17.災禍の訪れ 神機登場
『舐めんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』
『クエレブレ、暁を守ってッ!』
二人の怒声が聞こえる。緑の障壁が円形状に展開され、迫りくる蒼炎の剣とぶつかると、玉虫色の不思議な火花が散った。
キラキラと影に舞う光の粒子。何処か釈然としない思いが頭をもたげ、なんでこんな事をしたんだと《不死鳥》へ詰め寄ろうとした。
その、直前に。
気付いた。
頭の上に炎の剣があるのに、なんで、周りに影が生まれているんだ?
嫌な汗が噴き出る。うなじに恐怖が這い、錆びた兜のバイザーを上げるように見開いた眼を直上へ向け――
「――ぁっ、ぅ…………」
浮遊感が、臓腑を襲う――――
『気張れサトル! クソっ、無線系にダメージだと!? おい、サトル! サトル……さぁとるぅーっ!」
『グアアアアォロオオオオオオオオオ!!』
――魂ごと揺さぶらん咆哮を耳に受け、正気より恐気で眼をこじ開けた。
眼前には激しく飛沫を上げて荒れ狂う海。
く、くえれっ、落ちてっ……
「う、あ、ああああああああ!!」
そんな必要は無かったが、俺は裂帛の気合を入れて鐙に力を籠めた。すると《クエレブレ》を囲うように赤い粒子の流れが生まれ、海面激突寸前でどうにか姿勢を整える事が出来た。
無音の推進機関が唸りを上げるように振動し、縦向きのGを減少させつつ横向きへ移行。ジェットコースターより鋭角な力が俺を吹き飛ばそうとしたが、全力の身体強化魔法でなんとか凌いだ。
下は酷い嵐で、《Cレイカ》の障壁が無ければ何度も波や雨に打ちのめされていただろう。
大量の熱攻撃や大質量の移動によって、大気が滅茶苦茶になっていたんだ。
……環境破壊について考えるのは後だ。
「っ。いったいな、ちくしょう」
ベルト鞘から抜いた短剣で左手の甲を少し切り裂き、胸に残る恐怖を誤魔化す。
痛みが記憶を再起させる。だが、勇気はもう取り戻した。
俺が目にしたあれは、新しい敵だ。強大で、恐ろしい威圧に屈した俺が行ってどうなる物でもないのだろうが……
それでも俺は、スーパーロボットのサブパイロットとして戦場に戻るべく《クエレブレ》を動かした。
《不死鳥》の青い炎が薄緑の奇抜な飛行箒へ振り下ろされた時、蛇瑰龍はついに恐れていた事が起こったと激しく後悔していた。
――ディーオが指示を聞かないのはいつも通りだけど、まさか味方にまで手をかけるなんて。
ところが、よく見ると何かがおかしい。
《クエレブレ》の障壁と火花を散らしているのは、リカッソと呼ばれる鍔近くの刃の無い部分である。
それでも炎剣の殺傷力は極めて高いのだが、どうも『触れている』だけのようだ。
では、その切先が伸びる先にあるのは――
「……な、なん!?」
青い炎の剣が打ち据えていたのは緑の障壁などではなかった。
闇を人の輪郭で型取ったような『何か』が、振り上げた拳で《不死鳥》の炎を防いでいた。
《クエレブレ》を叩き壊そうとして、《不死鳥》に邪魔をされたのだ。
蛇瑰龍が真相を掴むのと時を同じくして《クエレブレ》が突然高度を失い始めた。
「いけない! 暁君、下は海だ! 早く」
『グアアアアォロオオオオオオオオオ!!』
蛇瑰龍――と優樹――の叫びを遮るように、広大な咆声が戦場に響き渡った。
それはまるで、死の祝福を与える銅鑼のようだった。ドラグノの持つ全ての命への圧倒的な威圧が五臓六腑に染み渡り、心胆を寒からしめ、強烈な逃避欲求を誘う。
死人までも飛び起きて逃げ出しそうな咆哮。だからこそ、暁にはかえって良い方向へと作用した。
気絶から強制的に立ち直された暁によって、《クエレブレ》はなんとか体勢を整える事に成功していた。
「ふぅ……ありがとう、ウピオル。カプトゥスも……ウピオル? カプトゥス?」
思考か直感か、いずれにせよファインプレーを成した一人と一竜に感謝の言葉を告げた蛇瑰龍だが、すぐに次の違和感を察知して気を引き締めた。
いつもは派手にどもりながらも返ってくる応答が、無かったのだ。
「返事をしてくれウピオル! ディーオは!? ビムクィッド!? コノハさん!」
慌てて通信機の出力を上げるも、返ってくるのは壊れたような雑音のみ。
蛇瑰龍は困惑し、原因であろう乱入者へ目を向けた。
今も姿勢を変えずに《不死鳥》と力比べをしているソレは、4mサイズのゴーレムとも呼べない強化魔導鎧と同じくらいの背丈という点を除けば、普通の兵士と変わらない屈強な体付きだ。空間を侵食するように伸びる闇の棘が身体中に存在し、指からはライカンスロープのように肥大した爪が生え、トカゲの尾が伸びている。
先の怪物に比べればシンプルな構造とはいえ、キメラ的な歪さは変わらない。
何よりソレの輪郭から滲み出る黒い粒子を、見間違える者はいない。
「瘴気獣……なのか? だけど通信障害まで引き起こすなんて、普通じゃないよね、これ……は!」
ソレ。
すなわち人狼型の瘴気獣が空を蹴る。
その途端、二つの人影が姿を消した。
『災禍の化身よ』
『ギ イイイイ!』
『其方の在り方は我と相容れぬな』
再び現れた時、足爪を蹴り上げた人狼型瘴気獣に、《不死鳥》が炎剣を手放した手爪で迎え撃った。
『ギ イイイイ!』
『故に、召される事なく消えるがよい!』
そしてまた、両者は姿を消した。
「……訂正。普通なんかじゃない、ハッキリとした異常だ。《不死鳥》より速い瘴気獣なんて『BBS』でも手を焼き……落されるレベルじゃないか」
瞬く間に十三もの激突が繰り返された。その全てが、何か超常的な力によるものであると示すように、辺りは不自然な静寂に包まれていた。
瘴気獣の黒い爪と《不死鳥》の赤い爪がぶつかり合う音すら蛇瑰龍の耳には届かない。
「あれじゃあ僕らは手出しできない。通信が正常なら罠も張れ」
〈――巫覡よ〉
操縦席に突き刺している刀が震え、悩む蛇瑰龍の言葉をかき消す。
突然の出来事に身を跳ねさせた蛇瑰龍はただちに居住まいを正し、心を落ち着けた。
かの器物の声を一言も聞き漏らすまいとしているように。
「はい。如何いたしましたか」
〈――我を解き放つのだ〉
(……このままだと《不死鳥》が敗北すると、そう読まれたのか)
蛇瑰龍は一瞬だけ張り詰めた表情で唇を噛んだが、すぐに強い決意を宿した瞳を閉じ、コックピットにおいて出来る限り畏まった礼を刀へ捧げた。
「承知致しました。これより《ミヅチノミコト》を依り代に儀式を行います……どうか此に、御身の神にも等しい力を」
〈――西の龍、造られし命、獣降り、異界の者と、貴様を繋ぐ。覚悟せよ〉
刀は蛇瑰龍の奏上が聞こえなかったように言い、切先をぶるっと震わせた。すると何処からともなく滲みでた白透明の液体が散り、蛇瑰龍の顔に飛んだ。
「くっ……っ、あっ、うっ」
液体は蛇瑰龍の顔を焼き、むかつく匂いをコックピットに充満させた。
歯を食いしばる。それで堪えきれなかった痛みが蛇瑰龍の喉を鳴らす。
皮膚が溶けるような感覚はすぐに引き、今度は鐘のような振動が頭を襲う。
揺れは徐々に調和を成し、やがて四つの声へと変化した。
〈――までもない。貴様を殺してやるッ〉
〈ケダモノらしく咆えているがよい。あの者は我が倒してやろうと言っているであろ。恨むなら空を飛べぬ己を恨み、恨んだまま我が行いを賛歌するがよい〉
〈――という訳だ。お前さんのブレスで俺サマを覆い隠し、ディーオの誘導で俺サマの前までおびき出された野郎に不意打ちを仕掛ける。これ以上の作戦は無いと思うぜ。《Dディヴ》を舐めるな? 理論上は四千℃まで耐えられるんだからよ〉
〈友よ。魔を誘う黄昏は宵の帳で我らを包む。されど座する煉光に灯を見出すならば、あえて死の抱擁を受け入れねばならない。友よ。三度目の死が許された者よ。覚悟を決めたのならば私は止めない。我が炎によって、望むままの力を振るうがいい〉
声は全て頭の中に響く。
怒号を上げるビムクィッド。傍若無人に振る舞うディーオ。得意げに語る優樹。超然とした心を露わにするカプトゥス。
(……っ。いつも思うけど、ここは自分を見失いそうになる。やっぱり僕には相応しくない場だ)
彼らを繋ぐのは、神にも準ずる『自然』と対等な、科学でも魔法でもない力だ。
本来なら参加資格を持たない蛇瑰龍だが、今は刀に宿る超自然的な存在の補助を受けている為、不適切ながら同席を許されているのだ。
〈ごめん遅れた。とりあえずディーオと優樹君は何をしでかそうとしているのか教えて〉
〈お、蛇瑰龍。おっすおっす……なんて言ってる場合じゃねぇか〉
蛇瑰龍の呼び掛けに真っ先に反応を示したのは優樹だった。他の三者はそれぞれ自儘に話し合っており、蛇瑰龍はこっそりとため息を吐いた。
〈なあに、生意気なクソ野郎を御同輩と同じ場所へ屠る為の、作戦とも言えない作戦だ〉
〈その作戦の中身を教えて欲しいんだけど〉
〈そいつは見てのお楽しみ。お前さんもなんかやらかすんなら、奴さんにバレないよう慎重にな。俺サマの方は、カプトゥスの炎にさえ近づかれなきゃそれでいい〉
〈……分かった。でも、気を付けて。あの瘴気獣は何かがおかしい。強さ一つとっても異常過ぎる。あれを本気の上限だと思い込むのは危険だ〉
〈ああ、精々気を付けるさ……似たようなのを相手に、刺し違えた経験もあるしな〉
(似たような相手……うっ)
腹に怒りと屈辱が積み上げ、蛇瑰龍の中に名も知らない者への恨みが生まれた。
〈チッ、生体コンピューターってのも難儀なもんだぜ。おい、そろそろ繋がりを断っておけ。何かありゃあお前さんの日本刀……いや、『剣』に願うからよ〉
やや不機嫌になった優樹が言うと、蛇瑰龍の頭から四つの声が離れていった。自然的な存在に剥き出しの魂を晒していた代償に、自我が混同していたのだ。
響きが薄れゆく中、ビムクィッドとディーオの言い争いが再び聞こえ、〈まったくお前さんらは……〉という仲裁の声を最後に、蛇瑰龍の自我は己のみを取り戻した。
「ふぅ……やっぱり苦手だよ、母さん」
二度目の溜め息と共に一人ごち、改めて戦場を確認する蛇瑰龍。《不死鳥》を操るディーオは蛇瑰龍達と繋がりながらも人狼型瘴気獣と互角の戦いを続けており、遜色の気配はない。
一つ頷いた蛇瑰龍は優樹達の繋がりと並行して進めていた儀式を締める為、刀の柄に手をかけた。
「――葦原禍国。穢れ蝕まれし我が故国。我、異郷にあろうと大和の潮流るる者也。血を持って氾濫を隠す尾欠け神。黒鉄と劣工なる金剛源を依代とし、日出空にて御霊を現したまえ」
魔法詠唱とは異なる、変質した祝詞を謳う蛇瑰龍。
初めの節が過ぎると、震える刀は己の峰を破り、背ビレの如き小さな刃を生じ始めた。
「彼の毒は秘められし火酒。人を喰らい国を守る者。八つ谷と八つ丘を埋め、大氾をも飲み込む巨躯也」
刃は一節を過ぎるごとに大きさを増し、元の刃と同じ姿を晒していた。
まるでロングソードのような形状になった刀――『子竜景光』へ、蛇瑰龍は更なる詞を謳う。
「御身の魄は葦原中国へ。御身の魂は尾の欠片へ。御身の力は御剣の刀身へ」
刃に気を付けながら蛇瑰龍が剣身を掴むと、『子竜景光』は一際大きく震え、薄緑色の光を纏った。
「神山に認められし蛇よ、火神に鍛えられし剣よ。今こそ偽りの殻を破り、原初の姿を取り戻したまえ!」
蛇瑰龍は力いっぱい、操縦席から『子竜景光』を引き抜いた。
その途端、緑の光を失った機体が重力に引かれて落下を始める。
「汝が真名は『草薙剣』也! 御身の真名は『八岐大蛇』也!」
浮遊感に抗いながら名を告げる蛇瑰龍。
宣言と呼応するように刀を覆っていた薄緑色の光が強まり……霧散。
現れたのは、光と同じ若草を思わせる鈍い薄緑色の鉄剣だった。
「神話の時代より蘇りし御宝付喪神よ! 我、大白蛇瑰龍の名において、守護する者の力を拝借致す!」
若草色の鉄剣――『草薙剣』を逆手に持ち、蛇瑰龍はコックピットを貫く。
刹那。落下による浮遊感が消え、強烈な光が《ミヅチ》より放たれた。
「現れよ、科学の結晶。現れよ、古代の秘術。現れよ、最強の神製兵器」
振るわれた節に光のシルエットが生きているかのように蠢き、《ミヅチ》を変異させる。両の手足と頭部に細く柔らかな蛇の頭が伸び、背部からは双頭を頂点とした翼が外套のような膜を伸ばし、腰部からは他と比べてやや太い、キマイラのような尾が生えた。
「其の名――」
装備していた刀やハンドガンまで巻き込み、正規のSVRとは異なる形へと姿を変えた《ミヅチ》から、徐々に光が消えていく。
そして、現れたのは――
「《ヤオロチ》也!!」
八つ岐の首を持つ、大いなる蛇の化身であった。
「あ、ああ、あああああああああああああああああああああああああ!!!???」
お、俺、僕、お、おおっ俺、俺はっ、夢でも見ているのか!?
いいやここは天国なんだ。神々が住まう天津国に、俺は迷い込んでしまったんだ。
でなければ、あの大いなる機体を拝む事なんてできやしない。
だって、だって……あれは魔科学大戦で失われたはずのスーパーロボット第三号機、『崩山蛇神ヤオロチ』じゃないか!!
『よっしゃ、通信機能回復! ぶっつけ本番で空間干渉用ナノマシン《Aテング》を限定的に使用してみたのが、我ながら天才的な発想力だったぜ』
『暁、暁。一体どうしたの』
……っ! あ、ああ。そうだ。
今の俺は《ヴレイオン3》のマーダーだ。落ち着け。まずは二人に説明しないと。
「奇跡が起きた。神が再臨されたんだ!」
『お父さん、暁をスキャンして。襲われたショックで脳幹の働きに異常が……』
「ち、違っ、俺は正常だ! あの機体は、旧日本国が誇るスーパーロボットの中で最も神秘の色が濃いと言われている、《ヤオロチ》って名前のロボットなんだ!」
『それがどうして神になるの? ロボット、なんだよね』
スピーカー越しの不思議そうな声に、畏敬で震えだしそうな胸を強く押さえつつ、早く伝えねばと口を開いた。
「《ヤオロチ》には、実際に神が組み込まれているんだ。『八つ岐首の大いなる蛇』……つまり東洋における代表的なヒュドラ、『八岐大蛇』が」
《ヤオロチ》の起動に必要なのは、『草薙剣』と呼ばれる剣だ。
日本刀というよりはロングソードによく似ている『草薙剣』は、そうであるが故に日本の器物の中で最も大きな神秘を秘めている。
イギリスが誇る最高の騎士、アーサー王の聖剣『エクスカリバー』よりも遥か古より日本の皇に受け継がれてきた、神代の剣。
その出自は、『八つ岐首の大いなる蛇』の『大地を縫い留める尾の欠片』だ。
「『八岐大蛇』は霊山に選ばれた神蛇で、その魂は身体が死んでも新たに生まれた己、つまり火之迦具土神によって鍛えられし『天叢雲剣』に宿った。『天叢雲剣』は長い時を経て日本武尊の手に渡り、50人もの魔族を雑草のように切り払った際に『八岐大蛇』の魂が目覚め、それからは『草薙剣』と呼ばれる付喪神になった。《ヤオロチ》は『草薙剣』をSVRかゴーレムに突き刺す事で『八岐大蛇』の力をロボットサイズで引き出せるようにした姿なんだ」
あまりにも尊い出来事に、興奮の波が止まらない。口もよく滑るし、油断すると涙が出てくる。
ルビリアと優樹は黙ったままだ。まあ、信じられないのも無理はない。『付喪神』とはいえ立派な神、あるいは神器が近代兵器になった、なんて話。
話を飲み込むには時間が要りそうだ。
俺はその間に、この……歴史的光景を、目に焼き付けなければ!!
シュシュ! シュゥ!
現神(文字通り!)が翼の双頭と尾頭から独特の排気音を響かせ、一瞬にして《不死鳥》と人狼型――新たに現れた瘴気獣――の戦域へと割り込んだ。
蛇頭の手に持った一振りの日本剣、『大蛇尾剣』を振り下ろす《ヤオロチ》。
亀系の上級魔獣すら切り捨てそうな一撃だったが、俺の眼で見て認識できる速さだ。人狼型にとっては子供のチャンバラも同然に映った事だろう。目にもとまらぬ速さで避けられた。
しかし、《ヤオロチ》はもう片方の蛇頭の手を空へ向けており、手首の辺りから一発の鋭い何かを射出した。
確か銃器を巻き込んだ際に使える、『蛇鱗弾』という猛毒の武器だ。
『ギ イイイイ!』
蛇鱗弾は見事人狼型の身体に命中した。だが人狼型は尋常じゃない防御力で蛇鱗弾を弾き返し、遠くまでよく届く、不気味な咆え声を上げて蛇瑰龍さんの《ヤオロチ》に牙を剥いた。
《ヤオロチ》は短剣を飲み込んだ両足の兵装、『蛇牙荒』で人狼型を受け止め、いつの間にか振り下ろしていた『大蛇尾剣』で人狼型を狙う。
蛇毒の滲んだ刃はあと少しの所で届かず、人狼型はあっさりと姿を消していた。
シュゥ!
あの独特の排気音が再び聞こえた。
同時に《ヤオロチ》の巨体が斜めに傾ぎ、《ヤオロチ》が元いた場所を黒い流星が通過していった。バーニアのようなアレは『山蛇砲』という強烈な衝撃波を放つ装備だ。攻撃にも使えるが、空戦時はああして姿勢制御に使うらしい。
「すげぇ……『スパロボ日鑑』に載ってた通りだ」
平のパイロットだった婆ちゃんが読ませてくれた古い図鑑。もはや伝承書と化したそれに登場する伝説の機体が、俺の目の前で、図鑑通りの姿で、戦っているっ。
まるで恋のように体中がきゅっと締まり、水気を孕んだ熱が頬に浮く。
ああ、爺ちゃんと婆ちゃんにこの光景を見せてやりたい。二人とも随分懐かしそうに……悲しそうに昔話を聞かせてくれたからな。録画ボタンとか付いて――
――その時。
不意に現れた『紫装甲の羽根付き』が《ヤオロチ》の背中を蹴り飛ばした。
俺は叫んだ。
「たいがいにせんとくらすぞクソボケッ!」
『黙るがよい田舎者』
体中の皮膚からマグマが吹き出しそうな怒りに駆られた俺に、しかし投げかけられたのは他愛ない罵倒だった。
この、くそ〇〇〇が!!!
『我が聖裁に割り込むのが間違いであろう。愚か者に操られる愚神などに敬意を払う我ではないぞ、愚民よ』
「うるせぇ! 人様の神様蹴り飛ばしておいて、よくもそんな口を……!」
俺の家の主神は《ヤオロチ》とは別のスーパーロボットに縁ある神だが、日本の神は皆俺たち日本人の神様だ。異国人風情に杜撰な扱いをされる筋合いはないッ!
『ま、待った待った! 暁君、ディーオにも思惑があったんだよ』
どんな悪罵を尽くしてやろうかと沸騰していた俺に、冷や水が浴びせられた。
蛇瑰龍さん……?
「なんでですか!? 『八つ岐首の大いなる蛇』と言えば、かつて神々の戦いによって崩れかけた大和の地をその身で繋ぎとめた英神ではありませんか! それを、あんな!」
『く、詳しいんだね。今じゃ殆どの人が日本の大昔のヒュドラとして扱ってるのに』
感情に振り回された言葉を、やたら嬉しそうな声が包み込んでしまった。
『極東神話を読んだことがあるのかな。同年代の人には話せなかったから、是非君の意見を聞かせて欲しい所だよ……さ、その時に不満は受け取るから、今は意識を切り替えて』
……蛇瑰龍さんにそう言われたら、従うしかない。
というか、当事者の巫覡が気にするなと言っているんだ。
俺のは、不当な怒りだった。
「……分かりました。ですが、ディーオには後で俺から言わせてもらいます」
『そっか。うん。なら、君のしたいようにするといい』
再び嬉しそうな蛇瑰龍さんの声を耳に聴く。なんて器の広い人なんだ。
『さて。さっきのディーオの行為だけど、実を言うと作戦だったんだ』
真面目な口調になった蛇瑰龍さんがおかしなことを言う。
《ヤオロチ》を蹴飛ばされるのが、作戦だって……?
「あ、ヘイト値を溜めてTATARIでも起こすんですか?」
『急にネトゲ的だね!? そうじゃなくて、あの異常な瘴気獣に勘違いをさせる為なんだ。僕とディーオが仲たがいして、一対二の戦いが一対一対一になった、って思わせたいんだよ』
……真面目に聞いてもよく分からない。
「それは一体、どういう……?」
『必殺技を叩き込む為の隙作りさ』
必殺技……蛇瑰龍さんの、《ヤオロチ》の、っていうとあの!?
「まさか、アレを使うんですか!?」
『君はなんでも知ってるねぇ』
俺の驚愕を呆れたように受け止める蛇瑰龍さん。
だがそれなら、あの胸糞悪い行いにも納得はできる。
「《ヤオロチ」の必殺技は広範囲殲滅攻撃でしたよね。大抵の魔獣ならどれだけ優れた翼を持っていようと範囲外に逃れる事は出来ないと言われています。ですがあの瘴気獣は」
『速すぎる。だから互角の速度で戦えるディーオに牽制してもらって僕が衝撃砲……君なら山蛇砲でも通じるかな。それで行動範囲を封じる。そういう作戦なんだ』
……僅かに首をかしげる。
蛇瑰龍さんの言う作戦とは囲い込み狩りの事だろう。『動くこと』に優れる魔獣を狩る為の定番ではあるが、それなら蛇瑰龍さんまで牽制に回る必要はない。
それに《ヤオロチ》の必殺技を使うには溜めが必要なはずだ。手持ち武器ならともかく分類的にはエネルギー兵器である山蛇砲を使うなんて、ちょっと論理的じゃないような。
だが、蛇瑰龍さんがそれを作戦というのなら。
「了解しました。それなら確実に当てられますね。そして、当てれば必ず……」
敵は滅ぶ。
蛇瑰龍さんは一つ頷くだけの空白を置いて、肯定した。
『その通り。だから君も早めに後退して、出来るだけ《ラフィール》の傍にいるんだ。威力に相応しい余波が吹き荒れるからね』
「はい。それでは、御武運を!」
『ありがとう……あ、そうだ。一つお願いしたい事があるんだけど、いいかな?』
「なんでしょう?」と尋ねる俺に、蛇瑰龍さんは少しだけ躊躇し……
『……その、戦闘を録画しておいてほしいんだ。《ラフィール》に記録された動画はティトルレクタ家の資料になるみたいで、私用は禁止されちゃってるんだ。でも、僕が《ヤオロチ》のパイロットとして頑張ってる姿を御祖父様――つまり、『先代』に見せたくて』
両手が跳ねた。
反射的に万歳をしてしまう程、俺の身体は歓喜に包まれたようだ。
「よろこんで!」
何か話を誤魔化された気もするが、そんなものはどうでもいい!
この俺が、理彦様に御孫様の勇姿を拝謁なさる手助けができるなんて! こんなにも名誉なことが、あと幾つこの世に残されている? 絶対に『カーバンクルの額』より少ないはずだ!
『ありがとう、暁君。でもあの瘴気獣が襲い掛かってきたら、迷わず逃げるんだよ』
「はいっ。肝に銘じておきます!」
『うん、それじゃあ張り切らなくちゃ。何しろ御祖父様が見ているんだからねっ』
意気込んだ蛇瑰龍さんの言葉を最後に通信が終わる。
蛇瑰龍さんに限ってヘマをするとは思えないが、ディーオはミスをするかもしれない。早めに《ラフィール》の元で待機しておくべきだろう。
だがその前に。
「聞こえてたろ、優樹。もちろん《クエレブレ》のカメラに録画機能はあるよな?」
一度訊いて、俺は言われた通り《ラフィール》に向かって《クエレブレ》を進ませた。
程なくモニターに●RECの文字が表示された。こういう細かい仕様がこっちの世界と同じ所が、イマイチ異世界出身説の信憑性を下げてるんだよな。
「よし。これで全日本人がツチノコを探してでも手に入れたがる映像が撮れるぞ!」
『こっちの世界でもツチノコって懸賞金掛けられてたんだな』
また優樹がおかしなことを言っている。まあ魔法の恩恵に乏しい地域なら、懸賞金をかけてでも捕まえたいって奴もいるかもしれないが。
ちなみにツチノコは体内に魔石を溜めこんだ蛇で、その魔石は良質な魔法触媒から万能の薬材まで何にでも使える優れた素材だ。
カーバンクルと同じくらいすばしっこいので凍結魔法や弱体魔法が使えないと捕らえられないのだが、過去の日本には素手で捕まえられる狩人が(何故か)何人もいたらしい。
あと肉が美味い。
「思い出したら食べたくなってきたな」
『まさかの食用!? つか日本壊滅してんのに捕まえられんのかよ!?』
「ツチノコは魔力を蓄積しながらも魔獣化しなかった普通の蛇だぞ? そりゃあ珍しいが、大陸でもいないことはねぇよ。誕生日のお祝いに、って昔爺ちゃんが食べさせてくれたんだ」
『ああ、そういう……異世界で妖怪が食い物扱いとか、マジで異世界だなここ』
相変わらず変な事を言う奴だ。というか妖怪って。
ツチノコはただの魔獣崩れ……おっと、無駄話もこのくらいにしておこう。
「それじゃ、俺は《ラフィール》まで下がって撮影してるから、お前も何か活躍しろよな」
《クエレブレ》の噴射口から赤い粒子を放ち、さっきの墜落劇で姿を見失った《ヴレイオン3》に言い放つ。何処にいるとも分からない優樹が呆れながら答えた。
『急に偉そうになったなコイツ。言われるまでもない、がにゃ!?』
「何言って――」
ガツンッ!
言い終わる前に俺の額が派手な音を経ててモニターにぶつかった。眩暈を起こした視覚にベタフラッシュが塗られ、くらくらする。
な、なにが……
「ゆ、ゆ、き……お、い」
ふらふら揺れる頭を押さえ、紐を手繰るように魔力コスト0の素晴らしい念話を繋ぐ。
――――……優樹?
「お、い、聞いてんだ……ろ」
ゆっくり、心臓の鼓動を落ち着けるように頭を撫でる。その甲斐あって一分も経たずに意識が回復した……けれど、念話は一向に繋がらなかった。
「優樹……ルビリア。なあ、聞こえない、のか? くそっ、ぶつかった衝撃で脳波が乱れたせいか」
深い森の中でカンテラを失ったような。
そんな怖さを誤魔化すように、後から後から理屈を述べた。
いいや、違う、そうに決まってる。これは一時的な事だ。すぐにでもあの意味不明な異世界ジョークが……聞こ、えて――
恐ろしい現実は、高らかな掌となって俺の背中をそっと撫で上げた。
目の前の空間。さっきまで焦げ臭さが漂っていただけの空間が、歪んでいる。
慄きながら首を巡らせると、辺り一帯が砕けた黒水晶のような何かに囲まれている。
向こう側は見えているのに、まるで星と星の間を見つめているような遠さ。
目と鼻の先にあった《ラフィール》は、そこに有った空間だけを残し、影すら消えてなくなっていた。