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ガイア  作者: 知舘美衣
なぜ人は苦しまねばならないのか
15/19

第二章 第九話 白の都と陰謀

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

【お断り】

文章中に出てくるラクダは現在この地球上に存在するラクダと姿形は似ていますが、

まったく別の生物と言う設定になっています。したがってこの小説内に書いてある

ことを実際に行っても、ラクダは言うことを聞いてくれることはありませんので

ご了承ください。

その建物の群集は高い塀に囲まれ、遠めから見ても真っ白でとても美しい都だった。人々が暮らしている様子が伺える場所では、白い煙が細い糸のように立ち込めていた。


目的地がはっきり目の前に現れたことで、私達に再び気力が湧いてきた。もうすぐ四日目の夜がくる。早くあそこに着かなければ。すでに疲れて悲鳴をあげていた足を引き摺りながら、ふたりは歩を進めた。


こんもりとした丘の上に立つその都は、遠目から見ればあとちょっとで着く場所のように大きく見えたが、歩いているうちにそれが妄想であることがわかった。行けども行けども門の影すら見えず、まるでふたりを遠ざけているようにさえ思えた。辺りはだんだん薄暗くなりつつあり、空にはうっすらと月や星が見え始めていた。ふたりは休むことも考えずに出来うる限りの速さで歩いた。果実を食べたことで滋養と強壮は得たものの、ここまでの長い道のりですでに体力も限界に近づいてきていた。


辺りが真っ暗になり、星々が元気よく輝きだし、空気も夜気で湿り始めたころ、ようやくふたりは都の門に到着した。


高くそびえ立つ壁の間にかれたように出来た門は、無情にも分厚い扉が閉まっていた。ふたりは夢中でどんどんと扉を叩いて叫んだ。

「お願いします!中に入れてください!長い道のりを歩いてここまで辿りついたのです!」

門の隅の小さい戸口から、ひとりの男が剣を腰に携え、松明を持って現れた。

「これはこれは、こんな夜分に旅人か。しかし運が悪かったな。この門は夕方にはすでに閉じられ、明日の朝まで開かぬ。明日の朝またここへ来るんだな。」

「この、周りに宿すらない場所に放り出され、私達はどこで一晩を明かせばいいのでしょう。せめてどこか夜露が凌げる場所だけでもお貸し願えませんでしょうか。」

「気の毒だが、今日は入れてあげることが出来ぬ。最近は何かと物騒だしな。夜露を凌ぐだけなら、この壁沿いを東方面に行ったところに、その昔使っていた無人の小屋がある。汚い場所だが、まあ、一晩くらいは過ごせることだろう。」

門番は汚い身なりのふたりを怪訝そうに見ながら言った。

「随分と辛い旅をなさったようですな。しかし決まりは決まり。運悪く門が閉まる前に都に入れなかった者はみな、その小屋で一晩を過ごしている。すまないが明日の朝また来てくれ。明日朝日が昇る頃には門も開くのでな。」

そういうと夜の寒さにぶるぶる震えながら、門番は元来た小さい戸口から姿を消した。ふたりはしぶしぶと言われた通りに壁沿いに歩き出した。程なくして掘っ立て小屋が見えてきた。


戸はすでに朽ち果て、僅かな風に煽られて不気味にギイギイと音を立てていた。壊れかけた戸をこじ開けて見ると、中にはその昔、馬小屋として使われていたような風情を残したまま、あちこちにわらの山があった。ランプもなく、あちこちガタが来て穴が開いており、その穴から外の弱弱しい月明かりが見え隠れしていた。屋根も穴だらけで、穴からはちょっとだけ顔を出した気まぐれな月が見えた。


ここにあるものと自分の手持ちの物とでなんとか寝床をしつらえようと悪戦苦闘している時、ふいにオソが言った。

「そういえばよぉ。聞こう聞こうと思っていたんだが。」

私は手を動かしながら、顔だけオソの方へ向けた。

「その、腰にかかっている剣。ヴァルキアを出る時にはそんなもの持ってなかったよな?」

私はなんと説明すればいいのかわからず、ただ黙々と作業を続けた。

「そういえば、お前のおふくろさんが捕まった原因がなんだか知ってたか?」

いきなり話が飛躍するものだなと訝りながらも、私はなんとか平静を装いながら答えた。

「いや、知らない。」

オソはさらに続けた。

「俺が聞いた話じゃあ、なんでも城の宝物倉かどこかから、一振りの剣を盗んだらしいぜ。随分と大胆なことをしたものだな。盗んだものを売ることだって、あの街では出来ないぜ。一体何のために盗んだんだろうな。」

オソのこの言葉に、なんだか挑発されているような気がして段々腹が立ってきたが、無理やり自分の感情を押さえつけた。今ここでオソと言い争っても仕方のないことだ。それより今は無事に任務を終わらせることだけを考えるんだ。そう自分に言い聞かせた。


簡単な寝床をなんとかしつらえ、私は寝床に寝転がった。オソもすでに自分で乱暴に作った寝床で寝息を立てていた。それにしても、さっきオソが言った言葉。母アルダは、宝物倉から剣を盗んで捕まったって?その剣はもしやこれか?自身の危険を顧みず、なぜ母はこれを盗みに入ったのか。それ以前に母はこの剣の存在を知っていたのか?次々と疑問だけが頭の中で浮かんでは消え、消えては浮かび、答えの出ない押し問答の渦の中、私は落ち着かぬ闇へと落ちていった。昼間の熱を吸い取っていたのか、藁はふんわりと暖かだった。


次の朝早くふたりは目が覚めた。遠くで鳥がけたたましく時を告げた。ふたりは残りの僅かな食料で軽い朝食をとって、再び門へ向かった。


この日も雲ひとつない快晴で、夜の間に冷えた空気を太陽が急激に暖めていた。門につくとすでに扉は開かれており、昨日夜番だった門番が快く出迎えてくれた。門番はふたりの顔を見るなり愉快そうに言った。

「やあやあ、どうやらゆっくり休まれたようですな。昨日とは顔色が違う。」

ふたりの胸に小さくついている紋章を見て、門番の顔色が引いた。そしてふたりにささやくように言った。

「どうやらあなた方はヴァルキア城の使いの方らしいですな。この都では、黒い城の人間はあまり歓迎されませんぞ。常に我々兵士の目が光っていることをお忘れなく。」

「ところで、こちらの都には神殿があると聞きました。神殿はどちらの方角にありますか?私達はその神殿に用があるのです。」

私がそう言った途端、近くに居た兵士がわらわらとふたりの周りを取り囲んだ。

「ほう。あなた方は神殿にご用が。一体どんなご用があるのか、出来れば伺いたいものですな。」

周りの兵士も青い顔をしてふたりを怪訝そうに見つめた。

「私達は、この品と書状を神殿の巫女殿に渡すようにと言付かって来たのです。」

私はそう言って、城を出る時に渡された書状と肩にかけていた箱をおろした。この箱を渡される時に、くれぐれも扱いには気をつけるように、決して巫女に渡すまでは箱を開けないようにときつく言われていたものだ。ここまでの道のりで一番重荷になっていたのはこの箱だ。そっと下ろすと肩や腰、膝までもが喜びに打ち震えた。

「ちょっと、その箱の中身を拝見させていただきますぞ。」

「巫女殿に渡すまでは、箱を開けるなときつく言われました。」

私とオソはふたりで箱の上に覆いかぶさるようにして必死で抵抗した。

「しかし我々の検査を受けなければ、神殿に行くことさえ出来ませぬぞ。」

そう言うと、ほぼ無理やり箱をあけ、中身を見た。中身は花を生けたかごだった。世にも珍しい、見たこともないような花が籠いっぱいに生けてあり、ふたりの長い辛い行程の中でよくここまで耐えたものだと思えるくらい、仕舞った時のまま行儀よく入っていた。

兵士はなにかまじないにでもかかったように身じろぎもせずに立ち尽くし、そのまま静かに箱の蓋を閉じた。

「見たところ、なにも怪しいものはなさそうだ。しかし、神殿へはこちらから報告させていただく。この書状は私たちが預かる。ここから真っ直ぐ、高台のてっぺんに神殿はある。この重い荷物はすまぬが君達で運んでくれたまえ。」

そう言うと兵士の一人が書状を持って神殿の方面へ駆け出していくのが見えた。


ふたりは、兵士の指す方角を見て愕然とした。この重い荷物を持って、坂道を延々と登らなければならないとは。それでも行くしかないのだ。決意を新たにし、ふたりは再び重い荷物を肩にかけてその場を立ち去った。


門から神殿のある方向へ真っ直ぐ行くと、延々と続く階段があった。何段登れば頂上に着くのか想像もつかない。荷物の重さで異常に強張った体に鞭打って再びふたりは歩き出した。


急な坂に続く階段は、砂漠の上を歩く時より辛く感じた。目の前に目的地があるのに、もう目の前に見えているのに近づけない。この都を発見した時のような、嫌がらせとも思えるほどの道を、重い荷物を代わる代わる担ぎながらふたりは必死で歩いた。つい先ほどまで緩やかな朝日だった陽光が段々きつく、痛く感じるようになった。休憩を挟みながら歩いても、何段と登らないうちにすぐに体力が尽きてしまう。壊れかけのゼンマイ仕掛けの人形のように、登っては休み、休んでは登りを繰り返していた。時間は無情にもどんどん過ぎて行った。飲むものも飲まず、とはいえふたりの荷物にはもう一滴の水も残っていなかったのだが、食べるものも食べずにゆっくり、しかし確実に頂上を目指した。石壁に囲まれた家々の横を通っているためか日陰に入れば涼しく快適だったが、日向は石壁に反射した陽光が意地悪くふたりを照らし、時間が経つにつれ暑く、息苦しくなってきた。


陽が、周りにある建物の屋根を通り越し、空で元気に二人を照りつけるようになった辺りでようやくふたりは頂上らしき場所についた。そこは今まで見たどこの景色より神秘的で、まるで天国に舞い降りたようだった。円形の真ん中に丸く柔らかな形の低い塔のようなものがあり、その中心に向かって十字を描くように端から真っ直ぐに石畳が敷かれ、石畳がない場所は青々とした芝生に覆われていた。きょろきょろと辺りを見回しながら、ふたりは真ん中にある低い塔のようなところに来た。日陰に入るとなんともいえぬ心地よさがふたりを包んだ。空気はひんやりと冷たく、ふたりの火照った体を優しく冷やしてくれた。風がそよそよとそよぎ、芝生の温かな、そして鮮烈な香りが辺りを満たしていた。ふと東側に目をやると、そこには大きな建物が建っていた。近づいてみると、扉の上には大きな十字架が石壁に浮かぶように彫られており、その下には分厚い木で出来た頑丈な扉があった。恐る恐る扉に手をかけると、重い扉が中央から二つに割れ、重苦しい音を立てながら開いた。


真っ白な壁で囲まれたこの教会は、天井に程近い場所の壁にはステンドグラスがはめ込まれ、光が色とりどりになって床に落ち、幻想的な雰囲気を醸し出していた。中は木製の長いすが行列をなして置かれており、百メートル程先には三十センチほどの台のようになったステージ状の場所があり、その中央に、木製の教壇が置かれていた。教壇の前にはひとりの女性が従者らしきふたりの女性を従えて立っていた。白い衣を身にまとい、天女のような風貌で静かにふたりを出迎えた。ふたりは前に進んで行き、女性の前で立ち止まった。


「ようこそいらっしゃいました。招かれざる客よ。」

従者とおぼしき女性が口を開いた。

「こちらにおわすお方が、我がエレドアの都にしてただひとりの巫女フィーナ様であらせられます。」

「これはフィーナ様からのお言葉です。即刻そちらの荷を持ち、あなた方の主の元へ帰られよとのことです。」

「ちょっと待ってください!」

あまりにも一方的な言い方だったのが気に障ったのか、もしくはせっかくここまで苦労して来たのに、最後の最後で任務が遂行出来ないと思った焦りからか、オソがいきなり口を挟んだ。

「巫女様。我々はこの長く辛い砂漠を越えてここまで来ました。私達はこの任務をただの仕事として受けて来たわけではありませんし、ヴァルキアの兵士でもありません。私達はあの城で奴隷として囚われの身でございます。この任務を遂行出来なければ、私達は殺されてしまうのです。巫女様は情け深い方だとお聞きしますが、私達をここで帰されることは、私達を死地への旅に向かえと仰っているのと同じことなのでございます。どうかお慈悲をって、よくお考えくださいますよう。」


フィーナの後に控えていたふたりの女従者が、腰に携えた短剣の鞘に手をかけながらふたりに進み出ようとしたその瞬間、フィーナは横に手を伸ばしてふたりを制した。そしてなにやら従者にささやくと、ふたりは納得が行かないといった表情を浮かべながらその場を立ち去った。


私は、重い荷物を背から下ろしながらフィーナを見つめた。その立ち姿はまるで本当に神の使いでもあるかのように清楚で美しかった。フィーナは始めオソの顔を見つめ、そしてその視線を私へと移し、長いこと物思いに耽っているかのような表情で見つめていたかと思うと突然にこりと微笑んで言った。

「なるほど、あなた方の仰ることは本当のことのようですね。しかもかなり長く辛い日々を送ってこられた。」

「わたしは、あなた方がここへ来ることを存じておりました。そしてあなたが来ることも。」

私の目をじっと見つめながらフィーナは言葉を続けた。

「辛い試練があなたを待ち受けているのが見えます。しかし決して自暴自棄になってはいけません。」

この巫女のセリフをどこかで聞いた。なぜそんなことを・・・・。フィーナは言葉を続けた。

「あなたの試練は、同時に我々の試練でもあるようです。あなたに免じてこの荷は納めることに致しましょう。」

そう言って手をニ・三度パンパンと叩くと、先ほどの従者のひとりが現れた。

「この荷は、決して開けてはなりません。中身には手を触れてもなりません。しかし、このような場所に置いたままにはしておけません。どこか人目の届かぬ場所へ置いておくように。」

そう言い付けると、従者は手伝いの者を探しに場を立ち去った。強面の従者とはいえひとりの女性。この重い荷物を容易に動かせるはずもない。


さらにフィーナは続けた。

「あなた方に残された時間はあまりにも少ない。闇があなた方に近づいているのが見えます。そして(私を見て)貴方のおかあさまにも。」

フィーナはふたりを手招きし、自分についてくるように言った。ふたりは導かれるようにしてフィーナについていった。教会の入口とは反対の方向に小さな扉があり、そこにふたりは案内された。


小さな扉をくぐると、そこには信じられないような光景があった。この都の周りには草も木も枯れ果て、小動物でさえサソリ以外には存在しないと思わせるような、この世の地獄とも思える砂漠が広がっているにも関わらず、この場だけは草木が生い茂り、目の前には大きな滝が轟々(ごうごう)と音をとどろかせてほとばしり落ちていた。池には睡蓮すいれんが咲き乱れ、滝から池に落ちている水際には、うっすらと虹がかかっていた。空気は清涼で涼しく、木にはふさふさと葉が生い茂り、甘酸っぱい香りの花が咲き乱れ、見た目にも青く涼しげな小さな実がなっていた。池の真ん中には、テラスのようにテーブルと椅子が置かれていた。フィーナは池の真ん中の椅子にふたりを誘った。テーブルにはガラスの細くすらっと長いグラスがふたつあり、フィーナはそのグラスに滝から流れ落ちたばかりの水を汲んだ。透明な水がなみなみと注がれており、太陽の光を受けてきらきらと光っていた。ふたりは石で出来た椅子に座った。太陽に長時間当たっていたはずなのになぜかひんやりと冷たかった。不思議な光を放つ水の入ったグラスをフィーナから手渡され、ふたりはきらきら光るその液体に口をつけた。すると果実酒のような芳香とふうわりとした酔い心地に包まれた。体中の力が抜け、ふたりは即座に冷たい石のテーブルに突っ伏したまま深い眠りに落ちていった。


ふと目覚めてみると、目の前には美しい巫女が座っていた。太陽の光を受け、まるで後光が背から出ているような雰囲気を持った女性だった。この土地の人間にはほとんど見られない黒い美しい髪と、神がかり的な青い目をしていた。

「あなたには、初対面とは思えぬ、不思議な懐かしさを感じます。」

フィーナは静かに語り始めた。

「わたしは、生まれながらに水の加護を受けています。そのため、この何もない、死地のような砂漠の中に居ながら、ここには水が溢れています。この水は都中を流れ、人々の喉を潤しています。」

「実はわたしは、あなたがここへ来る数日前に、この地ではほとんど見られない小鳥に、あなたが来るとの知らせを受けておりました。」

フィーナは不思議な、それでいて優しい青い目で私を見つめていた。

「その小鳥は、どうあなたに私達がここへ来ると告げたのですか?もしかしたらそれはわたしではなく、別の誰かかもしれないのに。」

フィーナはにこりと微笑んで付け加えた。

「いいえ。あなたですわ。あなた自身はお気づきではないのかもしれませんが、あなたの額には僅かに星が見えます。その星の中心には、古い文様で風の印があります。」


驚いた表情で私は自分の額を手で探った。そのしぐさを見て、フィーナはまるで冗談でも聞いたかのようにコロコロと笑いながら言った。

「触っても手にはなにも感じられませんわ。きっと、魂に刻まれた不思議な文様なのでしょう。なにか神がかり的な、特別な何かを持った私達にしか見えないものなのですわ。」


同じ人間からこのような言葉を聴くことになろうとは。今までのように動物達から頭に直接語りかけられ、『風の精』と言われても、夢を見ているような感じで現実味がなかったが、自分と同じ人間の、しかも巫女からこのような言葉を聴くと、なにやら突然夢が現実になったかのように感じられた。

「お会いできて大変嬉しいですわ。風の加護を受けられし者よ。」

「一体、なんの話しだかさっぱりわかりません。わたしはそのような者ではありません。私は単なるヴァルキアの奴隷で、今は任務を期限内に終わらせなければ殺されるだけの、儚い命しか持たぬ、力もない、任務遂行期限が押し迫っていることに怯えているだけのちっぽけなただの人間でしかないのです。」

「その期限はいつなのですか?」

たとえ嘘を言ったとしてもすべて見破られてしまうだろうことを自然に悟ったように、私は正直に話し始めた。

「今日で城を出てから早五日目です。二日後、いやあと一日半後、それよりも短いかもしれない。私達がヴァルキアを旅立った日から七日目までです。それまでにここにいるオソと一緒に、ふたり揃って帰らなければ、わたしの地下牢に閉じ込められている母と、ここにいるオソは・・・そうは聞かされてはいませんがたぶんわたしもでしょう・・・厳しい罰と称して殺されることになります。」

うつむき加減でそう話すと、フィーナは深いため息をついて言った。

「なるほど。あなたを覆っている不気味な闇は、ますます色濃くなって来ています。わたしの見たところ、あなた自身は城に帰っても即殺されたりすることはないでしょう。しかしお母様が処罰と称して殺されるのであれば、わが身を切り裂くに等しい苦しみを味わうことになりますね。」


ふたりはしばし、なにも口を利こうとはしなかった。長い沈黙が流れた。ふうわりとした涼しい風が流れた。それとほぼ同時に、フィーナが一大決心をしたように突然立ち上がり、奥にある建物の中に消え、しばらくして戻ってきた。


私はオソを揺り起こし、まだ目を擦っているオソにも急ぎ帰り支度をするように言った。オソは何がなんだかわけがわからないとブチブチ文句を言いつつも、自分が寝すぎたことを少しばかり後悔しているような表情で帰り支度を整えた。

「あと一日半では到底ここから城まで戻ることは不可能でしょう。あなたの中に見える闇は、あなたが思っているより早く、あなたを満たしてしまうかもしれません。残酷な運命が待ち受けていることは間違いありません。あなた方の運命の前に、私は巫女でありながらなにもなす術がありません。しかしそれでも私はあなた方に、僅かながらでも手助けをしたくなりました。」

そう言うとフィーナは突如、両手を天に仰ぐように広げるとなにやらブツブツと呪文のようなものを唱えた。辺り一面に咲いた草花がザワザワとそよぎ、そして何事もなかったかのようにまた再び静寂に包まれた。

「これで、あなた方がここにいた時間は戻されました。この神殿の領域に入った時からほんの数分しか時は流れてはいません。」

一体なにが起こったのかわからず、オソと私はふたりでキョロキョロと周りを見た。フィーナが言った通り、ここでかなりの時間を費やしてしまったはずなのに、太陽はまだここへ来た時と同じ位置にあった。フィーナが言った。

「どうか、これから起こるであろう過酷な運命に抗ってください。そしてたとえどんなことがあろうとも、我を忘れてはいけません。我を忘れればそれはそのままあなた自身の破滅になります。」

これほどまでに何度も同じ忠告を受け、私は、一体この先なにがあるのか、漠然とした恐怖に身を包まれた。


三人は来た時と同じ教会の中を通ったが、キース達が死ぬ思いでやっとここまで担ぎあげた荷物はとうに姿を消していた。きっとどこか別のところへ移されたのだろう。あまり深く考えずに、残り僅かな時間を惜しみつつふたりは大急ぎで駆け出した。教会の前まで見送りに来てくれたフィーナに礼と別れの挨拶を交わし、石段を駆け足で降り、門まで来て驚いた。門には、今まで私達が見たこともないような大きい、こぶがふたつ背中についた生き物が居た。


「フィーナ様よりラクダ二頭をあなた方にお貸しするようにとのことで、準備しておりました。」

門番のひとりが言った。


ふたりは不安だった。今まで馬にさえも乗ったことがないふたりが、こんなとてつもない大きい生き物に乗れるかどうか、ましてや意のままに乗りこなすことが出来るわけがないと思った。

「心配なさらぬよう。この生き物は昼夜問わず歩き続けることが出来ます。もしもう少し早く歩かせたいなら生き物の首の辺りをポンポンと軽く二・三度叩いてください。そしてもし、もう少しゆっくり歩かせたいなら、頭から首の後辺りを撫でてください。それだけ覚えていれば止まることなく歩き続けるでしょう。もし止めたい場合は、首にかかっている手綱をゆっくりと引いてみてください。止まってくれます。」

見送りに来てくれたフィーナが言った。

「このラクダは我が都で生まれ育ち、とても丈夫で辛抱強く、たくましい生き物です。そしてとても早く走ることが出来ます。この賢い生き物は自分達でひとりでにここへ戻ってこれますから、あなた方の城の近くまで来たらそこで乗り捨てて行って頂いて構いません。このラクダに乗っていけば、早ければ明後日の昼過ぎまでには城に着くことが出来ましょう。」

そしてふたつの皮の袋をふたりにひとつづつ手渡しながらこう付け足した。

「この袋には、ラクダの大好物が入っています。時々はこれを袋ごと飲ませてあげてください。こちらの言うことを聞いてくれます。」

この、ラクダとか言う生き物が好きなものが入っていると言う袋は、ラクダの背に取り付けてある荷物用フックにかけられた。ふたりは都の兵士にこの大きな生き物に乗せてもらった。

「では、お急ぎなさい。ごきげんよう。」

兵士のうちのひとりが、フィーナの言葉を聞くや否や、ラクダの尻を思いっきり叩いた。ラクダはゆっくりと、しかし確実に歩き始めた。その後ろでフィーナや兵士が手を振っていた。ふたりは再び地獄の砂漠の横断行を始めた。


「・・・・しかしあなたはやはり、運命の流れには逆らえないのでしょうね・・・・。」

その場を立ち去りながら、フィーナは独り言を呟いた。



ふたりの乗った生き物は歩き続けた。暑さも寒さも気にしないように、ひたすら歩き続けた。そのスピードはまるで馬に乗って走っているのではないかと思わせるほどに早く、そして足並みは正確だった。昼間の暑さで生き物の体からは湯気が出ており、鼻息も荒くなったが、歩行スピードは衰えることを知らないかのようだった。


ふたりが用を足したい時だけ、教わった通りに生き物に歩くのをやめて貰い、降りて食事をしたり用を足したりした。ただし止めた時には必ずこの生き物に敬意を表し、たぽんたぽんとした皮の袋の口を開け、生き物に与えた。中には何が入っているのかわからなかったが、なにやら異様な匂いが立ちこめ、到底ふたりの口には合わないだろうことがわかった。


ふたりは昼夜問わず、一日のほとんどを生き物の上で過ごした。空を見上げると、今まで歩いてきた時より太陽が自分達に近づいたようにジリジリとした光がふたりの体を焼いた。エレドアを出る時に貰った真新しい白いマントを羽織って暑さを凌いだが、空気がもうもうと熱気を帯びて息苦しくなったため、昼間だけは教えてもらった通り、生き物の頭から首の後を撫でてスローペースにしてもらった。その代わり夜はちょっと早めのスピードで歩いて貰い、昼間にスローになった分の距離を稼いだ。夜は行き同様、昼間とはうって変わって寒さに身が凍るかと思うほどの気温だったが、白いマントは夜の外気をも遮断してくれ、体の下では疲れを知らずに歩いてくれているラクダの体温が非常に暖かく、こぶの間は安定感があったため、ふたりはぐっすりと生き物の背の上で眠ることが出来た。


気がつくと、進行方向には暗雲立ち込める空の向こうに不気味に黒く聳え立つ城がうっすらと見えて来ていた。空には早くも朝日が立ちこめ、夜の間に冷やされた空気がだんだんと熱気を帯びてくる頃、ふたりは休憩をとることにした。久しぶりとも思える地面の感触はなんだか心地よかった。生き物の背から降りてもなお、生き物の上に乗っているような感覚で、ふたりはしばらくの間はふらふらとした足取りで休憩する場所を確保した。地面は、砂漠の渕に来たと見え、僅かに黄褐色の短い草がところどころに生えていた。


砂漠を抜けた安堵からか、はたまた久しぶりの地面の上に座ったせいか、ふたりは急激な眠気に耐え切れず横になった。ところが私がまんじりともしないうちに、なにか鼻息の荒いものに息を吹きかけられたような感触があり、それと同時になにやら冷たいものが私の頬にくっついては離れ、離れてはくっついてを繰り返していた。


なにかに無理やり叩き起こされた時のような不機嫌さで私はしぶしぶ目を開けた。するとあの生き物の真っ黒な丸い目が目と鼻の先にあった。そして目が合うと生き物はひんやりと冷たい鼻を、『もう起きろ』と言わんばかりに私の体の下に潜り込ませようとした。


私は、これはきっと報酬をくれと言う意味に違いない。そう思って皮の頭陀袋ずだぶくろを取り、生き物の鼻先に袋の口を開けて突き出した。しかし生き物はその袋の中に首を突っ込もうとはしなかった。そしてまたしても声が聞こえた。

「あなたは急がなければなりません。」

「なんだって?」

私は慌てて言った。この私の「なんだって?」は、生き物が言ったことに対しての反論ではなく、しゃべるはずのないと思っていた生き物がまたしてもしゃべったことに対しての疑問符だった。

「まさか、またしても・・・お前も私と話が出来るのか?」

つい、すぐ横でオソが眠っていることを忘れて生き物に声をかけた。しかし生き物からはその後なにひとつ返事が返ってこなかった。相変わらず黒いまん丸な目で自分を見つめているだけだった。


確かに私はヴァルキア城が見えただけで気分が以前より楽になっていた。しかし今は急がなければならない時なんだ。私は生き物に対する疑問を振り払うかのように頭を振って現実に立ち戻ろうとした。


すぐ横ですやすやと眠っているオソを叩き起こし、また生き物の上に乗って旅路を急ぐことにした。この生き物は、立つと二メートルくらいの高さになるが、人間が乗ろうとするとたちどころに膝を折って座り、人間が乗りやすい高さまで身を沈めてくれた。


荷物を生き物にくくりつけ、いざ出発となった時、ふと後方を見ると、エレドア方面からなにやら黒い煙が立ち昇っているのが見えた。あれは一体なんだろう・・・?

「おい、あれは一体なんだ?」

私はオソを小突きながら叫んだ。まるでどこか大きな場所が燃えているかのような黒煙が空高く渦巻き、明け始めた空を濁していた。遠目から見ても、どうやら都が燃えているようだった。私はなんだか背筋がぞっとした。自分達が都を出てから一日と経たぬうちに都はなにか大変な事態に巻き込まれたのではないかと思った。まさか・・・

「あんなでっかい都では、火事なんて珍しいことじゃないんじゃないか?気にすることはない。先を急ごうぜ。」

お気楽顔でオソはあくびをしながら眠そうに言った。本当にそうなのか?水の加護を受けている巫女のお膝元で?私は言い知れぬ不安でいっぱいになった。しかしここまで離れてしまった後では、自分達にはもうエレドアに戻ることは出来ない。ヴァルキア城は刻々と近づいているのだ。自分達が帰るべきところが。


なんとか気にしないようにと思っても、どうしても目が都の方面に向かってしまう。漠然とした不安に駆られながらもなんとかふたりは歩を進める決意を新たにした。とにかく、明日の夜、しかも門が閉まる前に城に着かなければ、母とオソは処罰と称した死刑になるのは確実だ。人質を取られている以上、自分達のやるべきことは城になんとしても期日、期限までに帰ること。それだけだと自分に言い聞かせた。

「なるべく、あの分かれ道辺りまで急いで、分かれ道辺りでこの生き物を都に帰せるようにしよう。この賢い生き物を城にまで連れていくことは出来ないし、連れて行ってもこいつらには辛いことになるだけだろうしな。」

オソは言った。オソはどうやらこの快適な旅が気に入ったらしく、この生き物とはなるべく別れたくないような感情が芽生えていたのかもしれない。しかしあの城のことは自分達が一番よく知っている。もし城まで連れて行こうものならきっと、この生き物は乱暴に扱われ、再び都に帰ることも叶わずに土に返ることになりかねない。都の親切にしてくれた人々の恩恵をこんな形で裏切るのは本意ではないことは、オソも私も充分にわかっていた。


ふたりは再び前進した。刻一刻とヴァルキア城は不気味さを放ちながら黒々とした姿をあらわにした。自分達の『帰るべき場所』とはいえ、外から見るとなんだか威圧されるような感じがして、帰りたくない気持ちが段々と膨らんでいくのがわかった。城に近づくにつれ、砂漠の熱気が少しづつ薄れ、急いでも暑さで息が苦しくなることもなくなって来ていた。むしろ私は背筋がゾクゾクするような、なんだか異様な不安が胸を締め付けるように感じた。一体この不安はなんだろう。あの、エレドアの方面からあがっている煙が原因だろうか。それとも・・・・


期限最終日、太陽がふたりの真上に来た辺りで、ようやく行きに出会った分かれ道に到着した。ふたりは最後の休憩を取り、ラクダに好物の入った頭陀袋の中身をあげて、さよならを言った。ラクダはふたりがさよならと言うと、言葉がわかったような、寂しげな視線を投げかけてゆっくり、ゆっくりとふたりの顔をちらちらと見ながら元来た道を戻っていった。


ふたりはまた、自分達の足で進んで行かなければならなくなった。生き物に乗っている時は思った以上に距離を稼げていたからまだいい。人間の足はあの生き物よりも何倍も遅いのだ。覚悟を決めてふたりは今まで休んでいた分、自分達の足を働かせようと早歩きで先を急いだ。


急いでいるのに、時は刻々と過ぎて行き、まるで自分達は進んでいないのに時間だけが素通りしているような感覚だった。それでも急がずにはいられない。たとえこの先地獄が待っていようとも。



太陽が役目を終えたように段々と西に近づくにつれ、ふたりは城の上部に人だかりが出来ているのを見て取れるようになった。なにやらわいわいと騒いでおり、まるで祝杯でもあげているような感じだった。

「少なくとも、俺達の帰還を喜んでいるわけではなさそうだな。」

冷静にオソは言った。確かにそうだ。たかが奴隷が任務を無事に遂行し帰還したからと言って大手を振って迎えてくれるような人間はこの城にはいない。そんな当たり前のことも、ここ数日城から離れていた間に記憶の彼方に消し去っていたように思えた。


辺りが暗くなりかけていたちょうどそのとき、ふたりはようやく城にたどり着いた。まだ門は開いたままだ。だが門の前にもなぜか人だかりが出来ていたのにはふたりとも驚いた。

「へえ。ここの人間も、いいとこあるんだな。」

のんきそうにオソは言うと、にこやかに門を通ろうとした。すると目の前に門番が立ちふさがった。

「この城は、お前らのような汚らしいヤツが来るところじゃない。」

「あの、私達はラース様の命令で任務に出ていて、今日ここに戻ることになっていました。任務は遂行しました。ラース様のところへ報告に行かなければなりません。」

すると、態度のでかい門番がなにやらひそひそと話しあったかと思うと、突然ふたりを縛り上げて言った。

「ほう。お前達が。あの任務をなあ。任務の話しは上から報告が来ている。お前達は縛り上げてラウド様の所へ連れてくるようにとの言いつけだったからこうしたまでだ。ほら、ぐずぐずするんじゃねえ。お前達はこの先どうあがいたって地獄しかねえんだからよ。」


いやらしい声でケタケタと笑いながら門番は言った。ふたりは両手を縛られて、まるで罪人のように城の大通りを練り歩く羽目になった。周りの兵士達はみんなニヤニヤと嫌なうすら笑いを浮かべてこっちを見てささやきあっている。


乱暴に引っ張られながらふたりはラウドの元へ連れてこられた。ラウドはふたりの匂いが耐え切れないと言った表情で鼻にハンカチを当てながら言った。

「お前達が任務を遂行してくれたことをまずは喜ぼう。我々の計画はうまくいった。」

「どういうことですか?」

城に近づくに連れて湧き上がってきた不安の正体が知りたくて、つい私は口を挟んだ。ラウドはニヤリと笑いを浮かべ、話し始めた。

「さすがはラース将軍殿だ。あの忌々(いまいま)しい巫女を亡き者にするために、あのような綿密な計画をなぁ。爆薬が仕掛けてあるとも知らず、あの女は貢物を受け取ったのだろう?見ろ、白の都と謳われたエレドアが崩れ去る様を。」

自分の背後の窓に寄り、ラウドは愉快そうにケタケタと笑った。私はすべてを理解した。自分達があの死の砂漠を横断させられたのも、エレドアからの帰りに背後に昇った黒煙も、すべてはあの水の都を滅ぼす為だった。

「それでは・・・私達はあの白い都を潰す為に・・・あのような任務を・・・。」

「そうだ。あの貢物は中の花に触れるだけで爆発する仕掛けがしてあったのさ。お前達は本当によくやった。褒めて遣わそう。これで心置きなくエレドアを潰せる。民も我らヴァルキアの傘下に喜んで入ることだろう。」

汚い・・・。なんて汚いやり方なんだ・・・。私の額が激しく痛んだ。と同時に突然、部屋の中に稲妻のような大きな光が降ったかと思うと、私の体を中心につむじ風のようなものが湧き上がり、一瞬にして周りに居たラウドや兵士、立てかけてあった勲章のついた盾やランプ、タペストリー、はたまた机までもが壁に叩きつけられた。オソも壁にべったりと背中を付けて震えるしかなかった。周りの兵士達はみんなこの一瞬の出来事に度肝を抜いた。

「ダメ!いけない!」

その時ふいに私の中に誰かの声が響いた。その声を聞いた途端に私は我に返った。そうだ、何度もこの旅の間に聞いたじゃないか。『決して我を忘れてはいけない。』


私が冷静になると同時に、それまで壁に叩きつけられていたありとあらゆるものがドサドサと床に落ちた。ラウドは何が起こったのかわからず、ただその場に立ち尽くすばかりだった。

「捕らえろ!」

やっと状況を把握したラウドが周りの兵士に命令した。そして私とオソは再び捕らえられてしまった。

「なんてやつだ。これはラース様にご報告せねば。」

そう言うとラウドは近くにいた兵士に命令し、報告に行かせた。


ラースは憤怒の顔で私達の前に現れた。

「お前が行った行為は許しがたい。よって今すぐに処刑してやる。」

一時の怒りが、私の運命を決定付けてしまった。フィーナが言っていたのはこのことだったのか。後悔の念が私を支配した。私の命はここで終わりか?私は結局母を助けてあげることも、スノウやその他の元の仲間達にも、そしてここまで支え、助けてくれたオソにも何もしてあげることが出来ずに朽ち果てるのか。知らずと悔し涙が零れていた。


私は処刑場へ引き立てられることになった。どこか遠くでこの一部始終を見ているオソの運命はどうなるのだろう。そして私をいつも見守ってくれていた母は、私を失った後にどうなるのだろう。そんなことばかりを考えながら、私は人ごみの中引き立てられていった。周りを取り囲んでいる野次馬のほとんどは兵士で、その兵士の隙間から青ざめた顔のスノウの顔も見えた。私の脳裏にそれまでのことが走馬灯のように浮かんでは消えた。ゲリラの村でスノウとした数々のいたずら、青年時代の戦争、隣に住んでいたマーサの豪快な笑い顔、母の笑顔、つい今しがたまで一緒に辛い旅を支えあって乗り越えてきたパートナーであるオソ、あの清清しい水の都にいた暖かい人々、辛い運命になんとか打ち勝つ力を与えてくれた巫女フィーナ。そして、幼少時代にどんないたずらをしてもどんなに厳しく叱っていても、最後にはちゃんと許してくれ、青年時代には支えになり、さまざまなことを教えてくれた偉大なる村長のガラド。すべての人々の思いを、私は裏切ってしまうのか。


気がつくと私は処刑場にいた。目の前には、そこで幾多の人が処刑されたであろう面影が残ったギロチンがあった。ラウドが私の傍に近づいてきて言った。

「見ろ。お前の母親だぞ。最後の時にここへ連れてきてやったんだ。ありがたいと思え。まあ、あの母親にもすぐ後を追って貰うことになるがな。」

ニヤニヤと、いやらしい顔を近づけているラウドなどまるで目に入らないかのように、私は目を上げて前を見た。哀れな母が青ざめた顔で目の前にいるのが見えた。母はラースに捕らえられ、身動きすら出来ずにもがいていた。

「お前はたいしたやつだ。あの砂漠を超え、期限までにここまで帰ってこれたのだからな。しかしこれはなぜお前が持っていた?」

ラースの手には、私の大事な剣グラムリングが握られていた。

「この世のものとも思えぬ輝き、そして炉に入れただけではその輝きを失わず、斬っても曇りひとつも付かない。これはまさに私が持っているにふさわしい剣だと思わないか?」

ラースがそういい終わらないうちに、囚われの身のはずの母が突然ラースの手に握られていた剣を奪い取ろうとした。ラースと母が揉みあいになり、周りに控えていた兵士も母を取り押さえようと集まった。


結局母は捕まってしまい、剣もラースの手に握られたままだったが、母はその揉みあいの間にラースからも兵士からもしこたま殴られ、鞭打たれて倒れこんでしまった。

「やめろおおおおおおおっ!!」

縛られ、鎖に繋がれたままで私は必死に抵抗した。しかし人間に鎖など切れるはずもなく、無常にもがちゃがちゃと響く音が聞こえるだけだった。しかしその瞬間、信じられないようなことが起こった。私の周りにまたしてもつむじ風が吹いたと同時に、私を繋いでいた鎖が瞬時にして切れたのだ。つむじ風は鎖と同時に、私の背にあった私を縛り付けるための壁をも一緒に吹き飛ばしてしまっていた。自由になった私の周辺には、粉々になった鎖の破片と石壁の破片が無残に散らばっていた。


再び自由になった私の手足は、母を目の前で痛めつけられて怒りに震えていた。私は母の許へ駆け寄ろうとしたが、グラムリングを手にしたラースに阻まれてしまった。

「なるほど、面白い。」

ラースは、まるで新しいおもちゃを発見した時の子供のように、無邪気な顔つきで言った。ラースは立ったまま剣を構えていった。

「この城の責任者は私だ。お前の大事な者を助けたければ、お前は私を倒さねばならん。お前に私が倒せるかな?あの時とまた同じことになるのではないのか?」

挑発するようにラースは言った。しかしその瞬間、ラースの手からグラムリングはガチャリと鈍い音を立てて床に落ちた。ラースの右手は焼け爛れ、僅かに煙を上げていた。その落ちたグラムリングをすばやく手にし、私はそのままラースにかかっていった。母親はオロオロとその場を行ったり来たりしていた。何か言いたいが声が出ない。その葛藤からだろう。


ラースと私の戦いは、いまや互角だった。今まで眠っていたすべての力が私の怒りに呼応して呼び覚まされていくのを感じた。もはや私には、周りの人々の言葉も耳に入らなくなっていた。静寂の中でただ目の前のラースと私が打ち合う剣の金属音だけが響いていた。


戦いの最中、突然子供の泣き声がした。ラースに追い詰められた私のすぐ後の壁で、先ほどのつむじ風で砕けた壁の一部が頭に当たったようで、頭から血を流して泣いている子供がいた。最初にその子供の存在に気がついたのはアルダだった。アルダはなんとか戦いに巻き込まれないように近づいて、子供を助けようと画策していた。


この激しい戦いを避けながらアルダは子供に近づき、安全な場所に誘導しようとしていた。が、同時にラースの長剣が鋭く突き進んで来ていた。私の後ろには子供を抱えた母アルダがいた。ラースは私の後ろなど見もせず突進してきた。私はグラムリングでラースの剣を受け止めた。その瞬間、ラースの力が僅かに勝り、私の体は支えが利かずに後ろに倒れてしまった。倒れた瞬間私の体は母にぶつかり、母は腰から下の部分を私の体と地面に挟まれて動けなくなってしまった。怯んだ私に再びラースは切りつけ、私がその切っ先をよけた瞬間、子供が倒れた。子供はラースの剣をまともに胸に受けてしまっていた。


目の前は血の海と化した。子供は斬られたと同時に気を失って目を見開いたまま倒れていた。衝撃を受けている私の目の前で、ラースがまた襲ってきていた。私はまた剣を構えようとしたが一瞬出遅れてしまった。斬られる!そう思った瞬間、私の目の前にアルダが立ちはだかった。そしてそのまま屑折れた。

「かあさんっ!!!!!!!!」

私は母親を抱きかかえた。

「かあさんっ!しっかりしろ!かあさん!!」

私は必死に、母に目を開けてくれるようにと叫んだ。母親は涙でぐちゃぐちゃになった私の顔を見つめ、弱弱しく頭を横に振っていた。まるで怒りに任せて突進していた私をたしなめているかのように、いけないことをした子供に向けて言っているかのように首を横に振ると、そのままカクンと頭を落とした。


その瞬間、私の中で何かがパチンッと弾けた。今まで感じたことのない、激しい怒りが私を支配した。黒く激しく、そして熱い何かが私の体中を駆け巡り、猛獣のような声を出して叫んでいた。


その時傍にいた兵士は、まるで私の体だけが巨大化したように感じたと言う。そしてその瞬間すべてのものが巨大な竜巻に巻き込まれたと言う。兵士も奴隷も男も女も子供さえも、城のすべての壁が崩壊し、一瞬にして瓦礫の山があちこちに散乱した。


もうその後は誰一人としてこの城の中心の出来事を詳しく語れる人間は存在しない。城の外壁まで飛ばされた人々や周辺の村や都の人々は、まるで大きな遠吠えのような、それでいて悲痛な魂の叫びを聞いたかと思うと、城の真ん中から空高くうねりながら渦巻く竜巻が城の中心辺りから空に向かって伸び、まるで空に吸い込まれたように忽然こつぜんとその姿を消したと言う。後に残ったのは瓦礫がれきの山だけだった。

この回で、第二章地上編はおしまいです。

次は第二章地獄編です。

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