第二章 第八話 地獄の中での助け
スノウ「どうやらキースと一緒に作者も(文字の)砂漠の中でわけわからなくなって来ているようです。」
キース「俺、このまま死んじゃう?;;」
伊紋「・・・・・ヒヒヒヒヒッ・・・・・」
スノウ「・・・・・だめだこりゃ。」
キース「(汗)読者の皆様は、こんなやつなど気にせず、よい新年をお迎えください。次はたぶん来年にアップすると思います。」
(スノウとキースにずるずると引き摺られていく伊紋)
将軍の部屋へ連れられていくと、そこはラウドがいた部屋よりもずいぶん立派な作りで、部屋でさえも格の違いを見せ付けられた思いだった。目の前には玉座のようなものがあり、入口から玉座までの床にはふかふかの絨毯が花道のように敷かれていた。
私達は、玉座の目の前にひざまづかされた。後からは裏切り者の灰色の目をした男と、その男を急き立てるかのようにラウドとその部下数名が入ってきた。扉を閉めるやいなや、玉座にゆったりと座った将軍ラースが言った。
「お前達の任務は、ここから三日ほど北東の方角にある都に、ある使いをすることだ。」
そして説明を始めた。この都を出て北へ向かうと砂漠があり、その砂漠の渕を通るように東に進んでからまた北へ向かうとあるエレドアと言う都の神殿に向かい、そこにいる巫女に貢物を渡すことが任務のようだ。ただし、砂漠は死の砂漠と言われるほど人々に恐れられており、この都の者は誰一人として行こうとする者はいないらしい。渕とはいえ、砂漠の領域に行くのだから、死を覚悟しなければならないほどきつい場所のようで、言葉の端々で「生きて戻れたら」という言葉を含んだ言い方をされた。そして、巫女に無事貢物を渡せたら、即座に帰ってくるようにとのことだった。
「もしお前達が任務の途中で逃亡したり任務を遂行せずに戻ってきた場合は、エレドア神殿に貢物を渡せなかった場合も含むが、それなりの処罰を受けてもらうことになる。もっとも、途中で二人ともくたばってしまえば話は別だがな。」
後に控えていたラウドとその部下がにやにや笑いをしているのを背中で感じ取った。
「処罰の内容を説明しておくと、キース、お前は地下牢にいるお前の母親を即刻処刑する。お前自身は終身地下牢で過ごすことになる。そしてお前は」
そう言って、灰色の目をした男に向かってラースは言った。
「ラウドの報告だと、お前は以前ラウドの部下のものを盗み取ったらしいな。葉巻だったか・・・。その罰として、二度と奴隷達が兵士や城下町の人間の物を盗むことのないよう思い知らせるため、公衆の面前で百の鞭打ち刑を執行することにしよう。それとも今すぐ『休息』を与えてやる方がいいか?」
嫌な含み笑いをしながら、ラースは言った。ラースの言う『休息』とはつまり、処刑のことだ。死んでしまえばもうここでコキ使われることも、辛い労働に耐えることもなくなるからだ。
「しかし、見事お前達が任務を遂行した暁には、それらすべての処罰を免除することとする。もちろんキース、お前の母親も地下牢から出してやるぞ。」
ここまで言われたらやるしかない。母親をあの薄暗く汚く、陰気臭い場所から救い出せるのならなんでもしてやろうじゃないか、そんな気持ちが支配していた。任務遂行の期限は一週間、それまでに戻らなければ即座に刑を執行するとのことだった。私の横にひざまづいている灰色の目の男も、同じように感じているに違いない。今まで生気がなかった目にうっすらと光が宿っていた。
次の日の早朝からの出発とあって、その日の午後からは今までの仕事の一切が免除となった。次の日の準備をするためだ。しかし持ち物を準備しようとしても、倉庫番が意地悪をして必要なものを出してくれない。予定していた持ち物の半分以下しか準備が出来ずにこの日は無情にも終わってしまった。
早朝起きてみると、冷え冷えとした薄曇りの空から弱弱しく、新しい太陽が顔を覗かせ始めていた。この都から数キロ離れた場所には砂漠があるというのに、なんだか肌寒く、冬の気配が辺り一面に漂っていた。
門のところで、灰色の目をした男が立っていた。昨晩はゆっくりと久しぶりに自分のベッドでまどろんでいられたようで、体には今までになかった生気が宿っているように見えた。
「そういえば、まだ名乗ってなかったな。」
開口一番灰色の目の男は言った。
「俺の名前はオソだ。よろしくな。キース」
そう言いながら、右手を差し出した。この男を信用してはいけない。だがこれからの長い旅の行程をこの男と過ごすことになるのだ。私は黙ったままオソの手を取って握手をした。
城の大きな扉の前で、門番から『貢物』を渡された。一メートル四方の大きな箱で、箱の背には担ぐための帯がついていた。そしてくれぐれも、巫女に手渡すまでは箱の蓋を開けたり、中を見てはいけないときつく言われた。長い行程で一番の重荷になるのはこの箱だろうと安易に想像がついた。
「お前はまだ俺のことを許しちゃくれないんだろうな。当たり前さ、俺はお前のことを売った男だ。だが、この任務の間は仲間だ。今までは仲間なんてものは必要ない、むしろ信用出来るやつなんかいないと思っていたが、お前は悪いやつじゃない。俺の勘がそう言ってるぜ。」
警戒されているのがわかったかのように、にこやかに笑いながらオソは言った。私はオソのその言葉を聞き、この任務の間だけは、つまらない感傷は心の中に閉まっておけばいい、と自分に言い聞かせた。
「しかし、なんでこんな簡単な任務を、ご大層に俺達にやらせようというんだ?この砂漠のせいか?確かにこの砂漠はこの城のやつらからは忌み嫌われているからな。だが、俺はこの砂漠を渡ってここまで来た。いや、この近くまで来た。だからさほどやつらよりはこの砂漠を恐れちゃあいない。」
「そして捕虜になった。この近くの小さな村や町では、都の兵士共が気まぐれでやる奴隷狩りがたまにあるのさ。たまたま運悪くこの近くの村に来たときに俺はやつらに捕まった。それまでもずっとひとりだったし、親も兄弟もいねえ。生まれた時すら誰一人として俺の周りにはいなかった。それこそ、かっぱらいやゆすり、たかり、なんでもしたさ。そうしなきゃ生きていけなかったからな。この世に生まれたことを呪い、俺はこの世に生を受けたことを恨んで生きてきた。ちゃんと自分の親が居て、愛情たっぷりで育ったお前とは違う人種さ。」
そう言うオソの目は、どことなく寂しそうに見えた。これも芝居なのだろうか。しかし芝居を打ってるにしてはあまりにもこの男は純粋すぎるような気がした。
「俺は、確かに親はいる。しかし母だけで、その母親は口が利けない。俺が育った村はゲリラの村で、この砂漠のはるか西側の奥にあるジャングルにあった。父親は知らない。生まれた時からいなかった。戦争で死んだのかもしれないし、どこかへ行ったまま行方知れずになったのかもしれない。」
「同じ村の人間でさえも、いいやつと悪いやつがいた。俺はその悪い元の仲間に裏切られてこのヴァルキア王国に来た。そしてあの悪魔のような将軍に捕まったんだ。」
なぜか私はこの時、自分のことを素直に話す気になった。単なる世間話程度ならば問題はないだろう。
「そうか。しかし、生みの親がいるってことは、少なくとも俺よりは幸せだと思うぜ。」
ゆるゆると上る朝日の新鮮な光を浴びながらのんびりと歩きながらふたりは語り合った。この男は根っからのワルではないのかもしれない。私はオソに対する疑念が自分の中で少しづつ溶け出しているのがわかった。しかし心の奥底では、相変わらず「信じるな」と言う声が聞こえた。どこまで信用すればいいのか、この長い道のりで図ることにした。
日の出とともに出発し、最初は今までの監視された息苦しい生活から開放された安堵とすがすがしい朝の陽気に足取りも軽やかだったが、陽が空高く上るにつれ、段々と背中の荷物が重く感じられ、暑さで体力が削られていくのを感じた。帽子もなく、服は今までの薄汚れた奴隷服しか着るものがなく、強い日の光を遮るためのマントすら支給して貰えなかった。当然靴もなく、短く針のように刺々しい草の上を歩くしかなかったが、夜の間に冷やされた草が足に心地よく、ちくちくした痛みにもなんなく耐えることが出来た。食料も水も僅かしかなく、ふたりで分け合って食べたり飲んだりした。背中の荷物はふたりが代わる代わる担ぐことにした。
「もう少し先を西に曲がったところに村があるはずだ。そこで水くらいは調達しよう。」
途中に休みを入れつつ、約四時間ほど、自分達の身の上やら城での不平やらを話ながら歩いて行くと、オソの言った通り、草むらが剥げたような道とも言えないような道がうっすらと見え、砂漠の方へ行く道と西の方面に向かう道に分かれた場所があった。うっかりしていたら見落としてしまいそうなその二股に分かれた道を西の方面にオソに導かれるようにして進んで行った。
分かれ道から約三キロ進んだ辺りで、目の前にうっすらと村らしきものの影が見えた。まるで陽炎のように陽の光と、陽が高くなるにつれてあがっていく気温と湿度のせいか、はたまた自分の疲れのせいか、幻でも見ているようにゆらゆらと揺らめいて見えた。
「たぶんここからだとだいたい一時間くらい歩いた先に村があるはずだ。俺達は昨日言われたように任務に期限を設けられているし、そうあちこちに道草を食ってる時間もねえ。だがここで水を充分調達しておかねえと、任務途中でふたりともおっ死んでしまうことになるぜ。」
確かにこの僅かな水と食料では、この先何十キロ、いや何百キロあるかわからない都に徒歩で歩けるものではない。いまだに心の奥底では「オソを信用するな」の声があったが、ここはオソの言う通りにするしか道はないように思えた。
オソの言った通り、約一時間ほど歩いた先に小さな村の入口が見えた。入口には長年雨風に晒され、草臥れたみすぼらしい木で作られたアーチがあった。アーチの近くには門番が立ち、侵入しようとする者に対して警戒しているようだった。私達が門の近くまで来ると、険しい顔つきをした門番ふたりが立ちはだかり、持っていた槍をカチリと交差させて通すまいとした。
「この村になにかご用ですかな?見たところ旅人のようですが。」
「私達はこの村よりはるか北東の、エレドアの都まで行く用があるのですが、水と食料が足りなくて困っています。この村で調達してから都へ行こうと思っているのですが、通して頂けないものでしょうか。」
私は門番の二人に警戒させてはいけないと思い、素直にそう言った。背の高い門番はふたりを頭のてっぺんからつま先までじろじろと観察すると、怪訝そうな顔をして言った。
「失礼だが、あなた方はあの黒い城・・・失礼、この辺りの者はみなそう呼んでいる・・・ヴァルキア城の方だとお見受けするが?」
門番は、ふたりのよれよれの薄汚れた奴隷服の胸についているワッペンを指して言った。
「この印は、ヴァルキアの紋章。見たところあなた方は兵士ではなさそうですが。」
門番は、丁寧に話はしているものの、ふたりをかなり警戒しているようだった。どう説明していいものかわからず、考えを巡らせていると、いきなりオソが目配せをした。
「実は、俺達はあの城から逃げてきた奴隷なんだ。見つかれば命はない。しかし故郷の母が病魔に冒されていると風の噂で聞き、自分の命を懸けてでも母に会わなければと言う、ただそれだけで兵士の目を盗んで逃げてきたんだ。この者も同じ奴隷で、この地よりはるか彼方のとある町にいる妹が今にも命が危ないとの然るべき所からの情報があって一緒に逃げてきたんだ。あの城の奴隷が憐れと思うなら、どうか水と食料をちょっとだけでいい、分けてくれないか。」
よくもまあこんなまったく身に覚えのないことをすらすら言えるものだ。嘘八百の話しを、さも本当にそうだったように哀れっぽい表情と態度を露にして演技出来るオソを見て、私は唖然とした。そしてオソを軽く肘で小突いてささやくように言った。
「なんでそんな話を・・・」
オソは一瞬真剣なまなざしを向け、それから小さく頷いた。どうやらオソには何か考えがあるようだった。オソにとってはこんなことは朝飯前なのだろう。私は仕方なくこのオソの作り話に一役買わざるを得なくなった。
「そうか、そんなことが。幸いここらはヴァルキアの死角になっていてまだなんとか暮らしていけてるが、最近じゃあこの辺り一帯に疫病が流行っているとも聞く。命を懸けて逃げて来たのなら仕方ない。だが申し訳ないがこの村に入れるわけには行かない。村長からの命令でな。悪く思わんでくれ。」
するともうひとりのずんぐりした人のよさそうな門番が口を挟んだ。
「君達を村に入れるわけには行かないが、君達に僅かな食料と水くらいは分けてあげることはできる。君達の持っている水筒を渡してくれれば、それに水を入れてきて差し上げるがいかがかな?」
にっこりと笑う、なんともかわいい感じの男だった。オソは後ろ手に私から水筒をもぎ取ると、演技を続けながら男に水筒を渡した。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。ふたりなのにひとつだけなのかい?これじゃあいくらなんでも足りなさすぎだろう。オッケー、ちょっと待っててくれ。」
そういい残すとずんぐりとした門番はその場を最初の、ひょろっと痩せた男へ任せて村の中に入っていった。
「あいつは人がいい。この村も最近続いているこの日照りで、水も底をつきかけている。充分な量がなくとも恨まないでくれ。」
私は肩に圧し掛かった重い荷物を一時だけ下ろし、その場で大きく伸びをした。城を出た時よりは幾分温かくなってきた空気を思いっきり吸うと、なんだか体が軽くなったように感じた。
しばらくすると、ずんぐり門番が戻ってきた。手には抱えきれない程の荷物を持っていた。
「ほら、これはうちで余ってたマントだ。これがなきゃ、この暑さには耐えられんだろうて。そしてほら、近頃うちは村の外には出ないから、うちで干からびていた水筒をひとつあんた達にあげるから、持って行くといい。それと、食料。たいした量じゃねえが、贅沢しなけりゃある程度までは持つだろう。」
「しかし、こんなに頂いて大丈夫なんですか?こちらの村も貧しい生活をしていると聞きました。一介の旅人ふぜいのわたしたちにこんなに・・・」
なんだかとても申し訳なさでいっぱいになり、私は門番にそう言った。なんせオソはこの人のいい村人に嘘までついて、自分達の食料や水を調達せしめたのだから。
「なあに、これから先、辛い旅に向かうあんた達に比べたら、俺達はちゃんと家や家族があり、食料もなんとか調達出来ているだけ恵まれているさ。これくらいのことをたった一度くらいしたところで、罰は当たるまい。」
ずんぐりした門番は軽快にそう言うと、荷物をふたりに手渡した。
ふたりはこのずんぐりとした門番に何度も何度も礼を言い、マントを羽織り、荷物を受け取った。これで当分の間は旅を続けられる。ふたりの顔に安堵の表情が浮かんだ。これから待ち受けている試練とも言える残酷な仕打ちが待っているとも知らずに。
ふたりは小さな村を後にし、元来た道を戻っていった。分かれ道に差し掛かった時、もう一度ふとあの親切な村人が居た小さな村に向かって、私は一礼した。
「よし、先を急ごうじゃないか。期限を過ぎれば俺達には死しか残っていないんだからな。」
もうすでに太陽は真上を過ぎ、わずかに西へ傾いていた。ジリジリとした熱気に、夜の間に溜まっていたはずの露も炙られ空気中に蒸発して漂っていた。僅かばかり歩いただけなのに、あっという間に体力を奪われているのがわかった。ふたりの足元はまだ若干草が苔のように生えてはいたが、進行方向に向かえば向かうほど、草はだんだん少なくなり、代わりに熱された砂が地平線の彼方まで広がっていた。ふたりはなるべく砂漠の中には入らぬよう、砂漠を縁取っている僅かな草が生えている場所から離れぬよう気を使いながら目的地まで歩いて行った。
太陽は、楽しげにふたりの旅人の上から灼熱の光を発していた。貰ったマントがなければふたりはとっくに体力を消耗してしまっていただろう。しかし、荷物の重さやマントの重さがこれほど気になるとは。まるで子供を担いでいるかのように、荷物はふたりの肩に重くのしかかっていた。
どのくらい歩いただろうか。延々と続く熱砂の上に陽炎が立ち昇り、少し離れているとはいえ砂漠の熱がふたりを襲うかのように感じる頃、ふたりは休憩をとることにした。木が生えているわけでもないので今もなお楽しげに踊っている太陽の光を遮るものもないだだっ広いだけの場所に、ふたりは腰を下ろした。そして貰った荷物を覗いてみた。中には乾燥した芋やフルーツ、砂糖の小さな塊少々と塩の小さな袋が入っていた。二人にとってはこの侘しい食料がこの世のものとは思えぬほどのご馳走に見えた。ふたりはまず、自分達が持ってきた薄汚い水筒の中身から口をつけ、カラカラに渇いた唇を潤した。まだまだ先は長い。ここで一気に荷物を減らしてしまうのは賢い方法とは思えず、私はぐびりと一口水を飲み、オソへ手渡した。オソは我慢の限界とばかりに水をゴクゴクと飲み始めた。
「おい、そんなに最初から水を飲んでしまえば、この先困ることになるぞ。その辺でやめておけ。」
半分意識が飛んでいたのが、今の一言でハッと気がついたかのようにオソは一瞬身じろぎ、それからゆっくりと私を見つめ、そして自分の手元にある水筒に目を移した。
「あ、ああ。そうだったな。すまん。」
「だいぶ具合が悪そうだな。大丈夫か?」
そう聞くとオソはしばらくの間水筒を見つめたまま身じろぎもせずに居た。
「大丈夫だ。この任務はどの道、ふたりで遂行し、無事に城にふたりで戻らなければ、任務が完了したとは見てもらえないだろう。俺達にはここでのたれ死ぬか、任務を無事に終わらせるか、ふたつにひとつしかないんだ。」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、オソは荷物をまとめ始めた。私はオソが相当弱っているのではないかと心配になり、オソの手を掴み、食料袋の中から砂糖の塊をふたつ取り出し、ひとつをオソの手に押し付けて言った。
「これを食べておこう。きっと少しは体力が回復できると思う。」
暑さと体力の消耗のせいで空腹感はあまり感じられなかったが、私は自分が手にした砂糖を無理やりかじった。口に含んだ途端にさらっととけ、口中がすっと一瞬さわやかになるような感じがした。それを見てオソも、世にも珍しい食べ物を手にした子供のように、砂糖の塊にかじりついた。
「こんなものでも、ないよりはマシってもんだな。」
悪夢から目覚めた後のような、うつろな表情でうっすらと微笑みながらオソは言った。
太陽はだんだんと西に傾き始め、日の光はますますふたりの旅人を照らし続けた。マントを脱ぎたい衝動に駆られながら、ふたりは黙々と歩き続けた。歩くたびに頭や背中から汗が滴り落ち、落ちた汗は砂漠の熱砂に炙られてジュッと音を立てて蒸発するかのように見えた。だが、今ここでマントを脱いでしまえば、ジリジリと照りつける陽の光に体を焦がすことになり、それはそのまま二人の死を意味するとわかっていた。
分かれ道から東へ約二時間ほど歩いた辺りで、ふたりは二度目の休憩を取ることにした。疲れのせいで目の前がぼやけて見え、足は動くことを拒否していたからだ。棒のようになった足を休ませるため、ふたりはまたしてもなにも遮るものがない地面の上に荷物をそっと置いて座った。背後にはまだうっすらとふたりが出てきた城が高々と聳え立っているのが見えた。もうずっと歩いてきたように思えたが、実際にはまだそう遠くには来ていないらしい。一体、いつになったら目的地に着けるのか、ふたりは訝った。地図もなく、ただ命令された時に聞いた情報だけを頼りに歩かねばならない。本当に目的地があるのかどうかさえわからなくなるほど、ふたりは疲れきっていた。急に眠気が襲ってきたが、この砂漠の暑さの中では到底寝られるはずもなく、ただぼんやりと横になって目を閉じることしか出来なかった。目を閉じるとまぶしい太陽の光が瞼を透かして通ってくるような、真っ赤な世界があった。しばらく赤い世界を見つめているうちに、周りから黒雲が湧き出てくるような妙な感覚があり、そのまま真っ暗な世界に落ち込んでいった。
ふいに、私は足元に何かの気配を感じて目を開けた。目の前には光り輝くまぶしい世界が広がり、一瞬自分の目が見えなくなったような感覚に陥った。目をしばたたかせると、徐々に周りの景色がうっすらと見えてきた。
「動くんじゃねえ。」
一瞬、誰の声かと訝るほどの危機感と恐怖感の入り混じった声が耳元でささやいた。
「お前の足元にサソリがいる。下手に動いて刺されでもしたら、命の保障はなくなるぜ。」
外気とはうらはらに、私の体全体に内側から寒気が走った。足元をもぞもぞと動く何者かに気付かれないよう、息を殺してじっと通り過ぎるのを待った。感触がだんだんと足の端まで動いていくのを感じた。緊張のあまり、背中にある砂はじっとりと嫌な汗を吸い込んで、肌に吸い付くようなべたべたした感触になっていた。私の目は、覚めるような青空の中に浮かぶ灰色がかったうす雲に急に興味を持ったかのように、空を見つめたままだった。
やっと足にうごめく感触がなくなり、ほっと胸を撫で下ろした。私は目でオソを探した。オソは私と同じくほっと安堵の表情を見せ、私の顔を覗き込みながら言った。
「大丈夫だ。だが、まだお前の左側にいる。動くなら右側に動け。」
そう言うと、オソは自分の体を後ずさりさせて私の動けるスペースを空けてくれた。私は即座に右に寝返りをうち、事と次第を把握するために上半身をやっとの思いで起こした。喉はからからで全身はまるで火の中にいるかのように熱を帯び、唇は乾燥のためにひび割れ、砂についていない方の体はやけどをした時のようにジンジンと痛み、砂と接触していた側の体は、汗をすべて吸い取られ、まるでフライパンの中で炙られたベーコンのごとく汗と砂が入り混じったべとべとした気持ちの悪い感触になっていた。汗でぬれた砂は決して冷たいわけではなく、鍋の底から煮詰められたような生暖かさだった。
「どうやらちょっと休みすぎちまったようだ。この後急がねえと時間がなくなるぜ。」
オソの言葉の通り、すでに太陽は西側の方へだいぶ傾いていた。東から生暖かい風が僅かに通り過ぎるのを感じた。空には薄っぺらい雲が足早に流れていた。
「ありがとう。」
カラカラに乾いた口をほんのちょっとの水で湿らせてから、私はオソにお礼を言った。まさかオソが私を助けてくれるなんて。オソに対して持っていた疑念がまた少し溶け出すのを感じた。
「見てみろ。」
オソにそう言われ、オソの指を指す方向を見てみると、だいぶ遠くになった出てきた城の尖塔が、生えたての筍のようにちょこんと見えた。その尖塔の上からは、黒雲が不気味に被さっており、まるでふたりを威嚇しているようにも見えた。黒雲の影の下にあるせいか、城は不気味に薄黒く見え、なるほど『黒い城』と呼ぶに相応しい身なりをしていた。
ふたりは先を急ぐことにした。地形から言えば神殿のある都まで行くのに、どうしても砂漠に入らなければならない場所がある。本格的に砂漠の中を歩くことになれば、きっと今のように易々と進むことは出来なくなる。今まで以上に困難な道を、裸足で歩かねばならない。かかる時間や日数もこの時のために余らせなければならない。
夜に近づくにつれ、空気はひんやりと心地よさを増しては来たが、太陽が完全に地平線の向こうへ姿を隠すと、今度は急激に冷え込むようになった。寒さで手足は震え、吐く息は白く、手足を動かすことさえ困難な程になっていった。寒暖の差が激しいところからも、この砂漠は「死の砂漠」として恐れられているのだった。マントは日差しを跳ね返してくれはしても、この寒さは跳ね返してくれそうもなかった。歩く度に体中の間接はきしみ、昼間の熱気が急激に冷やされ、雨が通った後のように夜露が砂や僅かな草にたっぷりとしみこんでいた。砂はまだ暖かさが残ってはいるものの、この夜露のおかげで昼間よりも重く、疲れた足に更に圧し掛かってきていた。
疲れと寒さでどうすることも出来ず、ふたりは休憩することにした。しかしテントのようないいものは持っておらず、ふたりはこの寒さをどう凌ぐかを模索した。ここには枯れ木や枯れ草もなく、焚き火を起こそうにも薪がなかった。仕方なく、まだ温かみが残っている砂漠の砂をふたりが座れる分だけ掘り、そこへマントに包まって蹲った。そしてまたふたりは深い闇に落ちていった。
ふと、私は寒さで目が覚めた。いつのまにやら眠ってしまったようだったが、星の位置からするとそう時間は経っていないようだった。砂からの温かみが体を包み、その心地よさについうとうととしてしまったらしい。横を見るとオソは完全に横になってすやすやと眠っていた。私ははオソを揺り起こした。
「夜のうちにある程度進んでおいた方がいいだろう。さあ、もう行かなきゃ。」
私はそう言いながらさっさと身支度を始めた。眠そうな目を擦りながら、冬に暖かな布団から起きだす時のように身震いしながらオソはしぶしぶ起きだした。
ふたりはまた歩き出した。冬の北国のような寒さではあっても、体を動かしている方がまだ寒さを凌げるように感じた。途中に何度か休憩はしたものの、それ以外はただひたすらにふたりは歩き続けた。
夜の時間の小休止では、ふたりは急激な空腹感に襲われ、小休止の度に何かしらを口に含んだが、ふたりの腹は満たされなかった。ふたりは寒さでろくに口も開かぬ状態の中でも、ちびちびと干し肉やら干しフルーツを食べながら歩いた。なにかを口に入れていないと落ち着かなかった。夜が増すにつれ冷えていく外気も手伝って、ふたりはもはや話をするのも億劫になり、無言で歩いた。
一日目の夜が過ぎ、夜気がだんだん熱を帯びてくる頃、ふたりは何度目かの休憩に入った。疲れはピークに達し、もうこれ以上足も動かすことが出来ない状態だった。ふたりはマントに包まり、そのままあっという間に深い眠りに落ち込んでいった。
ふと、私はなにかにつつかれた時のように急に目が覚めた。しらしらと夜が明け始めていた。星の輝きは薄れ、西の地平線からは太陽が顔を出す予告をするかのように光が漏れていた。
薄暗い中で辺りを見回すと、目の前には一羽の鷲が頭の上を旋回していた。鷲はまるで獲物を狙っているかのように旋回しては地上に近づき、近づいたかと思えばまた空高く舞い戻りの繰り返しをしていた。私は何気なくその落ち着きのない鷲の行動をじっと見つめていたが、突然その鷲は私の目の前に舞い降り、まるで何かを訴えるかのような目つきでをじっと見つめた。
一体なんなのだろう。怪訝に思ったその瞬間、どこからともなく声が聞こえた。
「ようこそ、風の精霊殿。」
聞こえるはずの無い声が突如として頭に響いた。いや、耳に響いたのかもしれない。誰の声かと私は辺りを見回した。しかし目の前には一羽の鷲、自分の横にはぐっすりと眠っているオソ以外は誰もいなかった。
「わたしは貴方の来訪をお待ちしていたものです。風の精霊殿。」
信じられないといった表情でもう一度目の前にいる鷲に目をやった。鷲は相変わらず私をじっと見つめていた。きっとこれは夢だ。疲れが見せた幻覚なんだ。目を擦り、頭を振って眠気を追い払いながらまた目の前を見た。まだ鷲は目の前にいて、私の目をじっと見つめている。もはや疑いようがない。この鷲の声なんだ。
「わたしは貴方がここへ来ることを前以って知っていました。生あるものすべての母より教えられていたのです。」
「貴方は今、人々の罠にかかり、大変な試練の時に突入しました。しかし、この先なにがあろうとも、絶対に我を忘れてはいけません。」
鷲は、私の身に起きていることがすべてわかっているかのような物言いをした。
「どういうことだ?」
つい、私は相手が鷲だと言うことを忘れて質問してしまった。質問してしまってからハタと、自分はどうかしてしまったのかという自責の念に駆られたが、さらに驚いたことに鷲から返事が返ってきた。
「詳しいことはわたくしも知りませんのでお教えすることが出来ません。しかし、我が母がこのように伝えろと。『この先なにがあろうとも、決して我を忘れてはいけません。』と。」
なにがなんだかわからなかったが、とりあえずこの先なにかとんでもないことが待ち受けていそうな予感はしていたので、この場はとりあえず「わかった」と返事をすることにした。返事を告げると鷲は納得したかのように空に再び舞い戻り、ゆっくりとキースの頭上を旋回し、大空のどこかへと飛び立っていった。
鷲が飛び立った後すぐに、またしても急激な眠気に襲われ、私は再び深い暗闇に落ちていった。次に目が覚めたときにはすでに辺りは明るくなっており、太陽が元気いっぱいに熱気を放っていた。目が覚めてからもしばらく鷲のことをぼーっと考えていたが、なんだか夢を見ていたような感覚になっていた。あれは夢だったのだ。そう思って身支度をしようと立ち上がろうとしたその目の前の砂には、鷲が現れたのは夢ではなかったと立証させる証拠があった。足跡がはっきりとついていたのだ。やはりあれは夢ではなく、現実に起こったことなのだ。にわかには信じがたかったが、そんなことより今日これからの旅のことを考える方が最優先事項のように思えた。
前の日と同じように、暑さに翻弄されながら、体力を奪われながらふたりの旅人は黙々と歩いた。辺りに目を凝らしてみても、太陽の輝くような光以外はなにも目に映らなかった。村や町の気配もなく、木が生えている気配もない。なにもない、砂だらけのこの世界にたったふたりだけ取り残されたような寂しさを感じながらさらにさらに歩いていった。裸足の足に焼けるような砂が絡みつき、火傷を負ってズキズキと痛み出していた。足はすでに感覚を失って、本当に足を動かしているのか疑うほどだった。
落ち着かぬ昼間の休憩も程ほどに、ふたりはさらに歩き続けた。意識は朦朧とし、どこをどう歩いているのかさえわからなくなるほど疲れ、暑さでめまいがするほどだったが、この熱砂地獄では休憩することさえままならなかった。水も二本の水筒のうちの一本はすでに飲み干し、二本目もすでに半分も残っていなかった。このままふたりは倒れて死んでしまうのではないかと不安に駆られながらも、どうすることも出来ない太陽の下でとぼとぼと歩を進めるしか道は残っていなかった。
ふと、東からの生暖かい風が頬を撫でた。朦朧とする意識の中で空を見上げると、東側から急速に突き進んでくる黒い雲があった。遠めから見てもわかるくらい、雲の下には雨が降り注ぎ、それまで熱されていた大地は突然の雨を受けてもうもうと水蒸気を発していた。水蒸気は空までのぼり、そこでまた新たな雨雲を作り上げ、どんどん大きく膨らんでいくように見えた。
「恵みの雨だ。ありがたい」
そう言ってふたりは急に元気を取り戻し、迫り来る雨を僅かでも受けようと荷物をその場に置き、その上からマントをかけ、みすぼらしい奴隷服を脱ぎ捨て裸になった。雨はふたりを洗い流そうとするかのように忍び寄り、そして激しい水しぶきをふたりに浴びせかけた。
雨は生暖かかったが、ふたりの身も心も充分潤してくれた。この機会を逃すまいと、ふたりは必死で水筒を天に掲げ、雨を水筒に満たそうとし、さらに手にも掬い取ってはごくごくと飲んだ。
水を受け、ふたりは元気と意識を取り戻した。そして思い出したように持っていた食料にかぶりついた。再び元気に顔を出した太陽に服やマントはあっという間に乾かされ、再び自分の仕事を果たすべくさんさんと光を地上に降り注がせた。
今しがた降った雨は太陽の熱であっという間に水蒸気に変わり、今度はうだるような熱を放った。恵みの雨と喜んだのもつかの間、雨の残した足跡は、この後しばらく湿気と熱気になってふたりの旅人を苦しませた。砂漠の砂の表面は雨を受けて重くなり、ふたりの足の運びを遅々として進ませなかった。膝ががくがく痙攣し始め、もうこれ以上歩けないと思った時、ようやく太陽は自分の役目を終えたかのようにゆっくりと辺り一面を赤く染め上げながら、東の地平線へ向かっていた。
すでに雨の気配など感じさせないほど熱された砂の上にふたりは蹲った。いつしかふたりは落ち着かぬ浅い眠りに落ち込んでいった。時間が経つにつれ、空気も次第に夜気を帯び、熱が取り去られて涼しくなってきた。まだまだ暑いとはいえ真昼間の暑さから比べたら随分過ごしやすい気温になっていたため、ふたりはすぐに浅い眠りから深い眠りへと落ちて行った。こうしてふたりの旅人は二日目の夜を迎えた。
二日目の夜を迎え、涼しい間にふたりの旅人はただひたすらに眠り続けた。太陽が東の地平線へ沈んでしまうと、急速に夜気が広がり、ふたりが眠っている間に空は一面の星を散りばめていた。だんだんと気温も下がり、眠っていられなくなるほどの寒気に襲われてふたりは目を覚ました。僅かな食事を取り、残り少ない水を少しづつ飲み、ふたりは再び旅を続けた。昼の間は暑さと熱気で思うように旅がはかどっていなかったため、比較的過ごしやすい夜になんとか歩を進めて距離を稼ぐ作戦を再び決行した。
暑さの中で体力を消耗するよりは、夜の冷気の中で歩いた方が体力的にも気力的にも消耗が少ないような気がしたためだ。この作戦はうまくいった。夜はマントを羽織っていても寒さが肌を貫き、眠ることすら出来なかったが、それなりに距離を稼ぐことは出来た。この辺りからは空の星を見ながら北へ進路を変えてみた。僅かな時間にしか眠ることが出来ず、ふたりは睡眠不足でふらふらと足取りもおぼつかなかったが、あと一日で、少なくとも目的地近くには行けるのではという期待から、気力を振り絞って懸命に歩いた。そして辛く厳しかった二日目もとうとう終わりに近づいてきていた。寒さが次第に緩み始め、夜の間の夜気で凍えた体が解凍されていくような、緊張を溶かしてくれるような暖かさが体を包んでいた。ここでふたりはもう一度睡眠をとった。この僅かな過ごしやすい時間帯に休んでおかなければ気がおかしくなっていたことだろう。
三日目も前日、前々日と同じように辛く厳しい暑さの中をただひたすら歩き続けていた。それまでと違ったのは、そろそろなにか、砂以外の物が見えてくるのではないかとの期待から、ふたりはせわしなくあちこちに目をやりながら歩いていたことだった。辺りを見回しても、前日までと同じように、建物らしい影も形も見えない。少し歩いてはまた周囲を見回し、がっかりしてまた黙々と歩き、しばらくしたらまた周囲を見回してまたがっかりする、そんなことの繰り返しだった。
「そろそろなにか見えてきてもいい頃じゃないか?なんでなにも見えねえんだろう?」
オソは愚痴っぽく言った。
「この任務の説明を聞いた時、確かラース将軍は『片道三日』と言ったはず。なのになんでなにも見えないんだ?」
確かに何かが変だ。どこかが狂っている。だがそんなことは億尾にも出さずに言った。
「今の時点で言えることは、夜までの間に何か見えてくる、もしくは到着出来る可能性と、俺たちの足が遅くて遅れている可能性、後は考えたくはないが、道に迷ったかもしれない可能性だな。」
「もうひとつ可能性はある。ラースが嘘を教えた可能性だ。」
「それもありえるかもしれないな。」
まぶしさで太陽と砂がぼやけて見え、全体に陽炎が漂っているような感覚になりながらも、ふたりは懸命に歩いた。幻覚でもいい、なにか見えやしないかと辺りを見回してもなにも見えない。絶望にも似た感覚と今までの強行軍で体が疲れで痺れて感覚がなくなっても、もうすぐ何かが見える、その期待だけで私達は歩いていた。
やがて暑苦しい昼も過ぎ、段々と空気が生暖かくなり、太陽もいまや遥か遠くに見える東の地平線と空を赤く焦がしながら休みの体制に入っていた。一体何時間歩いたかもわからない。もう体が動けなくなり、ふたりはまだ熱を帯びている砂の上に倒れ込んだ。そしてそのまま死んだように動かなくなった。
気がついたのは、辺り一面が暗くなり、星々が空に美しく輝く肌寒い夜になってからだった。結局、夜になってもまだ都の姿も見えない。この残酷な現実を目の前に、私達はただ押し黙ったままで座っていた。
とりあえず今のふたりに必要なことは、水と食料なのだと体が激しく訴えていた。ふたりはのそのそと動き出し、からからに渇いた喉を潤した。すでに残りも僅かになった食料を手に取り、口に含んでいる間もずっと押し黙ったままだった。静かな夜が辺りを満たした。月は細く欠け、新月に近いその姿をうっすらとした衣で身を隠すように、雲がかかっていた。
「とにかく、俺達には先に進むしか道はないんだ。」
まるで自分に言い聞かせるように、オソはぼそっとつぶやいた。その時私は母のことを考えていた。もう何日もろくな食べ物も与えられていないのだろう。一刻も早く戻らねば。そうは思っても、連日の暑さの中を歩き続けて来た体はもう動けないと訴え続けていたし、私も急激な眠気に耐え切れなくなってきていた。オソはすでにマントに包まり、つい今しがた起きたばかりなのにまたしても横になって眠ってしまっていた。砂の熱も徐々に取り払われていくのがわかった。
ふと、意識がなくなったかと思えばすぐに何かの気配に目が覚めた。なにやらごそごそと蠢くものがいる。細心の注意を払いながら辺りを見回した。すると小さくてほとんど気がつかないような体の影の部分に、一匹のサソリがいた。キースは思わず体を仰け反らせた。サソリに刺されたりしたら、それこそ自分はここで屍になるしかないのだ。体全体に戦慄が走った。一日目に感じたあの恐怖とほとんど同じだった。
ところがサソリは身じろぎもせず、どんどん私の方へ近づいて来た。私は言い知れぬ恐怖感からつい迫り来るサソリを追い払うかのように距離を測りながら砂を投げつけた。
「やあやあ、そんなことをするものではありません。」
いきなり、またしても頭の中に声がした。もしやつい数日前の鷲なのか?しかし辺りを見回してもサソリ以外の生き物はオソ以外はいないように思え、再びサソリと目を合わせた。
「そう、わたしです。貴方の目の前にいるサソリです。風の精霊殿。」
この苦行の間の僅かな日数で、こう何度も同じようなセリフで、しかも信じがたいことに動物達が自分に話しかけるなんて、まるで夢物語を見ているかのように思えた。だが私自身は、完全にとは言えないが、目の前の現実を『現実』として受け入れられるようになって来ていた。そして私はハタと気がつき、気になることを思い切って質問してみようと言う気になっていた。
「なぜ私のことを『風の精霊』と呼ぶ?わたしは人間だが。」
その質問はサソリにとってはまるで非現実的な質問だったかのように押し黙り、そして考え事をしているかのようにその場をグルグルと動き回り始めた。動きが止まった時、またしても声が頭に響いてきた。
「なるほど、あなたは人間として生まれて来る時に、何もかもを忘れてしまっているのですね。わたしは貴方が何者なのかを知っています。しかし今はその話をするべき時ではありません。わたしはただ、伝言を伝えるように言われて来ただけなのです。」
どうもこのサソリはせっかちなようで、私の質問など聞かなかったかのように次々と話し始めた。
「今現在、貴方はこの地で迷っておられます。あなた方の進むべく道を示してさしあげましょう。明日の朝、空を飛ぶ鷲に注意を細心の注意を払ってください。そこに道が示されましょう。」
「え?君達が手助けしてくれると言うのかい?」
「いいえ。わたし達ではなく、昨日貴方にお目にかかった鷲がご案内を買って出たのでございます。わたしはその伝言を貴方にお伝えするために参っただけのこと。」
息つく暇も与えないほどの勢いでさらに続けた。
「このことは、我が生きとし生けるものすべての母であるあの方はご存知ありません。なのでどうか、このことはくれぐれもご内密に。貴方と旅を共にしておられる方にもです。よろしいですか。」
私にとってこの、地獄の旅程の中で手助けをしてくれるものがたとえ人間でなかろうとも居るということはこの上ない励みになった。神は自分を見放したわけではなかった。そんな、今まで思ったこともないような思いが込み上げ、言い表すことの出来ない喜びが胸に滝のように押し寄せた。
「わかった。ありがとう。」
私が礼を言うと、サソリはまたせっかちに「どういたしまして」とでも言うかのように、長く伸びた尻尾を前に倒して挨拶した。
「ああそうだ、忘れるところでした。」
サソリがまた話し始めた。
「もうひとつお渡しするものがございます。今しばらくお待ちください。」
そう言うと音もなく地中深くに潜り込んでたちまち見えなくなってしまった。私の瞼が再び重くなって来た時、サソリが消えた辺りの砂から今度は別の何かが這い出してくる気配がした。なんだろうと訝りながら見ていると、今度はサソリではなく、一匹のスナネズミがピョコっと顔を出した。
「これをお渡しするようにと、貴方のお母上から預かって参りました。」
何匹ものスナネズミが光る重そうなものを砂の中から取り出した。それは紛れもなく捜し求めていた神剣グラムリングだった。私は目をパチクリさせてスナネズミを見た。どうしてこんなものがここに?
「貴方のお母上と私達の仲間の一匹が親しくさせていただいていたのです。貴方が旅立たれてから、お母上は貴方の心配ばかりをしておりまして。なにか勇気付けて差し上げることがあればと、お手伝いを買って出た所存でございます。」
俄かには信じがたいことだった。母はネズミと話が出来るのか?
「貴方様のお母上様は、私達と意思の疎通が出来るようです。他の人間のように言葉を話すことが出来ないため、神様のお慈悲でそういう能力を身につけられたのかもしれませんね。」
私は、ネズミ達が必死に砂の中から掘り出したグラムリングを手に取り、砂を払いながら二の句も告げられずに、忙しなく動くスナネズミ達をただポカンと口を開けて見ることだけしか出来なかった。
「それでは私達は参ります。ごきげんよう風の精霊様。」
ありがとうと伝える暇も与えず、スナネズミは地中深くに戻っていった。なぜ母がこれを?そんな疑問が一瞬湧いたが、体の疲れと、母はまだ無事なのだと言う安堵感で、またしても瞼が重くなり、薄いマントに包まりながら、深い眠りに落ちていった。
明日の朝が勝負だ。明日こそ、きっと目的地にたどり着ける。私は眠りに落ちながらそう自分に言い聞かせた。
心地よいまどろみに身を包まれている時、オソに揺さぶり起こされ、私は現実に引き戻されたような気がして目を覚ました。辺りは完全に暗くなり、僅かだった月さえも、今は厚い雲の後から世界を照らしていた。
「寝すぎた。もう行かなきゃならない。」
ふたりは身支度をして出発した。寒さが肌に染み、動くことでなんとか温かみを体に取り戻したい一身で歩いた。北極星がふたりの背後で輝いており、どうやら今までは、南側に向かっていたことがわかった。夜には星の位置を確認しながら歩いていたはずが、いつの間にか狂わされている。やはりこの砂漠はなにか大きな、目の見えぬ力に支配されているのかもしれない。ふたりは進路を北の向きに変え、なるべく北極星を右上に見えるようにして歩いた。数時間置きに休憩を取りはしたが、なるべく食料は残したままにした。長い長い夜の間、遅れを取り戻そうと必死になって歩いた。私達の背後には、今までの私達の行程を示しているかのように砂の上に点々と足跡だけを残して続いていた。
三日目の夜もそろそろ過ぎようと言う頃、目の前にサボテンが立ち並ぶ場所に来た。今まで草一本、サボテン一本も見えなかった砂漠に、突如として現れた植物にふたりは心が躍った。もしかするとこの近くにオアシスなどが見えるかもしれない。なにより「生き物」の気配が感じられたことを嬉しく思った。
四日目の朝が無情にも明け始めた頃、ふと空を見上げるとふたりの頭上空高く飛びまわっている一羽の鷲が目に飛び込んできた。そして思い出した。夢現に見た光景。鷲やサソリが自分に話しかけてきた事実。随分前にも似たようなことは多々あった。ゲリラの村の近くにいたカラス、そして長の病気を治すために山の上へ行った時に出会った竜の化身。みんなが口を揃えてキースを『風の精霊』と言った。一体なんのことなのか、身に覚えのないことなのに。ふと、記憶の彼方から声が聞こえた。
『お前さんはきっと、目に見えないなにかに守られているのだろう。』
それは、遥か昔と思えるほど(実際は一年も経ってはいなかったのだが)前に聞いた長の言葉だった。自分は何かに守られている?一体なんのことなのか。だが、今はそのことを考えている暇はない。そうだ、思い出せ。あの鷲はなんて言った?『これからの行く先を空から示すので着いて来て欲しい』とかなんとか言わなかったか?記憶の糸を手繰りながら、輪を描いて飛ぶ鷲の方向へと私達は歩を進めた。
この、私の突然の行動に、訳もわからずにオソは質問を浴びせかけてきた。だが私は、そのオソの言葉などまるで耳に入ってはおらず、ただ黙々と、そして今までにないほどに足早にオソの前を歩いた。私のその行動は、オソから見たらまるで、私が何かに執り付かれたかのように思えたことだろう。サソリの言葉が蘇る。『誰にもこの助けのことは話してはならない。』ならばこのまま何も言わずに行くしかない。
ふいに、私は腕を掴まれ、我に返ったような気がした。オソがものすごい形相で睨んでいた。
「おい!なんでそう急ぐ?なにか見つけたのか?なぜ何も話してはくれない?」
オソの疑問はもっともだ。話したいのは山々だが、話してはならないと言われているためにどうすることも出来ない。私とてきっと、同じようなことをされたら腹が立つだろう。なにか、それと知らせずにうまくオソを自分についてこさせる方法はないものか。頭の中で思考しながら、空を仰ぎ見た。まだ鷲は空中で旋回している。
「見てみろ。あの空で旋回している鷲は、何か俺達に訴えかけているような気がしないか?」
信じられないと言った表情でオソも空を見上げた。確かにふたりの近くで鷲が旋回している。
「ただ、餌を探して飛んでいるだけだろう。」
「しかし、もうずっと同じ場所ばかり飛んでいる。きっと何か訴えかけているんだよ。」
苦し紛れにそう言うと、オソはますます怪訝そうな顔つきになった。
「おい・・、暑さで頭がやられちまったか?そんなはずはないだろう。あっちは目的地とはまったく違う方向だ。」
「だが、今私達はたぶん道に迷っている。この暑さが、この砂漠が、俺達の方向感覚を鈍らせているのかもしれないし、この土地にはなにか大きな力が支配しているのかもしれない。いずれにせよ、神にでもすがらないと目的地にも着けそうもないと思う。」
まるでオソを勇気付けるかのように、私は言った。ここでなんとかオソを説得しなければますます遅れるばかりだ。頼む!なんとか納得してくれ!神にでも祈るような気持ちで私は心の中でそうつぶやいた。
「確かにそうかもしれない。しかし、神だの何だのと、そんな不確かなものを信じる気にはなれない。」
「まあ、確かにそうかもしれない。だが、どうせ何も見えない場所なんだ。目標みたいな軽い気持ちで着いていってみないか?もし違っていれば、引き返すことも出来るし。その分時間はかかってしまうが。」
「おいおい、気がついてないなら言うが、もし帰るのが遅れればそれは即俺達自身の命がなくなることと同じなんだぜ。俺達だけじゃない、お前のかあちゃんもだろ。」
「わかってるさ。だが今は俺の勘が『ついていけ』と言ってる。俺はここで命を懸けて誓おう。お前だけは無事に生きて帰すと。」
「馬鹿野郎!俺だけ帰っても、任務を無事に遂行したことにはならねえ。俺は帰ってから鞭打ち百回だぜ。この鞭打ちで生き残ったやつはいねえ。大概の場合、途中でくたばっちまうんだぜ!ふたりで!しかもあと三日のうちに帰らなけりゃいけねえんだってことを思い出してくれ!」
体中をわなわなと震わせ、とうとうオソは怒鳴りだした。奇想天外な発想を持ってる場合じゃない、オソは全身でそう訴えていた。だが私は確信していた。私が取っている行動は正しいのだと。なぜかはわからないがはっきりと感じ取っていた。
「俺の言うことが信じられないのなら、ここでお別れになるな。どの道ここで口論していても、遅れて帰ることになっても、俺達の前には『死』しかない。だったらちょっとは希望がある方向へ行きたい。俺はそう思う。着いて来たくないならオソはオソの思う道を行けばいい。」
私は皮肉っぽく、そして冷静にそう言うと、荷物をまとめてさっさと歩き出していた。オソは困惑しながらも、ここでひとり取り残されるよりは誰かと一緒の方が賢明だと考えたかのように、諦め顔でしぶしぶ後ろをついてきた。
ここからふたりの進路は変更された。右に進路を取り、そのまままっすぐに鷲が示す方向へ向かっていった。私でさえも半信半疑だったが、陽が高くなるにつれ、道を進むにつれて増えていく草が、私の勘が正しかったことを証明していた。
途中で疲れのために足がもつれ、砂の上に倒れ込んでしまうまで、鷲はふたりを休ませてはくれなかった。まるでふたりの任務のことを何もかも知っているかのように、急げ急げと、時としてふたりの背後まで差し掛かり頭を掠めて威嚇するように飛んだりしていた。ふたりとも、もうどう足掻いても動けないというところまで来て、ようやく鷲はふたりを休ませることにしてくれた。すでに足には豆が出来、その豆が連日の熱砂で炙られ硬くなり、豆のない部分は火傷を負い、僅かな砂の感触にも敏感になっていた。この強行軍で豆はつぶれ、、潰れた豆の割れ目には無情にも砂が入り、血と混ざってちくちくと刺した。水はとうになくなっており、唇も乾ききっていてひび割れていた。口の中にはどこからか流れて来た風が運んで来た砂漠の砂が入り込み、体中どこもかしこもジャリジャリしていた。渇きのせいで口を開くことも出来ない。この世の神に愚痴でも言ってやろうかと仰向けになったとき、空から何かが降ってきた。
慌てて降って来た何かを手に受けると、それはなんとも言えぬ芳香を漂わせたひとつの真っ赤な果実だった。唖然としているともうひとつ赤いそれが降ってきたので、取り損なうことのないように気を集中させて受け取った。空を見上げると、鷲が頭の上で旋回していた。そうか、この果実は鷲が運んで来てくれたのか。
見たこともないようなその果実をひとつ、オソに手渡し、ふたりは恐る恐る果実にかぶりついた。たとえそれが毒入りであろうとも、今のふたりには喉を少しでも潤せるものがあることが一番重要だった。皮は薄くやわらかく、水分を完全に失ってしまった唇にちょっと触れただけであっという間に中から甘く涼しげで、どことなく冷たい果汁を出してくれた。ふたりは我を忘れて果実にかぶりついた。果汁は一滴でも無駄にはしたくなく、行儀の悪さなど気にせずふたりは果汁をなめまくった。果肉はさわやかな緑がかった白で、口に含むとさらさらと溶け出した。果実の中心に行けば行くほど、段々と歯ごたえのある果肉になっており、空腹だったふたりの腹を満たしてくれた。果皮は柔らかではあったが、口に含んで噛むとほろ苦さと薔薇のような香りを漂わせ、恍惚とさせた。
「この世に、こんなうまい果実があるとはな。見たことも聞いたこともない果実だが、もしかしてこれは、神話のアダムとエバが食べたという果実なんじゃないのか?」
すっかり気分がよくなり、気持ちも落ち着き、前向きに物事を考える余裕が出来たようになった。たったひとつの果実だが、ふたりの腹の中で膨らんだかのように、完全にふたりの腹を満足させてくれた。
「俺は今まで、神なぞ信じちゃいなかった。だが、この果実の存在だけは、なんだか神が本当にこの世に存在するんじゃないかと思わせるようだ。」
オソの言うように、確かにどことなく神の食べ物かと思うほど、ふたりを満足させてくれた。それまでとはうって代わり、疲れも完全に癒え、手足の痛みも重い荷物を乗せて強張った肩や腕にも、力が湧いてくるのを感じた。
そしてふたりはまた歩き出した。それまでのような辛い行程ではなかった。最初僅かだった草が段々と多くなり、草も灼熱の太陽の下とはまるで無縁だったように、うっすらと露を含んでいるものもあった。風がそよそよと心地よく吹き、息苦しさも薄らいだ。太陽が真上から少しずれ、流れて行く雲の後に隠れた頃、目の前にうっすらと何か巨大な建物のようなものの影が見えた。建物の上の空には、案内してくれた鷲が旋回している。こうしてふたりはようやく目的地を見出したのだった。