第一章 第六話 罰
私の意識が暗闇に落ち、気が付くと私は風の精霊だったときのように、宙を浮いている存在になっていた。空を自由に飛びまわることが出来、なんとなく風の精霊に戻ったような錯覚に陥り、私は独り言を言った。
「なんだか悪い夢を見たようだ。長い夢だった。」
そのとき、天からの御使いが私に言った。
「いえ、夢ではありません。その証拠にほら。あそこであなたのなきがらを抱いて泣いている人が居ます。御覧なさい。」
言われるまま、私は御使いが示す方向を見た。エミリーが私の体を抱き上げ、泣いていた。すでにぼろぼろになり、あちこちが砕け散っていた私の体をかき集め、元に戻そうとしているかのようだった。私はその姿を見て思わずエミリーの傍に行ってみたくなった。
「あの子に最後の別れをして来たい。しばし待ってもらえないか。」
私がそう言うと、御使いはその言葉を待っていたかのような穏やかな表情を浮かべ、手招きをした。
エミリーは泣きじゃくっていた。魂はすでに人形の体から抜け出ているというのに、いつまでも私の元の体を抱いたままで泣き尽くしていた。私はエミリーの傍に寄り、そっと声を掛けた。
「すまない。もうエミリーとは一緒に居られない。私の人形としての命はここまでのようだ。いつまでも元気で。パパと幸せに。」
その言葉が聞こえたのか、エミリーはピタッと泣くのをやめ、しばし考え深げにした後、ゆっくり深く頷いて私の体を地面に置いた。
「そう。もうお別れなんだ。ルイスの体は土に還るのね。解ったわ。また会える日を楽しみにしてるわ。」
独り言のようにそう言うと、エミリーは納得したかのように、立ち去って行った。
私は、天からの御使いに案内され、美しい天上の城に来た。懐かしい風景が辺りにあった。城の傍には忘却の川が流れ、その水を飲む行列が城の入り口から出ていた。美しい光景を見て私が物思いに耽っているとき、御使いが私に言った。
「あなたは今回、あの城には行きません。この地を治める神があなたに会いたいとおっしゃっています。こちらです。」
案内されたのは、はるか上空のさらに美しい場所であった。重そうな扉を開き、中に通されると、目の前には真っ白なひげを蓄えた一人の神が居た。御使いは恭しくお辞儀をし、重い扉の外に出て行った。
「お前だな。前回この地に来たとき、門番と取引をし、忘却の水を飲まずに転生したのは。」
地の底から響くかのような重々しい声に、私は正直に答えた。
「そうです。私は我が母なる地球から、使命を言い渡された者。今の記憶を消してしまっては使命をまっとうできないと危惧してのことでした。」
「我はこの地を任されている者。我はお前のことは知っている。その使命もな。だがここの掟は我の定めしもの。それを破ることはまかりならぬ。」
そう言われ、私はついカッとなった。
「では、どうすればいいのですか!私は運命に流され、使命をまっとうできずともよいのですか!それが母の願いなのですか!」
「時が来れば我とて無理は言わぬ。だが、今はまだその時ではない。かの者はまだ目覚めておらぬ。」
「かの者とは?それはどういうことですか。もしや母がおっしゃった私が探すべき救世主のことですか?!」
神はそれ以上、答えなかった。私はいろいろと質問をしたかったが、真っ先に口を突いて出てきてしまった言葉があった。
「私はどうして先の転生で人間として生まれなかったのですか?」
神はゆっくりと答えた。留守の間にこの地で起こった出来事でさえ、一部始終知ることができるのだという。その為、取り急ぎ戻り、私の姿を探したが時すでに遅く、私は転生している最中だった。転生後のことは、この神には大体の事は把握は出来るものの、たとえ神であろうとも一切その魂を操作することは出来ないのだという。見れば門番との密約のせいで身動きが取れぬようになっていたので、せめてもの慰めにと一番近しい人物の夢の中に入る力を与えたのだという。
「それでは、門番との密約のせいで、私は人間に生まれなかったのですか?」
そういうと、神はまた話し始めた。
「人間に生まれるには、少々準備が必要なのだ。その為に準備段階としていろいろな物、それは鳥であったりライオンであったり、時には植物であったり、魚であったり、そういうものに転生し、準備が整い次第、順番に人間に転生していくようなシステムになっているはず。お前はまだそのときではなかったのだ。だが、たとえ今回の転生で人間に生まれたとしても、門番との取引によって身動きが取れなかったのは同じこと。何に生まれるかまでは、たとえこの地を治める立場にある我とて、知る由も無いことなのだ。」
そうだったのか。私は自分の犯した不覚さと無用心さを恥じた。俯いている私に、神は言った。
「お前はこの地に措いて、重罪を犯した。その手引きをした門番も同様の罰をすでに与えている。お前も同様に罰を受けねばならぬ。」
そういうと、神は高々と右手を掲げた。それと同時に天から稲妻が走り、私の体を貫いた。あまりの衝撃に私は叫び声を上げた。その場に突っ伏し、しばらくは痺れるような感覚が体を支配し、身動きが取れなくなっていた。そんな私に神はこう告げた。
「この後、転生してここに戻ってくるまでの運命は、我の手の内にある。しかしひとつだけお前の願いをかなえて進ぜよう。これからお前は人間として生まれ変わる。もちろん、今回は忘却の水を飲んで貰うことになるが。その後の運命の一端は我が握っておるが、どう生きるかはお前の自由だ。だが、これがお前に与える罰であることは忘れるでないぞ。」
そう言うと、神は消え去り、気が付くと私はレテの川の番人の傍の床に突っ伏していた。前回とは違う顔の門番が居た。
「どうされました。私はついこの前、ここに配属になったもの。以前ここに居た門番は、なにやら掟を破り、今は地中深くに幽閉されているとのこと。以前の門番のお知り合いですか?」
「いや、なんでもない。」
私はそれだけを言うと、神からの言いつけ通り、忘却の水を飲んだ。忘却の水の味はかなりの美味で、飲んだとたんに頭の中が真っ白になり、今自分が立っているのか座っているのか、どこにいるのか、歩いているのかさえ解らなくなった。そして罰を受ける為の転生をする為に、暗いトンネルを案内されて行った。
気が付くと、私は女らしき人物に抱かれていた。浅黒い顔の女だった。なにやら揺れているが、それはその女が走っていたからである。女の後ろと目の前には、武器を持った、同じく肌の浅黒い男らしき人物が一緒になって森の中を走っていた。突如、女の横から銃器を持った男が木の陰から現れ、突進してきた。と、同時に、女と一緒になって走っていた男達がいっせいに木陰に向かって攻撃した。弓を打ち込む者、敵の狙撃手らしき人物にナイフひとつ持って突進する者がいた。敵の狙撃手らしき人物が突然現れた時の衝撃から、女は私を抱いたまま転び、私は顔中がドロだらけになったのが解った。と、同時に全身に痛みが走り、自分でも気づかぬうちに大声で泣き叫んでいた。女は私を抱き上げ、自分の胸にうずめるようにしてまた走った。
「おい。ガキを黙らせろ!敵に居所が解っちまう!とにかく早く走れ!村に着くまでは安心できねえからな。」
女の傍で武器を構えて走っていた男が乱暴に言った。女はうなずくとまた一心不乱に村に向かって走り始めた。村は森の奥深くにあった。村と呼ばれる小さな村の中の一室で、私は顔のドロを落され、きれいにされ、女の乳房に吸い付いていた。女は私をいとおしい物のようにやさしい目で見つめていたが、一言もしゃべることが無かった。
私の生まれた場所は、戦争真っ只中のとある国だった。戦争の最前線に位置するこの村は、戦争に借り出された男と、その男達の世話役として女が少数住んでいた。この、戦争の一番激しい地区で、私はこの物言わぬ女から生まれたらしい。私の母親のこの女は、この戦争の時の事故が元でしゃべることが出来なくなったらしい。しゃべる女でさえも、この地区では程度の低い扱いを受けていたが、とりわけこの女はしゃべれなくなってからというもの、男共に最低の扱いしかされなくなってしまった。こんな中、私は男として生まれ、これから先自分達を守るであろう次世代の戦士を生んだということで、幾分は女も男共から守られる立場になれたようだった。だが、男達はそれさえも煩わしいと考え、少しでも自分達の意に添わない行動をすれば、女子供とて容赦なく制裁を加えた。何もかもが地獄のような場所だった。
こんな中で、体力の無い子供は生まれても次々に死んでいった。子供より先に、育ての親が死ぬ場合もあり、その場合の子供の末路も悲惨なものだった。村の中はまるで無法地帯のように、男共が威張り腐って肩で風を切って歩き、女は男共の退屈しのぎと鬱憤晴らしのためにそこに居るようなものだった。おもちゃにされた挙句、身ごもってしまった女は、男共に見つからないように密かに子供を自力で産んだ。だが大抵は見つかってしまい、その場で処分されるか、もしくは見つけた男の奴隷になるかの選択しかできないのだが。
この村に住む者は、誰もが皆、自分の運命を呪って生きていた。こんな中でも、いや、こんな中だからこそかもしれないが、誰一人として、自分の運命を呪ってはいても、自殺をするものは居なかった。地獄の中の住人の気持ちは、”生”という柵に捕らえられているかのようだった。この地獄で、私はこれから生きていかねばならないのだ。
忘却の水を飲んだことで、私は以前の記憶を失っていた。普通の人間と同じように、子供時代を過ごした。私は男に生まれたせいなのか、それとも人一倍”生”や”情愛”という思いが強かったのか、子供とは思えぬほどの行動力を発揮し、母親をおもちゃにしようとする大人達から母親を守るために武器を持って立ち向かっていった。そして幾度となく負けては、大人たちに容赦なく制裁を加えられた。それでもなぜかへこたれずに母親を庇った。
私はある程度成長すると、大人たちと同じように武器を持って前線へ赴いた。始めの内は、子供が前線に来たことで邪魔者扱いされ、制裁を加えられては村に戻されていたが、私が何度も前線に赴き、何度か手柄を立てるようになると、一部の男共の間で、若きリーダーの誕生かと囁かれる程になった。そうなると、今度は母親は幾分丁重に扱われるようになった。ただし、将来の自分達のリーダーの奴隷というくらいにしか見てはもらえなかったのだが。
母親は私をいつも見守ってくれた。口は利けぬものの、とても心やさしい女性であった。この女性のおかげで、私は地獄のような生活の中に措いても、常に平常心で居られたのかもしれない。
青年に育ったころには、誰もが認める村一番の実力の持ち主になっていた。しかし、年功序列の掟は根深く、自分より歳のいった者に逆らえば、誰であろうと制裁が加えられた。その辺りは子供時代であろうと、現在であろうと、年月が過ぎようと、変わることなく続いた掟だった。そんな中で、私は必死に生きていた。いつ終わるとも知れぬ命を抱えながら。
第一章はここで終わりです。
次回から第二章に入ります。