第一章 第五話 再会
エミリーが施設に入ってから、8年の月日が流れた。
この8年間、いろいろなことがあった。エミリーの父親は、エミリーが小学校を卒業するころには精神状態が安定しはじめ、そのころから段々と父親との面会をする機会が増えてきた。面会に行くときも、常にエミリーは私を手放さず、緊張した面持ちで病院に出かけていった。
パパは元気だった。私が、あの懐かしいエミリーの家に連れてこられたときの明るい表情に戻っていた。そしてエミリーを見るととても喜んだ。しかしやはりしばらくはまだママのことが忘れられないといった様子で、時々精神不安定なときがあると医師から聞かされていた。パパはエミリーに言った。
「なあ。エミリー。お前はもうママのことを忘れてしまったのかい?一体どうすれば忘れられるんだ?教えてくれないか?パパはいまだにママのことが忘れられないんだよ。とても苦しいんだよ。」
エミリーはパパにきっぱりと言った。
「忘れてないよ。忘れる訳ないわよ。ただ、私たちが元気を出さないと、天国に居るママだってきっと悲しむと思うから。」
そのエミリーの言葉を聞いて、パパはしばらくの沈黙の後、急に笑い出した。始めはゆっくりと、そして段々とお腹の底から声を出して愉快そうに。
「すごいよ。エミリーは。そうだね。パパも元気を出さないといけないよね。ママに心配を掛けちゃいけないよね。」
笑いながらパパはそう言った。
「ルイスがね、夢の中で教えてくれたの。私たちが元気を出さないと、ママの魂はいつまでも天国に行けないんだって。天国に行けないと、今度生まれ変わることも出来なくなるんだって。生まれ変われないと、もうこの先私が生まれ変わってからも、ずっとママに会えなくなるんだって。そんなの嫌だもん。」
「そうか。そんなことをルイスが教えてくれたのか。すごいよ。エミリーにはすごい先生が付いてるんだね。それならパパも安心だよ。」
関心しているような言葉を言いながら、パパは信じられないといった様子でじっと私を見ていた。しばらくすると、我が子の成長のせいでそのように考えられるようになったのだと思い直したのか、まるで尊敬する人物を見るような目つきでエミリーを見ていた。
それからというもの、パパは胸の痞えが外れたかのように、めきめきと回復していった。医師もびっくりするほどに。
そう、このときまでの間、私はかなりの知識をエミリーに与えていた。エミリーのパパに言った言葉はそっくりそのまま、以前私がエミリーに言った言葉だった。私の前世が”風の精霊”であったことも教えていた。始めはびっくりしていたが、エミリーは本来、妖精や悪魔といった類の話は信じる方だったので、すぐに理解してくれたようであった。私としても、妖精や悪魔が実在するかどうか解らなくとも、そういう目に見えない存在が人間より前に居たことは知識として容れておいて欲しかったので、エミリーのように素直に信じてくれることはとてもありがたいことだった。ただし他の人間には、たとえパパであろうとも口外しないことを約束させたが。
私の知識を得て、現在のエミリーはすでに『動物博士』になっていた。すでにすばらしい知識の持ち主であったし、なによりエミリー自身、とても(施設の職員を時々困らせるほどに)研究熱心であったため、博士と周りから言われるほどになっていた。
一般の大人にはとても書けない程の、すばらしい論文を書き、若年にして『動物博士』になったエミリーには、いろいろな大学から声が掛かり、学費の心配もなく研究が出来る環境も整えられて、受け入れられることになっているほどであった。しかしエミリーは、そのすべての大学を断り、来年度からは、研究を兼ねて、ボランティア活動でマレイシアにいくことにしていた。マレイシアの大地で、いろいろな動物達とふれあい、研究を進める為である。エミリーの現在の研究内容は、動物達の生態を元にしたものだった。そのため、大学で本を片手に研究するよりは、実際の動物の生き様を自分の目で見ながらの方が、研究がはかどると判断したのだろう。そう決心しながらも、ボランティア活動であるため、資金の心配は当然あったが、あるひとつの大学から、その費用はすべて負担するので、その条件として自分の大学に籍を置いてくれないかとの話があり、エミリーは戸惑いながらもその申し出を受けることにした。その大学は、生物学に熱心な大学だったので申し分なかったのだが、いささか夢のような、現実離れした申し出だったので、密かに探偵を雇い(この費用はエミリーが施設に断ってアルバイトをして稼いだお金で賄った)調べさせたが、どこも怪しいところは無かったとの結果が出たので、エミリーも了解したのだった。
パパは仕事も無事に見つかり、普通の生活に戻っていた。今は我が子の無事と、我が子と居を構える為の資金稼ぎにせいを出していた。稼いだお金の少しを、パパはエミリーの生活費にあてるようにと送ってくれた。こうすることで、自分も力が湧くのだからと、後にパパが言っていた。
エミリーが、ボランティア活動に参加すると決めてからの月日の流れ方は尋常ではなかった。あちこちに準備に出かけたりと、とても忙しく、まるで半年のところが一週間であるかのような速さで流れていった。ボランティア活動はいろいろな活動があるが、やはりそれなりに語学や知識に長けていないといけないので、試験もあった。語学の試験ではエミリーは自信がないと言っていたがすんなりパスしたし、知識(動物の生態を調査する内容だった為、動物や植物の知識の試験だった)はトップの成績で合格した。合格してからは研修があった。それでも、今まであまり触れたことのない分野の箇所もあり、それをエミリーは戸惑うどころか楽しみながら学んでいた。
秋になり、いよいよ出発の時が来た。パパが見送りに来てくれたが、別れの表情というよりはむしろ娘の立派な姿を見、これからの活躍に期待した表情だった。エミリーもパパのことは心配事のひとつであったが、パパの表情を見て安心したようだった。別れ際に二人はお互いの写真を交換した。その写真を見ながら、これからの日々でつらいことがあっても、頑張って行こうと二人は誓い合っていた。
マレイシアの大地は、秋だというのにモンスーンの時期も終わりに近づいてきているためか、雨の無い日にはじめじめと蒸し暑く感じるようであった。
到着した日の翌日には早速仕事が待っていた。要員を交代すべく、引継ぎが行われた。私はエミリーの荷物の中で、懐かしい大地のにおいを感じた。仕事場は町からかなり離れた場所で行われた為、地元の人々のようにイスラムの教えを意識するような服装はしなくてもよかったのだが、用を足しに町に繰り出すときはさすがに服装には注意を払った。
動物達の研究は、昼夜問わず行われた。だが、エミリーは楽しそうだった。以前の記憶が蘇るようであった。そう、あれはまだエミリーが施設に連れてこられ、ようやく施設での生活が自分の体に染み付いたであろう時期、施設の庭に珍しいことに一匹のイタチが現れたのだ。エミリーは、興味をそそられ、そのイタチを追って巣穴まで行き、夜通しイタチの観察をして、大層施設の職員を困らせたときがあった。そのときでも、ある程度の観察をした後、何事も無かったかのように施設に戻り大切ななにかを得たかのような表情で、唖然とする職員を尻目に見てきたことを書き留めていたくらいである。
私は直にこの大地を見、そして目の前に現れたトラの一群を見たとき、その一群の中に私達に向かって静かに歩いてやってくる一頭のオスのトラを見た。トラは明らかにエミリーではなく、私を見ていた。私の姿が珍しいのか、しばらくの間私を観察していたが、ふいにどこかからか声が聞こえてきたように思えた。その声の主は、目の前に居るオストラだった。
「俺は君を知ってる。いや、実際には今回初めて会うんだが、俺の祖先が君の事を言っていた。ずいぶん昔からの言い伝えなんだ。君は精霊だろう?俺達の祖先と仲良くしていたと聞いているよ。」
この言葉には、さすがの私も面食らった。以前の私のことを知っている動物がいたとは思いもよらないことだったからだ。私は心の中で返事をした。
「よく知っているな。そう。私は風の精霊だった。だが今はこの子の持ち物なのだ。私はすでに”人”ではなく、”物”なのだ。」
「だが祖先からの言い伝えでは、君は俺達も、その辺に生えている草花も皆同じ命、同じ魂だと言っていたと聞いている。なら俺達も君も同じだろう?ただ、生き方が違うだけさ。みんな、この世界の生きとし生ける者は母なる地球から生まれた同胞だろう?違うかい?」
私はこのオストラをじっと眺めた。そして気が付いた。私の魂が風の精霊であったとき、一番私を理解してくれ、そして励まし、時には助け合ったトラの面影が合ったことを。
世代は違うが、まるで古くからの友人と会ったときのような、懐かしい感覚を覚え、とてもうれしくなった。だが、傍らではあいもかわらずエミリーが、さも自分はこれからこのトラに食べられてしまうかのようなこわばった表情で固まったままでいたので、これ以上話することもせず、トラと別れた。トラは静かに群れに帰っていった。その日の夜、私はエミリーの夢の中で、今日の出来事を語った。エミリーは驚いていた。
「さすがは私の先生ね。トラのお友達が居たなんて。今度私も紹介してくれない?私も仲良くなりたいわ。」
エミリーの様子は、決して社交辞令を言っているのではなかった。本気でトラと仲良くなりたいと思っていた。
「それはどうかな。彼らはとても誇り高い種族だから、受け入れてくれるかどうかは解らない。だが、今度会った時には、私の友人として紹介しよう。」
その日はそういってエミリーを窘めるしかなかった。私は風の精霊だったころのことを思い出していた。美しい大地の中で生活している動物達。そして、動物達を邪魔者扱いしていた人間達。良い思い出と悪い思い出がひとつになって思い起こされた。私は今、動物達のいわば敵を主人にしているのだ。誇り高い種族のトラたちが、エミリーを受け入れてくれる可能性はゼロに等しいと感じていた。
エミリーの仕事も研究も捗り、毎日研究に明け暮れ、早くも半年が経とうという頃、本部から連絡が入った。近況報告のために一時帰国することになった。帰国は1ヵ月後になる。久々に父親に会える喜びを隠しきれないといった様子だった。その日は雨だったが、気分は晴れ晴れとしていたようだった。エミリーとはうらはらに、私の気持ちはなぜか重く沈んでいた。何かを予感するような感じで、私自身、理由もわからぬ胸騒ぎに戸惑っていた。
不意に窓の外を見ると、あの時のオスのトラが草原の丘の上に居た。雨の中、何かを告げようとしているかのように。私はそのトラへ向かって言葉を投げかけてみた。口には出せないが、心の中の言葉があの丘の上のトラにまで届くかどうかやってみた。
「今日はなにかあるのか?朝からやけに胸騒ぎがするのだが。」
すると、丘の上から返事が返ってきた。
「今日の雨はこれからひどくなり、やがてその小屋ごと飲み込むような洪水が起こるだろうと、一族の長が言っていた。そこに居ては危険だ。非難した方がいいぞ。」
そうか。ここに来る前にエミリーが研修で教わっていたのを思い出した。この地方はマレイシアの中でも特に洪水の多い地方。この半年間というもの、一度も洪水が無かったのが不思議なくらいの場所だったのだ。私は背筋が凍るような感覚を覚えた。
そのとき、エミリーが突然声をあげた。トラが丘の上に居るのを見て、喜びにも似た歓声を上げたのだ。ほかの隊員達は鬱陶しい雨にイラついていて、エミリーの声にもイラついているようだった。そんなことはお構いなしに大雨の中、私を抱え、外に飛び出した。
生ぬるい雨を浴びてびしょぬれになりながら、息堰切ってトラとの久しぶりの対面をした。トラはピクリとも動かなかった。私はトラに聞いた。
「なぜ、動かない?人間は一族にとって、危険な存在だろう?こいつを襲うつもりか?私の主人を?」
トラは、何事も無かったかのように平然と言った。
「こいつを襲ってどうなる?ここに俺が居れば、あんたの主人はここにやってくるだろうことは解っていた。だからここに居た。それだけだ。だが、ここにいつまでも居るわけにはいかないな。向こうに安全なところがある。そこへ行って雨をしのごう。」
そういって、トラは歩いていった。トラの予測どおり、エミリーは歩いていくトラの後を、まるで引っ張られているかのようについていった。雨宿り場所につくまでの間、私は空の向こうから、ぎしぎしときしむような音が聞こえたように思った。私の気持ちを察してか、トラは歩きながら振り返り、私に向かって言った。
「あの、きしむような音は、大地が大雨で緩み、必死で耐えているときの音だ。村や町を襲う洪水になるにはまだ先だろうが、その前にどこかで土砂崩れが起こるらしい。だがこの先ならまだ大丈夫そうだ。安心していいぞ。」
トラは、山の麓の大木の傍まで私たちを案内した。そして、黙って立ち去った。エミリーはどこまでもトラを追いかけようとしていたが、トラはエミリーに大木の傍に居るように命令するかのごとく、エミリーが動く度に唸り声を上げて立ち止まらせた。
エミリーはここまで歩いてくるのに疲れたのか、大木の傍でトラを見送りながら一息つき、そして深い眠りに落ちた。吸い込まれるように夢の中のエミリーに会い、私はエミリーに事の次第を話して聞かせた。エミリーは驚いていたがすぐに納得した。
しばらくして、先ほどのトラは一頭の年老いたトラを連れて戻ってきた。
「お久しぶりです。長老。」
私は思わずこう言った。長老はほっほっと笑うように眉を動かして返事をした。
「やはりあなたでしたか。ほんにお懐かしゅう。私はあなたが精霊の頃、まだ生まれておりませんでしたじゃ。覚えてくださっていたのかのう?」
「いや、昔あなたに似た方が長老でしたので、思わず”お久しぶり”と言ってしまっただけなのです。」
私は慌てて言った。私は、風の精霊だった頃と今とでは、時代が違うことを忘れてしまっていた。しかしその後、こう付け加えた。
「長老。あなたも私に”懐かしい”とおっしゃった。私とどこかで以前お会いしましたか?」
長老はニコリとし、言った。
「いや、わしもあなた様と同じく、あなた様に似たお方と以前お会いしましたのでな。そう言ってしまったのですじゃ。」
「長老。もしやあなたもレテの川の水を飲まなかったのですか?」
私はふと、思いついて聞いてみた。
「いや、そのことに関しては、今は口に出すのは憚られますのでお答えは致しませぬが、あなた様と似たような運命とでも申しましょうかのう。あまり聞きなさるな。それよりお腹がお空きではないかな?わしら一族の元に案内しますで、あなた様のご主人と一緒にいらっしゃいまし。歓迎いたしますでのう。」
こうして私たちはトラの一族の棲家に案内された。そこにはたくさんの生肉と果物があった。子供のトラも居た。しかし私たちが到着すると、とたんに群れの後ろの方に隠れるようにして行ってしまった。トラたち、とりわけこの一族の間では、位の高いものが常に中心におり、その後ろに力関係の強いもの、そしてその後ろに弱いものと並んで円を描くように座っていた。一族は、得体の知れない私たちを恐れもせず歓迎してくれた。エミリーは、一族の出してくれた果物をおなかいっぱいになるまで食べた。そして(人間の言葉でだが丁寧に)お礼を言った。その言葉が通じたのか、トラたちはエミリーに対しても恭しい態度で接していた。楽しいひと時であった。
突然、空の彼方が揺れたように思えた。雷が鳴っていた。そして雷鳴と同時か少しずれてか、なにやら大砲のような音がした。最初の大木まで案内してくれた若いトラが、長老の傍に控えたままで言った。
「人間達がなにかの合図をしたようだな。」
「どうやらこれでお別れのようですじゃ。ご主人とお戻りなされ。精霊様」
行きに案内してくれた若いトラが、帰りの道を案内してくれた。辺りはすでに水浸しになっており、池のようになっている水溜りを避けながら、ぬかるむ道を歩いて行った。元の大木の傍まで来たとき、空に煙が上がっているのが解った。トラは鼻をひくつかせながら言った。
「どうやら人間共の家が燃えているようだな。さっきの雷が落ちたらしい。」
「早く戻らねば!」
泡を食ったように私は言った。トラはとっくに承知していたという感じに、一刻でも早く私たちを帰路に付かせる為に骨を折ってくれた。小高い丘についた時、小屋は火事になっていた。水溜りからなんとか水をかき集め、必死になって火を消そうとみんなが水をかけていた。しかし一向に火が弱まる気配はなく、大雨にも関わらずますます火の勢いは強まっているかのようだった。
エミリーは急いで駆けつけみんなの手伝いをした。一番仲の良かった仲間が叫んだ。
「エミリー!何処に行ってたの!みんな心配したんだから!」
「今まだこの小屋に閉じ込められてる人が居るの!助けなきゃ!」
この小屋にまだ閉じ込められてる人がいる?そう聞いて、エミリーは背筋が寒くなった。そして私を無理やりベルトにはさみ、必死で水を集めた。
「消防隊とかは来ないの?」
水をかき集めながら、エミリーは仲間に聞いた。
「どうやら町の方でも火災や洪水が発生していて、こちらには来れないみたいなのよ。なんとかしないと中に閉じ込められた人達が・・・・仲間が・・・・」
エミリーが集めた水を運びながら、仲間は答えてくれた。助けは来ない。それを聞いて突然、思い立ったようにエミリーは自分で頭から水を被り、小屋の中に駆け込んでいった。
小屋の中はあちこちが壊れ、天井の梁が落ちて危険な状態だった。その先で、倒れている人を発見した。火事場の底力とでも言うかのように、エミリーはその人を事も無げに担ぎあげ、外に運ぼうとしたそのとき、新たに梁が落ちてきて、目の前の道が閉ざされてしまった。落ちてきた梁を避けようとして、エミリーは私を落してしまった。それに気がつき、エミリーは私を拾い上げに戻ってこようとした。私は力の限り叫んだ。
「私に構うな!あちらに逃げ道がまだある!急いで逃げろ!」
その言葉は、なぜかちゃんと言葉になって、轟々とうなる炎の中ではっきり聞こえた。だが、言葉を発した瞬間、私の体は雷に貫かれたような激痛が走った。私は痛みに耐えかね、思わず叫んでしまったが、いつものように声にならなかった。すると外から、壁が壊れる音と同時に、ここまで案内してくれたトラがエミリーを助けに来てくれた。トラはエミリーを引っ張って外に運び出してくれた。私はエミリーが安全な場所にたどり着いたことを知り、深く安堵した。トラがエミリーを運びだしてくれたそのとたんに、小屋の壁が崩れ、私は一人小屋の中に残された。
火は小屋を燃えつくし、とうとう雨の勢いに押され、沈下していった。私は小屋と一緒に炎に取り囲まれ全身を焼かれたにも関わらず、痛みや熱さは全く感じなかった。しばらくして、雨の勢いも弱まってきた頃、燃え尽くされた小屋の残骸の下から私はトラに発見された。トラは私に言った。
「精霊殿。あなたはまだご主人の傍に帰ることができます。私が運んであげましょうか?」
私はこの言葉をありがたいと思いながらも、これまでのことを走馬灯のように思い浮かべていた。
「いや。私はここまでの命なのだろう。エミリーが私を落したとき、左腕と右足が折れてしまった。私の体は意外にもろいものなのだな。私はこのまま天に上る。エミリーに最後の別れが出来なかったのは寂しいがな。」
そう言うと同時に、トラはぼろぼろになった私の体を持ち上げ、どこかへ運び去った。
気が付くと、私はトラの一族の中に居た。長老が言った。
「短い命でしたな。しかし、あなた様は、これからの方が茨の道やもしれませんぞ。あなた様のこれからのご武運をお祈りいたしておりますじゃ。」
「武運とは・・・。私はこの後、何かと戦わなければいけない運命なのか?長老はご存知なのか?」
長老がこれからの私の運命を予言するかのように言った言葉がとても気になり、聞いてみたが、それ以上は長老は一言もしゃべろうとしなかった。トラの一族が見守る中、私は暗い闇の底に落ちて行った。