第一章 第二話 仲間達
相も変わらず私だけ動けぬ体のままの生活が続いていた。
私は他のぬいぐるみや人形たちの会話から、人間たちのいろいろなことを学んだ。エミリーが通っているという『学校』のことや、『学校』がどういうものであるかなどである。
ジュニアが言った。
「エミリーは、空想が好きな女の子なんだ。でも、それが災いして、クラスのいじめっ子たちにいじめられるらしい。人間ってのは、意地の悪いやつがいるもんだよね。僕たちは、話が出来るのと同時に、その人の気持ちもある程度解る。だからお互いの気持ちがすれ違うようなことってのは、ほとんどないよね。人間ってのは、面倒な生き物だよ。」
「気持ちのすれ違いが生じているにも関わらず、人間ってのは、お互いに納得するまで話合おうとはしないらしいよ。どこかで妥協し合って生きているように見えるね。あたしはそれが一番嫌だわ。」
隅にいた女の人形が突然口をはさんだ。
「そうさ。バービーのいう通りなんだ。ほんと、人間に生まれなくてよかったよ。」
と、続けてジュニアが言った。オウルじいさんがなぜか得意げな態度でジュニアに言った。
「ほっほ。ジュニアよ。おまえさんも前世では人間だったかもしれんのじゃよ。」
「なんだよ!じいさん!僕の前世を知ってるのか!」
「そうかもしれんぞ。ほっほっほ。」
ジュニアとオウルじいさんの言い争いの中、私は窓の外を眺めた。今日は天気がとてもよく、気持ちのよい日であった。私がいつも置かれている場所はあいにく窓辺ではないのだが、目の前の窓から外が少しだけ覗くことが出来るので、時々気が付くと私はいつも窓の外を眺めていた。しかし、人間たちの動向が窓からみえるわけではなく、ただ空を眺めているに過ぎないのだが、それでも私はいつも窓の外を眺めては気持ちが安らぐのだった。
日が傾き、夕暮れに近い時間になった時、エミリーが学校から帰ってきた。暗い面持ちで・・・人形たちはそれぞれ自分たちの場所に戻っていった。
部屋に着くなり、エミリーは椅子に座り、黙り込んでいた。そして大きなため息をつき、しばらく物思いに耽っていた。夜になってもまだ、エミリーは黙ったまま、机に突っ伏して黙っていた。あたりが完全に真っ暗になった時、ようやくエミリーは立ち上がった。そして部屋を出て、下の階へ降りていった。
ジュニアが言った。
「また・・・また学校で嫌なことを言われたんだな。」他の人形達は黙ったままだった。
しばらく下の階でエミリーは自分の両親を探していた。声を張り上げ、寂しさを紛らわすように。しかしどこからも返事がなかった。そして突然静かになり、エミリーは自分の部屋に戻ってきた。
「そっか・・・今日はパパとママの結婚記念日で、二人だけで外で食事をするって言ってたわ。」
がっかりしたようにエミリーは言った。そして、私の方に向き直り、私を抱き上げ、そのまま下の階へ降りていった。エミリーは私に微笑みかけ、そして言った。
「あ〜あ。つまんないことを考えていたせいでおなかがすいちゃった。ね。ルイスもいっしょに食べよう!ママが用意してくれた夜ご飯を。」
そしてエミリーは、まるでままごとをするかのように、私の口元に食事を運び、楽しそうにママが用意してくれたご飯を食べた。その間中、ずっとエミリーは私に語りかけていた。
「ママの料理は最高なのよ。ほら。ね。おいしいでしょう?ふふっ。ルイスといっしょに居ると、エミリーも楽しくなるわ。今日の嫌なことも忘れちゃうわね。」
そういうと、突然また暗い顔をした。そして私に愚痴をこぼした。私はその話を聞きながら、なんだか急にエミリーがかわいそうになった。昼間に聞いたジュニアやバービーの言葉がよぎる。
『人間の中にも意地の悪いやつがいるもんだ。』
しかし、愚痴を言い終えると、まるですっきりしたかのように私に今度は楽しそうに両親のことを話し始めた。両親はとてもエミリーのことをかわいがってくれているらしい。自分の子供というものがどういう存在なのか、私にはわからなかったが、風の精霊であったとき、動物達に感じたような気持ちなのではないかと、過去を思い起こしていた。
私が過去を思い起こし、物思いに耽っていると、突然エミリーが大きな音と共に、崩れ落ち、床に倒れてしまった。私は訳がわからず、ただ眺めているだけだった。私の困惑の気持ちが、二階に居る仲間達に伝わったのか、私の耳にオウルの声が響いた。
「どうやらエミリーは病気になったようじゃな。まあ、こんなことはたびたびあるでの。びっくりせんでもよい。それより、エミリーをどうにかせんとな。」
そうか。これが”病気”というものなのか。だが、一体どうしてこんな風になってしまうのか。私にはまったくわからなかった。しかも私は今エミリーと同じ部屋に居る。人形は、人間が居る部屋の中では動けない。もし、動ける体だったとしても、わたしは何をすればよいのかがまったくわからない。困惑する私の前に、突然オウルが現れた。
「なぜか今だけ、しかもわしだけはここでも動けるようじゃ。このこは熱がある。こういうときには、タオルをぬらして額にあてがうのじゃ。」
言うが早いか、オウルはさっさと小さいタオルを探し当て、水にぬらしてエミリーの額に当てた。
「お前さんはなにも出来んのじゃろう?前のように、エミリーの夢の中にも入れないのかのお。」
そういって、オウルもまた床に落ちた。私は慌ててオウルの方を向こうとした。一体なにが起こったのだろう。困惑する私に、オウルは付け加えた。
「わしはぬいぐるみじゃ。ぬいぐるみは水に弱い。水を含んでしまうと、体が重くなり、言うことを聞かぬ。おまえさん、もし、またエミリーの夢の中に入れるようなら、夢の中のエミリーに、がんばれと言ってやっておくれ。ジュニアは今、両親の所へ電話を掛けるでのう。なぁに。心配はいらん。人間というものは、いつも不可解な出来事に出会うと、先祖の霊だとか、そういうものに助けられたのだと思い込む。ジュニアのこともきっと、先祖の霊だと思うじゃろう。」
オウルはそういうと、床に倒れたまま、動かなかった。エミリーの意識が遠のいていくのが解った。そして、以前のように、エミリーの体から、不思議な光が出てきた。しかし、以前なら、その光は現れたと同時にどんどん膨らんでいき、そして夢の中を覗くことが出来たのだが、今度はそうはいかなかった。エミリーが”病気”だからなのかどうなのか、光は一向に膨らまず、弱い光は次第に薄れていくような感じがした。私は慌てて光の中に入ろうとしてみた。すると、また光の中に吸い込まれるようにして入っていけた。私はあたりを見回した。以前とは違い、エミリーの夢の中の空気はよどみ、世界がすべて色あせ、蒸し暑かった。遠くに目を凝らして見ると、エミリーが横たわっていた。私はすぐさまエミリーのところに駆け寄った。
「一体、どうしたというの?大丈夫?しっかりして!」
私がエミリーの耳元で叫ぶと、エミリーは苦しそうに私の方を向き、そして笑いかけながら言った。
「今日の朝、学校に行ったとき、クラスのいじめっ子が私に向かって水の入ったバケツを投げつけてきたの。びしょぬれになったけど、なんとか我慢して授業を受けたの。でも、それが原因で風邪を引いたみたい。体が熱い・・・」
私はエミリーの体に手を当ててみた。体のどこもかしこも熱くなっており、冷や汗がにじんでいた。
「大丈夫?頑張って!今、ご両親が帰ってくるから。」
私がそういうと、エミリーはにこりと笑い、そのまま意識を失った。
エミリーが意識を失ったとき、私もエミリーの夢の中からはじき出されてしまった。そして、私がもう一度光の中に入ることを望んでいたにも関わらず、光は薄れ、消えてしまった。二階の部屋でジュニアが悔しそうに叫んでいた。
「ちきしょう!どうしていつまでも信じてくれないんだ!!」
ジュニアの声が耳に響いてきた。
「エミリーの部屋にある電話で、両親の所に電話したんだが、駄目だ!取り合ってくれないんだ!こうなったら、僕達でエミリーを部屋まで運ぶしかない。そのままそこに寝かせておけば、もっとひどくなるぞ。」
その時、意識がなくなったはずのオウルが言った。
「いや、ジュニアよ。おまえさんたちで部屋から毛布を持ってきて掛けておやり。そのほうが手間が掛からんだろう。」
そしてまた、オウルも意識が無くなった。
しばらくして、飛行能力のある人形とジュニア、バービー、その他数名で、毛布を下のエミリーの居る部屋まで運んできた。しかし、エミリーの居る部屋まで入ろうとしたとたんに、体がこわばり、動けなくなってしまった。仕方なく、部屋の入り口まで運んだ毛布をそのままにして、バービーに助けられながら、二階のエミリーの部屋へと戻っていった。戻る途中でジュニアが悔しそうに言った。
「くそっ。どうしてオウルじいさんだけが動けるんだ!僕達の体が動けばいいのに!こうなったら後はじいさんに任せるしかない。」
その言葉を聞いて、私はなにも出来ない自分の体が恨めしくなった。この体がこの一時だけでも動くことができれば・・・そう思いながら、必死になって動こうとしていた。
その時、突然床に落ちたままの毛布が宙に浮いた。オウルが全身全霊を込めて起き上がり、毛布をエミリーのところまで運んでくれたのだった。そして、エミリーの上に毛布を落とし、そのまままたしても床にボトリと落ちた。
私はようやくほっと胸を撫で下ろした。これでしばらくは大丈夫だろう。安堵の気持ちから、私の意識もいつしか遠のいていった。
気が付くと、私はいつものエミリーの部屋にいた。エミリーのベッドの傍らに両親の顔があった。まだ薄暗い時間であった。あれから、両親は半信半疑のまま家に戻り、そしてキッチンで倒れているエミリーを見つけ、ベッドに運んだらしい。エミリーはまだ、苦しそうな息遣いで居たが、両親は額のタオルをひっきりなしに濡らしてはエミリーの額に乗せていた。夜の暗い空に太陽が昇るころ、ようやく両親は安心したかのようにそろって下の階に降りていった。エミリーを見ると、今まで苦しそうな息遣いだったのに、静かな息遣いに戻っていた。
朝、またママが来てエミリーの額に手を当てた。ママは言った。
「少し熱は下がったみたいね。でも、今はお薬が効いてるだけだと思うわ。今日は一日寝てらっしゃい。お医者様にも来て貰いましょう。それにしても変よね。昨日、ママとパパが食事をしているとき、ひっきりなしに電話が来たのよ。あなただけしかあの店にいるって知らないはずなのに。しかも、その電話口の人ったら、「エミリーが熱を出した!早く帰って来て!」とばかり言うのよ。男の子の声だったけど、誰か来ていたの?」
ママのその言葉を聞いて、エミリーも首をかしげた。
「ううん。昨日は私一人だったわ。それとこのお人形のルイスだけよ。男の子なんて誰もいなかったわ。」
「そうなの?しかも。ママの大事なふくろうくんまでキッチンの床に、それもなぜか水浸しで転がっていたのよ。あなた、なにかしたの?」
「なにもしてないわ。ママ。エミリーはママのふくろうさんで遊んだことないもの。」
「変ねぇ・・・そういえば、あなたの額に乗っていたタオルも水浸しで絞っていなかったみたいだったわ。ふくろうくんのぬれているところも両方の羽の部分だけだったし。まあ、いいわ。ふくろうくんはランドリーで乾かしたし、あなたもお医者様が来るまで、寝てなさいね。」
そういうと、ママは下の階に降りていった。エミリーはふふっと笑い、独り言のように言った。
「きっと、ママのふくろうさんが私を助けてくれたんだわ。ありがとう。ふくろうさん。」
そういって、エミリーは深い眠りについた。
エミリーが寝てしまった後、ジュニアが不満げに言った。
「ちぇっ。僕だって、必死に電話掛けたのに。感謝されるのはオウルじいさんだけかよ。」
仲間達はくすくすと笑っていた。ジュニアの言葉が本心ではないことは、みんな解っていた。
午後になって、ようやく医者が来た。医者はエミリーの様子をうかがい、薬を処方して言った。
「軽い風邪ですな。まあ、2・3日もすれば、元気になるでしょう。」
それだけ言って、医者は帰った。忙しいらしく、すぐにまた別の患者さんの所に行くのだそうだ。
医者の言った通り、2・3日で回復したエミリーは、元気にまた、学校に行った。ママはまた、忙しそうに家事をやっていた。ここ2・3日、要するにエミリーが回復するまでの間、ママがエミリーの部屋にしょっちゅう来ていたので、私達人形は動くこともかなわずにいた。オウルじいさんも元気になって帰ってきた。
「いやぁ、まいったよ。あの『乾燥機』というものは。目は回るわ、熱いわでのう。もう二度と入りたくないわい。」
みんな、オウルじいさんが無事に帰ってきたことを喜んでいた。私はこの頼もしい『仲間達』が、とても誇らしく思えた。