第一章 第一話 始まり
この小説は、著者:伊紋央子が、自身のホームページで発表していたものを転載したものです。
この小説内で使用している宗教関連事項や過去に発表された漫画や小説、ゲーム等より抜き取ったと思われる部分があるかと思いますが、決してパクりではなく、伊紋の完全な独創です。
この物語はフィクションです。
真っ暗な闇の中で、私は生きていた。ここはどこなのか?そして私は何者なのか・・・
耳を澄ますと、なにやら楽しげな笑い声が聞こえた。いったいここは何処なのか、どうして私の周りはこんなにも闇なのか・・・なにもわからないで居た。
急に、辺りが明るくなった。見てみると、そこには沢山の”目”があった。小さい目や大きい目が一斉に私を見ていた。なんだか怖くなってしまい、私は目をつぶろうと思ったが、目が動かない。どうしてだろうと考えていたら、目の持ち主が言った。
「ねぇ。ママ。これ、本当に私に?とっても綺麗なお人形さん!大事にするね!ありがとう!ママ!パパ!」
そうか・・・私は”人形”なのか・・・
私は、この姿になる前から、自分の使命を持っていた。もともとの私の魂は、地球から生まれた。太古の時に、地球は私を産み落とし、そしてこう告げた。
「長い年月が過ぎた頃、私は朽ち果てるであろう。それを救えるのは、ただ一人。私を作った神の生まれ変わりである人物だ」と。
そのころはまだ、恐竜の住む時代。人間の存在もあるかどうかというときであった。私は信じられなかった。生まれ出でたばかりの私でさえ、この地球がとても綺麗な”生き物”であるとおもっていたからだ。しかし、その”地球”自身は、この先の自分の身に起こるであろう出来事を遠く見透かしていたのかもしれない。
生まれたばかりの私は、風の精霊であった。仲間とともに、私を産み落とした母なる地球の周りを延々と巡る運命であった。まだこのときは、私にとってはどうしてこの世に生まれたのかさえ考えられないほど平和であった。
年月が流れ、私は再び母なる地球に召し出された。地球は言った。
「私はこれから長い眠りにつく。お前はこれから”限りある命の者”として生まれ変わる。その間にはいろいろな出来事があるだろう。その目ではっきりと見、私の滅びの原因を追求し、そして我が身体の救世主を見つけ出すことが、お前の使命になるであろう」
私はその言葉の意味さえ理解できず、おぼろげに聞いていただけであった。私の身体が”限りある命”になる?今の私は老いもない、ただの精霊であるのに、どうして母なる地球はこんなことを言うのかが解らなかった。しかも、”限りある命”というのは、どういう存在なのか?それすらも理解できないでいた。
母なる地球が、それからしばらくして長い眠りについた。地球は今までと変わらず、美しい身体をしていた。しかし、私が空から眺めているうちに、所々から今までと違う、『変化』が見られるようになった。動物の誕生である。
動物達は、自分達の習性に基づき、いろいろな生活習慣を持って、個々のルールを自分たちでつくり、営んでいた。私にしてみれば、動物達の誕生はむしろ、喜ばしいことのように思えた。なぜなら動物達は、我が母なる地球を汚すような行いはしなかったのだから。
時として私は動物達の傍を通り、動物達の会話を聞いた。動物達はまるで我が母から生まれ出でた者のように堂々とし、私をすぐに受け入れてくれた。そしておぼろげながら、我が母の存在もわかっているようであった。私とその仲間は、動物達のことを仲間として、時には助け、時には助言をし、母の思し召しを説いた。動物達は熱心にそれを聞き入れ、自分達なりの生活習慣の中に少しづつ取り入れていった。
動物達の誕生から、また長い年月が流れた。母なる地球の至るところで変化が起こった。人間の誕生である。動物達は、人間達とも共存をするべく、人間達の先導者として、知識を説こうとした。しかし人間達は、動物達を恐れ、近づこうとはしなかった。人間達は、自分達のわかる言葉を使い、動物達はその言葉が理解不能であったため、人間達の先導者としての地位を失った。
人間達は、私たちとその仲間さえをも恐れた。しばしの間、暗い洞窟の中で暮らしていたが、ある時突如、私たちの仲間である動物を”狩り”の対象とし、その肉を食らうようになった。
人間達の営みの中で、沢山のものが生まれた。その内の1つが”火”である。人間達は、動物達より能力が発達しており、草も動物も木の実も、自分達で考え、行動を起こし、体験し、生活に役立てていた。その中にはいつも、”火”の存在があった。動物達は、自分達が今まで見たこともなかった”火”に興味を示したが、人間達が同類の動物を狩り、その肉を火にあぶって食らう姿を見、次第に火に対する興味が薄れ、興味から恐怖へと変化していった。
長い年月、動物達と人間をその目で見ていて、ある時ふと気が付いた。動物も人間も”限りある命”であるということを。あの時、母なる地球が私に告げた言葉が次第に膨らんで来た。
『お前はこれから”限りある命の者”として生まれ変わる。』
しかし、そのときでさえも、精霊の命は限りなく、延々と生き続けるものであった。これから生まれ変わるとは、いったいどういうことなのか・・・私は胸の中に広がる疑問と、ある種の不安を抑えきれなかった。
私がそう考えるようになってからわずかしかたたないうちに、ついに母なる地球の懸念が現実に起ころうとしていた。人間達がお互いに争い始めたのである。
それと時を同じくして、精霊達にも変化が起こった。精霊達の身体が段々薄れていくのである。どうしてそうなったのか、その原因は何処にあるのか、それすらもわからぬまま木の精霊も、大地の精霊も、空の精霊も、我が同胞の風の精霊も、だんだんと姿が薄らいでいき、体は消え、そして魂だけが天に上り始めた。その変化は最初はわずかに起こり、そしてそれがだんだんと広がっていった。やがて精霊達は、いつ自分の存在も薄れてしまうのか見当もつかぬ恐怖に怯えて生活するようになっていた。
私の存在は、仲間が薄れていく中で、まだ変化は見られなかった。変化が現れる以前と同じように生活が出来ていた。私は不思議でならなかった。なぜ自分の存在はまだ消えようとはしないのか。母なる地球はまだ私が”限りある命”として生き返ることを望んではいないように思えた。
仲間が次第に消えうせ、天に上る姿を見ていると、とたんに恐怖と哀愁の気持ちが湧いてくるようになった。自分はいつ、この世から消えうせるのか、それとも最後まで残るのだろうか、取り残された私はこれからどうすれば良いのか、毎日夢うつつにそんな事ばかりを考えていた。すでに仲間達の半数は消えうせ、その魂はその後どうなったのかさえわからずにいた。
そんなことを考えている時、母なる地球上に住まわっている動物や人間達の姿を垣間見た。動物と人間達の間で、”病気”なるものが蔓延していたのである。私はこの時、今までの人間達の愚行から、当然の報いであろうと思った。自分達のした行いのせいで、この”病気”は発生したと考えたのである。動物達は、”病気”を運命と受け入れ、儚くも死んでいった。しかし人間達は、運命として受け入れられず、時には死してなお、この地に留まりつづけ、挙句の果てには天からの御使いさえをも跳ね除け、ただただ自分の躯の上を飛び交う存在に成り果てる者も出てきた。その存在があまりにも増えたため、私は一度ならずとも、その存在と話合うために接触を試みた。しかし、私自身は長い年月の間で人間の言葉がある程度理解できるようになってはいたものの、話をすることはかなわず、ましてや人間達は私の存在をむしろ否定していたので、受け入れようとはせず、ただただいつものように自分の躯の上を飛び交い、嘆いているばかりであった。
人間との接触を試みたせいなのか、はたまた運命のいたずらなのか、私の身体にもようやく変化が起こり始めた。気力がうせ、空を飛び交うこともできず、母なる地球の美しい色も、なぜか突然色褪せて見えるようになった。この時点で、私以外の精霊なる存在は皆消えうせていた。私が最後に取り残されたのである。そんな私を励ましてくれたのは、動物達であった。自分達は、この世に生を受けた時から”限りある命”であり、それは運命なのだ、と言った。私は動物達と話合っているうちに、自分の使命を思い出した。ようやく自分は母なる地球に必要な存在になれるのだ。そう考えるうちに、気力がうせていく様も、なんだか心地よいものに思えてきていた。
とうとう、私の”風の精霊”としての存在が消えうせる日が来た。動物達は嘆き悲しんでくれたが、私はなぜかこの時体の隅々まで高揚し、これから起ころうとしていることが楽しみであった。
天からの御使いが舞い降り、私に告げた。
「あなたが最後の存在です。さあ、これからあなたは”限りある命”として生まれ変わります。我々に付いてきて頂きたい。」
私はそう言われ、素直に従うことにした。天からの御使いについていくと、そこは人間が存在する以前の母なる地球の姿があった。とても美しく、緑も豊かで、はるか遠くからは綺麗な川が流れていた。
とある宮殿の前まで来たとき、以前の仲間達と出会った。仲間達との懐かしい再会を果たし、私の心はさらに高揚した。仲間達とのしばらくぶりの会話で、ふと気になる点があることに気がついた。
なんでも、生まれ変わる前には、ここを通るもの全員があの美しい川の水を飲まなければいけないというのだ。その水をなぜ飲まなければいけないのかは、仲間達も知ってはいなかったが、その言葉を聞いたとき、私は言い知れぬ恐怖が心の中に広がるのを感じた。
宮殿の門番の所まで来たとき、私は思い切って話かけてみた。
「あの川の水を飲まなければいけないというのはどういう理由からか?」
宮殿の門番は言った。
「あの川は”レテの川”といい、忘却の川なのだ。これからあなた方は今までの記憶をすべて消し、新たに生活をするために、この水を飲まなければならない。もし飲まなくとも、あの川を渡る時に川の水に触れるだけで、今のあなたの記憶は消されますが。」
私は突然、慄いた。私の今の記憶を消されれば、”限りある命”として生まれても、母なる地球からの使命をまっとうすることなく死んでしまうのではないのか?なにも出来ず、朽ち果ててしまうのか?
見ると、他のかつての仲間達は、そんなことはまるで考えていないかのように、言われるまま”忘却の水”を飲み干していた。皆には私が受けたような使命は与えられていないのか?頭の中で葛藤しているうちに、とうとう私が水を飲まなければならないときが来てしまった。 この時、私は、自分でも思いのかけないような行動に出た。かつての仲間が皆、忘却の水を飲み、先導されて、生まれ変わる為の洞窟を抜けて行こうとしていたとき、私は水を飲ませる番兵にこう言った。
「私は”母なる存在”より、使命を言い渡されている。この水を飲み、今の記憶を消すことはできない。私だけこの水を飲まず、この水に触れることなくあちら側に行かせてはもらえないか」
番兵は、面食らったように私を見、そしてこう言った。
「私はこの地を治める神より、この役割を与えられている。神はいつでも私達の行動を把握しておられる。しかし、今はちょうど神はお留守のようだ。母なる存在の地球より賜った使命がおありなら、うまくここを通して差し上げよう。しかし、ただでとはいかない。あなたのこれからの運命の1つを私に頂きたい。」
私は、この番兵の意味を理解する間もなく、承知した。そしてレテの川を触れることなく通り過ぎ、今、ここに存在するのである。
女の子は、私を手にとり、持ち上げた。丸いかわいい目で私を見、そしてこう言った。
「あなたのお名前を付けなきゃね。う〜んと・・・ルイスってのはどうかしら?」
私は、思わず返事をしようとした。しかし声が出ない。そもそも私は”人形”という存在のことすら解っていなかった。手足を動かそうとしても一向に動かない。面食らっている私に、女の子はこう言った。
「ルイスちゃん。エミリーのかわいいお人形さん。今日は一緒に寝ましょうね。」
そうか。この子の名前はエミリーというのか。この子は・・・もしかして”人間”か?どうして私はこの子と同じように”人間”としての生を受けなかったのだ?もしや、レテの川の番兵との取引とは、こういうことなのか?ふつふつと疑問が湧いてきた。そんなこととも露知らず、エミリーは私を抱えてベッドに入った。
エミリーと一緒に、姿形が違う人間が2人、付き添って来た。
「エミリー。お誕生日おめでとう。今日から8歳だね。良い夢を見てお休み。」
そういって、やさしくエミリーにキスをした。この人間は華奢な身体つきで声も高く、耳に心地よい響きであった。もうひとりの人間が言った。
「さあエミリー。今日はもう遅い。お人形さんといつまでも遊んでいないで、今日はもうお休み。」
この人間は、先ほどの人間と比べて声が数段低かった。エミリーは、二人の人間に向かって言った。
「は〜〜い。パパ。ママ。お休みなさい。」
「お休み。」
パパと言われた男がそう言った。傍らでママと言われた女が微笑んでいた。
エミリーはしばらくベッドの中で、私に一方的に話をしていた。人間というものはこんなにもおしゃべりなのか、と面食らっているうちに、私はこの子の会話から、いろいろなことがわかってきた。
私はビスクドールという”人形”であること。今日はエミリーの誕生日だったので、パパが買ってきてくれたのだという。その前には、おもちゃ屋のショーウィンドウの中でこの子は私を見ていたらしいが、私のその時の記憶はまったく無かった。私のような人形は、人間が作り上げたものであること。私の体は『陶器』で出来ている事。とても慎重に作られた、精巧なる技術が詰まっていること。とても高価であること。そしてなにより、私は美しいらしいこと。しかしそう言われても、私は私自身の姿形を見たことがないのであまりピンとこなかった。
話をしているうちにエミリーは、静かに息をして、眠りについた。私は眠ることすら出来ず、なにをし、なにを考えればよいのか解らないで居た。
その時、エミリーの体のあたりから不思議な光が現れ、その光がだんだんと大きくなっていった。その光の中では、エミリーが楽しそうに私と遊んでいる風景が現れた。いろいろな景色が見え、エミリーと一緒に空を飛んでいた。私はこの現象にとても興味を覚え、光に近づこうとした。そのとたんに私の身体は空中を駆け、光に吸い込まれてしまった。
私は自分自身がどうなったのか解らずただただびっくりしていた。エミリーは私を抱き上げ、やさしく言った。
「あら。ルイスったら、ベッドから落ちちゃったのね。よしよし、痛くないよ。」
私は思わずエミリーに言った。
「ありがとう。でも大丈夫。何処もなんともないらしいから。」
言った後でびっくりした。エミリーもびっくりしていた。しかししばらくしてエミリーはニコッとして言った。
「あはは。ここは夢の中なのね。びっくりしちゃった。夢の中なら、なんでも出来るものね。でも、よかった。エミリーもルイスとお話をしたかったの。」
私はこの現象を理解出来ないで居た。どうやらここはエミリーの夢の中らしい。私はこの子の夢の中に吸い込まれていたのだ。私の能力とは、こういうことが出来ることなのか。面食らってばかりの私にエミリーはいろいろな場所を見せてくれた。この子の夢の中とはいえ、なんとも鮮やかで繊細な景色なのだろうと感心するばかりで、この子がいろいろ話していることもほとんど聞こえていなかった。不思議なことに、夢の中での私は大地を感じ、風を感じ、手足を動かすことが出来た。痛みや触られたときの感触もあった。まるで、”風の精霊”として生きていたときのように、すべてを感じることができた。この日はエミリーと一晩中(とはいってもエミリーは寝ているのだが)遊んだ。身体を動かすことが、久しぶりのような気さえしていた。
明け方近くなり、だんだん景色が遠のいていった。エミリーの脳が目覚めの準備をしだしたのである。この短い時間の中でだけしか身体を動かすことが出来ないことをさびしく思えた。このひと時が過ぎてしまえば、私はまた人形に戻ってしまう。手足も動かず、しゃべることもかなわぬただの人形に・・・
夜明けが訪れ、エミリーの目覚めの時が来た。家の一階ではママが朝食の支度をしてる音が聞こえた。私はエミリーの夢からあっという間にはじき出され、人形に戻っていた。エミリーの傍らに光っていた不思議な光は、次第にエミリーのそばで縮んでいき、そして消えた。
陽が高くなり、ママがエミリーの部屋のドアを叩いた。エミリーはまだ寝ている。
「エミリー!起きる時間よ。学校に行くんでしょう?早く支度しなさい。」
大抵の子供と同じように、エミリーもベッドの中でごそごそと動いて、また眠りについてしまった。ママが今度はさっきよりも激しくドアを叩いて言った。
「エミリー!起きないと学校に遅刻しちゃうわよ!」
エミリーは、ようやく目覚めた。そして眠そうな目を擦りながら、私に向かって言った。
「ふふっ。昨日は楽しかったわね。今日もまた遊びましょうね。」
エミリーはもそもそと着替えて一階に下りていった。
私は昨夜の不思議な体験を思い浮かべては、首をかしげた(実際に首が曲がるわけではないが)。わからないことがあまりにもたくさんありすぎて、私はなにから考えればよいのかわからずにいた。頭の中は半ばパニック状態になりかけていたのかもしれない。そして一呼吸置いた後むしょうに眠くなり、意識が遠のいていった。
気が付くと、私は光の中にいた。エミリーが学校に行った後、ママがエミリーの部屋のカーテンを開けたのだ。まぶしい日の光が懐かしくさえ思えた。ママは忙しそうにエミリーの部屋を片付け、掃除をし、洗濯物を持っていった。
再び部屋に沈黙が訪れた。体を動かしたくても動かない。声を出したくても出せない、そんな葛藤の中で、次第にざわざわとした音が聞こえるようになった。そう、最初は私はその音を『音』だと思ったのだが、よく聞いてみると、どうやら『声』のようだ。そして動かぬ体をねじるようにして辺りを見てみると、なんと、エミリーの部屋の中に”居る”人形たちの声であることがわかった。人形たちは、どうやら私が珍しいらしい。ひそひそとお互いに話をしては私を見物しに来ていた。私は不思議でならなかった。私はエミリーの夢の中でしか体を動かすことができないのに、どうして私のほかの人形たちは自由に動くことができるのか。声が出るようなら声に出して問い掛けてみたかった。しかしやはり声が出ない。胸の中で渦巻くたくさんの質問に気が付いたように、一人のふくろうのぬいぐるみが私に近づいていった。
「あんたはどうやら動けないらしいな。わしらは本当は、人間が居ない時に限り動けるんだよ。人間は、わしら人形が動いたところを見たことがないから知らないだけなんだ。わしらは人間が居るところでは動けない。しかし人間が居ないところでは、人間と同じように動けるし、話もできるんだよ。あんたもやってごらん。きっとできるはずだから。まあ、最初のうちは、体がこわばっていて、なかなか思うようにはいかないだろうけどのう。」
このふくろうのぬいぐるみは古ぼけていて、かなりの長い年月、この部屋で暮らしていたんだろうということがわかった。と、ふいに下の方からもはっきりとした声がした。
「オウルじいさん。こいつはもしかすると本当に動けないのかもしれないよ。僕は話に聞いたことがあるんだ。こいつが居た人形の店でただ一体だけ、手足も体も動かせない人形がいるって。こいつはもしかするとそれなんじゃないのか?」
そう下からの声が言ったとたんに、部屋中がざわめきはじめた。先ほどのオウルじいさんが言った。
「ふむ。そういえばそんな話を聞いたことがあったな。そうかもしれぬ。しかし、いくらそうだとしても、まさか話しさえもできないとは思えん。声は出ないのかね?出してみようと努力してごらん。」
私は心の中でこうつぶやいた。
「体を動かすことも、声を出すことも何度もやってみたが・・・出来なかった。私は本当に声が出るのか?体が動かせるのか?」
心の声を聞き取ったように、オウルじいさんが言った。
「ほっほっほ。そうか。何度かやってみたか。しかしのう、人間の居るところでは、その努力もかなわぬことじゃ。わしらは人間が居ないところでしか動けぬのでのう。だから、今一度やってみたらどうじゃ?お若いの。」
私は再度やってみることにした。こわばった体をなんとか動かそうとし、声を出そうとした。しかしやはり出来なかった。
「ふむ・・・やはり・・・・」
オウルじいさんが言った。
「時々そういうやつがおるよ。魂に傷を持った生き物・・・いや、わしらは実際には生きてはおらぬがのう。わしらは人形として生まれたが、不思議なことに、こうして動くことが出来る。これは神がくださった我々への贈り物だと思うとる。わしらの魂は人間と同じ魂でな、もちろん天に召されることもあるが、大抵の場合は体が朽ち果てるのが先で、体が朽ち果て、魂を入れておけなくなったときに、その体からはじき出され、わしらの魂も天に召されることになるのじゃ。それまでは何十年も何百年も生き続けることになるのじゃ。大事にされた人形は、それだけ長生きするということじゃ。わしなぞ、もうかれこれ20年は生きておる。エミリーのママが子供のころに生まれたのでのう。」
私はこのオウルじいさんの言葉を聞いて、とたんに悲しくなった。では、私はなにもできぬ運命にあるというのか?私は知らなかったのだが、レテの川の番兵と交わした『取引』というのは、まさにこのことだったのだ。では、私は動けず、声も出せず、これからどう生きていけばよいのか?なにもかもがわからなくなった。
そのとき、エミリーの部屋の中に居る人形たちが、私の置いてあるたんすの上に上ってきた。機械的な飛行能力があるおもちゃを自在にあやつり、興味深々で、一目見ようと押しかけてきたのだ。その中で、ひときわ小さい熊の人形が甲高い声で言った。
「大丈夫。心配しないでいいよ。僕らは君の思っていることがわかる。心が通じ合えるんだと思うんだ。そんなに思いつめないで。」
「おっと。僕の名前はテディジュニアっていうんだ。ジュニアと読んでくれ。よろしくな。ところで君の名前は僕はもう知ってるよ。ルイスって言うんだろ?昨日エミリーが君に名前を付けたのを僕は聞いてたからね。」
他の人形たちもうなずいていた。そうか、私は声を出すことも、体を動かすこともかなわないが、人形たちと心が通じ合えるのか。なんとなくほっとした。私は他の人形たちにわかるよう、レテの番人との取引を心に描いてみた。オウルじいさんが驚いたように言った。
「そうか。そんなことがあったのか。じゃが、わしらはこの先天に召されたときはまた、レテの川の水を飲むじゃろう。すべてを忘れてな。あんたはきっと、なにか大事なことがあるのじゃろうのう。しかしわしらの記憶は永遠にあるものではなく、次第に薄れていきよるが、覚えている間だけでもお前さんを助けてやれるかもしれん。ただ、お前さんはまだこの世の中のことを何一つわかっちゃいないじゃろう?動けぬ体というのも、世間を見るための試練であると思えば、そんな悪いものではないかもしれんぞ。ふおっふおっふおっ。」
オウルじいさんが愉快そうに笑ったとき、他の人形やぬいぐるみたちも同じように微笑んでいた。どうやら私はここで新しい『仲間』を見つけられたようだ。そう思ったとき、ふっと気分が軽くなったのがわかった。