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10.ルビーモロース目覚めの時

「…………んっ、うぅ……」


 微かなうめき声と共に、ルビリアが眠っているベッドから衣擦れと、存在しない衣服(・・・・・・・)の擦れる音が耳に届く。


 うるさくし過ぎたのかと思ったが、「ふぁっ~~~ふぅ」と大きな欠伸が聞こえる。どうやらぐっすり眠れたようだ。

 気絶する前が前だけに悪夢でも見なかったか心配だったが、間延びした声に恐れは感じない。この分なら大丈夫そうだ。


 おっと、寝起きの女性に見知らぬ男の姿は毒だな。さっさと離れよう。


『おはよう! 麗しきマイッ、ドーター!』


 彼女の起床を真っ先に察した(でなければ衣服の衣擦れの説明がつかない)ヴェルりんが興奮気味に天涯を捲り、ちょこんと頭を突っ込んだ。


 その途端。


「きゃっ!? だ、だ、だ、誰!? 何!?」


 道端で下級魔獣にでも遭遇したような悲鳴を上げた。


『えっ、お、あ……そうか、まだ培養液から出たばかりだからインストール済みの意味記憶はともかく、エピソード記憶に関しては人間(サトル)と魔獣のグロ映像しかストックが無いんだった』


 物凄く悲しそうに狼狽えたヴェルりんだが、すぐに原因を特定して落ち着きを取り戻した。

 しかし、ルビリアはまだ怯えたままだった。


「しゃ、喋るトカゲ……? あ、あの、あの、あなたは、だあれ?」

『パパだよ』

「は?」

「え? っ!? 他にも、いるの?」


 思わず漏れ出てしまった声に、ルビリアが反応して少し遠ざかるように動く音が聞こえた。


 しまった。まずはヴェルりんにカウンセリングしてもらってから声かけようと思ったのに。くそ、変な事言いやがって……!


「あー、その……あんたに助けてもらった者だ。そこのトカゲ面はあんたの保護者らしいぞ」


 変な流れに沿って話出したせいで掛ける声が不愛想になってしまった。

 そんな言葉でも直前の出来事を思い出すには十分だったのか、ルビリアは掴んだ記憶を手繰るように呟いた。


「え、あ……そっか。私、別の世界に来て……大怪我をしたあなたを助ける為に声が……あの時聞こえた声とトカゲさんの声、一緒だね。それなら、あなたが優樹?」

『これ、一応ドラゴンなんだが……まあ、そうだ。今はそこの小僧と臨時保護責任者へヴレイオン3の説明を行うため、《Bインヴィ》を応用してホログラムを作っている。何を言っているか分かるか?』


 分かるかバカ、と言いそうになった。

 しかしルビリアにはきちんと意味が通じていたようで、合点がいったように「あ!」と叫んだ後、両手を叩いて「分かったわ」と答えた。


 どうも異世界人限定で通じるやり取りだったらしい。


「でも、あなたが私のお父さんって、どういう意味? 私のお父さんは人間で、お母さんは……」

『その人間が俺サマなのさ』


 ……は!? こいつ、いきなり何を言って……っ!

 そうか……優樹はさっき、ルビリアの事を人造人間と言った。人間を作るには科学でも魔法でも元となる遺伝子が必要で、必ず二種類以上の遺伝子を使わなければいけない。


 そして優樹は自身の事を『生体コンピューター』だとかなんとか言っていた。それが一体なんなのかは分からないが、『生体』と付くからには生きているのだろう。

 精霊やゴーストなんかは例外として、生きとし生ける者は全て遺伝子を持つ。


 つまり優樹は、ルビリアという人造人間(ホムンクルス)の遺伝子素材提供者なのか!


「???」


 俺が衝撃の事実に慄く一方で、ルビリアはピンと来ていない様子だ。気まずい沈黙が続き、優樹はもう少し捕捉説明が必要だと考えたようだ。


『俺サマは元々普通の……ああ、まあ、遺伝子的にはただの人間だった。『アナヴェグル』の襲撃からルビリアのお母さんを庇った時に死んじまったが、同門の科学者が死体を回収しておいてくれてな。しばらく延命装置に繋がれっぱなしだった所を《ヴレイオン3》の生体コンピューターとして機械とバイオ的に融合させられたんだ。どうせ人間の身体は破壊され尽くしちまってたから、俺サマにとっては感謝しかないけどな』


 な、なんでもない事のように……いや、むしろ喜ばしいとでも言いたげな口調で壮絶な生死を語ったヴェルりん。

 AIにしてはやけに人間臭いと思ったら、本当に元人間だったのか。


 ヴェルりんの説明に、しかしルビリアは一層困惑したようだった。


「“ルビリア”って? 私の名前なの?」

『俺サマの娘、俺サマの希望よ。紅玉研究所で生まれた唯一の子供……緋色の巨人に守られし紅の一粒。情熱と勝利の証。どんな光の中でも己の輝きを失わない者……我が種族唯一の生き残りであるお前の名は、ルビリアだ』

「ルビリア……私の、名前」


 これはどういう気持ちなんだろうか。

 絡み合う少女の感情が声の震えに複雑な起伏を生み、なんとも言えない気分になる。初対面に等しい俺が何も言える筈は無いのに、何かを言わなくてはいけない気がする。


 でも……じゃあ、何を言えばいいんだ?

 分からない。


 ヴェルりんは打って変わって陰気な声で、平坦に言葉を続ける。


『ルビリア、お前はこれから大変な苦労をするだろう。生まれた世界が違い、生まれた環境が違い、生まれたものすら違う者たちに囲まれ、唯一の存在として扱われる。それが憎ければ、好きなだけ俺サマを恨め』


 自分で言っておきながら深く傷ついたのか、翼がピクピクと小刻みに震えている。尻尾はだらんと垂れさがり、両足なんて互いに爪で引っかき合っていた。


「そんなこと言わないで……あなたが、私のお父さんなんでしょう?」


 困惑しているのか、それとも怯えているのか。痛ましい声で呼びかけるルビリア。

 対するヴェルりんの反応は鈍い。寒々しく首を振り、溜め息のような声で言った。


『俺サマは殺戮兵器。お前の頭を撫でてやれない者だ。そんな親を受け入れるな、ルビリア』

「そんな……そんなっ……!」


 辛そうに上擦った声を抑え、酷く取り乱すルビリア。ベッドに振り下ろされた拳が、中のスプリングを破壊する音が聞こえた。

 ……どんな怪力だ。仮にも(この世で一番肥満率の高い)貴族のベッドだぞ。


 いや、それより……流石に言い過ぎだ。


「優樹。お前酷いぞ」

『口出しするなマーダー。これは俺サマとルビリアの問題だ』


 父親から娘へ贈る物とは思えない会話に、割って入る。

 だが、優樹は声にドスを効かせて立ち入りを拒んできた。


「はっ。こんなに人がいる場所で、二人きりの会話だって? 笑わせるんじゃねぇ」


 上等だ。

 言い返した時点で尋常じゃない威圧感を受け、やせ我慢も甚だしい言葉だが、命のやり取りをしたばっかりなんだ。怒りとプライドとお節介に任せて、言ってしまえ。


「お前、何様のつもりだ。この世にどれだけ父親と死別した子供がいると思ってるんだ。核に変わる兵器と生贄を必要としなくなった大魔法がある現代でさえ、何万もの人が魔獣の被害にあって命を落としているんだぞ」


 天涯の中に頭を突っ込んだままの不格好なドラグノに近寄り、首根っこを掴む。僅かな抵抗を残し、入った時と対照的にスルりと抜け出てくるヴェルりん。


『ありふれた説教だ。故に俺サマは答えを用意している。我が世界は絆の一切が『アナヴェグル』共によって断ち切られた。俺サマとこの子だって本来なら同じなんだ』

「馬鹿が! それはお前の世界のルールだろ!」


 何もわかっていないトカゲ面を睨みつけ、俺はあらん限りの声で叫んだ。



「この世界じゃあ、死んだ人間はゴーストになって戻ってくるんだよ!」



『……な、なん!?』


 俺もルビリアも放り出し、無音のまま凄い勢いでこの場にいる他の人間へ顔を向けるヴェルりん。ニコリと笑ってラウルス先生が頷いた。


 他の面子は息を吹き返したらしい蛇瑰龍(タケル)さんと恥ずかしげに蹲って頭を抱えているウピオルをからかうのに夢中でこっちの話を聞いていない。なんて奴らだ。


「こちらの世界では死後、天国や浄土、地獄、冥界、奈落、それに黄泉と呼ばれる『あの世』へ魂が送られる。しかし、天使や悪魔、死神、ワルキューレらがあの世へ案内する前に何らかの要因で死者の魂が魔力に束縛された場合、死者はゴーストとなってこの世に定着する」


 付け加えるなら半分くらいは狂っちまうし、束縛された魂は聖職者が解き放つ事になっている。


 しかし、理性を失わず、かつ善の心を持つゴーストは、この世に存在することを許され、生前の未練を払拭し、あの世へ行きたくなれば聖職者の力を借りて成仏する。

 そういった善なるゴーストは、大半が遺される家族を憂いてこの世に残りたいと強く願った者だ。


「死んだくらいじゃ人との絆は切れないんだよ。ここに、俺たちの世界にいる以上! お前は紛れもないルビリアの親で、ルビリアはお前の子供だ! 責任持って面倒見ろよ! こっちの世界じゃ、皆がやっていることだ!」


 ハァ……ハァ……息を切らすほど叫んだ。音の調子がずれ、女性のように甲高くなったと思えば、獣のような唸り声にしかならなかった物もある。


 それでも俺は後悔なんてしない。


 何故なら、俺が今を生きる日本人だから。


「知らないだろうから言うが、未曽有の呪術災害に覆われた日本じゃ、狂ったゴーストしか生まれなかったんだ! 皆が当たり前に出来る事を、日本人は一切許されなかったんだぞ! お前はそれが出来る立場なんだ! くだらない理由で蹴飛ばしてんじゃねぇ!!」


 ……い、言い切ったぞ。言ってやったぞ、クソっ。

 さあ、爪で裂くなり、牙で砕くなりすればいい!

 ワハハ! 良心が咎めない限り、俺はもう言いたい事を我慢したりしないぞ。良いことは良い。悪いことは悪い。間違っていることは間違っている!

 平民だろうが貴族だろうが、ここでは皆平等なんだから!


 ヴェルりんは剥製のようにジッと俺の眼を覗いた。ただただ俺を観察するカメラのような瞳に、背筋がぶるぶると震える。それでもグッと拳を握りこみ、腹に力を入れて睨み返した。


『……ハァ。お前さんというかこの世界というか、まったくこ〇すば並みにふざけてやがる』


 やがて折れるようにヴェルりんは諦めた。

 もう一度天涯に頭を突っ込んだヴェルりんは、どこか疲れたように話し始めた。


『俺サマの可愛いルビリア。あんなクソガキに諭されるなんて我が一族の名折れだが、郷に入っては郷に従えとも言う。前言は撤回する。すまなかっ、ごぁ!?』


 突然、全方位に揺らめく天涯。ヴェルりんは悲鳴を上げ、尻尾の先端が少しだけ崩れた。


「……お父さんなんて知らない。出てって」

『ルビリア!? ま、待っておくれ。せめて《ヴレイオン3》の生体コンピューターとして……』

「知らない! そんなの、紙に書いて渡せば良いでしょ! 出て! 出てってば!」

『がっ!? ぐっ!? おぉぉぉぉ!?』


 恐ろしい剣幕を受け、転がり落ちるようにこっち側へ戻ってくるヴェルりん。かなり動揺しているのか、翼が解けてまんまトカゲのような姿を晒している。

 俺にはよくわからないが、娘に叱られた父親ってこんな感じ……


『ル、ルビリア……流石俺サマの()だ。モロース用の懲罰コードを本能で扱うとは』


 鼻を噛みながらすすり泣く声が聞こえた。

 な、なんで……俺、何か間違えたのか!?


 ちくしょう。女慣れしてない奴が下手な事を言うから! それとも、偉そうに余計な口を利いたから? はたまた、親がゴーストになったと言い渡してしまったから?


 半ばパニックに陥っておろおろと天涯の奥とヴェルりんを交互に見やる俺を見かねたのか、ヴェルりんがそっと天涯に近づき……不意に音が消えた。


「……え?」

『ありとあらゆる波長を操り、《ヴレイオン3》の巨体をも完全に隠す《バアル・インヴィジブルヒュム》……通称《Bインヴィ》の応用だ。俺たちが何を話してもルビリアには聞こえないようにした。で、そんなに狼狽えてどうした?』


 サラリととんでもない事を言っておきながら二の句はまるで気安い。そのギャップに戸惑いを覚え……た、と自覚した時、幾分冷静になっている自分に気付いた。


「だ、だって、女の子が泣き出した時にどうすればいいかなんて、ちっとも分からないんだ」

『食べちまいたいぐらい可愛いかよ。俺サマもちーっと心配だが、今はそっとしておこうぜ』

「泣いてる女の子を放置するのか?」

『そう言われるとすっげぇ罪悪感湧いてくるな!? でも、自分を整理する時間くらい与えてやらないと可哀想だろ? なんせルビリアは、生まれてから二十四時間も経ってないんだからな』


 なっ……なんだって!?


「ルビリアってホムンクルス……なんだよな?」

『その如何にも魔法臭い代物では断じてねぇが、俺サマと麗しの君の遺伝子を改造し、培養して生まれた子なのは確かだ』

「ほう。あの娘、我と同じ存在だったとはな」


 話に入り込んできたのはいつの間にかヴェルりんを抱きかかえ、“鍵のような形の葉を持つ蔓に覆われた箱のような金属の塊”に腰掛けているディーオさんだった。


『お前さん、ホムンクルスとやらなのか?』

「いかにも。そしてデザインチャイルドでもある。我はエルフとドワーフの遺伝子をベースに最高の素材と付喪神の粉末を加えて作られし、最も優れた人間である」


 か、科学と魔法を融合させて、生命を創り出したって……!?

 いや、落ち着け、俺。『マギナウス』の概念が広まって半世紀が過ぎてるんだ。ありえない事はほぼないし、ディーオさんはヒューミヌ種ともエルフ種とも言えない、独特の雰囲気を持っている。滅茶苦茶驚くことだが、ヴェルりん程おかしくはない。


『……なるほどなるほど。なんとなくこの世界の現状が把握できた気がするぜ』


 俺の方をチラリと見ながら呟くヴェルりん。


『科学と魔法……同時に育つとは面妖な。ともかく、生まれたその日に人類滅亡、両親喪失、異世界渡航が重なった哀れな娘を、どう慰めて良いのか俺サマにはわからん。わかる人間なんざいねぇだろうがよ』


 正論過ぎるヴェルりんの言葉に、返す言葉がなかった。唇を引き結んで俯き、なにか出来る事は無いかと頭をひねっても、良い考えは浮かばない。


『ま、だからって子供が泣いてる時にぐずぐずしてんのが正しい大人の姿とは言えねぇだろうが?』


 ディーオさんの腕の中から抜け出し、ラウルス先生に向き直るヴェルりん。


『ラウルス教諭、A4サイズの紙を五十枚程用意してくれないか? あ、A4っていうのは210×297mmに統一された……』

「こちらの世界でも規格は同じだよ。少し待ちたまえ」

『……ありがとうございます』


 ラウルス先生はヴェルりんの図々しい頼みに快く応え、ベッドを出した時のようにシュっと紙の束をこの場に転移させた。貴重な魔法の筈なんだが、使い手にとっては生活魔法と変わらない、便利な魔法の一つに過ぎないのかもしれない。


 待てよ。ここにあるのは紙だけで、鉛筆や筆みたいな書く物が無いぞ。


「……ボールペン、いるか?」


 重たく垂れそうになる心を宥めすかし、何気ない風を装って制服の胸ポケットからペンを差し出したが、ヴェルりんは受け取らなかった。


『インクを貰うのは気が引ける。俺サマなりの書き方があるから気にしないでくれ』


 そう言ったヴェルりんは紙の束から一枚抜き取り、床に置くと左端に手を置いた。

 まさか、と思った時には既にもう片方のヴェルりんの爪が紙の右上に置かれ、スラスラと日本語が刻まれていった。


 焼き切って……いや、焦げ跡が無い。純粋な切れ味で字を書いてるってのか?


『ふむ、普通の植物紙だな。この世界なら羊皮紙が出てきてもおかしくないと思っていたが』


 馬鹿にしてんのかこいつ。

 羊皮紙なんて今じゃ魔法用のスクロールにしか使わねぇよ。


『よし、自動交換機能及び超振動記述プログラム完成』


 一枚目を書き終えて二枚目をセットしたヴェルりんがぽつりと呟く。

 すると不思議な事に、ヴェルりんが手出しせずとも勝手に文字が書き連ねられ、書き終わると同時に二枚目が一枚目と重なるように移動し、三枚目が紙の束からふわりと床に降り、新たに文字を書き始めた。


 すごい……まるでお伽噺の魔法だ。


『とりあえず必要事項はこれでいい。残った紙には幻影で俺サマ推しのキャラを被せよう。我が血を受け継ぐルビリアなら喜んでくれるだろう』

「その機嫌の取り方はどうなんだ?」


 俺のツッコミは聞こえていなかったようで、ヴェルりんはわざとらしくコホンと(妙に可愛らしい声で)咳払いをした。と同時に尻尾と翼を復元し、元のミニドラ状態に戻る。


『改めて、《ヴレイオン3》のメインパイロット兼制御システムを担う生体コンピューター、優樹だ。この姿は便宜上ヴェルりん。好きな方で呼んでくれ』


 のそり。と、今まで四足で歩いていた姿勢から二足に立ち上がり、綺麗なお辞儀を見せた。

 垂れた頭の先には蛇瑰龍さんとウピオルがいた。


 先に口を開いたのは、まだ少し血色の悪い蛇瑰龍さんだ。


「挨拶が遅れて申し訳ない。進化部部長の大白蛇瑰龍です。乗騎はノイ・イェーガー・ミヅチカスタム、通称ミヅチです。話はディーオとビムクィッドに聞きました。これからは同じ仲間として、よろしくお願いします。暁君もね」

「うぇ!? は、は、はい! よろしくお願いしますっ、蛇瑰龍さん……あ、じゃなくて、その、この度《ヴレイオン3》のマーダーを務める事になりました、菅原暁と申しますっ」

「マーダー……?」

「あっ、えと、あの、《ヴレイオン3》のサブパイロットです……」


 話題が突然俺に飛んできてあたふたしてしまった。

 そんな俺を見て、蛇瑰龍さんは優しく微笑んでくれた。


「君はあの飛行箒のパイロットじゃないの?」


 あっ、そういえば蛇瑰龍さんには《クエレブレ》に乗っている所を見られているんだった。

 つ、次こそは落ち着け。冷静に答えるんだ。


「しょっ……!」


 死にたい。


『マーダーっつうのは俺サマに意思疎通可能な生物や人間サイズ、または人形生物を殺すための許可を与える人間だ。《クエレブレ》はその為の移動式識別デバイスでもある。サトルを《Hアクティ》……つまり治療用ナノマシンで蘇生した時に押し付けさせて貰った役割だ』


 さっきとは別の意味で俯いてしまった俺に代わり、ヴェルりんが説明した。

 クソっ、情けない!


「……君は、人を殺そうと思っているのかな?」

『いいや。俺サマが殺すのはモロースとマーダーの敵、つまりルビリアとサトルの敵だけだ。こっちの世界にはテロリストもいるんだろ? マーダーの許可がなきゃ、俺サマはそいつらに攻撃できねぇ。ロボット三原則に引っかかるからな』

「あ、そういう意味だったんだ。ごめんね、変なこと言っちゃって」

『いいってことよ。異世界人税だ……く、くくっ』


 自分で言っておいてウケたのか、ヴェルりんは翼を捩って細かく震わせた。


「あ、あ、あの……わ、わたっ、私、ウピオル、で、ですっ」


 と、その時。

 今までずっと黙って下を向いていたウピオルがヴァンパイア種らしからぬ陽気な……あー、つまり、俺みたいなヒューミヌ種からしたら妖精の囁き(かなりキツくどもってはいるが)のような声でおずおずと名乗り出てきた。


「あの、あの、さ、さっきは、ごめっ、ごめんな、さい……み、醜い姿を、お、み、お見、お見せせ、し、て」


 何がそんなに恐ろしいのか、ウピオルはずっと震えながら長いアルビノの前髪から紅い瞳を覗かせて、こっちをじっと見ていた。

 いや、どちらかと言えばヴェルりんばかり見ていた。


「わ、わたっ、し……私は、ドラグノ、テミナル、です。あい、相棒、は、カプトゥス、です……」


 どもりどもりではあるが、『カプトゥス』という単語だけはハッキリと聞き取れた。その言葉は、深い愛情が宿っているように穏やかで耳に心地よい物だった。


 ……それだけだ。

 種族も挨拶もなく、ただただ自己紹介だけで終わった。


『お前さん、さっきの光景からして吸血鬼なのか?』


 抑えがちに、けれどがっちりと視線を離さないウピオルに、ヴェルりんは臆しもせずに問いかけた。

 その途端、ウピオルの頬は桜餡餅のような桃色に染まった。自分の胸を噛みつかんばかりに強く俯いたウピオルは、何度か喘ぎながら苦しそうに答えた。


「わた、わたし、私は、あの、えの、と、あっ……れ、れっと……きゅ……き……」


 肺の中で創り出した声をそのまま外へ押し出したような、酷く掠れ、とてつもない羞恥を含んだまま耳を真っ赤に染めた言葉に、俺は聞き覚えがあった。


 記憶を引っ張り出すと同時、『聞こえなかった』と言いかける空気の読めない間抜けの顎を掴んで閉じた。


『何すんだよサトル』

「黙れ。それ以上言わせるんじゃない」


 口を閉じていても聞こえる声に、やっぱり生物じゃないんだな、と変な感情が胸を過ぎる。

 その心を努めて無視し、俺は出来るだろうと直感した行動をとった。


〈劣等吸血鬼。ヴァンパイア種の力を持たず、ヒューミヌ種より愚かで、妖精より脆い、ヴァンパイア種の生まれ損ないを指す差別用語だ。あまり触れてやるな〉

〈了解。つうかナチュラルに念話してんな、お前さん〉


 通じるとは思ったが、本当に心で会話できるなんて……《Hアクティ》とやらによって『マーダー』になった影響だろう。ヒューミヌ種は自力じゃこんな事出来ない。


『あー、その、なんだ。ドラグノテミナルってのは、ようはドラゴンライダーだろ? つまりさっきの戦闘で黒鉄の翼をカッコよく煌めかせていたドラグノに、お前さんは乗っていたんだな? それってめちゃくちゃ格好良くない? やばたにえん』


 かなりわざとらしく強引だが、ウピオルにとっては十分楽になる話題転換だったようだ。まだ少し辛そうだが、さっきみたいに前髪の隙間からチラチラとヴェルりんに眼を向け、ほんのりと笑顔まで浮かべている。


「う、うん……そう。カプトゥスは、こ、こんなわた、し……なんかを、選んで、くれて……し、しかも! せ、世界、的に、とっても、珍しい……こ、こて、鋼鉄の、ドラグノで!」


 ……こんな昼日中に出歩いている劣等吸血鬼のドラグノテミナルなんて、インパクトで言ったら蛇瑰龍さん並みなのに、まだ爆弾を抱えているっていうのか。


「あの、ウピオル……さん?」

「ひゃんっ!? あ、あの、あの、あの……ど、ど、どうか、あ、あの、うぴ、ウピオル、って呼ん、呼ん、呼んで……」


 滅茶苦茶怯えられてしまった。

 蛇瑰龍さんに迫っていた時の淫靡な姿と今の姿があまりにも違い過ぎて、本当に同一人物なのか疑わしくなる。


 俺は首を縦に振って了承の意を示し、慎重に尋ねた。


「今、鋼鉄のドラグノって言わなかったか?」


 ウピオルはもげるんじゃないかと心配になるくらい何度も首を縦に振った。


『何かおかしなところでもあるのか?』


 異世界人優樹の発言に、ウピオルは紅い瞳を零れそうなくらい大きく見せた。


「ドラグノは自然物のみをその身に宿すと言われているんだ。親の炎に包まれながら生まれたドラグノは炎を宿し、緑あふれる森の腕に抱かれて生まれたドラグノは木を宿し、人に囲まれたまま生まれたドラグノは人を宿す」


 俺に変わって蛇瑰龍さんが説明する。流石は東洋のヒュドラと呼ばれた『八つ岐首の大いなる蛇』を崇める『巫女』の血を受け継ぐ蛇瑰龍さんだ。龍を知り、竜を知っている。


「だけど人工的に合成されたドラグノが生まれてくることはない。鉄なら鉄の鱗を持つドラグノになるし、炭なら驚くほど高温のブレスを持つ代わりに短命のドラグノになる。鉄と炭素によって創られた鋼鉄を宿すことは、本来あり得ないんだ」


 そう。

 ドラグノというのは魔獣以上に自然的な存在で、この惑星の知的生物の開祖と言われる『ドラゴン』の血を最も強く受け継ぐ存在なんだ。

 最近ではドラグナー種が多くなってきてはいるが、それでも俺みたいなティーンエイジャーにとっては自然の神秘に満ちた憧れの生き物だ。


 それだけに人が生み出した物に染まったドラグノなんて……衝撃的過ぎる。


『……鋼が非自然的? 馬鹿な。天然鋼くらいあるだろ』

「確かに炭素の混じった鉄は自然にもあるけど、最も優れた強度になる配分で存在する鋼鉄は未だかつて見つかったことはない。天然物だと鉄のドラグノになるんだ」

『割合か……生物系はともかくとして、宝石のドラグノとかはいないのか?』

「珍しいけど、いないことはない。少なくとも文献上にはね」

『なるほど、単一物質のみを取り込むわけではないのか。いや、ドラグノを科学的に考える方がおかしいのか? なるほど、なるほど』


 とても楽しそうな声音で一人頷くヴェルりん。

 そのまま数秒ほど沈黙が続き、停滞した空気をディーオさんが打ち破った。


「我の名はディーオ・セグレート。よろしく頼むぞ、血に塗れたケダモノ虫の婿よ」


 けだ……なんだって?

 俺が疑問を口にする前に、ヴェルりんは青白く禍々しいオーラを纏い、爪をギラつかせた。


『俺サマの恋人を侮辱するな、秘密の神よ』


 氷の魔法で檻に閉じ込められたように周囲の温度がぐっと下がり、刃の上より緊迫した空気が肌を張り詰めた。


 しかし、こんなやり取りも数回目だ。

 流石に慣れる。


「おいヴェルりん。俺にも分かるように言ってくれよ、その悪口」

「ディーオ。そうやって誰彼構わず秘密を抉りだして傷つけるような真似はやめてくれって、言わなかったかな?」


 蛇瑰龍さんも慣れているのだろうか、俺とほぼ同じタイミングでディーオさんに注意した。

 ところが、問題児二人はおどけたように肩をすくめ、握手までしてみせた。


「嫌がる嘘を白日の下に晒す快感はキスより甘い。我の趣味だ。許すがよい」

『マイスウィートハニーを本気で貶すつもりなら、俺サマを主体に扱き下ろす方が有効だからな。好きな女の子を守れなかったゴミにゃ丁度いい罵りだ』

「……俺は、分かるように言え、って言わなかったか?」


 異常な空気は消え去ったが、変わりに異常なやり取りをされても困る。


『彼女は特別、ってこった。非自然的な人間は引っ込んでな』


 だが今までと違って、ヴェルりんは俺の言葉を明確に拒絶した。

 さっきとはまるで異なるショックに、俺はどうすればいいのか分からなくなった。


『補足説明をするならある特殊な事情によって念話以上の秘匿通信で話し合いが出来ただけの事だが、ヘビの会話にネズミが割り込めないのと同じだ。別次元の存在同士のジョークなんざ考えるだけ無駄ってもんだ』

「ハッキリと言えばよいであろう」


 紆余曲折な表現で俺の言葉を躱すヴェルりんに苛立ちを覚えた俺へ、ディーオさんが馬鹿にしたように言った。


「どういう意味だよ」

「王と王の空気は読めぬであろう? 故に黙せよ、日本人」


 ……ああ、そうかい。


「上等な自分たちの会話に下等生物が割り込むんじゃない、って意味だな」

「概ねその通りだ」

「好きにしやがれ」


 ケッ、と吐き捨てると、これまたどういう訳かディーオさん――いやディーオの野郎が驚きに瞼を大きく開きながら、俺の目をまっすぐ見つめ……見つめ……

 マラカイトグリーンだったディーオの瞳が、右側だけ金色に変わっている……?


「面白い。そなた、ただ巻き込まれただけの愚民かと思っていたが、中々どうして骨の太い男であるようだな」


 …………つ、付き合いきれねぇ。

 神かどうかは置いておくとして、偉そうなハイエルフ種(もちろん厳密には違うだろうが)と変な異世界人の組み合わせは、確かに常識人の手には余る。放置する方が幸せだろう。


「そうかよ」

「うむ。そしてこやつがビムクィッド・メディスベー。中々面白い生態の、断じてつまらぬ人格を持つ男だ」

「勝手にオレの名を口にするな、ディーオ」


 道端でスタージにでも出くわしたような酷いしかめっ面でディーオを睨み、表情を変えないまま俺とヴェルりんに視線を移すビムクィッド。

 既にトカゲの姿は解けている。ウピオルとはまた違った、灰色がかった白髪と腐ったような鳶色の目を持つ白人だ。


「……オレはビムクィッド・メディスベー。ラウルス様の一の剣だ。本来なら剣は一振りあれば事足りるが、我が主の遊興と慈悲に冷ややかなる心を捧げ応えてこその銘ある剣。鞘と砥石を譲る気はないが、同じ剣帯に下げられる程度なら認めてやろう」


 こいつも面倒くさいな。


 ようは慣れ合いたくないけど仕方ないから部活に入れてやるよ、って事だろ。

 どいつもこいつも馬鹿にしやがって。

 まともなのは蛇瑰龍さんとルビリアだけかよ。


『調子に乗るなよ小僧。俺サマの主は俺サマで、俺サマの主は我が娘と愛するハニーを主と仰いでいる。モロースとマーダーが決めた敵だけが、俺サマを真の剣たらしめると知れ』


 まるで紐で吊るした二つの磁石のように、近づけば反発し、離れはしても慣性によって再び近づくヴェルりんとビムクィッド。

 またも益体のない喧嘩が始まると思ったら、蛇瑰龍さんが素早く手を叩いて注目を集めた。


「はいはい! 自己主張はこれ」ゴキッ「……くらいにして」


 またビムクィッドの首を折ったぞあの女! いくら治るからって、あんまりだ。

 しかし、蛇瑰龍さんの憐憫の眼差しはビムクィッドではなく俺へと向けられた。


「インヴィルコンの来襲、身体的ショック、《ヴレイオン3》との出会い、『プレゼント』戦……僕達の不徳が暁君に与えた疲労は計り知れない。この後の授業も魔獣の襲撃によって延期された事だし、今日はもう休んだ方が良い」


 初めはピンとこなかった。

 膝が震えるとか頭がぼんやりするとか、疲れた時の症状が出ていなかったのもあるし、攫われてからこちらアドレナリン出まくりだったのも影響していたんだろう。


 けれど、蛇瑰龍さんの言葉は心に固まりつつあった疲労を暴き、自覚を促した。

 描き出された樹液のようにとろりと溶け出した疲れは少しずつ蜂蜜や油のように形を変え、全身へ広がると同時に身体から力を抜いていった。


「あ……」


 ベッドに身を投げるように、倒れ込む。

 ダメ、だ。せめて、自、ぶん、へ、や……


 照明が落とされるように、俺の意識はアッサリと微睡みの中へ滑り落ちていった。











 糸を切ったように寝ころんだ暁を呼び出した毛皮の毛布で包み、ベッドの傍へゆっくりと横たわせるラウルス。

 寝息一つ聞こえてこない深い眠りに、ヴェルりんがやや申し訳なさそうに毛布を撫でた。


『そりゃあそうだよな。お前さんはつい一時間前まで普通の子供だったんだ。こんな超常に巻き込まれて、それでも毅然としていた。疲れて当然だ。精神力の顕れと勘違いしてバイタルチェックを怠った俺サマを許せ』


 静かに呟いてベッドから離れたヴェルりんに、蛇瑰龍が声をかける。


「君は休まなくていいの?」

『遠慮する。生体コンピューターとはいえ、生物というより機械の方が近いんだ。全てを話してからでも休息は間に合う』


 まるで世界ごと隔離するように。

 ヴェルりんが前足を振りかざした瞬間、天涯付きのベッドが進化部の部室から消え去った。


「……僕の目は人が作る幻なら大抵は見破るけど、君の魔法はこの部屋の幻影と同じで科学が交っているのかな。完全な透明だ」

『魔法はねぇ。科学オンリーだ』

「なおさら凄い……それで、音だけじゃなく光まで遮った理由は何かな?」


 わざわざ自分の縁者を排除してまで行う話だ。それなりに重たい話題が飛び出るだろうと判断した蛇瑰龍は、改めて腹に力を入れて腰を――特大サイズの魔石で出来た緑色のクッションに――下した。


 ヴェルりんはしばらく黙っていたが、ざらついた赤い舌で爪を舐めると、真面目な声音で告げた。


『まず、こっちの世界なりの浄化作業を《ヴレイオン3》と関わった全てに施して欲しい。俺サマの世界じゃ見向きもされねぇ地味子ちゃんでも、こっちの世界じゃ毒性の強いヤンデレビッチなウィルスだった、って展開はいかにもありそうだ。逆もまた然り』


 防疫の話かな――蛇瑰龍はそう判断し、ラウルスに指示を仰いだ。


「問題ないというより、もう手配はしてあるんだ。魔法と科学の両方の手段をね」

(……流石、だ。僕なんて言われるまで気付かなかったっていうのに)


 地味で気付きにくいがが戦闘力では解決できない問題だ。それをラウルスは既に予測し、対策を打っていたのだという。

 蛇瑰龍は顧問の手際の良さに舌を巻き、心の中でグッドサインを送った。


『次に……『魔獣』、『瘴気獣』、『ノスタゥジア』、『シャウトピクシー』、そして『プレゼント』……いや、端的に言って“人類の脅威”。この言葉に不足ない存在について教えてくれ。詳しい説明は後で資料でも寄越してくれればいいが、まずは口頭で当面の脅威について知っておきたい。お前さんらと共に戦う為にも、俺サマらが今後の方針を決める為にも、な』


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