表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガイア  作者: 知舘美衣
なぜ人は苦しまねばならないのか
13/19

第二章 第七話 灰色の目の男

キース「なあなあ、俺、これからどうなっちまうんだろうな?」

スノウ「・・・さあな。俺が登場して助けてあげられればいいんだろうけど・・・」

(作者を見つめるふたり)

伊紋「・・・・・・・ふっ・・・・・・・」

スノウ「ありゃあ、何も考えてないなきっと。」

キース「・・・・・・」

気がついた時には、恐ろしい形相で鞭を持った上官の足元にびしょぬれの状態で倒れていた。硬い敷石の上で新たに作られた無数の鞭の傷の疼きを抑えながら立ち上がろうとすると、上官はキースの顔を踏みつけ、睨みつけながら、汚いものに唾を吐くごとく言い放った。

「仕事をさぼってこんなところで寝てやがって!おい!もう一度鞭を食らいたくなかったら起きて仕事の続きをするんだ!お前のような能無しを飼ってやっているだけでもありがたいと思え!」


 鞭の傷の痛みに耐えながらのろのろと立ち上がると、上官はまるで楽しんでいるかのように意地悪な目つき・顔つき・口元で私に囁きかけた。

「お前の母親は当分地下牢に入れられるそうだ。処刑になるのもそう遠い日ではあるまい。お前も母親のようになりたくなかったら、我等に逆らおうなどとは思わぬことだな。」

 この言葉は、一見絶対的な権力の前では自分は無力なのだと知らしめる悪魔の囁きのように思えるが、実際には私に、これまで抱いたことのないほどの怒りの炎を燃え上がらせるガソリンのような効力を発揮した。しかし、今この場で逆らおうものなら、自分も母と時を同じくして処刑されてしまうのは火を見るよりも明らかだった。今まで感じたことのない、狡猾な考えが私の頭の中で縦横無尽に動き始めた。傍からは、洗脳が成功しいまや従順になった飼い犬のようにただ黙々と仕事をするだけの奴隷になったと見せかけ、頭の中では始終どうやって母を助けようかと思慮を巡らせるようになっていた。


 その日から、私は地下牢への道を躍起になって探した。もちろん表立って動くのは人目につきすぎるため、食事のわずかな時間を削っての探索となったが、そうやすやすと見つかるはずもなく、以前よりますます食事を取る時間がなくなって行った。それでも諦めず、仕事の合間を見つけてはあちこちと目を走らせ、人の寝静まった頃を見計らって起きだしては探索する毎日になった。睡眠時間もほとんど取れなかった。以前はそれでも一日に合計して約3〜4時間程度は目をつぶって横になる時間があったが、今はその時間も探索に費やし、連日の残酷な仕打ちと山のような仕事に振り回され、疲れ果て、それでも諦めずに城中を探索し、誰の目にも触れずに密かに地下牢にいる母にせめて声だけでも掛けられる場所を探した。そして見つけた。


 城というものは得てして複雑に出来ているものだが、影に押しやられる奴隷ならではの通路というものがあり、またその通路の先には、通称豚小屋と呼ばれる奴隷の詰め所があった。豚小屋は城の北側に位置し、近くには下水が流れ、常に悪臭が漂い、じめじめとして肌寒く、人間が住めるような場所とは到底言えないような場所だが、奴隷にとっては憎むべき兵士や城人がいない、静かな我が家同然である。この我が家に毎日毎晩帰ってこれる奴隷などほとんどいないが、たまに出来た時間で久しぶりに帰ってみると、意外にも単純な筋道の場所に豚小屋があることに気がついた。そしてその豚小屋の前を走っている下水は地下を流れ、そのまま地下牢への道を示してくれていた。地下水路は意外に広く掘られており、地上に出ている部分は僅かに奴隷小屋の付近と城外の堀に沿って外へ流れ出る部分だけではあるが、隠れるには絶好の場所に思えた。その地下水路を地下に下り、くねくねと折れ曲がる水路を辿っていくと、城の西側に途中で城中の下水と流れが合流する場所があった。その場所から壁に穿たれた穴を抜けて外に出ると、城壁と深い堀の間に、ひとりの大人がやっと通れるくらいの細い堤があった。城の南側は城門があるが、東西側は城の中ほど辺りから北側に向けて頑丈な鉄柵があり、その先は堤防のような形に掘られており、その堤防に敵侵入防止用の深い堀と、それに沿うように下水が並んで流れる場所があった。下水は堀の溝に流れるどぶ川と合流し、外の世界に流れて行っていた。城東側の土地の低くなっている場所の程近くに、目的地である地下牢はあった。窓らしきものは、頑丈な鉄柵がついた小さな高窓のみだった。


 数箇所ある高窓から、たったひとつの当たり窓を探すのは容易ではない。しかし人の気配がする窓はたったひとつしかなかった。私は注意深く慎重に、もし万が一自分の勘がはずれて母のいる部屋でなかった場合のことを考えながら人の気配のする高窓の鉄柵めがけて数度小石を投げた。小石は細い鉄柵に当たり、にぶい音を立てながら中の人に自分の存在を知らせた。

 すると不思議なことに、私が投げた小石がそのままこちらに帰ってきた。母のいる場所ではなかったのか?といぶかりながらふと投げ返された小石を見ると、小さく彫り物が施されていたのを発見した。小石は、自分達の以前住んでいた土地で使われていた文字で不器用に「安心して」とだけ書かれていた。当然この辺りの人間にその文字は読めない。これを読めるのは、自分と母と、哀れにも奴隷として働かされていて、かろうじて生命を保持できている元の村人のみ。つまり自分の仲間だけなのだ。私はこの暗雲広がる街に連れてこられてから初めて、人間らしい感情で涙を流した。その涙は当然のことながら悲しい涙ではなく、嬉し涙だった。


 母は私が幼い時期にも、こうしていつも声の出ない口の代わりにいろいろなものを使って「安心して」と言っていた。私が辛い時や苦しい時、母は私にいろいろなものに書いてこの魔法の言葉を伝えた。母としてはきっと、自分のことは心配するなと言う意味を込めてこれを小石に掘ったに違いない。「なんとかしなければ」。私は心の中でこう思うたび、疲れきっているはずの体に活力が沸いてくるように感じた。今までの抜け殻のような自分ではなく、まるで別の人格が取って代わったかのように。それからと言うもの、心の拠り所は城の中庭ではなく、いつも母のいるこの牢屋になった。牢屋の壁越しに母と呼吸を合わせるだけで、ひと時の安らぎを得られるような気がした。私にとってこれは新しい日課となった。自分の粗末な食事をちょっとだけ残しては、母への差し入れにしていた。僅かだが、自分は食べられるだけまだいい。母はこれよりもっと惨めな食事しか与えられていないか、もしくは食べ物さえ与えられてはいないだろう。母は何も言わなかったが、そうだろうことはだんだんと弱まる母の呼吸や息遣いでわかる。ことさらに母を助けなければと言う思いが強まっていった。

 そしてもうひとつの疑念は、母がなぜ牢屋に入れられることになったかだ。それに処刑だって?処刑されるほどの何かを、母はしたのか?その何かとは?


 ある時、食事時にふと見ると、私と同じように城の中で奴隷として働いている一人の男と目が合った。たくさんの荷物を抱え、意識も朦朧としているような足取りで危なっかしく歩いていた。歩いていたと言う表現が当てはまるならの話だが。千鳥足で、まともに地に足が着いていないようなふわふわとした、今にも倒れそうな表情だった。

思った通り、その男はいきなり私の目の前で倒れた。荷物がどさどさと床に落ちた。物音を聞きつけた兵士が駆けつけ、その男に鞭を振るいながら怒鳴り散らしていた。

「何をしている!早く立たんか!この役立たずが!」

倒れた男は身じろぎもせず、床に突っ伏したまま動かない。

「なんだ、こいつ。もうくたばったのか?まだネンネの時間じゃないぜ」

冷たくそう言い放つと兵士はほかの兵士に持ってこさせた水をその男に乱暴にかけた。突然水をかけられたことで、いきなり意識が戻ったのか、その男はのろのろと動き出した。

そういえば、こいつ、どこかで見かけたことがある。漠然とだが私の頭の中にそんな考えが浮かんだ。汚れからか、それとももともとなのか、周りの兵士とは違う、浅黒い中にもちょっと黄色味がかった肌の色で、この重労働で痩せこけ、灰色っぽい生気の抜けた目をした男だった。しかしどこで会ったのか思い出せない。そうこうしているうちに、またしてもその男が床にどさっと倒れ込んだようで、兵士のイライラした怒声が響き渡った。その男はすでに顔面蒼白で、このままだと死んでしまうかもしれない。私は考えとは裏腹にこの男を庇おうと、その男の上に屈みこみ、兵士に懇願していた。

「このままではこの人は死んでしまいます。具合がよくなるまで休ませてあげてください!」

「こいつがここで死のうがなにしようが、お前には知ったことじゃないだろう。お前はお前の仕事をすればいい!あっちへ行ってろ!」

 顔面にいきなり兵士の蹴りが飛んできた。顔から生暖かい血が滴り落ちるのを感じた。それでもひるまず私は懇願し続けた。兵士の足元で床に頭を擦り付け、文字通り『懇願』している自分に内心びっくりするほどだ。

 騒ぎを聞きつけた上官が現れた。そして傍にいた兵士となにやらこそこそと話をし始めた。この上官は私を奴隷として引き取ったあの憎むべき将軍より言い渡され、私を監視する役目を引き受けた将軍付きの兵隊のひとりで、将軍に媚を売ってのし上ったいけ好かないやつだった。名をラウドと言った。

「おい、余計なことをするな。お前、俺を殺す気か?」

顔面蒼白な倒れた男から発せられた言葉とは到底思えないことを耳打ちされ、私は男の方に顔を向けた。途切れ途切れに、ゼイゼイと激しい息遣いをしながら男は私を睨んでいた。睨みつけながら必死に立ち上がろうとするその男に私は自分の肩を貸そうとしたが、男は私の手を振り切り、弱弱しくよろよろと再び立ち上がり、目の前のラウドに一礼してその場を立ち去ろうとした。


ラウドは憎らしい顔をこちらに向け、灰色の目の男と私のやり取りを見て不敵な笑みを浮かべて、わざとらしく言った。

「なるほど。確かにその男はそれ以上動けそうもないな。ではこうしよう。こいつの代わりにお前がこいつの仕事もすると言うのなら、こいつに休息を与えてやってもいいぞ。」

冷笑を帯びた口調でラウドは言った。

「いや、俺はまだ働ける。休息などいらねえ。」

まるで私からの施しなど受けないとでも言うように、灰色の目をした男はつっけんどんにそう言った。

「こいつは休息はいらぬと申しておる。せっかく俺様が珍しく情けをかけてやろうと言っているのに、馬鹿なやつだ。だがこれでは交渉は決裂だな。」

「この人の分も働きます。だから助けてあげてください。」

私は後先考えず、ついこう口走ってしまっていた。思考より先に口が動いてしまったのだ。言ってしまってから、自分がなにかとんでもないことを言ってしまったのではないかと言う漠然とした不安が急に襲ってきたように感じた。

「俺はまだ働けると言っているだろう!余計なことはするな!お前が余計なことをすれば、俺は確実に殺されるんだ。そうにちげえねえ!」

ブルブルと震えながら私にそう言うと、さっきまでの困憊さは吹き飛んだかのように男は立ち上がり、仕事に戻ると宣言してその場を去った。

「アイツは仲間への思いやりがねえな。ここでアイツが仕事が出来ずに処分されりゃ、ちったあ今よりも広い場所を仲間に提供できるっつーのにな。」

後に残った心無いラウドや兵士達は、せせら笑いながら、まるで面白い芝居を見終わった観客のようにこの場を立ち去った。

 男に会ったときに漠然と沸いた考えが再び私の頭をよぎり、一体どこで見かけたのかと思い出そうとしていたが、その場に立ち尽くしていた私に兵士達が仕事に戻れと怒鳴っていたので、きっと豚小屋のどこかで見かけたにすぎないのだろうと思うことにした。そうでもしなければ、今抱えている仕事は片付かない。先ほど兵士に蹴られたせいで傷ついた頬から出た血を袖で拭い、また仕事へと戻ることにした。


 仕事の合間に地下牢の母の元へと駆けつけるようになってから数週間が経っていた。自分の食べ物を持ち、いそいそと出かける様は、まるで恋する乙女へ通う男のように気分がうきうきと浮き立ち、心が躍った。

 そんな幸せな日は、突然終止符を打たれた。いつものように、地下牢の母のいる窓辺へと到着した時、誰かが後から肩を叩いた。まさか、尾行されていたのか?サーッと血の気が引くのがわかった。手にもじっとりと嫌な汗をかいていた。ゆっくり振り向くと、いつぞやの灰色の目の痩せこけた男が立っていた。

「お前、ここでなにをしている?」

私はどう言い訳しようか迷った。この男を以前にどこかで見かけたことはあっても、どこで見かけたのか、味方なのか敵なのかいまいち把握しきれていなかったからだ。このような見知らぬ場所で、しかも自分の現在住んでいる街とはいえ、かつて仲間だったものや自分、そしてこの見知らぬ男さえも、この街で幸せに暮らしているとは言い難いし、むしろ嫌がらせやいじめが横行している真っ只中で、信用出来る人間が母以外でいるのかどうか訝ったからだ。

「なんだ?この前はいらぬ口を利いた癖に、今日はダンマリかよ。」

男はそういいながら、自分のポケットから葉巻を取り出し、その場に座って近くの石ふたつをカチカチと打ち鳴らして火を起こし葉巻に火をつけた。葉巻のようだが以前から私が見知っている葉巻とは若干、いや、かなり違った。安っぽいものだが、火をつけた後の匂いは確かに葉巻だった。

私はつい最近まで、生まれ育った村の中でも格下の存在だった。格下の人間は、自分よりも格が上の人間からの許しがなければ、めったに葉巻など手にすることもない。そして私をかわいがってくれたガラドは葉巻があまり好きではなく、本国から誰かが取り寄せた上等の葉巻でさえも口にすることがなかった。私が葉巻の形や匂いを知っているのは、私の直属の上司でもあり、私のいた隊の隊長だったマッドが、私やスノウをいたぶる時に吸っていたのを見ていたからだ。

「格下の兵士が落したやつをこっそり頂いたのさ。匂いも安っぽいし味もいまいちだが、葉巻には違いねえ。」

灰色の目の男は、私に見咎められたことなど気にする気配もなく、煙でむせる私の横でぷかぷかと気持ち良さそうに葉巻を吹かしていた。

「ここは俺の憩いの場所だ。最初に見つけたのも俺だ。お前は後からここへ来た。先住人に一言断りくらいあってもいいだろ?」

突然そんなことを言われ、なんと答えを返せばいいのかわからず、ただ黙ったまま男を見据えていた。

「こんな世知辛い世の中では、こうでもしねえとやっていけねえ。言いたくなければ無理に言うこともねえ。だが、俺のことは今後一切構うな。わかったらさっさと行ってくれ。」

二の句も告げることが出来ないまま、私はこの場を去った。なぜ?どうしてあの男はあの場所に?一服するだけの場所ならいくらでもほかにあるじゃないか。なぜあそこなのだ?


 不安な気持ちを抑えきれず頭の中は混乱して行った。だが、同じ奴隷の身の上で、自分と同じく一時の安らぎをどこかに見出すことをしているのは自分だけじゃないかもしれない。もしかして、ほかの奴隷もみんなそういうことをしているのかもしれない。それに、自分の知らない場所では、辛い立場の奴隷同士、実は助け合っていたのではないか?頭の中の自分は、どうやらあの男を信じたいようだ。用心するに越したことはないが、それでももし助け合うことが出来れば、こんなに心強いことはない。私にとっても(たぶん)あの男にとっても。まるで自分を無理やり納得させるかのように、そんな理屈が私の頭を支配した。もしかするとこの先、味方になってくれるかもしれない。希望にも似た感情で、私の心は躍った。だがそれと同時に、心の奥底では警報にも似た黒い感情もまた捨てきれずにいた。


 しかし、その日からしばらくの間、男とは一切会うことがなくなった。城の中でも豚小屋でも、秘密の地下牢横の通路でさえも。一体どうしたんだろう。まさか兵士に捕まって殺されたのではないのか?せっかく仲間になれるかもしれなかったのに、なぜあの時躊躇してしまったのか?

 気がつくと、無意識のうちにあの男を目で探している自分がいた。なぜこんなにあの男のことが気になるのか、自分でもわからず戸惑っていた。

 終わりの見えない仕事の山の合間に、いつものように母の元へ行き、ふと、母はあの男のことを知っているのかどうか聞いてみたくなった。同時に、かつての村にいた時に教わった、ある種の連絡に使う打音の調子によって話をする方法を思い出した。今で言うところの、モールス信号のようなものだ。母にこの音が伝わるかどうか、試しに合図を送ってみた。石壁の向こうからコツコツと返事が返ってきた。私は注意深く周りを警戒しながら、母に壁越しに問いかけた。

『あの男のことを知っていた?いつから来ていたかわかるか?』

壁越しに返事が返ってきた。

『あの男かどうかはわからないが、確かに誰かがこのあたりをうろうろしていたのは知っている。しかし、あの日以来気配は途絶えている。』

『兵士ではないのか?』

返事の後にさらに質問してみた。

『兵士ではないと思う。兵士なら、まずこんな場所へやって来ない。あの男はここに、ただ迷い込んだだけのようだった。』

 兵士ではない。だとしたらやはりあの男だ。ほっと安堵の吐息を漏らし、私は深く息をついた。やはりあの男はスパイではなさそうだ。今度会った時にでも話しをしてみよう。そう思った瞬間、母側の壁からまた信号が来た。

『誰か来る』

 信号が来てから逃げる間もなく、ひとりの男が現れた。あの男だ。ゆっくり、まるで足でも引きずっているかのような足取りで近づいてきた。

「よお。またここにいたのか。すると今日はお前がなぜここにいるのか聞かせてもらえそうだな。」

男がそう言うやいなや、男の背後からドカドカと駆け寄る人々の足音が聞こえてきた。兵士だ。

勝ち誇った顔の兵士が数人、男の後からやってきていた。

「よくやった。さて、お前はなぜここで仕事をさぼっていたのか、嫌でも吐かせてやるぞ。こっちへ来い!」

まずいことになった。ここで兵士に捕まれば、ただでは済むまい。私は踝を返して反対側へ駆け出そうとした。しかし反対側からも大勢の兵士が現れ、多勢に無勢で抵抗する間もなく捕まってしまった。灰色の目の男は、うつむき加減でキースの顔を見ず、黙って兵士の後に隠れた。嵌められた。私はこの男にまんまと嵌められたのだ。それまでこの男を信用しようとしたことを激しく後悔した。やはりこの腐りきった人々の中に居れば、誰でも自分のことだけしか考えられなくなるのだ。わかりきっていたはずの答えを目の前に改めて突きつけられた子供のように、私は悔しい気持ちを抑えることが出来なかった。


数日前に連れて行かれたばかりのラウドの部屋へまたしても連れてこられた。私を囲んだ兵士の後ろから、隠れるかのようにあの男もついてきていた。私の気持ちを踏みにじった憎らしい男は、私が睨みつけるとそそくさと顔を背けた。


「お前が時々姿をくらますのをわたくし達は知っていた。この男は、僅かな休息と引き換えにお前の行方を我々に教えたのだ。怨むならこの男を怨むがよい。」

変に高飛車な、嫌味っぽい高い声でせせら笑いながらラウドは言った。

「この男は、僅かな食料と休息の時間の代わりにお前を売ったのさ!薄汚い野郎だ!」

兵士の誰かがそう言うと、まるで漫才か落語でも聞いた時のように他の兵士達は一斉にどっと笑った。

「約束通り、お前にはしばしの休息をやろう。」

そう言うと、ラウドは男を掴んでいた兵士に向かって顎を突き出して合図をした。男を掴んでいた兵士は待ってましたとばかりに頷くと、一歩さがった場所で自分の腰の刀をさっと取り出した。

「待てい!」

振り上げた瞬間、背後から声が響き、刀が宙でピタリと止まった。


声の主は、私や仲間を捕らえたあの憎むべき相手だった。黒い甲冑に身を包み、全身からは初めて会った時と同様の威圧するオーラを放っていた。将軍はツカツカと前に進み出て来ると私の前に立ちはだかった。突然の将軍の登場に戦きながら、ラウドはサッと将軍のやや後ろに控えた。


「緊急の任務が出来た。その者二名にやらせることにする。」


将軍直々のお言葉だ。周りの兵士達がざわついた。ラウドが媚び諂いながら将軍に言った。

「あの・・・、ラース様・・・。なぜ一介の奴隷にラース様直々の重要な任務を任されることにしたのか、お考えをお聞かせ願えますか?」

将軍はラウドになにかを耳うちすると、それまでの恐れ戦いた表情が一変し、また元のニヤニヤ笑いに戻った。

「わかりました。なるほど。」

ラウドがそう言うと、周りに居た兵士がわけがわからないと言った状態でさらにざわついた。ラウドが兵士達に一瞥をくれてやると、兵士達は途端に静かになった。自分より上の人間に逆らうことがどういうことなのか、ここにいる一般兵士達が一番よくわかっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ