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ガイア  作者: 知舘美衣
なぜ人は苦しまねばならないのか
9/19

第二章 第三話 ひとときの安らぎ

 敵から逃れるため、何日もかけて私たちは砂漠を渡った。その間、水も食料もほとんどない状態での逃避行に、仲間達は疲労と飢えと乾きで次々と死んでいった。息をする事も困難なこの土地で、私たちは神に祈りながらなんとか生き延びていた。仲間が出発時の約半数になった頃、ようやく神の祈りが届いたのか、私たちは砂漠の中にある小さなオアシスを見つけた。


 一心不乱にみんながみんな、水を求めてオアシスに入った。ようやく生きる糧を見つけた獣のように、私たちは命の水を飲み干した。飲んでも飲んでも次々と湧いてくる水に狂喜しながら、私たち一行はオアシスで今までの辛く悲しい旅の乾きを潤した。まだ日は高かったが、不思議とオアシスの中の木々の下は涼しく、程よく熟した木の実も見つかった。赤い木の実と青い木の実があり、私たちはそれを頬張った。赤い木の実はとても甘くおいしく、青い木の実は旅の疲れを癒すほど清清すがすがしい味がした。飢えと乾きを水と果物で満たすと、途端に疲労と安堵のせいか、眠くなって来た。私はこのまま全員が寝てしまうのはあまりにも無用心だと思い、見張り役を自ら引き受けたが、小半時もすると瞼の重みに耐えかね、とうとう突っ伏して眠ってしまった。


 私達が周りの気配に気がつき起きてみると、すでに高かった太陽が完全に沈んでしまっており、空気は肌寒く、風は砂漠の表面を擦りながら私達に向かって吹いており、辺りは真っ暗になっていた。それでも敵と思われる人の気配はしなかったので、ようやく私は安堵することが出来た。母や助かった子供達が無邪気に水で遊んでいる光景を見ながら地べたに座っていると、マキシムが私の傍に腰掛けて言った。他の者たちはそれぞれ、まだ熱が残っていそうな場所の砂の中に手を突っ込んで暖を取ったり、再び食事をしたりしていた。


「これまでいろいろな事があったな。そういえば私達の事をまだ何も話しては居なかったね。少々昔話でもしようか。」

そう言うとマキシムは今までの事を語り始めた。マキシムには美しい妻と可愛い子供が一人居るらしい。家族で平和に暮らしていたが、ある日政府官であった父が亡くなり、父の志を受け継いだのだという。民衆は政府の暴君に耐えながら暮らし、幸いにもマキシムはそこそこ上流の家庭だったおかげで日々の暮らしは出来てはいたが、本国では貧富の差が激しく、大抵の人々は貧しさの為に自分の子供を上流家庭の奴隷に売り、少ない収入で日々暮らしている人がほとんどだった。階級制度が幅を利かせ、上流家庭に生まれて育った子供達の日々の日課は、貧しい子供達を狩ること、つまりは汚い物を排除するかのようなリンチだった。町中至る所で暴動が起き、警官は暴動の主が上流階級の者だと、ご丁寧に詰め所へ案内をし事情を聞くのだが、貧しい階級の者が居るとすぐさまボコボコに殴りつけた挙句、強制労働施設へと送りこんでいた。そんな世の中に嫌気が差し、なんとか状態をよくしようと立ち上がったのがマキシムの父親だったらしい。マキシムは父親を誇りに思い、父の遺志を受け継ぐ決心をしたらしい。

しかしそのことで、同じ政府官で軍事の指揮をとる役目のガーランドに目をつけられた。ガーランドは生まれも育ちもれっきとした上流階級の出身で、王族からも一目置かれるほどの人物だった。だが、その内面は残忍な性格をしており、自分の邪魔な者はことごとく消し去るやり方で、ほとんど国はガーランドの独裁だったらしい。マキシムはガーランドに立ち向かう為に実情を把握する必要があり、その為に私達のかつて住んでいた村に程近い村で世話になりながら暮らしていたらしい。だが、先の戦いで世話になった村長はマキシムを逃す為に犠牲になって死んだ。マキシムはどうすればよいのかわからぬまま、途方にくれていたところを、我が村の村長であるガラドに保護されたらしかった。


 私はふと、マキシムの話を聞きながら、忘れかけていた記憶を取り戻すかのように、自分の内ポケットをまさぐった。自分の体の熱を帯び、温かくなっている鎖つきのロケットの事を思い出し、ポケットから取り出した。すると突然マキシムが私の持っているロケットを取り上げ、涙を流した。どうやらそのロケットはマキシムのもので、中の写真は彼の妻と子供だったらしい。今どのように暮らしているのか、無事なのかそうでないのかも解らぬ家族を思い、涙を流していた。ガラドが傍に来ていることも気付かぬ程に、ロケットを両手に握り締め、膝に顔を埋めて押し殺したような声を発して泣いていた。

「マキシム殿。今なら我慢なさらず、声を出してもよいと思いますぞ。存分にお泣きなされ。」

ガラドがマキシムを気遣うように言った。改めてガラドの顔を見ると、作戦前の顔よりやつれ、代わりに英気があるように見えた。私は今度は我が村長の話を聞きたくなった。そして質問した。

「長。長はどうしてあの場にいらしたんですか。どうして私達の隊があのような事になった事をお解りになったのでしょう。」

ガラドは私の目を見て、まるで幻でも見ているかのような目つきで砂漠を見据えて答えた。

「不思議なものでのう。お前さん方が出発したその日の夕方に、一羽のカラスがわしの元へ来た。そしてこれをわしの目の前に落としていったのじゃ。」

それは、ほとんど忘れていた私の血痕付きの葉っぱだった。長くポケットにしまっていたせいかよれよれになってはいたが、あの時恥じも外聞も考えずにカラスに渡そうとし、カラスに何処ぞへ運び去られたかも解らなかったものに間違いない事がはっきりと解った。そうか、あのカラスは長の所へ運んだのか。それにしても偶然とはいえ、こんなことってあるのだろうか?私は不思議でならなかった。

「キースはもしかすると、キース自身が考えているよりも動物たちに愛されているのやもしれぬな。」

ガラドは静かにそう言った。私は信じられなかった。人間と動物が分かり合えるとでも言うのか。しかしあの時、カラスが見せた私への眼差し。あれは私のことを少なからず知っているからこその眼差しだった。そんな思いがまるで遠い過去を探り出すかのようにありありと思い出された。

「この、血付きの葉を見、遠くで空に上る煙を見てワシはふと、戦わなくてはならないことを悟ったのじゃ。そして村に残ったもの達すべてに戦闘の準備を整えさせたころ、敵襲があった。村には女子供しか残っていないと解っていたのか、兵士の数は少なく、ほとんどなんの作戦もなく突撃してきおった。そしてワシらは戦いながら煙の元を確かめるべく敵の村に向かい、そこでマキシム殿を見つけて救出し、その後お前さん達のいる場所に向かったのじゃ。その時、ワシらの前にあのカラスがいて先導してくれたので、道に迷うこともなくあの場所へ行けたんじゃ。ワシらはカラスに感謝せねばなるまい。あれは、神がワシらに遣わしてくださった『御使い』だったのかもしれん。」

 私は長の言葉を信じることが出来なかった。そんなことがあり得るのか?だが、私達の前にタイミング良く、しかも無事に来れた事は、奇跡としか言えぬほど、神懸り的だと思った。


 私達は神がこの世に現存するとは思ってもいなかった。信仰心もなかった。というより、神の存在など考える余裕がなかったと言って良かった。生まれた時から、神という存在がいるという教えも受けなかった。そのため、長が『神』という言葉を言ったとしても、私にはあまりピンと来なかった。


「さて、ここにもいつ、敵の追っ手が来ないとも限らぬ。そろそろ発たねばなるまいのう。」

ガラドはまるで先を見通しているかのようにぽつりと言った。しかしここに居る皆が皆、そう、私を含めて皆が、まだこのオアシスでゆっくりしたい、願わくばここにしばらく留まりたいと考えていただろう。だが、やはり敵の追っ手が来ないとも限らない事もまた解っていたため、夜の内にこの場を離れる決心をした。

 ここを出ても、次に休める場所があるとも限らない。延々と続く砂漠に呑まれてしまうかもしれない。そんな不安を皆が抱いていた。それぞれが、持っていたありとあらゆる物に、オアシスで手に入れた食料と水を確保した。この場所に来たときには自分達の持っているものなど無いに等しかったが、今は皆の荷物がパンパンに膨らんでいた。これで当分の間は生きていける。皆そう感じていた。


 砂漠をしばらく歩くと、皆背に担いでいる荷物が肩に食い込み、体の疲れを弥増いやましている気がするようになっていた。しかしこの食料と水を今ここで捨ててしまえば、間違いなくこの先の見えない旅が困難になる。心でうらはらの葛藤が渦巻くのが解った。ガラドは先頭に立って歩いているが、何処に何があるのか解っている様子は無かった。ただ黙々とこの砂漠から抜け出したい、その思いだけで歩いていた。それは長に限らず、きっと誰しもがそうだったに違いない。

「オアシスの近くには、村があることが多い。そのうち村が見つかるさ。」

疲れを感じながらも、マキシムは私達にそう言った。自分への慰めなのか、それとも私達を勇気付けるための言葉なのか、マキシム自身もわからくなるほどの、昼間は灼熱の太陽の下で、また夜にはこれが本当に砂漠の気候かと疑うほど肌寒い夜風の中を、喉の乾きを水で癒し、青い果実と赤い果実で疲れを癒しながら、何処までも続く砂漠を歩いて行った。


 オアシスを出た時にはまだ顔を見せていなかった太陽が、あっという間に顔を出し、それと同時に砂漠は熱を帯びた。足はすでに焼けた砂と照りつける太陽の光に耐えきれずに焼けただれ、皮膚はパンパンに腫れ上がり、割れた皮膚からは血に似た汁のようなものが出ていた。砂は容赦なく割れた皮膚へ進入し、まるで皮膚の中で大暴れしているかのように私達を苦しめた。顔も体も日焼けで真っ赤になり膨れていた。夜は夜で風が砂を私達にぶつけているかのようにして強く吹き、目の前の視界が悪くなっていた。それでもまだ、昼間よりは夜の方が歩きやすかろうと、なるべく昼間はテントを張れる場所を探して休み、陽が傾くと同時に再び出発し、疲れた体に鞭を打ってひたすらに歩いていた。


 何日過ぎたのか、何ヶ月過ぎたのかも解らぬまま、ようやく私達はとある村にたどり着いた。その村は私達が今まで見たこともないような家が建ち並び、見たこともないような服装の村人が居た。ここに来るまでの間に、オアシスで補充しておいた水、食料がすべて底を尽き、砂漠に生えているわずかな植物をも食べてしまおうかというときであった。ここまでの長い道のりで、私達の人数はすでに砂漠の入り口に立った時に比べると実に1/3にまで減っていた。途中で熱に浮かされて帰らぬ人となった人が多かったからだが、それでもオアシスを旅立つ時の水と食料があったからこそ、最小限の犠牲でここまで辿り着けたのだと思った。


 私達は始め、村の住民に気付かれる事無く、村の近くの森の中に居を構えた。そして水や食料を村で確保しながらの生活になった。村を観察していると、村人達は皆、頭からフードを被り、この暑い土地で肌を出さずにすっぽりと全身を覆うかのような布を身につけていた。村人は皆、一様に暗い表情をしており、まるで何かに怯えているかのような顔つきをした人達ばかりであった。その姿はまるで、私達の追われた村に似通っていた。しかし私達の住んでいた村とこの村との違いは、この村では男達も皆が皆、暗い表情をしていること、そして男達は皆武器を身に帯びている訳ではなく、女達とも普通に暮らしていることだった。その違いだけを見ても、私はこの村に安堵を覚えた。この村では、自分の母も、長と一緒に付いて来た女達も安堵するに違いないと感じたからである。


 この村に程近い森の中に居を構える決心をし、掘建て小屋を何日もかけて作り上げ、ようやく完成となった頃、ガラドが倒れた。老齢と疲労のためだった。母とガラドの伴侶の女性と母の親友のマーサは、一生懸命看病したが、長の容態は一向に回復に向かう様子は見せなかった。私とスノウは幼い時からガラドには大変に世話になっていた。そのため、ガラドの事は父とも祖父とも思っていた。だがこの緊急時に私もスノウもガラドに何もしてやれない事を思い、苛立ちを隠せずにいた。マキシムは村に行き、何かガラドの容態が良くなる薬草は売っていないかと毎日買い物に出かけるが、いつも暗い顔をして帰って来ていた。


 ある日、私はマキシムに付き添い、村に買出しに出かける事になった。少しでもガラドの容態が良くなるようなものを自分の目で探したかったというのもあるが、マキシムが私の事を気遣い、気分転換にと付いてくるように言ってくれたのだということもまた解っていた。

 村に近づくにつれ、空気がいつもと違う匂いになった事に気が付いた。私が胸のむかつきを抑えるかのように鼻を手で覆っているとき、マキシムが私に言った。

「村に着く前に忠告しておかねばならない。この村は悲惨そのものの村だ。何がこの村を襲っているのかは解らないが、とにかくお前さんが今まで生きてきた村よりも悲惨だと覚悟しておくことだよ。」

私達が今まで住んでいた村よりも悲惨とは・・・一体どういう環境なのか、私には想像すら付かなかった。村に近づくに連れて流れてくる匂いが、私の胸を重苦しく満たしていた。


 村に着くと、すべての疑問がはっきりした。村の至る所に死体が捨て置かれ、ハエや蛆虫うじむしが巣くっていた。匂いの原因はまさしくこれであった。そして半病人のような村人達。店を構えてはいても、売る物が何一つない状態で、皆が皆何かに怯えて暮らしていた。その何かとは、この後すぐに判明されるのだが、私はこの村を見て愕然とした。戦争中の村も悲惨なものだったが、それよりもこの村はもっと悲惨に見えた。少なくとも、死んだ者の死体を捨て置く事など、私の生まれ育った村ではなかったことだからだ。無論、私達の育った村でも死ぬ者は沢山いた。しかし村の暴君達は死んだ者を捨て置く事を許さなかった。自分達の行いのせいで死んだ者も多数いたのに、自分達では片付けず、嫌な役目はいつも村の女子供の仕事だった。私達は何も解らず、ただむくろを土に埋める作業を手伝ったに過ぎなかった。だが、この村の住民は、同胞の躯を土に返す事もせず、ただその場に捨て置いていた。そして自分達は自分達の家に閉じこもり、必要以外にはめったに外に出なかった。


 村のあちこちに放置されている躯の傍を通り、マキシムの後を付いて、とあるひとつの家の中に入った。家の中は外気と比べるととても涼しげだったが、陰気な雰囲気は家の外と同じだった。マキシムはある人物に一声掛けると、その人物としばらく話をしていた。私は黙ってマキシムの後に控えていたが、時折観察するかのように周りを見渡すと、マキシムと話している人物の後から大勢の人物が私達を物珍しそうに見ていたことに気付いた。村人達は私と目が合うとすぐに下を向き目をそらすので、私を敵と思っているのではないかという思いが胸を締め付けていた。

「やはり、薬草はひとつもないらしいな。」

残念そうにマキシムが私に向かって言った。村人達のことを考えていたため、マキシムのしていることなどほとんど上の空だった私は、突然現実に戻された。

「マキシム殿。私はしばらくこの村を見て回りたいと思いますが。」

自分でも思いの掛けない言葉が口を突いて出てきた。マキシムはびっくりしたような表情で私を見ていたが、すぐに私らしい考えだというような表情になり、肩をポンと叩くと声をひそめて言った。

「この村に興味を持ったんだね。この村に初めて来た時、私もそうしたよ。だが私は何回もこの村を訪れているが、この匂いだけは我慢ならん。悪いが私は先に帰らせてもらうよ。ガラドの事も気になるしね。」

私が頷くと、マキシムは吐き気を抑えるかのように口を両手で蓋をして帰って行った。私は村の住民と少し話しがしたいと思ってはいたが、私を避けて通る村人にどうやって話しかければいいのかしばらく考えが及ばなかった。とりあえず私は目に付いた躯を土の柔らかな場所に運び、そこに墓を建てる事を試みた。村人達はいぶかしげに私のしている事を眺めていたが、土を掘り、躯を土の中に埋める作業を見て、一人の男性が私に近づいてきた。

「お前さん。そんなことをしてなんになるんだ。余計なことをするな!」

私は唖然とした。私の生まれ育った村では躯を土に埋める作業は私達の仕事でもあり、この仕事をさっさと済ませることによって最悪の事態を免れてきたのだから。しかしこの村の住人は躯を土に返す事を承知していないかのように、みんなが怒りを露わにして私の周りを取り囲んだのが解った。私は自分の心の中で、自分自身を落ち着かせるように、自分自身に言って聞かせるかのような言葉を心の中で繰り返した。そして村人に言った。

「あんた達の同胞の躯は、土に埋める事によって神の元に還ることが出来る。その手助けを私はしているんだ。」

「神だと!この世に神などいるものか!もし神が本当に居るのなら、どうして我々を助けては下さらん!神などと言うものなど存在しない!馬鹿馬鹿しい絵空事にすぎん!」

村人にこう言われ、私はなんとなく納得してしまう自分が居るのに気が付いた。私でさえ、『神』の存在など信じている訳ではなかった。それなのに、ほとんど習慣で躯を土に還していただけだったのだから。そう気が付いた時、私の中で何かが蘇るかのような断片的な映像がまるで映画のダイジェストを見るかのようにフラッシュで頭の中に現れては消えるのを感じた。映像は、私自身がなにか大きなものに使命を授かっている時のような、ずいぶん昔のことのようなものだった。その映像が何を意味するものなのかは私には解らなかったが、わけのわからない映像のことを考えるよりも目の前の村人達のことがなによりも先決であり、神などいないと言う村人達の言葉にはなぜか納得する気にはなれず、苦し紛れにこう答えた。

「躯をこのまま放置していれば、そのうち村の中で病気が発生し、村は滅びるだろうな。それでもいいならこのままにしておくが?」

私は自分が驚くほど、冷静にこう村人に言葉を返していた。村人は私の言葉を聞き、何やら仲間内でひそひそと話をし、ひとつの結論を見出したようで私に向かって言った。

「あんたは何者なんだ。どうしてこの村で流行っている病気の事がわかったんだ。」

「私の名前はキース。私は旅をしてここまで来た。しかし私の大切な人が今、死の淵にいる。それでこの村の近くに留まっていた。この村に今、何が起こっているのか私は知らない。しかし、この躯をこのままにしておけば、きっとそうなるであろうと思ったから言ったまでだ。」

村人達はまたひそひそと話し始めた。そして最初に私に向かって怒鳴り散らした一人の男性がまたしても村を代表するかのように私の前に立ち、言った。

「もしかすると、あなたは私達の救世主かもしれませんな。よろしい。躯は村人総出で土に還しましょう。あなた様はどうぞ私の家に。歓迎しますぞ。旅の話でも聞かせてくだされ。」

務めて明るく振舞おうとしているかのようにして、その男は私を笑みをうっすらと浮かべて案内して行った。先ほどマキシムと入った家に招かれ、私を招いた人物は先ほどマキシムと話していた人物だったことに気が付いた。生ぬるい、水とも思えぬほど濁った液体を私に恭しく差し出すと、墓を作っていない村人達は私の周りに物珍しそうに座った。だが、取り囲んで座った村人の半数以上が、私に疑いの目を向けている事がありありと解った。


 村人は静かに村のことを話し始めた。どうやらマキシムと話をしていた人物はこの村の長で、名前をガランと言うらしい。この村は以前は行商人がひしめくほど人の出入りが多い村で、とても豊かだったのだが、この地域の戦争が始まった辺りから行商人や旅人がほとんど現れなくなり、それと同時にこの辺りで『奴隷狩り』が始まったことから、段々と寂れていったらしい。奴隷狩りに来ている奴隷商人は皆、夜になるとやって来てはこの村でやりたい放題、略奪や窃盗をして帰っていくらしい。村の外に転がっている躯は皆、村を守ろうとして町の奴隷商人に立ち向かい、そのまま帰らぬ人となった者達で、今まで躯を放置していたのは、村人達自身の教訓としてその場に捨て置いたものらしい。そして、その結果(かどうかは定かではないが)、今、村の中では不治の病に冒されている人がたくさんいるとのことだった。この病気は、全身に黒い斑点が出来、高熱が上がり、放置しておけば息が出来なくなって死に至るという恐ろしい病気らしい。その病気を治すだろう薬は今はなく、村人達は皆どうすることも出来ずにただ死を待ってる状況らしかった。

 私はその話を聞き、病気になっている人を見たいと言ったが、その病気は伝染するため、近づかない方がいいと言われた。今は発病した人たちは皆、地下の、元々倉庫として使っていた場所で静かに死を迎える他は道はなく、病人を地下に閉じ込めておけば、まだ病気にかかっていない村人の命は少なくともあとしばらくは無事だろうと言うのだ。


「あんたは神を信じなさるのかね?」

ある、一人の老人が突然私に質問した。村人の中でも老齢の、90を超えているのではないかと思うほど背骨は曲がり、体中の毛という毛がすべて白い老人だった。

この老人の質問に、私はどう答えて良いのか解らなくなってしまった。自分自身でさえ、神の存在など否定する気持ちの方が強かったし、ましてや実際に見たこともないのだから。だが、自分の心の支えを必要とするとき、人は神に祈るのだと言うことは、ガラドから聞いていた。

「もし、貴方様が神という存在を信じるなら、伝えるべき伝説があるのじゃが。」

真っ白な老人が続けて言った。

「今から言うことを信じなさるか。お若いの。」

キースは、ゆっくりと考えを巡らし、そして答えた。

「実を言うと私も、神が本当にいるのかどうかわからないことの方が多いです。しかし私が今まで巡り合った優しい人々、そして影から私を助けてくれる未知なものの存在は感じたことがあります。」

老人は、優しい眼差しで私を見つめ、そして軽やかにホッホッと笑った。


 老人は、キースの様子を確かめるかのようにゆっくりと話始めた。なんでも古くから伝わる伝説で、この村から約一日半程山に向かって行った所の森の中に、ひとつの大木があるらしい。その大木の果実はこの辺りに住む神が喉を潤すための果実なのだというが、その果実のなる木の根元には、街でも手に入りにくい、貴重な薬草が多種咲いているらしいということだ。だが、その木に向かう者を遠ざけるかのように、巨大な竜が大木のある森に居て、まるで果実のなる木を守っているかのように、近づくものすべてを炎のブレスで焼き尽くしてしまうのだという。遠い昔、勇敢な村人が何人もその山へ向かったが、村に無事に帰ってくるものは無く、村人達にはとうの昔から『禁断の地』と言われているのだった。だが、その『禁断の地』にこそ、ガラドにも、この村の病にも効力のある薬草があるのではないかと言うのだ。

「どうして村人の誰か、腕のたつ者がその地へ行かない?」

「先ほどもお話したように、あそこは我々の間では『禁断の地』。そして我らはこの現状を見、神など存在しないという考えに至った。神が居ないのであれば、禁断の地などあろうはずも無く、危険な竜の心配もない変わりに、神が喉を潤すための果実のなる木もなかろうという結論に至ったからだ。」

老人が言った。

「話がおかしい。神がおらず、禁断の地がないのならば、それこそ山に入っても大丈夫とは思わないのか?」

「いやいや。現実に、村の勇者達が何人も山へ行ったきり帰っては来ない。したがって、神がいないとは思っていても、わしらにとってあの山は危険な場所、つまり『禁断の地』というわけじゃ。」

なんだか納得のいかない話ではあるが。


「お若いの。もし、この話を信じなさるなら、一度あの地へ行く事をご承知くださらんか。わし等はもうどうすることも出来ぬ。村人でもない、旅人の貴方様にこんな頼みをするのはどうかと思うが、貴方様はご自身の大切なお人が倒れていらっしゃるのじゃろう?この村には生憎薬草はひとつもない。大切なお方をお助けするには、あの地に出向くしか方法は今のところなかろう。そのついでに、村を助けてはくださらんか。」

なんとも、自分勝手な言い分だと思った。しかし、この村人の言っていることもまた、真実。しばらく考え、自分の仲間達にも相談したいという思いに駆られ、私はこの村を後にした。


 村を出、外の新鮮な空気に触れ、私の頭は冴えてきていた。ガラドの居る掘建て小屋に戻り、事の次第を皆に告げ、意見を求めた。母は私に冷たい水を差し出してくれた。この時始めて気がついたのだが、私は村を出るまで、一滴の水も飲んではおらず、とても喉が渇いていた。だが、村の悪臭とも言える匂いに翻弄されたのか、水を差し出されるまで自分の喉が水を欲していることすら忘れてしまっていた。差し出されたカップは、今は無き村で母が愛用していたカップだった。そのカップに口をつけたとたん、唇の上でささくれ立った渇いた皮膚がカップの淵に当たった。水は私の渇いた唇から喉を潤しながら体へと浸透していった。


 マキシムは、私がたった1日でそんな情報を仕入れるとは思ってもいなかったようで、かなりびっくりしていた。気を取り直すかのようにゴクッと唾を呑みこんで、私の聞いた伝説を見てみてもいいのではないかという意見を出した。このマキシムの意見には、村の仲間は皆賛成していた。ただ一人、母を除いては。スノウなど大喜びで、まるで子供が遠足にでも行くかのようにはしゃぎまくった。私は結局、スノウと2人で伝説の真意を確かめにいくことにした。

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