電気情報を《Bインヴィ》で増幅し《Oアウェイク》で運ぶ。俺サマらの念話はそういう仕組みだ。サイズこそ電子より大きいが一粒一粒を操作できる分、送受信の感度は衛星通信すらも凌駕している。故に、世界最高のコンピューターを操る俺サマが『マーダー』に念話を届けられないなんてことは、物理的にありえねぇ筈だ)
――しかし、現実はソレの思考を真っ向から否定していた。
苛立ちを示すようにソレの近くにある粘液が紅く染まり、血肉で湯あみをしているかのような有様を見せる。
(まァ、つまり、物理的に……俺サマの世界の物理的にはありえないって意味だが……要するにボス空間とか召喚フィールドとかヴァ○ストエリアみてぇに空間ごと隔絶されたってんならまあ、理解できなくもないわな。問題はそいつを破る手立てがねぇって事だ)
ソレは自らが操る深紅の巨人に上を向かせ、瞳ならざる視覚をもって外の景色を見た。
そこには罅が入った真四角の黒水晶に似た空間が存在し、より詳細に見ると、上部で一人の半蜥半人が双腕を滅茶苦茶に振り下ろしている。
――蛇瑰龍、ディーオ、人狼型瘴気獣、そして暁が謎の空間に閉じ込められた瞬間、汎用戦闘機にて待機していたビムクィッドが変身し、機体を捨てて即座に謎の空間へ飛び移ったのだ。
(無駄な事をしやがる……なんて思ってはいたが、まさか二段階目の変身なんか隠し持ってやがったとはな)
ソレは記録していたビムクィッドの姿と目の前にいる半蜥半人の姿を比べ、呆れたように思考した。周囲の粘液が紅から黄色に変わり、やがて元の月白色に戻る。
謎の空間を破壊しようとしているビムクィッドは、形という点では獣化人化した時とそれ程変わっていない。群青色の鱗に、前方へ突き出した蜥蜴のような顔、苛立たし気に床を打つ分厚い尻尾。
だが、今のビムクィッドには猛々しい褐色の鬣が生えていた。のみならず見えない力で出来た鎧を纏っているかのように、焦げ茶の色をしたオーラが薄っすらとビムクィッドを包み込んでいる。
(尋常じゃねぇ。尋常じゃねぇぞあの身体能力。ふざけんなよ、SVRに乗るより当人が戦った方が強ぇじゃねぇか! 自力で空飛びやがったし! 舐めやがってクソが)
世界に誇るソレの頭脳部が算出した計算結果に、周囲の粘液が嬉しそうな緑色に変わる。
(まあ……ここは魔法ありきのファンタジー世界だ。格も器も理も、まだまだ俺サマの予想から飛び越えるモノばかりなんだろうぜ。とにかく今はあの拳戟が謎空間……仮称:瘴気結界を揺るがせているのは間違いない。おかげで《Bインヴィ》が幾つか削れたが、ま、上手く纏わりつかせる為の生贄だったと割り切ろう。だが、それでも……足りない。空間を越えてナノマシンを届けられない。暁の安否を確認出来ない。出来ないと……)
ソレは心の在処に耳ならざる聴覚を寄せる。
今、コックピットには聞くに堪えないおぞましき怨嗟の声が満ちていた。
『サトル! サトル! ワタシをオイテイカナイで! ツライよ! すっごく、ツライよ!! テヲニギッテクレルッて、イッテクレタのに! ワタシをッ、タビにツレテイッテクレルっテイッタ! ワタシ! マダ! タイヘイヨウシカミテナイ! カエシテ! ワタシノサトルをカエシて!! ア――――――――!!!!』
ソレの心は愛娘の人ならざる血に呼び起された“原初の敵”の呪わしき咆哮にかき乱され、怒りと冷静さと我欲を必要なだけ留め置くのに苦心しなければならなかった。
何故なら――
(俺サマとルビリアと、互いに繋がっている“彼女”のパフォーマンスに悪影響が出ちまう)
ソレの視覚が再び動く。この世でソレだけが眼にする事の出来る、《ヴレイオン3》の最も重要な場所。
――一糸まとわぬ、赤黒の少女。
黒い甲殻と赤い毛皮に覆われた身体を虹色の粘液へ沈め、憎らしく、愛おしそうに、膨らんだ胎を右手で撫でる以外に、眉一つ動かさない。
《ヴレイオン3》の主動力機関『大神炉』。
ソレは感情の一切を無くしたように見える少女に、ハッキリと表された不調を確認する。
(『アロウサル・フォーメィズ』の供給量、76%……錯乱したルビリアに闘争心が無ければ54%まで……いや、俺サマよりルビリアの方が可愛ければ、もっと下がってるだろうな)
月白色の粘液に1%の黒が混じり、ソレは慌てて心を静めた。
(俺サマなんかより娘の方が愛おしいに決まってんだろうが。そんな事より、もっと精神のリソースを《Aテング》に割かにゃならん。原材料を考えれば俺サマの“心”で制御する方がよっぽど成功率が高まる……そろそろ、思念を消す頃だな。上手く動いてくれよ、サトル。ヒースタリア学園と近隣大陸の平和は、わりとお前さんにかかってる所あるからな)
口をついて独白が漏れたように彼の口元の粘液が蠢いた時、ソレは思う事を止めた。
激しい戦いに身を置く蛇瑰龍も、瘴気の結界が出現した事には気付いていた。
気付いていて、しかし対策を練ることも無かった――出来なかった。
「くっっっらぁぁぁ!」
モニターの楔から解き放たれた蛇瑰龍は、迫りくる炎と瘴気の塊を“視ながら”回避した。
躯体を捧げられた《ヤオロチ》は巫覡の身体と直接繋がり、『前代』においてはパイロットと巫女が存在していた為に成し得なかった“思考による操縦”を可能としているのだ。
「ぐっ……舐めるなぁ!」
しかし、それでも爆炎と瘴気が《ヤオロチ》の装甲を這い回り、衝撃がコックピットまで届いていた。
俗にスーパーロボット、学術的にはタロスへ分類される《ヤオロチ》は既存のロボット兵器を歯牙にもかけない力を持っているが、その力は無類の強さではなかった。
同時期に建造されたスーパーロボット、太古の時代に神によって作り出されたタロス。
そして神獣の力を身に宿した新カテゴリのロボット、ハーモニオスの《不死鳥》。
――その《不死鳥》と互角に戦う人狼型瘴気獣。
同格の二つの戦力を前にして、他所の心配などしている場合では無いのだ。
「それにしてもっ! もう少し攻撃の手を緩めてくれないものかなっ、ディーオ!」
『微睡みの吐息は随分と甘いようであるな、蛇瑰龍。平和の喫煙は控えるがよい』
返って来るとは思わなかった言葉に驚いて操縦を乱す蛇瑰龍。その本来の進路上で、二体の巨人が互いの爪をぶつけあう。無防備に受けていれば、いくら神の依代といえども無事ではすまなかっただろう。
(僕、が……驚くと、予知していたんだね、ディーオ。僕を助ける為に手札をとっておいてくれたんだ……)
「ありがとう」
『貴様は我の愉悦の一つなのだ。子々孫々の全てに渡って見守ってやる故、一つ一つの雑事に礼など述べぬがよい』
心からの感謝の言葉に空寒しい宣言を返すディーオ。蛇瑰龍は頬を引きつらせ、異郷の神にも等しい超越者の寵愛から逃げるべく信仰に身を浸した。
巫覡の情けない祈りに仕方なく応じ、《ヤオロチ》は両翼の蛇頭をくねらせ一つに束ねた。両足の蛇頭から山蛇砲を放ち結界内を『走り』回りつつ、両翼の蛇頭に呼気を集中させる。
蛇瑰龍は慎重にタイミングを見計らい、《不死鳥》と人狼型の激突が三度生じた瞬間を狙って背のトリガーを引いた。
瞬く間に両翼の蛇頭から『衝撃の槍』が生み出され、七度目の激突を交わした両者に破城槌の如く打ち出された。
《不死鳥》と人狼型はいとも簡単に衝撃の槍を躱してみせた。衝撃の槍は音速の領域に過ぎない武器であり、音を超えて尚加速する両者には子供のボール遊びに等しい速度だった。
しかし、それも数十と打ち出されれば話は別だ。
《ヤオロチ》は両腕の蛇頭を両翼と同じように絡めて衝撃の槍の射出口をもう一門創り、両翼の蛇頭と合わせて間断無く撃ち放った。
更には尻尾の蛇頭と蛇を纏った頭部の口から『衝撃の矢』を乱れ撃ち、衝撃波の弾幕を作り上げる。この世界において神と称される者の膨大なエネルギーが生み出す超自然的な暴威だ。
(……この対群奥義、一生懸命編み出したんだけど……躱されるのかぁ)
上級上位の魔獣の群れ――国を落として尚余りある脅威――すら一掃する、蛇瑰龍自ら考案した初のオリジナル技、【コラプスフロック】。
その一撃をもって人間世界を二度は救える常識外の攻撃さえ、《不死鳥》と人狼型は回避した。仮にも神の力を両者は己の速さで持って、躱しとげたのだ。
蛇瑰龍は自身の未熟さを胸に仕舞いこみ、【コラプスフロック】を撃ち続ける。
攻撃を躱すのは当たると不味いという、防御面の不安の表れだ。【コラプスフロック】の弾幕は濃く、《ヤオロチ》のエネルギー量は神の名に相応しい。
当分の間、人狼型の瘴気獣を釘付けにするには申し分ない攻撃だ。
(そして、その間に――)
狭まった戦場の僅かな外枠。吹けば飛ぶような安全地帯を、彗星の様に駆け抜ける赤い光。
《ヤオロチ》と融合した蛇瑰龍の高位意識は僅かに他所へ向けられ、《ラフィール》と同じくらい『瘴気獣』との戦いには向かない、場違いとすら言える機体の姿を捉える。
強弱の秤にも乗せられない機体に、この場で出来る事はない。パイロットである彼もそれは分かっている筈だ。けれど実際は大きな危険を冒し、行動を起こしている。
理由があるのだろう。
意味があるのだろう。
恐怖と絶望を乗り越えられるだけの、何かがあるのだろう。
(――君が何とかしてくれる。この信頼を以て、あの時守れなかった借りを返そう!)
例え徒労に終わろうとも構わない。
必殺の大技を用意する手間が足りなくてもいい。
どさくさに紛れてディーオが【コラプスフロック】から離脱したのを確認し、人狼型のみに攻撃を集中させる。怒り狂う人狼型を衝撃波の槍檻に閉じ込めた蛇瑰龍は、不意に浮かんだ笑みを噛み殺しながら思った。
(その為の時間を稼ぐなんて訳もない! 問題は、この後戦勝パーティーで何を振舞うべきか考えないといけない、ってことだけだ)
やっぱりマグロに米にツチノコがいいかな。この機会に進化部へ味噌を広めるのも良いかもしれない。
活け造りなんて出したら絶対に騒がしい宴となるだろう。
血筋柄、人との縁が希薄だった蛇瑰龍は己の想像に明確な笑みを浮かべ、必ずやそれを超えてくるだろう面々の顔を胸の中に浮かべながら……容赦なく衝撃の槍を放ち続けるのだった。
「やれやれ。所詮は愚かなヒューミヌ種よ。あの者が其方らの謀を察知せぬと本当に思っているのか? 思っているのであろうな。まったくもって浅薄極まりない連中だ。しかしこのポンコツPAIでは埒が明かぬのも事実。癪ではあるが、カプトゥスかオオグチマカミを呼ばねばなるまい。ほうら、働くがよい。欠落した火の鳥よ。派手に燃え上がり、穢れた獣の眼を引くがよい。さすれば我が直々に褒美をくれてやろう。さあ、輝くがよい!」
「――よしっ、着いた!」
黒水晶の壁にぶつかるギリギリで加速を止め、今までに試みたこともないような横滑りを決めて壁に密着する。違反切符まった無しの危険な行為だが、魔獣遭遇時は運転制限が緩和されるんだから今回くらい許されるだろう。
「……着いたはいいが、ここからどうすればいいんだ?」
まるで計ったかのように、《クエレブレ》のスピーカーから雑音が迸った。耳障りな音に眉を顰めるが、すぐにそれがどういう意味を持つのか分かった。
胸の内から溢れる希望と同じように、高低の波が激しく乱雑だったノイズは徐々に抑えられ洗練されていき……やがて声となった。
『――『マーダー』補助端末との接続を確認。機械粒子通信増強中継を設置。演算思考状態から通常思考状態へ移行。ならびにバトルプログラムNo.3の優先事項に則り『モロース』と『マーダー』に思考回廊を確立――よく生きて
(サトル! サトル! サトルッ!! さとるっ、暁!)
無機質な音声に続いて確かな安堵を感じる落ち着いた声、を遮るようにルビリアのやや嗄れてガラガラになった涙声が届いた。
「っ、優樹、ルビリア! よかった、無事なんだな」
俺は思わず安堵の溜め息を漏らし、擽るような心地よい心配と安心を心に感じて思わず微笑んだ。だが感動の再会を祝っている余裕はない。
(ルビリア、ごめん。今蛇瑰龍さん達がピンチなんだ。優樹と話をさせてくれないか?)
自分がどれほど悲しい思いをしたか、文字通り心の底から訴えるルビリアに俺も心の底から申し訳なく思い、けれど堅牢な決意の下に制止の声をかける。それでもルビリアはある種狂気的な怒りと悲しみと喜びをぶつけてきたが、少しずつ我慢してくれた。
(うん。ぐすっ……分かった。でもお布団の刑を求刑するから)
(うっ、了解)
今度は寝ないようにして、優樹に奇抜な起こし方はやめろと言っておかないと。
(ま、マイ・ドーター、意に添わないのは分かったから力を抜いてくれ。お飾りとはいえ操縦桿から鳴ってはいけない音が響いている! お前さんの役割はヒロインだ。終幕にとびっきりの抱擁を背骨ごとキメてやればいいのさ!)
(落ち着け、落ち着け……優樹、蛇瑰龍さんは今……多分大群用の新必殺技を使ってる)
状況報告を行うために、この断絶結界に囚われて初めて蛇瑰龍さん達が戦っている方へ目を向ける。すると蛇瑰龍さん操る《ヤオロチ》が俺の知らない攻撃を行っていた。
尖った棒……というか槍のような形の衝撃波を次々と放ち、人狼型の足を止めている。『スパロボ日鑑』にはあんな攻撃があるなんて書いてなかったから、恐らく蛇瑰龍さんが独自に開発した必殺技なんだろう。流石は蛇瑰龍さんだ。
(でも、そのせいで本命の必殺技が使えないように見える。ディーオも様子を伺ってるだけで動かない。どうにか援護できないか?)
通信が繋がったって事は、《ヴレイオン3》が断絶結界の中に干渉出来るようになったって事だ。持ち前の異世界科学でなんとかしてもらわないと、人狼型魔獣が蛇瑰龍さんの攻撃に慣れて足止めすらできなくなる。
勿論、蛇瑰龍さんだってそれぐらいわかっているだろう。対処法も考えている筈だ。
だけど、俺が真の日本人なら……蛇瑰龍さんにだけ、戦わせていい訳がないっ。
(《クエレブレ》の映像データでも確認した。なるほど、一発一発の範囲が広いタイプの連射技か。とんでもない数と質だな。それを全弾躱す瘴気獣も同じくらい化け物だが……ああ、だが、これならなんとかなる。賭けに近いが、それでも)
(よしっナイスだ優樹! それで、一体どうするんだ?)
『こうするんだ』
その声は頭の中ではなく、空気を伝って聞こえてきた。
ビックリして振り向くと、そこには緑っぽい黒鱗を持つミニサイズのドラグノ……ヴェルりんが、相変わらず嘘くさく羽ばたきながら浮かんでいた。
(……で?)
『役不足とは言わせねぇぜ。つーかこれでも超絶テクで顕現させてるんだがなぁ……ま、百聞は一見に如かずって事で、御照覧あれ』
謎のフィンガースナップが響いた時、ヴェルりんが二竜に増えた。
「……は?」
俺が戸惑っている間にもヴェルりんはどんどん増えていき、気付けば大規模な“群れ”が出来上がっていた。
(……いやおかしいだろ! どういう事だよ!? 意味が分からねぇよ!)
この状況で何をふざけてやがる! なんかよく見たら一体一体変な個性があるし! 瘴気獣相手に幻影が何の役に立つっていうんだ!?
混乱と憤激で心のコントロールが上手くいかずそのままの気持ちをぶつける俺に、優樹は憎らしいほど真面目な声で答えた。
『言っただろ、ヴェルりんはナノマシンによって作られている。見た目はこんなにプリティでキュアッキュアだが、実態は現実に干渉出来る万能兵器型ホログラムだ。そんなヴェルりんを本体性能と引き換えに量産したのがこの、『ヴェルりん七十二柱の太陽騎士団』だ』
「ソロモン七十二柱の魔神みたいに言うな! お前それ、絶対人目があるところで言うんじゃないぞ!?」
不敬にも程がある! ソロモン王はアフリカとヨーロッパとアジアの境で三千年以上もの間魔獣の脅威からあらゆる民を守り、今なお『魔の大陸』から飛来する強力な魔獣を配下の魔神と共に塞き止めている偉大なる王の一人だぞ!? 地上に残った唯一の神とまで言われるくらいの偉人で、間違っても不遜に扱ってはいけない人物だ!
『こいつは驚いた。ソロモン王ってこの世界じゃ不老不死の現役英雄なのか。以後気を付けるわ……ま、それはともかくとして、さっそくインストールするぞ』
「……なんて?」
『だから、インストールだよ。俺サマはヴェルりん達を制御するのに演算能力の大半を費やすから、その間の指揮権はサトルに譲っとかなきゃならん。その操作方法を今からお前さんの頭の中に入力する、って訳だ』
「……なあ、それって携鳩じゃ駄目か?」
半ば却下されるだろうなと思いつつポケットから携帯伝書鳩を取り出すが、やはり優樹には拒否されてしまった。
『科学ありきで作られた俺サマに土壇場で魔法の機械を弄れって言うのか? 安全性は保障できんし、お前さんが持ってるのは量販品だろう。容量が足りねぇさ』
――それに、『マーダー』登録された時の疑似思考領域を使えば大した影響はない――などと不安になるような事を言われては、もう頷くしかなかった。
だってそうだろ。『マーダー』となった時点で、俺の頭には得体のしれない物が植え付けられていたんだ。散る筈だった命の代償として受け入れるしかない。
『それじゃ、始めるぞ……あ、そうだ。ちょっとくすぐったいかもな?』
優樹の言う通り、頭の裏側が少しムズムズして擽ったかったが、頭がおかしくなるとか背中から腕が生えてくるとか、実験失敗的な不調はなかった。
――むしろ、色々なものが鮮やかに見えてきた。
ヴェルりん達を構成する六つのナノマシン。ドラグノの姿を顕す帳たる《Bインヴィ》、ドラグノに膂力を与える《Oアウェイク》、ドラグノの力を繋げる《Cレイカ》、ドラグノの源たる熱を操る《Dディヴ》。
非常用の二つはともかく、ヴェルりんを兵器たらしめる四つのナノマシン全てが、俺の五感と五体を底上げしているかのようだ。
足元に嵐の残り香を覚える。ナノマシン同士の接続に伴う電子の揺らめきが頬を撫で、戦場に木霊す英雄と化生の凌ぎ合いを聞く。口の中には興奮と緊張の鉄錆が塗りたくられっ、この眼は七十二と一対の光景を視ている……!
《ヴェルりん》のスペックが年代表のように頭の中で羅列されていく。
一体一体の性能はそこまで高くない。せいぜいが10mサイズのSVR程度……辛うじてメートルに分類されるサイズのくせして科学の最新兵器と同等のスペックを叩きだす粒子の塊とか、俺からすれば理不尽以外の何物でもないな。
勿論、《ヴェルりん》の本質は『強さ』じゃない。俺に刻まれた情報がそう言っている。
《ヴェルりん》の、本当の力は――
『我が殺意の心。準備勉強は終わったか?』
俺の喉……じゃなくて、ヴェルりんの一体を通して優樹が問いかけてきた。
そこは普通準備運動だろ。確かに動かしたのは頭だけだが。
「でも、本当にこんなんで行けるのかよ?」
疑似思考領域とやらにインストールされた知識には《ヴェルりん》を使った作戦も含まれていた。戦術やら陣形やらを教わった憶えはないが、与えられた知識が本当なら確かに効果がある筈だ。
だが相手は未知の敵。真っ当な生物が相手なら上級上位の魔獣だろうと翻弄してしまえる作戦でも、通用しないかもしれない。
『安心しろ、通用すればカッチリ決まる策だ。ダメだったらその時は七十二竜のヴェルりんを合体させてウルトラヴェルりんにすりゃいい。お前さんはただ、スイミーになればいいのさ』
スイミーが何なのかは分からないが、俺に振られた役割は理解している。
半端に介入して蛇瑰龍さんの邪魔をするんじゃないかとか、戦いの場に飛び込む怖さとか、ついブレーキに足をかけようとする理由は幾つも浮かぶ。
今度こそ、死ぬかもしれない。
……でも、やらなきゃ。
「わかった。やってみるよ」
『……サトル、『マイ・マーダー』、偶然選ばれた者。いいか、お前さんは化け物に運命を掴まれた者だ。特殊な力なんざ、魔力くらいだろう。その魔法もこの世界じゃ凡庸で、戦場じゃ何一つ役に立たない、一般人だった』
激励と言うには辛口に過ぎる。それに自信ならある。俺はこれでも『配達官』候補生の中で一番の飛行技術を……
『だが、この一手を繰り出すという行為を持って、お前さんは特別な者になるんだ』
いいや、優樹が言いたいのはそうじゃなかった。
生きるか死ぬかの戦場で、役に立つ自信を持っていないと言われていたのか。
『そして作戦が成功すればお前さんは『掴んだ者』になる。おい、特別になるんだ! いいやなれ! なって俺を楽しませ……もとい全てを救ってみせろ!!』
……英雄になれって事か。掴んだ者? に? そっか、そっか……それは、良いな。
ああ、分かった、分かったよ。お前の甘言に駄々甘えさせてもらおう、相棒!
「ふん。カッコイイ事言いたいならちゃんと自分のエゴを隠せよな」
『かーーーーっ、これだからワケーのは! カッコイイってのはエゴから生まれるもんだぜ?皆を助けたい! 世界を救いたいっ! そう思っちまった勇者の我業がカッコイイを成しちまうんだろうが! 分かれよな、相棒!』
ちぇっ。まんまと乗せられた気分だ。おかげで余計な緊張が全部吹っ飛んでしまった。
「それじゃ、行ってくるよ。これ以上カッコ悪い特別にはなりたくないからな」
不安は、まだ少しだけある。でもそれ以上に強い感情……歯に衣着せぬ言い方をすれば『勇気』が心に沸いて、続く限り、オレは迷わないでいられる。
目標は神話の戦いの真っ只中。トカゲの尾とライカンスロープの体を持つ新種の瘴気獣だ。
対してこちらは軍用SVR一機相当のヴェルりんが計七十二体に無敵の装甲を殆ど流用された《クエレブレ》、そして異世界の技術によって運命を作り替えられたマーダーが一人。
勝てるかどうかは分からない。策が通じるかも、ぶっちゃけ本番任せだ。
だが、俺は今、負ける気分じゃない。
僅かに募る不安も、くべて貰った勇気の炎で覆い隠す。
神話にも等しい戦いへと介入すべく、俺は《クエレブレ》の鐙を強く踏み込んだ。